第4話 幼年時代
妖精の民の子供は成長が早い。
マクシミリアンは3歳になる前から明晰な受け答えが出来るようになり、さっそくフリードリヒは幼児教育が専門の教師を募集した。最初のうちは文字を教えながら物語と共に道徳を教える為に王都の大神殿から人を招く事になった。
4歳の頃には毎朝二の鐘が鳴り始めると共に毎日机に向かうようになり、読み書きと初歩的な計算については十分な段階に達したといえた。
満足したフリードリヒは加えて帝国の共通語も教える事にした。
将来、帝国の学院に留学しなければならないし多くの専門書は帝国の言語で書かれている為だ。
「陛下。まだ、少しばかり早いのではありませんか?」
「そうは思わないぞ。ジェンキンス。儂はかなり遅くなってから帝国に留学する事になって慌てて勉強したが苦労した。語学教師にいわせると幼いころから始めた方がいいらしい」
とうとうマクシミリアンは自主的に最初の鐘が鳴る前から起きて教師達と勉学に励むようになると家令であるジェンキンスが詰め込み教育を抑えようとやんわり苦言を呈したが、フリードリヒはまだまだ余裕はあると言い張った。
そこでマルレーネが口添えをした。
「一番近くで見てくれているジェンキンスが反対するんだもの。ミーちゃんにはもっと子供らしく遊ばせてあげましょう?」
ジェンキンスは家令として王室の財産管理や王宮内の業務を仕切っていて、マクシミリアンの事も何かと気にかけている。
「お前たちさては結託しているな?」
「えへっ?」
「仕方ないな・・・では他の子供達と一緒に学ばせるか」
王宮では昔からフリードリヒが貴族達の子を招き教育を施しているので、マクシミリアンもそこに混ぜようと提案した。
王宮では貧乏貴族の子弟でも大貴族の子弟でも区別なく同じように教育している。
フリードリヒはマクシミリアンの教育の為、大臣達と大神殿から招いた神官に改めて学者を推薦するよう命じた。
彼らは一様にある老碩学を推薦した。
その老人は80を越えていて、世界中に巡礼の旅に出て道中各国で学問を学び帝都に赴いた事もある博識で偏見の無いフランデアンには珍しい人物だった。
「儂は息子に道徳も神学も哲学も、王として統治者として政治も経済も幅広く学んで欲しい。どうだ、我が子がしっかと学べるよう、思慮分別を持たせられるよう教育出来るか」
「お任せください王よ。母なる神アートマーに誓い王子が帝国に留学する前に全てに精通しなければ私は自らの名を捨ていち農夫として余生を過ごしましょう」
フリードリヒはその誓約に喜んで、全ての教師の上に立たせて指導を任せた。
老学者は神話から84の話を抜き取って作家に子供達向けの絵本を作らせ段階的な教育を試みた。それは動物社会をモチーフに異種族間でも共生関係が成立し、神獣達の友情を称えているものだが、同時にあさはかな行いで神獣達の信頼を失った神々の末路に例えて王侯貴族も驕り高ぶれば神ならぬ人の身、全てを失う教訓を与える説話として描かれていた。
◇◆◇
「結局勉強させるんじゃない。はんたい、はんたーい!」
「同年代・・・ではないが教師と一対一で学ぶよりはいいだろう」
「じゃあせめてミーちゃんと歳が近い子探して」
「わかったわかった。それよりもう『ちゃん』だのなんだのあの子を幼児のように扱うのはよせ」
「いや」
「マルレーネ!あの子は王になるのだ。甘やかしてはいかん」
「しらない!」
マルレーネはつんとそっぽを向いてしまった。
こうなるとフリードリヒがいくら理屈を説いても無駄だ。
とはいえフリードリヒも王国の将来に関わる事なので妻に甘い彼といえど譲るわけにもいかなかった。
マルレーネが聞く耳を持たない為、議論にもならなかったが段々と声が荒くなってきてゴホゴホとむせてしまった。
「大丈夫ですか、陛下。今水をお持ちします」
「心配ない。ちょっとむせただけだ」
「しかし・・・」
マルレーネはまだまだ若々しい姿を保っていたがフリードリヒは在位40年、齢70に達した。妖精の民の血が薄くなっているフリードリヒは普通の人間と大差がない。
