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7/能ある鷹は

 ウィンストンが週明けの授業の見直しをしていると、開いている扉をコンコンと叩く音がした。ウィンストンは顔を上げ、扉の横に立っている一人の女教師を見る。


「ザッハ先生」


 ウィンストンは、その顔を見ると、安堵の表情を浮かべた。


「メイゼル先生、浮かない顔をしていますね」


 凛とした出で立ちのミュエル・ザッハは、ウィンストンにとっては大先輩にあたる。うっすらと皺のあるミュエルの顔は、口元よりも眉間の方がその色を濃くしている。そのことからも、笑ってばかりのこれまででなかったことが窺える。


「ハイディのことでしょう?」

「……はい。お察しの通り」


 ウィンストンは、手に持っていた本を机に置き、肩を落とした。


「彼を説得させるのは、なかなか難しいですね」


 ミュエルは、弱音を吐くウィンストンを横目に、室内に入ってきた。綺麗に整えられたフィンガーウェーブの髪が、ウィンストンの視界を遮った。


「彼と話していると、どうにも彼が正しいことを言っているように思えてくる。情けない話だが、あの眼差しを見ていると、こちらが間違っているようにも錯覚してしまう。ハイディは、それすら自覚しているんでしょうかね?」

「しっかりなさい、メイゼル先生」


 ミュエルは、部屋を一通り見回すと、窓際に立ってこちらを見る。


「あの子もまだ子供です。強く見えても、私たちが思うほど丈夫でもありません」

「…確かに、そうなんですが」

「この場所で、生徒たちを導くのは誰ですか?」

「……教師です」

「ウィンストン、あなたを教育指導担当に置いたのは、ただ生徒達と年が近いからではありませんよ?あなたの素質が、それにあっていると判断したからです」

「とんだ買い被りですよ」


 ウィンストンの、ただでさえ悪い顔色が、一段と悪くなった。


「メイゼル先生、あなたに期待していますよ」

「…お言葉は嬉しいです」


 ミュエルは窓の外を一瞥すると、踵を返して部屋を出ていった。


「はぁ…」


 ウィンストンは深いため息を吐いた。期待など、本当はしてほしくないところだ。教師になった時は、もっと希望にあふれた教師生活を描いていたはずなのに。こんなプレッシャーは望んでいない。


 ひょっとして、ティーリン・ハイディも同じなのだろうか。


 ウィンストンは、ふと先ほどのティーリンの言葉を思い返した。「先生は優しすぎる」、あの時のティーリンの目には、何か葛藤が見えた。こちらの勝手な解釈だろうか。

 ウィンストンは、手元に置いてある今朝の新聞に目を落とした。


“ハイディ家、古代魔法保護団体に多額の献金。これで七度目か”


 見出しには、そんな文字が躍っている。


 -彼と自分を一緒にするなど、とんでもない傲慢だったか


 ウィンストンは、先ほどの安易な考えを捨てることにした。ティーリンの抱える葛藤は、到底自分の理解の範疇に留まらないだろう。




 週が明け、何事もなかったかのように学校生活は再開した。ゾマーは、ランプを襲ったのが誰なのか、結局のところ何も情報をつかめなかった。モヤモヤしたまま校舎に向かうゾマーは、後ろを誰かがつけていることにも気がつかなかった。


「おはよう、ゾマー」


 ぬっと、背の高い影が目の前に現れる。


「ぅわっ、驚かせんなよ」

「ごめんごめん。なんか、思いつめた顔してたからさ」


 そう言って笑う彼女の名は、ラティファ・キーズ。ゾマーとは、中等部の頃からよく授業で顔を合わせている。背が高く、スラッと伸びた手足は、よく鍛えているのか、筋肉がちょうど美しいバランスでついている。


「ラティファも知ってるだろ? ランプのこと」

「聞いたよ。でも、ゾマーがそんなに気にするなんて、珍しいね」

「今回は、狙われたのがランプってこともあるけど、もしかしたら死んじゃうかもしれなかったんだ。大怪我はあっても、あそこまでの殺意を持ってくるなんて、ちょっと意外だったんだ」

