恋と部室とデッサン画
この作品は『恋とプールと水彩画』の続編になります。
続編のため、2分で読めるシリーズに入れてますが、実際は12分かかります。速読術を用いれば2分でいけると思います。
私は跳ねるような足取りで美術室へ向かった。卒業式が終わったら、部室に来てほしいと新山先生に言われていたからだ。
両手には、後輩たちから手渡された色紙と手作りのバルーンの花束、学校からの分厚い卒業アルバムや卒業証書、担任の先生からプレゼントされたクラスの一年間の思い出がつまったフォトブックがおさまっている。
美術室に入ろうとしたが両手が塞がっていたため、
「先生ー、新山先生ー、開けてー」
と言ってみると、数秒後に扉が開いた。
思わず笑みがこぼれる。
そこには、スーツ姿の新山先生が立っていた。
「これは確かに開けられないなぁ」
言いながら、先生は中に入れてくれた。
もちろん、部室には先生以外誰もいなかった。
「先生もメッセージ書いてっ」
分厚い一枚板の大きな木のテーブルに荷物を置くと、私は早速、卒業アルバムの最終ページを開いた。そこはメッセージが書ける白いページになっていて、すでに、仲良しののんちゃんとみかちゃんとゆっちゃん、三年の美術部員たちのメッセージで半分以上が埋まっていた。
「他の生徒に書いたのと同じでいいか?」
「私のは思い切って『愛してるぜ!』って書いて、サインを入れてほしい」
冗談で言って見ると、先生は淡々と言った。
「卒業アルバムにそんな私情を書くなんて、公私混同はダメだろ」
「冗談に決まってるじゃん……」
呆れながら答えると、私はマジックインキを手渡した。
先生は、
『自分のことが好きになる人生を描いてください。新山』
と、書いてくれた。
「吉岡の色紙、見ていいか?」
「うん、いいよー」
後輩からプレゼントされた色紙を黙って読んでいた先生が、突然、
「金田か。あいつなぁ~……」
と、呟いた。
どうやら金田くんの寄せ書きを読んでいるらしい。金田くんの寄せ書きには、小さな寄せ書きシールに苦戦しながら、小さな文字を駆使して、長文でこう書かれていた。
『ご卒業おめでとうございます。今まで、ありがとうございました。先輩と過ごした時間を忘れません。卒業されて淋しくなります。よかったら、いつでも連絡ください。待っています! 金田光輝』
顔を微かにしかめた先生に、私は驚いた。
「ええっ? 先生って、金田くんのことが苦手だったの?」
「まあ……苦手というか……」
「苦手な生徒がいるなんて珍しいね。何が嫌なの?」
「あいつ、吉岡と距離が近くないか?」
「公私混同してるのはどっちなんだか……」
「あいつ、絶対、吉岡に気があったぞ」
「そうだねぇ……」
「知ってたのかっ」
「それとなく言われたから……」
「聞いてないぞ」
「言ってないもん」
「言ってくれないと」
「聞いてくれないと」
「『誰かに告白されたことある?』って聞くことあるか? 無理だ。やっぱり、そっちから言ってくれないと」
「内緒にしてたんじゃなくて、なんとなく言う機会を逃してただけだもん。それに、先生も言ってくれなかったじゃん」
「俺は告白されたことなんかないぞ」
「うわぁ~……なるほど。そういう感覚だったんだ~……」
「なんだなんだ? どういうことだ?」
「バレンタインデーで、直接、受け取らずに採点しながら『そこの紙袋に入れといて』って言ってたらしいじゃん」
「そこだけ聞いてたら、ひどい先生だな。ちゃんと『ありがとう。悪いけど、そこの紙袋に入れといて』って言い方をしてたぞ」
「同じだよ。みんな、落ち込んでたよ。恋愛に塩対応なのは知ってるけど、さすがにチョコは直接、受け取ってあげようよ。みんな、恋に命賭けてんのに」
