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微妙な模様

作者: かがみ百年

 

 昼はまだ暑いのに、夜に吹く風がなんだか気持ちよい微妙な季節。夏なのか秋なのか、自分の体感で決められるような季節。

 まだ18時だというのに、空の色はオレンジを残してくれなくなった。半袖を着ている人が減っていく街はいつの年でも必ず見る光景なのに、毎年毎年新鮮なものになっていくのであった。


 今日は昼に雨が降った。そのまま次の日を迎えるまでずっとずっと降っていた。街を造る明かりがひどく強くなってきていた。

 湿気のせいで、数十歩先に見える景色が濡れて溶け出してしまっていた。不夜城となっている工場から漏れ出す光が、黒くなった空にさまざまな色を加えていた。雨の日にしか見られない景色だなと思った。

 純粋に、心の底から、私は雨の日が好きだった。




 家の鍵をカバンの中から取り出すとき、ふと足元を見る。未だ降り続けている雨のせいで自動車の走る道路や歩道は乾くことすらできずにいるのに、いま探している鍵で開けることのできるドアの前、ほんの数センチだけはずっと濡れずにそのままだった。

 この数センチは、いまの私のように鍵を探すことに苦労している人のための場所なのだと思った。ありがたいことに、私はその数センチの屋根のおかげで、濡れてしまうという不安を抱くこともなく鍵を探せるのだ。



 誰もいないのに「ただいま」と言う。その言葉に返答はない。

 けれど、疲れた日でも、楽しかった日でも、すぐに寝てしまいたい日でも、今日みたいな雨の日でも、どんな天気の日でも、帰宅したというその行為だけで、なんとなくこの家が自分に「おかえり」と言ってくれている気がするのだった。

 私の動きで生まれた小さな風が、片づけられずにいる風鈴を鳴らした。

 

 冷蔵庫はまだ寒さを感じさせはしなかった。

「うん、まだ夏だ」と頭の中で自分がしゃべった。缶ビールの冷えが私の指先を刺激した。




 いつもより酔いやすい身体になってしまっていたのだろう。疲労か、眠気か、天気か。何が原因なのかは自分でもはっきりとさせることができずにいる。

 少しぼやけ始めていた視界の中に、名前などない、なんと表現すればよいのかわからない模様のカーテンがあった。この家にいる時はいつも視界に入る緑色のカーテンだ。

 酔いのせいでいつもより早く布団の中にいる自分には、なぜだかそのカーテンが怖く見えた。暗い部屋、ほんのわずかに差し込んでいる街灯の明かりのせいであろうか。

 家中の窓は閉められているはずなのに、そのカーテンがゆらゆらと揺れて見えた。


 視界はぼやけて、ぼやけて、カーテンの山脈を増やし始めていた。

 突然だった。バラバラになっていたぼやけがほんの一瞬重なった。

 そのほんの一瞬に見えたカーテンの模様の中に、男か女かもわからない、浮かびようのない、たとえようのない、小さい横顔があった。ほんとうに、ほんとうに一瞬だった。


 私はその横顔が見えなくなってしまったとき、溢れ出して戻しようのない好奇心が自分のなかで産声をあげていることに気づいていた。

 何度も何度も自分の視界をぼやかしてぼやかしてを繰り返した。

 けれど、その横顔はもうカーテンには現れなかった。

 視界に入るのは、見慣れているカーテンだけだった。




 チリンと、風鈴が鳴った。未だに片づけられずにいる風鈴が鳴った。

 何がその風鈴を鳴らしたのだろう。窓はすべて閉められているはずなのに。

 差し込んでいた街灯の明かりはもうない。ただ真っ暗な部屋に、私とカーテンと風鈴だけが存在していた。


 また風鈴が鳴った。

 私は怖くなって、頭からつま先までを布団の中に隠した。

 降り続ける雨の音が聞こえてくるはずなのに、私には風鈴の音しか聞こえなかった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] こんにちは。 久々のホラー短編ですね。 文章と単語がとてもすっきりとしていて、とても読みやすくなっているところに、少なからず推敲と編纂をきちんとやっているところがわかる分、とても好感が…
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