「別に殺すつもりはなかったのかもよ?」

「それで血抜きを使うかよ」


 二人は、校舎に向かって歩きながら、そんな話を続けた。


「分からないよ? もしかしたら、どこまでの魔法なのかもわからなかったかもしれないし。ほら、使い慣れてるものじゃないし」

「それにしても、なんでそんな術が使えるんだろうな。ここでは習えないだろ」

「そんなの、天才はどこにだっているし、息をひそめているだけかも。ほら、能ある鷹は爪を隠すって、表の世界にある言葉」


 ラティファは、緑色の目をきらりと輝かせた。


「たしかにそうだな」


 ゾマーも、それに同意する。


「いずれにせよ、犯人が分からないと下手に動けないな。本当に死人が出るようなことになったら、これまでと同じようになんていかないだろう」

「そうだね」


 ゾマーの真剣な表情に、ラティファは優しく微笑んだ。まっすぐに伸びた長い髪の毛が、風に揺られてさらさらと音を立てた。



 ランプ・トルードーズのことは、当然のように学内に広まっていった。学校側は、生徒を混乱させないために、緊急で統一集会を開くことにした。高等部で起きた事件ではあるが、今朝は中等部に向けても集会を開き、午後には高等部向けに呼びかけを行った。

 生徒たちは、統一集会の知らせを聞いて、いっそう犯人探しが盛り上がった。ただのゴシップとして興味を持ち、ただ楽しんでいるだけの中立派に対し、近代派の者は慎重だった。次に誰かが襲われるのも時間の問題。近代派は、それを恐れ、あまり目立たないよう密かに犯人探しを進めた。

 古代派は、ティーリンの呼びかけで、命に係わる魔術は控えるようにとのお達しが出た。今はまだ、その時ではない、という言葉に、大多数の生徒は納得した。しかし、一部の生徒は面白くない顔をしていた。それほどまでの能力がある者がいるのであれば、一気に近代派を潰したい。そんな過激な思想の持ち主達だった。


「ああ、もう、生徒たちが興奮している。どうして若者は血の気が多いんだ」


 集会の準備をするウィンストンは、真っ青な顔でそう言った。


「メイゼル先生、あなたもかつての若者じゃない」


 隣でそう言って笑うドミニフ先生に、ウィンストンは顔を向ける。


「だからって私は、こういった話は好みませんでした!」

「ふふふふ。そうね。分かってるって」


 占星術を専門とするドミニフは、ウィンストンの少し上の先輩である。いつも朗らかな笑顔を見せているが、実に物事をシビアに見ている節がある。心優しく、性善説を信じるウィンストンとは、反対の思想を持っていた。


「まったく、先生まで血の気が多いんだから…」


 ウィンストンは、ぶつぶつと呟きながら準備を進めた。

 大講堂に集められた生徒たちは、荘厳な建物の中で、次々と席に着いた。みな、ざわざわと話声を立てて、なかなか静寂は訪れなかった。

 そこへ、一人の恰幅の良い男教師が前に出てきた。まるでマフィア映画にでも出てくるのではないかという風貌のその男は、教壇に立ち、裁判官のようにコツコツと木槌を叩いた。


「みなさん、今日は、なぜ集会を開くのか、もちろん分かっていますよね?」


 よく響く低音の声が、大講堂を巡り、生徒達は静かになった。


「私が、わざわざ言う必要はもうないのかもしれませんが…」


 そう言って、生徒たちを見回した。みな、何かを言いたい目でこちらを見ている。


「先日、一人の生徒が、何者かに襲われ、命の危機に瀕しました。幸い、彼は無事に救われましたが、これは運が良かっただけかもしれません。本校では、これまでも度々、生徒間の争いごとが起きています。それに対して、このようにして特別取り上げてくることもしませんでしたが、今回は少し違います。今回使われた魔術は、一歩間違えば確実に命を落としていた。生命にかかわらないのであれば何をやってもいいということではありませんが、確実に言えることがあります。…それは、誰かの命を奪うなどということは、絶対に許されないということです。

あなたたちがまだ子供だから、生徒という立場だから、ではありません。これは、何人たりとも赦されない、他人の命の選択です。当然、私にもそんな赦しなどない。誰もが同じです。そして、ここは学校。学びの場です。この学び舎に、そんな危険などもってのほか。ここは、人が等しく学び、英知を養い、己の技術を磨く場です。仲間やライバルと切磋琢磨するのも、一人でその才能を伸ばすのも、自由。しかし、それ以外のことは、この場には相応しくない。ここを卒業して得るものを、いま一度考え直してほしい。君たちが罪を背負うのは早すぎる」


 そこまで言うと、慈悲深い目で生徒たちを見た。


「私は、君たちのこれから先の人生を、見送りたいだけだ」


 そう言って、教壇を後にした。生徒たちは、それぞれ黙って思いを巡らせた。


 校長、ダン・エイヴォンの話が終わると、生徒たちは大講堂を出た。人ごみにまみれながら、レティは一人、寮へと向かった。ふらふらとした足取りで、それを見ていたほかの生徒は、今すぐにでも倒れてしまうのではないかと眉をひそめた。


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