「俺の話を聞いてくれ」
「手作りチョコばっかりだったでしょ?」
「……そんな感じだったな。いいから、俺の話を聞いてくれ」
「きっと本命チョコだったと思うよ。手作りチョコって作るの大変なんだよ? 材料とか道具とか買わなきゃいけないし……」
「先生の話を聞きなさいっ」
「……公私混同はどっちなんだか……」
「その日は、溜まった採点と二人の生徒の進路相談と会議でめちゃくちゃだったんだよ。そんな日に限ってバレンタインデーとか俺は悪くないだろ。生徒一人一人に丁寧にチョコを受け取ってたから進路相談できないとか、そっちの方がダメ教師だろ。生徒は受験に命賭けてんだよ」
「ごもっともですけど……」
「それに、なんか……申し訳ないけど、ただでさえ人見知りなのに、恋愛対象として見られるのは余計に戸惑うんだよ。頼むから、俺のことはそっとしといてほしいんだよ」
「あのさ、人見知りなのに、なんで美術教師になろうと思ったの? 初対面の人だらけだよ?」
「それは……美術教師に憧れてたからだよ」
「大変だねぇ」
「ちょっと待て。勘違いしないでほしい。人見知りだけど、美術のおもしろさを知ってほしいから、生徒に教えるのは好きなんだよ。そこは大丈夫だ。ただ、恋愛対象で見られるのは戸惑うから、やめてほしいってだけの話なんだ」
「大変だねぇ。男として好かれたいんじゃなくて、先生として好かれたいんだねぇ」
「そう、そうなんだよ。だから、チョコをくれた生徒たちに、今は言いたい。俺のことは嫌いになっても、美術のことは嫌いにならないでください」
「本当に美術のことが好きなんだねぇ」
「とにかく、人見知りだけど教師はやってて楽しいよ。あ~違う違うっ」
「なになに? どうしたの?」
「話が変な方向にいってる。吉岡と話してたら、いつもこうなる。俺の話はいい。とにかく、言ってくれないと」
「言ってどうなるの?」
「……う~ん……」
「ちゃんと断ったよ。好きな人がいるからって。でも、勝手に好きでいるだけだからって言われたし」
「……う~ん……卑怯な奴め……」
「卑怯な奴……?」
「水面下でそんな心理バトルがあったなんて知らなかった……やられた……」
「やられた……? まあ、先生は芸術しか興味ないからなぁ」
「人を芸術バカみたいに言うな」
その時、不意にノックの音がした。次に、「失礼しま~す」と隙間から顔が覗く。
噂をしていた二年の金田くんだった。
「金田くん、どうしたの?」
「先輩がここにいるって聞いたんで。話したいことがあるんで、先輩、ちょっといいですか?」
「なんの話なんだ?」
遮るように先生が言った。
「部活の話なら、ここでもできるだろ」
「部活のことではないので」
「ここじゃダメなのか?」
「ここじゃ、話し辛いんですよね。二人で話したいんで、先輩、ちょっといいですか?」
「よくないよ、俺のカノジョなんだから」
金田くんは、ぽかん……という顔をした。鳩が豆鉄砲を食った顔とは、こういう顔なのかなぁと思う。
「……え……え……カノジョ……? 二人は付き合ってたんですか……?」
「誰かに話したら、美術の点数大幅に引くぞ」
金田くんは目に見えてしょんぼりすると、溜め息を吐いて、力なく扉を閉めてくれた。
「バレちゃったね……」
「バレちゃったな……」
「公私混同はどっちなんだか……」
「金田以外なら邪魔しなかったぞ。けど、金田はダメだ。あいつはグイグイいく奴だ。あれは絶対、告白するつもりだったぞ」
「告白させてあげようとかはないんだ」
「ない」
「即答だ……。一応、金田くんも教え子なのに」
