第17話 学業期間②
異変は三か月後に訪れた。
ここまでマクシミリアンの学生生活は順風満帆そのもので、他の生徒より多くの講義を取っていても月末の小試験での成績は良かった。
生活が落ち着いてくると、ガルシアやプリシラ達上級生グループとも交流するようになり、またちょっかいを出してくるのではと危惧していたカレリアも時折プリシラ達と一緒にアージェンタ市やヴェーナ市に遊びに行っても特にアプローチをしかけてくる事も無かった。
一年目の学業期間の半分が過ぎて、今回はいつもより出題範囲が増え講師達も入学当初の遠慮した扱いからいよいよ学究の徒、弟子に対する師としての厳しい態度に変わり始めていた。
この試験でかなり成績が落ちていた。
実技では優秀だったが座学系は下から数えた方が早いほどに。
実はマクシミリアンはその前から大分悩んでいたのだが、リカルドや翠玉館の人間には相談できずにいた。
ある日、新入生グループとマクシミリアンと縁が深いガルシア達のグループがたまたま時間があったので昼食を共にしていた時、成績についての話になりそこで大分成績が落ちちゃったよと苦笑して自嘲気味に笑うマクシミリアンの顔が異様に暗い事に気づいたカレリアが心配してどうしたのか聞いてきた。
「殿下、そんなに気を落とさなくても元がいいのですからすぐに再浮上しますわ」
「・・・そうだね」
「何か、お悩み事でも?」
「いや、僕の努力が足りなかっただけだよ」
マクシミリアンはなおも暗い。
同じ講義を聞いて王宮でも一緒に過ごしてきたリカルドよりも悪かったのだ。リカルドはそこまで勉学に熱心な性格でもないのに努力してきたマクシミリアンの方が悪い。
「いいえ、その顔色はただ事ではありませんわ。何か深いお悩みがあるのでしょう?」
「なんでもないったら」
「殿下・・・、ここには殿下よりも年が上の者、様々な背景を持ち経験が豊富な者もいるのですよ。殿下にとって深刻な問題でも相談してみればあっさり解決するような問題かもしれません」
カレリアは真心から心配してくれているようだったので、そこでマクシミリアンも告白した。彼も追い詰められていたのだ。
「・・・いくら本を読んでも全然頭に入ってこないんだ。最近は図書館や教科書や資料を使って自分でさらに予習させる方向に講義が変わって来て、いくら頑張っても周りとどんどん差が付き始めてきて・・・もうどうしたらいいのか」
マクシミリアンの告白に誰も茶化したりすることはなく、あまりにも幅広く講義を取りすぎたせいで頭の容量を越えてしまったのではないかとか皆それぞれ思う所を述べたが、マクシミリアンはそうは思えなかった。
物心ついた頃から朝日が昇る前に教師がついていた。
幼児の頃の方がよほど詰め込まれていたと思う。
なのに今は頭に入ってこない。
マクシミリアンは図書館から借りたばかりの本を並べてこつこつと指で革の装丁を叩いた。
『コムネナ法典・私有財産及び遺産継承者に纏わる正当性に関わる法規、並びに無遺言に置ける取り扱いについて』
『ガルス法典・選帝及び各国王位継承認定及び否認に関する法規』
『ネルヴァ法典・国際間の結婚及び離婚に関する法規並びに親権の扱いについて』『ハンゼ法典・国際間商取引における法規並びに海難事故時の所有権について』『帝国大法典・戦時に置ける中立国の義務』
解説もついた分厚い貴重な本ばかりだが、マグナウラ院では無償で借りる事が出来た。
マクシミリアンが友人達と悩んでいると、カレリアはひょっとしたら・・・と思い当たるフシがあるような事をいった。
「何かある?」
「いえ・・・憶測では。一度お医者様に見て貰ってはどうでしょう?」
「医者?医者が出てくる場面かな。実技は問題ないし食事も睡眠も取ってる健康そのものだよ」
「いえ、体自体ではなく頭の事で。アル・アクトール神殿系のお医者様なら或いは」
アル・アクトールとは予言の神で第二の時代、すなわち中つ時代、人の時代の後に第三の時代が、終末の時代がやってくると言い残した神だ。
