第5話 幼年時代②
鍋底王。乞食王。
フリードリヒは王家の赤字財政を立て直す為、数々の伝統を破壊して自らの衣服や王家の厨房に至るまで節約を断行した。もちろんそんなものは全体からすれば些細な額に過ぎないが王自ら姿勢を示す事によって王家に仕える者達にも無駄な出費を止めさせた。
鍋底に飯が焦げ付いていれば高熱で熱し過ぎると飯炊き女を叱りつけて、焦げカスをお湯でふやかして食べた。野菜くずと米を研いだ汁まで再利用し外国の賓客が来ても肉料理を出す事も滅多になかった。
王の食卓で肉や魚が出るのは王室狩猟官が自らとって来た時だけ。
王室狩猟官といっても普段の業務は狩猟ではなく王家の直轄領の家畜や害獣の管理である。獲りすぎて野生の鹿や鳥が減りすぎないよう、或いは害獣の被害が拡大しないように管理を行っている。
直轄領は分散している為、彼の仕事は広範囲であり彼が実地で見たうえで決めた頭数管理の決まりはしばしば法として定められ他の領主達も習う事になる重要な役職である。
その王室狩猟官がたまに帰って来て献上品を持ってきた時くらいしか肉料理が作れないのでフリードリヒに対する厨房の評判はすこぶる悪かった。
下男下女達の食事は王族達や宮廷に勤める高官の食事のおこぼれでもある。
薄給でも良い物を食べられると期待している者も多い仕事だ。
だが、上級職から順に食事をしていくので下男や下女の現実は鍋底をがりがり削って食べる生活になる。
王家の威光を取り戻したフリードリヒは王家のみならずフランデアンの国家自体の国力を回復させた後も清貧な生活を送っていると国民からの評判は高かったが、王家の召使からの評判はこういった理由で今一つである。
フリードリヒは肉類を好まないマルレーネの為に王家の懐が潤っても生活を変えなかった。マルレーネが外界の暮らしに馴染めるように自ら料理もした。
それが高じて保存食の研究にも励んでいる。
海に面していないフランデアンでは塩が貴重であり、若干の岩塩は取れるが大半は輸入だった。ツヴァイリング経由で西側の国から手に入れるか、東側の中原諸国にある大規模な塩田、南の同盟市民連合などから輸入を行っている。
近年特にフランデアンで飢饉が発生した事は無いが、中原諸国と国境紛争が起きた時には塩不足になった為、一時的に王国内で食品の値段が大幅に上がった事もある。
さて、フリードリヒはマクシミリアンから下女達が自分を鍋底王だの乞食王だの揶揄している事を知った。
だが、今の歳で食生活を変える気は無かった。
「ふむ、面白くなってきたな・・・」
「は、なんと?」
フリードリヒが小声で漏らした感想にジェンキンスは問い直した。
「なんでもない。いったん全員解散せよ。下女には医者を呼んでやれ。何度も呼んで悪いが儂の為に呼ぶよりは適切だろう。皆、仕事に戻れ」
さらにフリードリヒはアルトゥールを呼んで治療が終わったら下女は監禁しておくよう申しつけマクシミリアンだけを連れて私室に戻った。
◇◆◇
「さて、マクシミリアン。どうやらあの女は死刑になるようだ。気が済んだか?」
「え・・・えと。しけいというのは?」
幼いマクシミリアンにはまだ死刑という事が良く分かっていなかった。
父親を何やら嘲笑っていたので思わず殴っただけだった。
「殺す、という事だ。鶏の頭を切り落とすようにな。下女の頭と胴体は切り離されてたくさんの血が出る事になる。下女の顔を思い出せ、憎らしかったのだろう?嬉しいか?」
「ち・・・しんじゃうの?」
「そうだ。それが死刑だ。もう二度と家族に会う事もない。いや・・・どうだったかな。法律では家族も死刑だったかな。彼女の父親も母親も子供も皆死ぬ」
「な、なんで?かわいそうだよ!そんなことしてほしかったわけじゃないのに・・・」
「それが法律だ。王といえども法に従う事を女神エミスに宣誓している」
マクシミリアンは激しい衝撃を受けた。
厳格な父で敬遠していたが、皆に敬われているのでマクシミリアン自身も自然と敬意は持っていたし道徳の教師達も世の中で父を最も敬い従うように教え込んでいた。
「え・・・えみす?」
「法の女神エミス。法や契約の神々への宣誓に違反すれば王といえど罰を受ける。お前が始めた事だ。儂に破って欲しいか?儂が神罰を受ける所が見たいか?」
「う・・・ううん。でも・・・」
マクシミリアンの理解を越える事態に怖くなり、彼はぐすぐすと泣き始めてしまった。
「ああ・・・よしよし。ちょっと意地が悪かったな。すまない。おいで」
フリードリヒは返事も待たずにマクシミリアンを抱き上げて自分の膝に乗せてあやした。
「お前の気持ちはわかった。まあどうにかなるだろう。それにしても父が侮辱されたのがそんなに許せなかったのか?」
「うん・・・」
「なぜだ?」
「だって・・・ちちうえいつも遅くまでおしごとして食事もとってないことおおいのに。あのひとたちがわがままいうから」
マルレーネもよくフリードリヒの健康を心配しているのでマクシミリアンも習っていた。
「そうだな、だが王の心は庶民には理解されないものだ。お前も覚えておくがいい。儂も少し反省しよう」
「なんでちちうえが?」
「王になれば理解できるようになる。お前は儂の子だ。きっとそうなる」
王侯貴族の社会では上から下へ下げ渡す風習が濃くその分給金が削られる。
最下層にもなると生活に困るほど給料も低く王家に仕えていても滅多に新品は手に入れられない。
フリードリヒは足元が少々疎かになっていたと反省した。
「でも、どうするの?ちちうえ。先生たちがみんな王様はいげんがなくてはいけないって」
「うむ。国を統べる王に対する侮辱を許しては国家の威信が揺らぐ。威信が揺らげば他国の侵略を招き、国内でも領主の反乱を招く。王の威信は保たなければならぬ。下女の一人や二人の命と国家の威信は比べようがない」