序章1
「あれ? おれ、なんでこんなところに」
陽翔が目を覚ますとそこはさっそうと茂った森の中だった。
記憶に残っている限りでは大学の新歓コンパに参加していた気がする。酒でも飲んで記憶を失ったのだろうか?
とはいえ、そのような状態の新入生を外に放置とは、時代柄ことのような気もするが。
そしてなにより、空気がおかしい。なんというか人の気配がまったくないのだ。都内住まいの陽翔にとって、自然音しかないある種の静寂は生まれて初めての経験だった。
「くそ。財布も携帯もねぇ」
持っていたはずの荷物はなにもない。とにかく人里へ出なければ話にならない。木々に隠れて天も仰げない。
行く宛もなく、草を切り分けて木々のなかを進んでいく。しかし、いくら進めど、森だけが永遠と存在し続ける。
「こんな自然豊かなとこ、大学近くにあったか? まるで……」
別の世界に迷い混んだかのよう……。
「きゃぁぁああ」
そのとき、耳をつんざくような悲鳴が森のなかに轟いた。
「なんだ?」
あきらかな異常事態。向かうべきではない重大な危機が悲鳴の先に展開されているだろうことは容易に想像できたが、都会に染まりすぎた陽翔にとっては、自然の驚異という概念は欠落していたし、これ以上に、人の存在を欲していた。
断続的に聞こえる悲鳴の先。
あり得ない光景がそこにはあった。
事実だけを記すと、襲われている少女の姿があった。
だが襲っているのは暴漢でも、まして動物でもなかった。いやあるいは両者かもしれなかった。
つまり少女を襲っていたのは二足歩行の豚、としか呼称できないような怪物であったのである。
それが三体。まるで人形で遊ぶかの如く少女の体を蹂躙していた。
「異世界?」
陽翔が弾き出した考察はそれだった。地球上では考えられない光景。むろん精巧な特殊メイクの類いでない限りは、という条件ではあったが。
「やめろ!」
陽翔は豚面に向かって叫んでいた。
そういえば小学校の通信簿には考えなしに行動するところがあると書かれた気がする。
本人の特性というものは大人になっても変わらないものだ。
仮にここが異世界であるという前提を是とて、陽翔にそれらに対抗する手段があるという考察材料はひとつたりとてない。
ゆえにこれは陽翔の考えなしが行った偶然であり……。
「うぉあ!」
殴りかかってきた豚面の拳を跳躍してかわす。その飛距離5メートル。
あきらかにオリンピック覇者をも越える躍動!
「お、おれ……」
地面についた瞬間、陽翔は地面を旋回し、豚面の顔面に向かって思いっきり拳をつき出す。
瞬間、豚面の顔面は破裂していた。
「ぴぐぅ」
顔のえぐれた豚はピクピクと上下運動を繰り返す。一撃で倒して見せたのである。
「おれ、異世界チートじゃん!」
けんかもほとんどしたことがない、運動も。およそ戦闘力においては人間の平均を大きく下回るであろう自覚がある陽翔がこの芸当をやってのけたのである。
「ぶ、ぶひぃ」
「ぶひぃいいいいいいいい!」
残った二匹の豚面も震えながら倒れた豚面を抱えると森の中へと消えていった。撃退に成功した。
「きみ、大丈夫?」
「い、いやぁ!」
少女に手を伸ばすが、彼女は怯えたようにうずくまる。
「な、なんで、あんな……」
「あんな? あの豚面の魔物を倒したこと?」
「な、なにいってるの。逆らったら、あなたも家族も殺されたっておかしくないんだよ!」
どうやらこの子はあの豚面の魔物を恐れているようだ。しかも報復を、ということだろう。
この世界では人間と魔物が争いあっているということだ。
陽翔はなぜ自分がここにいるのか、その明白な答えは持ち合わせていなかった。だが、こう思った。
おあつらえ向きだ、と。
考えてみれば、いや考えてみなくても望んでいたのだ。
あの世界にいたとき、それを脱すること。
親戚のおばさんが名前すらしらなかったFラン大学にお情けで合格して、入学1ヶ月ですでにまわりに馴染めない、そんな、そんな人生の脱却。望んでいないはずもなかった。
ついでにいうと友達もいないし、まして彼女なんかいたこともない。というか女の子と会話したことが今までの人生に何度あっただろう。
近所のコンビニのjkバイトにも裏で小バカにされて笑われているような気さえする、そんな人生に。
「大丈夫だ。安心していい」
少女の手を握りながら、陽翔は言う。
「あの豚面のボスのアジトを教えて欲しい。魔物は全部倒す。きみたちを助けてみせる」
柔らかかったのだ。今まで記憶にないくらいに。
「な、なにを、なにを言っているの? 全部倒すって」
しかし少女の手の震えはさらに増す。その表情も。
あの豚面に弄ばれていたとき以上に。
「おびえなくても大丈夫。きみを救いに来た。わかる? 勇者だよ、世界の救世主!」
しかし少女の怯えは消えない。カッコつけて行ってみたものの、陽翔の言葉はまったく彼女に響いていないようだ。
異世界から来た勇者様なんて歓迎される展開は望めないようである。
「……ごめん、気づいたらこの森に倒れていた。ここまでの記憶がないんだ」
そういうと少しだけ少女の表情が柔らかく変化する。
「そ、そっか。記憶がない中でも、私を助けてくれたってこと、だよね。……何人も人間を、とくに私みたいな若い子を殺しているって聞いてる……。あのままだったら、私は殺されていたと思う」
そういって改めて少女は頭を下げる。
「私の名前はリーリア。助けてくれてありがとう」
「いや、全然。当然のことというか」
「あの……。記憶がないってことはいく場所もないんだよね? よかったら村に、私の家に来る?」
「え?」
一応聞き返してみる。当然のこと陽翔に女の子の家に行くなんて体験は初めてのことなのである。
そしてよく見ると、襲われていたため服はところどころ破れ、そのスタイルも顕になりつつある。
つまるところ出るところは出て、ひっこむところはひっこむ。そんな――。
「ちゃんとお礼したいし。あまりおかまいもできないけど」
「い、いや、でもそんなおれ」
そういった時、陽翔の腹がぐぅとなった。
リーリアはクスクスと笑う。
「行こう」
そういって少女は手を伸ばす。だからその手を陽翔は取った。なんだかそれだけで、もう、この世界に来たかいがあったと、陽翔は思った。