その神にまつわる神話から狂神とも呼ばれ神官達も本人は理路整然と話しているつもりらしいが、周囲の人間からは発狂しているとしか思われない事を口走っている。彼らはアル・アクトールの加護を受けしものとされて神殿に押し込められ彼らを研究する医者が治療に当たっている。
そこへ行けといわれて当然マクシミリアンは憤慨した。
「僕は正常だ!」
マクシミリアンが怒るとかなり内なるマナが外部に迸ってしまうようで周囲の人間が威圧される。
「殿下、どうかお平らに。これは殿下が考えているような問題では御座いません。偏見です。純粋に学問の問題なのです」
「学問?」
「わたくしも診て貰った事があります。きっと殿下のお力になれるでしょう」
あんたはそうだろうな、と皮肉をいいたくなったマクシミリアンだったが騎士を目指すものとして女性への労りを常に持たなくてはと思いとどまった。
「ふうん、興味深い。私も行って見よう」
「ドラブフォルトも?」
黙って話を聞いていたドラブフォルトが好奇心を惹かれたようだ。
「このまま好敵手の成績が落ちたら留学生活に張り合いがないし。ひょっとしたら私の成績がさらに上がるかもしれない」
「なるほど、じゃあ僕も」
ドラブフォルトに同調者が出て、なら皆で行って見ようという話の流れになった。
大半の者はただの好奇心や野次馬である。
◇◆◇
「ほっほっほ、フランデアンの人間は診た事があるが、妖精の民とは珍しいのう」
神殿勤務の医者はマクシミリアンの容姿を見て興味深そうに笑った。
側近として帯剣したリカルドが側について医師をじろりと睨み牽制した。
「先生、今日はふざけた事をいえば国際問題になると思ってください。貴族に媚びない姿勢を個人的には好感を持っていますが、冗談が通じる方では御座いません。我が家をあげてここを灰にしてでも軽口の責任を取らせるつもりですから」
カレリアは狂神の神殿に勤める医師がおかしな事を言い出さないうちに釘を刺した。まともな神経ではここに勤められないのでどうも医者の方も特におかしな人間が多い。
夢見が悪いとか、うちの子はどこかおかしいのではとか相談に来る者が非常に多く割と繁盛していた。
「仕方ないのう。では、話を聞こうか」
一生に一度の機会なんじゃがと医師は残念がりながら個人的な興味を優先せずに封じ込めた。マクシミリアンの最近の学業不振から始まってどんな風に自習をしているのかなど医師は細かく聞き取っていった。
そして一度奥に引き込んでから数枚の紙を取って来た。
「これは?」
「詳細な判別に使う文章じゃ。わざと読みにくくしたり、図解してあったり、文字数や空白を意図的に不自然にしてあったりの。一枚一分でしばらく読んでいてくれ。儂は次の準備があるでの」
また医師は奥に引っ込み薬品を用意して戻って来た。
それからマクシミリアンに対して今読んだ紙の内容について記憶力や理解力を問う問題を出し、なるほどと頷いた。
「何か分かったんですか?」
「まあまて、本題はこれからじゃ。このコップの薬品に血を一滴たらしコップに手のひらで蓋をしてもう一度読んでみてくれ」
マクシミリアンが言われた通りにすると、コップの中の薬品に翠の色がついてゆらゆらと揺れていた。長い時間をかけて読み終わったマクシミリアンはもう一度訪ねた。
「それで何が分かったと?」
「うむ。お主、実は全然本を読めておらんな。ヘパティクプロス難読症という奴じゃ」
「ヘパ・・・なんだって?」
「まあ名称は覚えんでもよい、儂の名前から取っただけじゃし」
「貴方が?」
「そうじゃ、第一発見者じゃからな。先ほどのコップの水のマナの揺らぎでわかる。お主は本を読んでいてもあちらこちらへ気が散っておった。集中しなければと思った一秒後にはもうあらぬことを考えたり、本を読んでいてもまるで別の事を連想し始めておる」
「貴方は魔術師なのか?」
カレリアの話からも雰囲気からもそうは見えなかったがコップのマナが分かったような事をいう。
