不安になる系の怖い話を書きたかった。
あ。落とした。
目が覚めると真っ暗な空間にいました。
『目が覚めると』とは言いましたが、実際のところ目が覚めてこうなったのか目が覚めていないからこうなっているのかは定かではありません。
ただ、現実感は全くと言っていいほどありませんでした。
いまの私にはここがどこなのか、現実なのか夢なのかすら判然としていません。
しかしここがどこであれ、また何であれ周りの状況を確認するのが先決だと思いました。
じっと意識を外へ向けました。
背中に柔らかな圧力を感じたのでどうやら私はベッドか何かにあおむけに寝ているらしいと分かりました。
立ち上がると圧力が足の裏側に移動しました。
とりあえず地面はあるらしいとホッとしました。
屈んで地面を触ってみると、ひんやりと冷たくて適度な摩擦も感じました。
滑って転ぶようなこともなさそうです。
それと、私は温度を感じられるのだと分かりました。
遠くのほうで車の走るような音が聞こえました。
この空間にいるのが私だけでないと分かって心強く思いました。
同時に、この暗闇は私にだけ訪れているものかもしれないとも思いました。
薬品のようなにおいを感じました。
床の感覚とこのにおいに鑑みるにここは病院なのかもしれないと思いました。
肌を柔らかいもので覆われている感覚がありました。
服は着ているらしいと分かりました。
人の存在が分かった今、それは大事なことだと思いました。
何かの息遣いを感じました。
いまさらながらに私は呼吸しているのだと分かりました。
それならばと体の内に意識を向けました。
やはりというべきか、私の心臓は規則正しく脈打っているようでした。
あ。落とした。
自身と周囲の状況の確認がある程度済んだので、これからの身の振り方を考えることにしました。
ここが現実ならば生活をしなければなりませんし、虚構であるなら抜け出す手段を見つけなくてはなりません。
自分でいくら考えても答えは出そうにないので、人に会うのがいいと思いました。
先ほどの想像通りここが病院ならば、ここには人がいるはずだと思いました。
誰かを呼ぼうと声を出そうとしましたが、どうやらその機能は無い様でした。
仕方がないので自分から動くことにしました。
ここを探索するためにはまず壁を探す必要があると思いました。
病院程度の構造物なら壁を伝えばまんべんなく探索できるはずだからです。
はたから見れば不審なことこの上ないのですが、この際仕方がありません。
手近な壁を探すには先ほどのベッドの付近を調べるのが手っ取り早いと思いました。
ベッドというのは往々にして壁の近くに設置されるものだからです。
立ち上がってからは一歩とも動いていないので、ベッドはすぐ背後にあるはずです。
振り返り、手を伸ばしました。
何にも触れませんでした。
これはおかしいとさらに前進してみました。
しかし前進できませんでした。
足の裏に在った感覚がなくなっているのに気づきました。
どうやら地面が消滅してしまったようなのです。
それならベッドがないのも仕方ないと妙に納得しました。
では私は今どうなっているのでしょうか。
落ちているのでしょうか。
ここが現実ならばそれが自然です。
しかしそんな感覚もないのです。
ならばここは虚構なのでしょうか。
そうとも限らないと思いました。
先ほどの予想の通りにここが病院で、目覚めた時に私がベッドに寝ていたことを思えば私は患者である可能性が高いのです。
であれば何かしらの怪我ないし病に体を侵されていることになります。
それが重度のもであるならば感覚の消失を伴うことも頷けるのです。
視界が暗いのもそれが原因かもしれません。
あ。落とした。
壁伝いに探す方法が使えないと分かったので他の策を考えました。
そういえばと耳を澄ませました。
まだあの車の音が聞こえました。
方角も距離も変わった様子はありません。
どうやら私はずっとその場にとどまっていたようです。
それとも、あの車たちも私と一緒に落下しているだけでしょうか。
そう考えて、少しだけ楽しい気分になりました。
少々危険ですが音の方角に向かうことにしました。
車の音に異常がないことを思えば、地面は在っても無くても良いものらしいと思いました。
音の大きくなる方向へ大きくなる方向へと進みました。
たまに車の音が聞こえなくなって不安になりましたが、凡そ信号との兼ね合いでそうなっているのだろうと考えました。
あ。落とした。
ある程度進んだところで如何な車の音に近づかなくなりました。
何故かと考えて、遮蔽物にぶつかれば当然そうなると気づきました。
音の大きくなる方向へだけ進めばたどり着けるわけではないという、ここが現実ならば至極当然の問題に直面しました。
迂回しようにもそちらが正しいという保証もありません。
方角も全くわからないので、一度音から遠ざかる方向へ移動し、その後いま一度音の大きくなる方向へ向かうことにしました。
ただその場を往復することになる可能性もありますが、そうするより他ありません。
あ。落とした。
突然あの音が途切れました。
今までも音のなくなる場面はありましたが、これは異質なものに感じました。
再び音が聞こえ始めるのを期待して、静寂に耐えながらじっと待ちました。
しかしいくら待てども再び車が走り出すことはありませんでした。
音を失った私は残った感覚を頼ることにしました。
この世界、又は身体に順応している自分に気づいて逞しく思いました。
視力と聴力が欠けて、まだ温度と臭いを感じられるはずでした。
そこで、先ほどからおそらく屋外を歩いていたにもかかわらず、気温というものを感じていなかったことに気づきました。
嫌な予感を胸に、感覚を失う前の私がそうしていたのを思い出しながら鼻から空気を取り込みました。
何の感覚もありませんでした。
多くの感覚を失った今、普段は気にしないようなかすかなにおいも見過ごすはずはありません。
どうにかなると楽観的に構えていましたが、初めて焦燥感を感じました。
目の前にあったはずの希望が一瞬にして途方もなく遠い場所へと遠ざかってしまったようでした。
ずっと長い時間がたったように感じました。
ただ、その感覚が正しいのかすらも確認する術はありません。
ここが虚構であれと願うことが今の私にできる唯一の行動でした。
このまま時がたてば徐々に光が戻っていき、窓からさし込む光に目が覚めるのだと。
しかしそうはならないのだと、どこか確信めいたものを感じていました。
それどころか、まだ何かを失いそうな気がしてなりませんでした。
とてつもない絶望感と恐怖を感じました。
それでもなお私は祈り続けました。
夢であれ。
夢であれ。
夢であれ。
夢であれ。
夢であれ。
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あ・・・・・・・・・・・。