「そういや、そうだな……。牽制することしか考えてなかった……。教師じゃなくて、完全にカレシモードになってた……。俺としたことが……」
「困った先生だなぁ……」
「俺は不器用なんだよ。だから卒業してから付き合いたかったんだよ。なのに、あんなことに……。告白も俺からしたかったのに……」
悔しそうに言う先生に、私は不思議に思って聞いてみた。
「その言い方だと、私が先生を好きってことに気付いてたの?」
「あんなに好き好きビームを出されてたら誰でも気付くだろ。指導の度に『俺じゃなくて絵を見ながら説明を聞け』と何度も言ってただろ」
「あちゃ~」
「あちゃ~じゃない。しかも、絵のモデルになってほしいとか普通あり得ないだろ」
「あれは先生が好きなのもあるけど、純粋に芸術作品に起こしてみたいな~っていう創作意欲もあったのよ。不純な気持ちだけじゃなかったのに『嫌だ』ってあっさり断るし」
「嫌だったし……」
「そっちこそあり得ないし。普通、生徒のお願いを、美術教師の立場の人がそんな無下に断れるもんかなぁ?」
「生徒の頼みとは言え、絵のモデルは、さすがに嫌だろ」
「ヌードモデルじゃないのに?」
「そういう問題じゃない。完成したら美術展に応募したいとか言うし。入選したらどうするんだ。多くの人に自分の顔を見られるなんて恐ろしい。俺は目立つことなく、ひっそりと慎ましく、日々を穏やかに生きていきたいんだ」
「イケメンだし、そんなの無理だよ」
「イケメンだし、そんなの無理か……」
「否定しないんだ。自覚あったんだ」
「陽キャだったら楽しい人生だろうけど、俺の場合、好きになってくれるのは有り難い反面、目立つことがストレスでな……。だが、この伊達メガネがあれば、もう大丈夫だ」
「隠せてないよ。逆にメガネ男子フェチにも目を付けられて、こっちはたまったもんじゃないよ。多方面からモテたいのかと思ってたよ」
「あちゃ~」
「あちゃ~じゃないよ」
困った先生だなぁと頭を抱えてみせると、先生は楽しそうに笑っていた。
普段、あまり笑わない先生が屈託なく笑っている姿は本当に珍しい。オフになっている証拠だ。
今の先生は美術教師ではなく、完全に新山啓史さんになっているんだろうなぁと私は嬉しくなった。
すると突然、先生は「吉岡」と呼んだ。
「なに?」
「俺は人と喋るのが苦手だけど」
「確かに、他の人と長い間、喋ってるのは見たことないね」
「でも、不思議だけど、吉岡とは普通に話せるんだ」
「…………」
「吉岡とは、いつまでもこんな風に話してたいよ」
息がつまった。途端に、私の胸がなにか熱いものでいっぱいになった。
先生の耳は赤くない。きっと、愛の告白のつもりなんかじゃなくて、今、不意に思ったことを思わず口にしただけなんだ。
と思ったら、じわじわ耳が赤くなってきた。だんだん恥ずかしい台詞だと気付いたらしい。
「あ……いや……」
我に返ったように、視線をはずして言葉に詰まる先生に、私はふつふつとおかしくなってきて、笑いをこらえながら、
「ありがとうっ。私も先生と話してるの凄く楽しいよ!」
と、笑ってみせた。
先生は、ホッとしたような顔をして、また嬉しそうに笑ってくれた。
『好きだ』とか『愛してる』の愛の告白じゃないのに、深い愛を感じる。先生が私のことを大切に想ってくれていることが深く伝わってくる。いつまでも先生と一緒にいたいなぁという想いが、私の胸にじわじわと沸き上がってきて、とめどなく溢れてきた。先生のことが好きだなぁと改めて深く思う。
その時、先生が思い出したように言った。
「実は吉岡にプレゼントがあるんだ」
卒業式の後に部室に来てほしいと言っていたのは、これのためだったのかな?と思った。
わくわくしていると、先生は、
「卒業のお祝い」
