第8話 湖の姫-誓約-
イーネフィール公家から王都に出向し、宮廷魔術師として職務についている魔女ミリアンはある日、同僚の魔女が面倒を見ていたマリアの塔にやってきた。
しかしマリアの反応が無い。
「姫さんはどうしちまったんだい?」
酔っぱらって気紛れで来たのだが、あんまりにも様子がおかしいので診断を始めていた。魔女ミリアンは瞳から焦点が失われた様子のマリアを見て侍女に疑問を投げかけた。
「・・・希望が断たれて心を閉ざしておしまいになられました」
クララが疑問に答えた。
「あんたはよく無事だったね」
「フアン様がもうマリア様の使用人は全部殺しつくしてしまった、とティラーノへ報告して下さったようです」
ティラーノは勿論マルガレーテとマリアの随行員の顔や名前を全員覚えてなどいない。ティラーノの部下達も悪趣味な仕事を嫌がり、傭兵のフアンに押し付けた。
フアンも傭兵として随分と世界の裏側を見て回ってきたのでティラーノの悪趣味くらいは別にどうでも良かったが、他の連中も使用人に気を配っていなかったのをいいことに彼女を庇った。
たまたまマリアの側に居た事から彼女が父の遺体を見て気絶した時に手を差し伸べてやりそれが縁で彼に感謝したクララとフアンは男女の関係になっていた。
クララも敵地で心細い中、マリアを守るのに必死だった。
打算もあり、スパーニア人で無い事もあってフアンに対しては積極的に近づいていった。マリアがまた胸壁でバランスを崩した時もフアンは助けてやっていた。マリアにとっては不本意な事ではあったが、それは誰も知る由が無い。
マリアの侍女が一人だけ生きている事はモーゼリンクスも知っていたが、先が知れていると思ったティラーノにいちいち教えてやったりはしなかった。
もう一人別の者も生きていたが、気まぐれに自分もまとめて殺されるのが嫌で黙っていた。
マリアは自分が、使用人達が過酷な運命に耐えて来たのはウルゴンヌにいつか助けが来ると思っていたから。
だが、それも帝国の叱責を恐れもせずスパーニアがウルゴンヌの深くまで攻め込み、リーアンも漁夫の利を得ようと攻め込んだと聞き、最後の頼みの綱のフランデアンがウルゴンヌを見捨てたと聞いてマリアの心も粉々に砕け散った。
そして使用人達も結局ほぼ全て殺されてしまった。今まで耐えて来た意味はもう無くなった。彼らは無駄死にだ。
リーアンに嫁いだマリアの姉グロリアがどうなっているのか・・・、ウルゴンヌに残っていた弟は鼠の魔獣に腹も顔も食い破られて殺され槍に串刺しとなって晒しものとなった。薄くなった弟の体を槍に縫うように刺して持ってくるのはかなり大変だったと大槍を持った男は笑っていた。
残っているウルゴンヌ公家直系はフィリップ、グロリア、マリアのみ。
死んだシュテファンの母はリーアンから嫁いできたので勿論継承権は無く、ウルゴンヌ公王の地位を引き継ぐにはフィリップが妥当だが、まだ若く保護国である為勝手に王を名乗れない。
「ペルセペランが戻ってきたからにはもうティラーノは無体な真似は出来ないだろう。あんたも心配しなくていい」
酔っぱらって赤ら顔のミリアンは請け合った。
変な魔女、とクララは思ったがどうにも憎めない人柄だ。
宮廷魔術師の筈なのに、振る舞いは市井の・・・酒癖の悪い女性のようだ。
「あんたも呑みな、ほれ」
ミリアンは無理やりマリアに酒を飲ませてみた。
虚ろな顔だったマリアもさすがにごほごほとむせる。
「おう、まだまだ元気じゃないか」
どうやら大丈夫だとミリアンは笑った。
「何をなさるんです!」
すぐにまた虚ろな顔に戻ってしまったマリアの代わりにクララが抗議する。
「酒は百薬の長さ。どうも悪い薬を嗅がされているようだね、お姫さんは。まったくどいつもこいつも悪趣味な事だよ」
「?」
あーやだやだ、といってミリアンは塔から去っていった。
夜になってモーゼリンクスが訪れていつものようにフェルナンドの元へ嫁ぎに来るよう説得する。
マリアの希薄になった心には周囲の声はほとんど届いていなかった。
だが、それでもどうやらもう自分がこれ以上耐えても何の意味も無い、どうせウルゴンヌ公国には敵兵が次々侵入してきている、まだマシなフェルナンドにすがって国民を助けて貰う方がいいと思うようになってきていた。
少しだけ胸がちくりと痛む。
最悪の場合グロリアとマリアの夫が領土争いをすることになるかもしれない。