「マルレーネ様もあまり陛下を困らせてはいけませんよ」
「う・・・はい。ちょっとお茶を淹れてきます」
お詫びとばかりにマルレーネは厨房からお湯を貰いに向かったが、そこが何やら騒がしい。人だかりが出来て厨房を覗き込んでいる。
「どうしたのかしら」
「さあ?どうしたのでしょうね」
念のため召使に医者を呼びに行かせたジェンキンスもマルレーネと共に厨房に入っていった。
「あ、マルレーネ様。マクシミリアン様が!」
立哨をしていたハンスがマルレーネに気が付いて状況を説明した。
教師と共に厨房に入って来たマクシミリアンが突然怒って教師から教鞭をもぎ取って飯炊き女を叩き始めたというのだ。
他の召使達はマクシミリアンを恐れて止めることも出来なかった。
最も古い王家の末裔であり、妖精の民の血も濃いマクシミリアンには生まれつき強い魔力があり感情と共に発散され他者を威圧していた。
それは実態のある力ではないが平民達には理解できない畏怖を与えていた。
妖精女王たるマルレーネには所詮幼児の力に過ぎなかったが。
「あらまあ、仕方ないわね。どうしたのミーちゃん?」
「あ、ははうえ!」
マクシミリアンは大好きな母親が来るとすぐに気が付いた。
父親が厳格な分、マルレーネに懐いている。
「それで、どうしたの?抵抗できない相手を鞭うつなんてお母さん感心しないわ」
叩かれていた飯炊き女はひたすら平伏して恐れおののいて何も喋る様子はない為、マルレーネはマクシミリアンに尋ねた。
「それが、このはしためがちちうえを侮辱していたのです」
「なんて?」
「く、くちにはいえないようなことばです」
マルレーネもマクシミリアンには心身共に健やかに育って欲しかったので汚い言葉を使うのは許さなかった。
「そうなの?じゃあ仕方ないわね」
マルレーネはあっさり聞くのを諦めた。
「マルレーネ様!止めて下さい!」
マルレーネなら止めてくれると思っていた厨房頭が詰め寄ろうとする。
だが妖精の民の侍女とジェンキンスが即座に間に入った。
「寄るな」
厳しい目で睨まれて厨房頭も平伏し、そしてこれで許してくださるようにと改めてマルレーネに頼んだ。
「でもねえ」
マルレーネは嫁に出される時に父であるエイラヴァント公ヴォーデヴァインからは外界の風習にあまり口出ししないように注意されている。
王への侮辱が人間社会では犯罪行為だということくらいはもう十分承知していた。
マルレーネは困ってしまった。
天真爛漫な彼女でも人間社会の法律を破ったり破るのを使嗾するのはとてもよくない事くらいわかるので侍女のエリンに相談したが、彼女ももちろん口出し出来るような事ではない。
二人で困っていると、帰りが遅いので医師を下がらせて様子を見に来たフリードリヒがやって来た。
「遅いではないか、どうしたのだ」
「ちちうえ・・・」
マクシミリアンはばつが悪くなった。
人が増えすぎたし、苦手な父親が来てしまった。
フリードリヒは皆が口々に訴えようとするのを遮って息子から直接話を聞くことにした。
「で、どうした」
「あのはしためがちちうえを侮辱していたのでこらしめてやっていたのです」
「なんといったのだ」
マクシミリアンはまた汚い言葉を使うのはよくないので答えなかった。
「王の名において許す。いってみろ」
フリードリヒは威厳と共にマクシミリアンに口に出していうよう命令した。
そしてようやくマクシミリアンもその言葉を口にした。
「う・・・ですから鍋底の乞食王だと」
「ほう・・・」
フリードリヒは面白がるような相槌を打ったが、あまり事情も知らずに集まっていた王宮警護兵達は色をなした。
このままでは下女を庭に引きずり出してマクシミリアンの代わりに私的な制裁を与えてしまいそうだ。
「ジェンキンス、王への侮辱に相応しい刑はなんだ?」
「五馬分屍の刑が相応しいかと」
手足に縄をくくりそれぞれ馬に退かせて五体を分離する処刑方法である。
忠実な家令は王の問いに答えた。