序章2
リーリアが住む村は森のふもとにあった。高台から見たところ、20前後の集落というような感じだった。家は木製の簡素なもので、家の中の様子からも近代文明は感じさせない。
「まあまあ! リーリアが危ないところを助けてくれるなんて」
家へ行くと出迎えたのは若い女性。どう見積もっても20代中盤程度にしか見えないが、リーリアの母親だという。よっぽど早く生んだかファンタジーか。というかさすがというべきか、まあ当然というべきか、リーリアの母親ということだけあって、出るところはさらに出ていて、美魔女とは彼女のためにある単語なのかもしれなかった。陽翔には熟女のけはなかったが。
「ところで、あなたはどなたなのかしら? この村では見ない顔だけど」
「お母さん、この人、記憶がないんだって」
「まあ。記憶が……たしかに身なりも見慣れない。もしかして区外の方、なのかしら。刻印は……」
そういってリーリアの母は陽翔の前髪に触る。
「……刻印もない、なんて」
「刻印?」
「私たちの身分を示す証明だよ」
そういってリーリアは自分の前髪をあげておでこを示す。そこには黒い刺青が示されていた。
「私たちは……というか、この村にいる人たちほとんどだけど、階級第三層。貴族様が食べる食料を管理する仕事を与えられているのよ」
この世界には身分というものが存在しているらしい。さらにはおそらくそれを識別するような刻印を体に入れさせられているという。人権意識もなにもあったものじゃない対応だ。あまり発展した社会構造はしていないのだろうと予想できる。
地球の、それも日本という環境に育ってきた陽翔にとっては、彼女たちの価値観はあまり気持ちがよいものではなかった。
「お母さん、刻印がないってどういうことなのかな?」
「わ、わからないわ。領地様に相談したほうがいいのかしら」
そこまで言って母親は顔をしかめる。
「……でも、邪神教の人たちは、生まれた子供の出生届を出さないって聞いたことがある。小さいころから殺し合いの道具として教育するって……」
「なあ、そもそも邪神教ってのは何なんだ?」
「邪神教っていうのは邪神デスタミディアを信じる宗教のことよ。人は欲望のままにあるべき。弱きものから奪い、殺し、破壊こそが正義という考えかた。むかし解放聖戦以前の人間はほとんど邪神の支配化にあって、毎日のように殺し合いをさせられていたわ。それを当時の貴族様たちが一丸になって戦い、今は文明的な生活を送れるようになったの。邪神教は、そんな有史以前の殺し合いばかりだった時代に戻したいってそういう人たち……」
震えながら母親はそう言った。
どうやらこの世界にある脅威は魔物だけではないらしい。邪神とやらに取りつかれた危険思想を持つ人間たちもいる。
「そ、それより、お母さん。陽翔おなかすいているんだって」
「そうなの! ちょうどご飯を作っていた途中だったの。話はあとにして、まずはご飯にしましょう。待っててね」
そういって母親は部屋の奥へとはいっていく。キッチンだろうか。何かを焼いているにおいが部屋の中までやってくる。
出てきたのは何かの肉料理だろうか? ビーフシチューのような見た目だった。
「おいしいです!」
正確には少し癖があり食べづらい味付けではあったが、まあ馬鹿正直に言う存在もあるまい。
「そうでしょ? ちょうど出荷できないくず肉をもらえたからシチューにしてみたのよ」
「私たちが育ててるんだよ!」
そういえば先ほど第三階級の人間は食料を生産しているといった。なるほど畜産や農業を営んでいる身分だということだろう。日本でいう士農工商の農の身分が彼女たちということだろう。
ひとしきり食べ終わったころ、家の外からガラガラと車輪の音が聞こえた。
「あ、そうだ。この時間だとちょうど出荷用の車が村を通るの。せっかくだから、見に行こうよ。私たちが普段している仕事、紹介してあげるね」
リーリアはそういって陽翔の手を引く。
「う、うん」
いつも彼女に手を引かれてばかりだなあと陽翔は思った。
――――――
周囲の草原とは不似合いな豪邸がそこにあった。その一室。
ソファーに座り書類を眺めていたのは、豪勢な服を着る壮年を思わせる豚面。
人間が暮らす村よりは圧倒的に文明レベルが高い豪邸の主たる彼が、その豚だった。
置かれる書類の数々はこの地域の運用を示していた。
「旦那さま! 大変です」
すると部屋にひとが入ってきた。メイド服を着たこちらは人間の、少女だった。
「ブヒブヒブヒ。なんだぁ? 仕事中に入ってくるなどと」
そういって少女の華奢な手を引き部屋に引き込むと、べろべろとその頬を撫でまわした。
「また可愛がってほしいのか? 人間の分際でわしを欲しがるなど無様なメス豚が」
「あ。だ、だんなさま。ち、違います。ご子息が、アイゼンさまが……」
「アイゼンがどうした?」
「お、おけがを為されたのです。今治療班が救護にあたっています。命こそ大丈夫ですが、後遺症が残るやも、と」
「な、なんだと!」
豚は促されるまま、案内された部屋へと向かう。
「こ、これは……」
顔がえぐれた豚が、ベッドに横たわっていた。
周囲には何人ものメイドが懸命に手当てをしていた。
「アイゼンクロイツ! ああ我が息子がなぜ、こんな」
「クロイツ兄さんは、人間にやられた!」
ベッドのとなり、苦悶した表情でうなだれていた別の豚が言う。
「箱庭で狩りをしていたら、人間に襲われたんだよ!いや、人間っていいのかもわからない」
怯えたように震える。
「あれは、武器も持たず、素手で兄さんをやったんだ! あんな人間見たことない! まるで神話の時代の悪魔どもみたいに……」
しかし対称に壮年の豚面は表情を歪ませていた。
「なるほど、どうして、神は我々一族を見放したわけではなかったのだな」
「と、父さん?」
「利用できる。我々貴族を素手で倒せる、人間。なるほど、中央に気づかれずに手中に納めれば、邪神教を泳がせる必要もない、というわけだ。アイゼンクロイツ。おまえには苦労されっぱなしだったが、ようやくワシの役に立ってくれたね」
「だ、旦那さま、それはあまりにも」
「黙らんか! ビオトープ内の人間に伝令を出せ。褒美もつかせる。その人間をここにつれてこい。客人として、向かえてやろうぞ」