2015年4月
お昼を過ぎたくらいから体調が悪くなって、少し早いけど夕方には帰らせてもらうことにした。帰宅途中、自宅の最寄り駅を出たところで「お疲れ!」と美穂に声をかけられた。普段は帰る時間が別々だから、一緒になるのは珍しい事だ。
「今日は珍しく早いんだね?」
「おう…お疲れ…」
「どうしたの?なんか顔色悪くない?」
「ちょっと、体調悪くてね…」
「風邪でもひいたのかな?」
「わかんないけど……風邪じゃないと思う。ど、動悸っていうのかな。それが会社でキツくなってきて、ね。ふぅー⋯」
「動悸?」
「心臓がドキドキ、してるっていうのかな。とりあえず、息苦しいん、だよね」
「それ、なんかヤバくない?」
「ね。そう、思う。はぁはぁ⋯」
「い、家まで歩けそう?」
「多分、ね。でも、ちょうどいいから肩貸して⋯」
正直、こうして会話をしているのもキツい。呼吸をする事に全力を使っているイメージだ。大げさかもしれないが、気を抜くと呼吸が出来ずに死んでしまいそうな気がする。駅から家までは普段なら徒歩10分程度。いつもならどうってことのない距離なのに、今日はとても長く感じる。たまたま美穂に会えて良かった。会えていなかったら、帰れなかったかもしれない。
結局、家に着くまで30分くらいかかってしまった。そんな状態だったのに、家に入ると動悸が嘘のように治まった。
「え、芝居だったの?」
「そんなわけないだろ。…そう思われても仕方ないけど」
「…だよね。そうは見えなかったし」
「治まったのはいいんだけど、なんだったんだろ」
「いちゃつきたかったから、とか?」
「…そんなわけないだろ」
……本当になんだったんだ?
『めまいがひどくて、仕事なんないから帰ってきた』
メッセージを送信してベッドに横になると、すぐにピロン♪と通知音が鳴った。
『なにそれ。病院行ったの?』
『行けてない。横になってたら良くなってきたし、とりあえず様子見てる』
『じゃあ、ちゃんと休んでなよ!』
『そうするー』
ひどかっためまいはだいぶ治まってきた。それでもやっぱり体調は悪かったんだろう。ベッドに横になっていたらすぐに眠くなってきた。もう家に帰ってきたんだし、眠気に抗う必要はない。⋯美穂が帰ってくるまで眠ろう。
「最近、体調悪くなる事が多いんだよな」
「あー、めまいとか?」
「うん。先々週だったか、帰りが一緒になった日あったでしょ?」
「ん?すごく甘えたようになってた日かな?」
「いや、まぁ、違うんだけど。とにかくあんな感じになる事がさ、ちょくちょくあるんだよね。帰ってきて休んでると治まるんだけど、それまでは息苦しいから怖いしさ」
「私はそうなったことないけど、苦しくなるの嫌だなぁ」
「たいしたことないかなって思ってたけど、こうも続くとちょっとね⋯」
「なんかの病気なのかなぁ?」
「やっぱりそう思うよね?病院行ったほうがいいのかな」
「⋯次の土曜日、一緒にいこっか」
「……考えとく」
「ダメ。行くよ」
「………はい⋯」
次の土曜日。結局、美穂に連れてこられる形で病院にきて検査を受けている。何もわからず急にぽっくりというのは困る。この際だから、はっきりさせとくのも悪くない。
「どうでした…かね?」
「そうですね。仰っていた症状を基に検査しましたが、特に異常は見られませんでした」
「あんなに苦しくなったり、めまいもしていたのに?」
⋯そんな馬鹿な。じゃあ、あれは何だったんだ?
続く言葉を出せない自分の代わりに、美穂が続けてくれた。
「病気じゃないにしても、貧血とかそういうのはないんですか?」
「それもないようです。検査結果を見る限りでは、健康そのものですね」
美穂が信じられないといった表情をしている。多分、自分もしているだろう。
「……最近、何かストレスに感じるような事はありませんでしたか?」
ん?ストレス?なんで?
「いえ、特に思い当たる事はありませんけど?」
「そうですか。私の専門ではないのですが、ストレスが原因でそういった症状が出ることもあると聞いたことがあります。もう少し症状が続くようであれば、心療内科も受診してみる事を考えてみてはどうでしょう?もしかしたら、自覚がないだけで何か感じている事があるのかもしれません」
「そう、ですか。様子を見ながら考えてみます」
正直、検査結果には納得がいかない。でも、隣で「絶対ヤブ医者だ」と言わんばかりの顔をしている美穂を見ていると、もういいかなと思えてきた。とりあえず、悪いところがなかったというのがわかったんだし。
「……んん、あれ?」
いつか見たような白い天井だ。確か…病院だな。
「目が覚めた?仕事中に倒れたんだって」
「あー、うっすら覚えてる⋯」
…確か、会議中に息苦しくなって⋯。
「電話にでたらさ、聞いた事ある会社でさ、亮が倒れたって言われてびっくりしたよ」
「仕事中にごめんね」
「いいんだよ、早く帰れたしね。あ、先生にはね、疲れてたんじゃないかって言われたよ」
「そっか…疲れかぁ⋯」
「目が覚めたら帰っていいような話だったけど、とりあえず人呼んでくるね」
疲れていたと言われても、そのまま受け入れられない。もちろん、それ以外の原因に思い当たる事はないけど、どうしても納得できない。…次もなんかあったら、心療内科に行ってみたほうがいいだろうか?
