第3話 王の誕生③
エルマンは『魔女』を取り押さえると王宮に戻り、薬を王妃に献上した。
その際魔女は見る影もなく変わり果てていたが、例の侍女だったことが判明した。
会話が成立しないので本人の話は聞けなかったが、王宮典医の見立てでは何かよほど恐ろしい目にあったのだろうという事だった。
侍女は気が狂ったままだが暴れる事が無くなったのでフリードリヒはそのまま王宮で保護してやる事にした。もともと王妃の為に旅に出た訳であるし、気が狂ったまま実家に帰しても負担だろうと考えた。
さて、マルレーネといえば侍女が戻ったと聞いて安心し、薬も良く効いたのか体調も回復しどうにか出産に間に合った。
産まれた子供は子猫ほどの大きさでやはり駄目なのかと危ぶまれたが半年後には普通の赤子ほどの大きさに無事成長した。母に良く似て髪は黒いが光の加減ではやや緑がかったようにも見える。耳は細長く妖精の民らしいが、耳たぶが若干あって父親の特徴も出ている。
翠眼で虹彩は星々のような輝きを秘めた美しいものだった。このような瞳は妖精の民によくある特徴だった。一族によっては山羊のような瞳孔を持つものもいてあまりに人と違う場合、差別を恐れて森の奥で人目につかないように暮らしている。
生まれて一年が経つとすっかり健康体と判断されて王宮に勤めるものは皆安堵した。フリードリヒとしても待望の後継ぎであった。
彼は結婚も遅くこれまで二人の子供を亡くしているのでこの子を大層可愛がりマルレーネと二人して赤子の愛情を勝ち取ろうと微笑ましい綱引きを繰り広げた。
なかなか名前が決まらないのでフリードリヒは我が子を『フランデアンの若獅子』と呼び、マルレーネは『わたしのミリアちゃん』と呼んだ。マルレーネは男の子を死なせてばかりだったので女の子として育てようとしたのだ。
結局二人は妥協してお互いに持ち寄った名前から組み合わせて一般的に使われていない造語で命名した。
その名がマクシミリアン。
一歳の誕生日に夫妻は王城の門の上で国民にお披露目をすることにした。
門前の広場に民衆が集まり、国土の各地でも一斉に生誕一周年を祝う祭が催された。王宮と王都の諸門は白檀の花輪で飾られ馥郁たる香りが街を席巻した。フランデアンの大貴族達、三伯十一公が集い、諸侯は馬上槍試合を開き、南方からは華やかな踊り子が招かれ、商機を逃すまいと商人達も次々と集まってきて王都の賑わいはますます盛んとなった。
この一年ずっとお祭り騒ぎが続いていたが、この日はお披露目が済むとフリードリヒは城の中庭まで民衆を招き入れて富める者にも貧しい者にも皆に振る舞い酒と豪勢な食事を与えた。
◇◆◇
その日、王宮を一人の老女が訪れた。
警備の兵士はさすがに王宮内にまでは招けないので城の中庭で楽しむようにと追い返そうとした。だが、老女は約束があるという。
「婆さん、いったい誰と約束したんだい?」
「あーなんといったっけ、なんとかザル」
「猿?」
警備兵はとんと検討もつかない。
「どうした?」
「あ、ハンスさん。このお婆さんがなんとかザル様と約束があると」
「ん?ザル?というとアルトゥール・ザルツァ様かな?陛下の魔導騎士の」
「ああ、そうそう!そんな名前の騎士様だったよ」
「本当かなあ、まあいいや。ちょっと聞いてきてやるよ」
ハンス・フッガー・バーベンハウゼンは王宮警護兵であり門の警備を任せられていた。今日は城に多くの人が集まっているせいで人手が足りず急遽集めた兵士にも王宮の外門を守らせている為、王宮にいる騎士の事を知らない者が多い。
ハンスの心当たりであるアルトゥール・ザルツァはエルマンの息子の一人だったが、ツヴァイリング公家には仕えずフリードリヒの魔導騎士になっていた。