「スパーニアの人口はリーアンの二倍。経済力は比べ物にもなりません。結果はもう決まっているのですよ。国民を想うのなら貴方には選択の余地はありません。わかりますね?フランデアンは国境を閉ざしたのです。両者の父が死に婚約者からも見捨てられた貴女には幸いフェルナンド様がいらっしゃいます。一目惚れだそうですよ、なんて羨ましい」
東方随一の国の王妃になれるのです、今までは不幸だったかもしれないがその分これからは幸福な人生が待っていますとモーゼリンクスは甘い言葉をかけた。
虚ろな目をしたままマリアは同意した。
その様子にモーゼリンクスもようやく苦労が報われたかと安心する。
「ではご一緒に参りましょう。フェルナンド様と婚姻の神エイラシーオの神殿に行き人々の前で宣誓するのです。永遠にフェルナンド様を愛する、と」
「・・・わか・・・り・・・ました」
手を取られて立ち上がろうとしたマリアだったが、胸に走る鋭い痛みがどんどん大きくなる。
「い、痛い、痛い、痛い、痛い!何これ、死んじゃう!!うう、胸が、頭が爆発しそう!」
マリアは胸だけでなく頭まで痛み始めて膝をつき、のた打ち回って苦しむ。
「ど、どうされました姫様。モーゼリンクス様、いったい何が!?」
「わかりません、いったいどうしたのでしょうか。マリア様、落ち着いて」
モーゼリンクスにもわけがわからない。
自分が投与し続けてきた催眠薬と精神支配の魔術は気取られぬよう細心の注意を払ってきた。仮にも王族のマリアが持つ魔力を警戒した為だ。だが、所詮もともとさして大きくも無い公爵家のウルゴンヌ公家、順調に術はかかっていき問題なく支配できた筈。
「声が、声が聞こえるの!」
マリアは苦しみながら絶叫する。
「一体何の?どんな声が?」
<<誓いを破るものに呪いあれ>>
段々大きくなる声にマリアはどんどん正気に戻っていった。
「私は誓いを破ってなどいません!エイラシーオ様。今までもこれからも永遠にマクシミリアン様だけを愛します!」
マリアが虚空にそう宣言すると痛みも消えていった。
「エイラシーオに既に誓っている?まさか・・・信徒の本人同士でなければあの神への誓いは有効とならない筈では?ただの政略結婚でそんな誓いが有効になるわけが」
ぜいぜいと荒い息をついていたマリアが少しずつ呼吸を取り戻していく。
その様子にモーゼリンクスも状況を察してきた。
「姫様は初めてマクシミリアン様にお会いした時、二人で宴席を抜け出して後で怒られた事がありましたが・・・」
クララが幼い日の事を思い出すが、細かい状況は侍女には知らされていない。
「婚約の誓いはいまだ有効です。マクシミリアン様は今でも私を愛して下さっています!」
マリアの心に再び希望が戻ってきた。
婚姻の神はマリアの不実をなじった。
しかしそれはマクシミリアンがマリアを見捨てていないということの表れだ。
「フランデアン王国は国境を閉ざしたのよ」
「もう貴女のいう事など信じません」
マリアはきっぱり拒絶した。
モーゼリンクスは自分が言葉を誤り、その結果自分がしかけていた魔術が完全に破られたと悟った。マリアの瞳に灯る闘志を見てモーゼリンクスはさすが突進公の娘だと感心したが、それどころではない。
マリアの周囲にはマナが集まり始めている、このままではモーゼリンクスも危うい。
宮廷魔術師たる魔女モーゼリンクスが本気になって魔術を練り始めるとマリアも状況を思い出し、認識した。
自分は敵国の塔の上に幽閉されていたのだ。
夢見心地の中、お伽噺のように髪が伸びて塔の下まで達したらここを抜け出せるのに、と埒も無い事を今まで考えていた。
だが、もうそんな非現実的な馬鹿げた妄想に逃避している時ではない。
扉の前に立ち塞がるモーゼリンクスを見、そして外を見た。
外は暗い、既に夜も遅い。
この塔は高く、窓の外は風が唸っている、この部屋は非常に高い階層にある。
マリアは魔術の心得があったが、とても空を飛んで逃げたりは出来ない。
それが出来るなら正気の時にいちかばちかやっていただろう。
「貴女達、スパーニアの言いなりになってお兄様の足を引っ張るくらいなら、マクシミリアン様を裏切るくらいなら死んだ方がマシよ!」
マリアは身をひるがえして窓に近づいた。
「待ちなさい!!」
モーゼリンクスは杖を振るい魔術を発動させようとする。
「クララ!」
マリアに声をかけられたクララは咄嗟にモーゼリンクスにしがみついた。
「こ、この!」
取るに足らぬ侍女と無視していたモーゼリンクスの誤算。
魔術の発動を妨害されてしまいマナが霧散する。
その隙にマリアは塔から身を躍らせた。
「マクシミリアン様、申し訳ありません」
飛び降りたマリアは真っ逆さまに湖に落ちていった。