「今日は会社を休む事にするよ」
「⋯風邪ってわけではなさそうだよね?」
「そうだね。違うと思う。いつものって言い方も変だけど、いつものめまいだね。座ってる分にはいいんだけど、立って歩くのがキツイんだ。会社には行けそうにないんだ」
「私も休もうかな。一緒に病院行こうか?」
「うーん⋯」
⋯病院か。今までの結果を考えるとなぁ。美穂に休んでもらってまでなんて行く意味あるのかな。⋯⋯⋯あ。
「そうしてもらえると助かるな。今日は違うとこに行こうと思うんだ」
「違うとこ?」
「ほら、前に言われた診療内科だったかな。いつものとこ行っても何も変わらなさそうだし」
初めて来た病院だからだろうか。今日は病院でも動悸や目眩がしている。
前に受けた検査結果の内容と、これまでに自分の身に起きたことを先生と共有して初めて病名らしきものを言われた。
「いわゆる、パニック障害だと思います」
「はい?パニック障害?ってなんですか、それ」
美穂と顔を見合わすが、美穂もわからないようだ。
「例えば、今のように動悸がしているとどうですか?」
「え?苦しい、ですけど」
「そうですよね。では、その状態に何度かなってると、これ以上は危ないんじゃないかって思った事はありませんか?」
「…大げさかもしれませんが、死ぬかもって思った事はあります」
「大丈夫です。そう思うのは仕方ないと思います。ただ、そういう不安に襲われると症状としてでてくる事があるんです。だから、外に出るとまた苦しくなるかもしれない。だから外に出れなくなるなんて事もあります」
「いや、そもそもの動悸がするようになった原因がわかんないんですけど…」
「そうですね、例えばですが……」
先生の説明を聞いてはいる。聞いてはいるけど⋯⋯内容が全然頭に入ってこない。
…心が弱いとかそういう問題、なのか?いやいやいや、なんかダメージくらうような事あったかよ…。わかんねぇ⋯。
診察を受けてから数日の間。良くも悪くも体調に変わりない。ほぼ毎日、動悸や目眩がしている。少し症状が軽い時には出社しているけど、仕事にならない日の方が多い。この症状に名前がついたので「パニック障害みたいです」と上司に報告したら、「やっぱりか」みたいな反応だった。以前にも誰かなっていたんだろう。知ってたんなら教えてほしかったけど、憶測で言うわけにはいかないのかもしれない。
「⋯休職しようかなと思ってる」
「やっぱり、仕事が原因なのかな?」
「それはわからないんだ。仕事内容は合ってると思うし、人間関係に悩むほど嫌な奴がいるってわけでもないし。それに、会社で仕事をする事っていうよりは、外にいるってだけでキツい気がするんだ」
「じゃあ、しばらくは家で休んでみる感じだね」
「うん。最初は在宅での仕事も考えてたんだけど、しっかり休んでみたほうがいいかなって」
「そっか。亮が元気になれるならいいと思うよ!⋯でも、焦らないでね?」
「うん、ゆっくりするよ。ありがとね」
働けなくなった旦那なんて、どう思われるかと心配してたけど、見放さないでいてくれるみたいだな。それだけで本当にありがたい。本当に助かる。美穂の為にもしっかり治して復帰したい。
「もうすぐ亮の誕生日じゃん。何が欲しい?」
「え?まだ先じゃない?」
「いいじゃん!早めに聞いとかないと!忘れたら困るでしょ!」
「んーーー、なんだろ⋯。考えとくよ」
「早めに!」
「俺のより、美穂の誕生日のは?」
「それは!亮のが終わったら!私はね、好きな人にはちゃんとお祝いしたいんだ!そして、お祝いをされたいんだよ!」
「お、おぉ?」
美穂のテンションがおかしい気がする。どうしたんだろうか。
「だから!まずは亮の!お酒?服?ゲーム?パソコン?家電?なになになーに??さぁっ!?」
「そんな急に言われてもなぁ⋯」
特に欲しいものなんてないんだよなぁ。んーーー⋯⋯⋯あ。
「あ、じゃあ、あれにしよう」
「なになに?」
「こないだ見た映画あるじゃん?あれのさー、原作小説が読みたい。何冊か出てるみたいなんだけど、映画になってないとこが気になるんだよねぇ」
「あの宇宙のやつ?」
「そう、それ!」
「そんなのでいいの?じゃあ、本屋で買うよりネットで買えばいいかなぁ」
「そのあたりは美穂さんにお任せでーす」
ま、貰えるものなら貰おうかな。あまり高くはないだろうから、美穂の負担にはならないだろうしね。あとは、何を欲しがられることやら⋯。