ハンスは王宮内に戻ってアルトゥールに話を聞いたが、そんな約束はしていないという。
「まあ、そうですよね」
「当たり前だ。こんな日に外部の客を王宮内にまで入れられるわけがない。適当に話を合わせられただけだろう。さっさと放り出せ」
「はいはい」
ハンスもそんな事だろうと思っていたので門まで戻って応援の兵士達に追い出すように命じた。
「お前たち、困るぞ。マクシミリアン様が無事成長あそばされるまで怪しい人間を王宮に入れるなんて有り得ないんだからな!」
叱りつけられた兵士達は老女に八つ当たり気味に突き飛ばして、追い返した。
「まったく、王宮内ならもっといいものを貰えると思ったんだろうが、そうはいかないぞ。今日はマクシミリアン様の生誕を祝い王家の方々が王子の健康と王国の悠久の繁栄を願う大事な儀式をしているんだ。お前は中庭で振舞われている飯で満足しろ、物乞い婆め!」
物乞いと侮辱された祈祷師は屈辱で怒りに我を失った。
「招いておいて嘲りと共に追い返すとは何たる侮辱!これが恩人に対する仕打ちか。おのれマルレーネ!おのれマクシミリアン!恩知らずどもが、呪われよ。呪われるがいいフランデアン王家め」
「このクソ婆!なんて事を言うのだ」
兵士達は祈祷師の言葉に怒ったが、その老女があまりにも不気味に嗤い、呪いの声をあげるので手を出すのも躊躇った。
そうこうしている内に気がかりになったのかアルトゥールがやってきた。
「何事だ、騒々しい」
「あ、これはアルトゥール様。この婆が貴方に会いに来たという祈祷師です」
「やはり知らん。まだ追い返してなかったのか」
「それが王家を呪う言葉を吐いた後けたけた嗤って不気味でしかたなく」
「それでも門兵か!まったく。皆が祝福で沸き返っている時に・・・王家を呪う言葉を吐くとは許せんな。撤回せねば年寄りといえど容赦しないぞ。物乞い風情が調子に乗りおって」
アルトゥールは剣に手をかけて祈祷師に警告した。
そこで気が狂ったように笑っていた祈祷師はアルトゥールを見た。
「はっはっは、いいともさ。もともとあたしが呪うまでもない。とうの昔にマルレーネもマクシミリアンも呪われているのだからね。あっはっは!今日はそれを解いてやろうとして来たというのに、まったく馬鹿な奴らだ」
「わけの分からんことを!叩き切ってやる!」
アルトゥールがとうとう剣を抜いて打ちかかるが、祈祷師はばさっと身をひるがえし物陰に逃げ込んだ。そして、そのまま暗闇から二度と出てくることは無かった。
いくら探しても見つからずアルトゥールの脳裏にはずっと不気味な笑い声が響き続けるのだった。後にエルマンはアルトゥールからその話を聞いて当時、王宮にいられなかった事を悔やんだ。
フリードリヒに男子が生まれて無事成長しつつあった為、ツヴァイリング公は自分の領地に戻っていた。それまではフリードリヒが万が一の際には祖父の弟であるツヴァイリング公かもしくは王家の血が流れている誰かが継ぐ可能性があった為、マクシミリアンの成長と共に王都から除かれたという見方もあった。
エルマンは詫びを言う為祈祷師を探したが、どうしても見つからない。
昔旅した時はさんざん山々を捜し歩いたせいか頭にもやがかかったようではっきりと場所が思い出せなかった。
そして以前マルレーネの元から出奔した侍女の実家を訪ねた所、なんとあの時侍女は妊娠していて子供を隠れて産むために戻っていたという。
誰かのお手付きだったようでそれを隠そうとしたのだが、生まれた子供は何者かに攫われてしまい、ある日森の中で干乾びた猿の子のような死体が見つかった。その遺体からは心の臓が抜かれていた。