「いんや、一般人じゃ。これは魔術師に作って貰ったもんじゃ。お主らは自分の内なるマナとかいう奴の属性を調べたりするじゃろ?それを応用したもんじゃ。薬品を使えば一般人にもそれがわかるようになるとは凄いもんじゃのう」
「結局僕は病気なのか・・・」
マクシミリアンはこの世が終わったような気持ちになった。
世界最古の国の王になるのに、学院でも大勢から注目されているのに恥ずかしい成績で終えなければならないのだろうか。いや、進級も出来ずに国に送り返されるかもしれない。
そんな事になったら恥ずかしくて死んでしまいたくなる。
「ちゃうちゃう。ちゃうわ。病気なんかじゃあない」
「病気じゃない?どういうことです?」
「病気じゃない。人に備わった生来の特性じゃ。欠陥でも無いし、恥ずかしいもんでもない。勘違いするでない」
マクシミリアンはそれを慰めと受け取った。
「慰めはいらない」
「先生、出来るだけわかりやすくお願いします」
カレリアが口添えした。
「うーむ、そうじゃのう。例えばカレリアの嬢ちゃんは遠くのものが良く見える。それこそ・・・なんじゃったっけ。魔導騎士?が視力を強化した時と同じくらいのものが素で見えとる。それも彼女の一族の特性じゃ」
「結構な事じゃないか、優れている方向に生来の特性があって」
「まあ話を聞け。その代わり近くのものがよく見えんでの。調整する為に魔術装具の眼鏡をつけて本を読んどる、日常生活にも苦労しよう」
マクシミリアンは驚いた、眼鏡を付けている所は見た事がない。
「そうなのか?」
「ええ、もし壊れてしまったら買い替えるお金もないので大変です」
「人は親の特性をよく引き継ぐもの。親になくとも突然先祖の特性が表に出て平民なのに魔術が得意だったりすることもある。そこで、じゃ。妖精の民というものは本をよく読むものなのかの?お主の方が心当たりがあるのではないか?」
「本が関係するのですか?」
視力や身体的な事はわかるが、本を読む読まないが関係するのかどうにも結びつかなかった。
「あるのう。目から入って頭の中の脳という器官で人間の思考は処理されておる。ここでどう処理するかは、祖先の特質、生まれながらの特質、そして訓練と経験でより特化されていく。武道家はよく頭の中で思い浮かべた動きを何度も何度も繰り返せば実際に動かす時も滑らかに動くともいうし。逆にそれが最適化され過ぎて体が勝手に動いて困るという事もあるようじゃ。アタマからしてみれば本を読むのも似たようなもんじゃ」
「確かに・・・妖精の民は人と共に暮らす者以外は長い間文字を持っていなかったし本を読むという習慣は無かった」
最近はディリエージュで暮らすものが多いが、長い間文字を使わずに口伝で過ごしてきていた。
「では、そのせいじゃの。脳がそのように出来ておらんのじゃ」
「じゃあ、結局、僕の問題は解決しないじゃないか。本を読まない分、別の何が得意だっていうんだ・・・今、僕に必要な事は王に相応しい知識を手に入れる事なのに」
マクシミリアンの絶望は結局深まってしまった。
魔導騎士の訓練は所詮趣味の問題で、最悪諦める事も出来たが他はそうはいかない。
「気の早い子じゃのう。今までお主はどうやって学んできたんじゃ。前は成績良かったんじゃろ?」
「それは・・・幼いころから教師がついていたし」
「一対一で対話しながらじゃろう。王の教師なら」
そうだった。質問すれば答えが返って来て、よくわからなければ図解して貰ったりしていた。王宮の子供達とも一緒に和気あいあいと話しながら、時に教師に指示されて解答して設問を解いていた。
「じゃあ、話は簡単だ。自習する時に殿下はお一人で部屋に籠るんじゃなくて僕と二人で解きながらお互いに出題したりしてやっていけばいいんだよ」
「そうね、それがいいわ。新入生同士、同じ講義を取ったもの同士で集まって学び合うのもいいでしょうし」
リカルドや共についてきた学生達も口々にそういった。