と、額縁に入った絵を渡してくれた。大きさにしてF2号くらい。
思わず息を飲んだ。
頬杖をついて優しく笑っている私のデッサン画だった。白黒写真かと目を疑うほどのリアルさだった。こんなに忠実にデッサン画を描けるなんて、と私はビックリした。まるで今にもまばたきしそうな私の瞳が、こちらを優しげに見つめて笑っている。
「先生……凄い!」
「自分の良いところを見せようと、得意技をフル活用だ」
あははと思わず声を出して笑ってしまった。
私が思っているよりも、ほんの少し美人に描かれているような気がする。私にそっくりなんだけど、なんだか、こっちがちょっと恥ずかしくなってしまう。美化してくれたのかな?と思い、聞いてみた。
「私、こんなにも美人かなぁ?」
「うん」
「美人に描きすぎじゃない?」
「いや、そんなことはない。俺にはこんな風に見え……」
ここまで何気なく説明していた先生が、だんだん恥ずかしい台詞に気付いたのか、途端にたまらなくなってしまったようで黙り込んでしまった。
私から視線をはずして向こうを向いてしまった先生に、ふつふつ笑いが込み上げてきた。照れ臭そうにしている先生が、申し訳ないんだけど、私にはツボになってしまうみたいだ。
「先生、私、すっごくすっごく嬉しいよっ」
先生の横顔に向かって、想いを全部伝えたくて思わず強い口調になる。すると、先生は、ようやく気を取り直して私を見てくれた。
「そっか。喜んでもらえて良かった」
「うんっ。先生、デッサン画にしたんだね」
先生は、いつものようにデッサン画の私を指差しながら説明をしてくれた。
「髪の質感を濃淡で出すのが難しかったけど、ここは好きな作業だったな。やっぱり目が一番難しかったな」
「全体の眼球の丸みを描きながら、目の中の質感を描いていく感じで……」「Hから2Bを使って……」「髪はHBから6Bで……」「ここのハイライトは白鉛筆で……」「ここのハイライトは練りゴムで……」と、先生はいつものように分かりやすく説明をしてくれた。
「色を付けようかと思ったんだけど、ちょっと無理だったんだ。俺の技術だとモデルに近づけないというか……」
たどたどしく言葉を選んで説明してくれる先生の耳は赤くなっていた。
「吉岡の良さを絵にするのは、俺の技術だと限界があるというか……だから、一番得意なデッサン画で」
先生の説明を黙って聞いていたけど、もう私は我慢の限界がきてしまっていた。
「うう~……先生~……」
涙腺の限界が来てしまっていた。私は本当に涙腺が弱い。
嬉しくてあっという間に涙が流れた私を、先生はいつかのように抱き締めてくれた。先生の大きな身体にすっぽりおさまると、温かくて安心できる。体がふわふわ浮き上がって、幸せな気持ちが溢れてくる。夢心地とはこういうことなんだろうなぁと、私はふわふわした頭で思った。
「卒業、おめでとう」
「ありがとうっ! プレゼントもありがとうっ!」
「どういたしまして」
先生は優しく頭を撫でながら、私を見下ろして笑ってくれた。そんな先生に、
「あ、先生、汚れてるよ」
と、私はメガネを指差した。
確認するため、はずした先生に、
「ほら、ここ」
と言うと、先生はかがんで眉間にシワを寄せる。
次の瞬間、私は目一杯、背伸びをして先生の顔に近づいた。
ちゅっ
という可愛らしい音がした。
耳を真っ赤にして呆然としている先生に、
「もう卒業したから、公私混同じゃないよ」
と言うと、
「俺からしたかったのに……また、やられた……」
先生は悔しそうに、さっきと同じ台詞を口にした。
読んでくださって、ありがとうございました。
イケメン人見知り陰キャが、好きな人の前でだけ饒舌になれる話でした。