第2話 王の誕生②
ツヴァイリング公に仕える騎士エルマン・ザルツァはただの騎士ではなく魔導騎士と呼ばれる選りすぐりの騎士である。
この時代の騎士達は少し前に北方圏や西方圏で起きた市民の反乱により大きく数を減らしていた。二度に渡る市民戦争の中で弩が普及し要塞化された都市に立て籠もる改良が重ねられて扱いやすさ、威力の向上、長射程化が進み市民達は女子供でも騎士達を容易く射殺せしめた。
騎士達はこういった市街の制圧で大きな犠牲を払っていた。
様々な弩が開発され弾倉式を採用し簡易な交換で連射可能とするもの、一度に複数の矢弾を発射可能とするもの、機械式の巻き上げ機により威力を底上げしたものなどが発明され特に第二次市民戦争といわれた西方圏での市民の蜂起は西方騎士の家系を多く断絶させてしまった。
フランデアン王国は東方圏に属し、東方騎士は直接被害を受けなかったものの戦後に余った武器が流入し始め、銃器の噂も聞こえてきて既に時代が変わりつつあることを人々は認識し始めていた。この現代では騎士の役割といえば農地や山林を荒らす獣を借るか、武芸大会、馬上槍大会でその技を披露し賭博の対象となるくらいになっていた。
いわゆる魔導騎士の武装はさすがに弩でも貫通する事は出来なかったが、その装備は魔術師の助けも借りねば製作できず、通常の騎士の武装より何十倍も高価で維持費も同様であった為、希少であり時代を動かす力にはなり得なかった。
◇◆◇
フランデアンの最大級の貴族、西部総督ツヴァイリング公でさえ魔導騎士は4人しか有していない。エルマン・ザルツァはその数少ない魔導騎士であったが、王国の大事と思って主君の許しを得て王妃マルレーネの侍女の捜索に向かった。
「ツヴァイリングに仕えているというのに、済まないな騎士エルマン・ザルツァ。こんな私事の為に」
「とんでもございません、陛下。必ずや王妃殿下のお心が安んじられるよう侍女を見つけて参ります」
フリードリヒも外交と国防を任せているツヴァイリング公から貴重な魔導騎士の手を借りる事に恐縮して彼を送り出す際は自ら労いの言葉をかけた。
国王自ら声をかけられたエルマンは勇気凛凛として姿を消したツヴァイリングの山岳地帯を旅した。
その侍女の故郷で聞き込みを続けた結果、エルマンは評判の祈祷師の所在を知り何か知らないかと訪ねて行った。
「残念だけど、知らないねえ騎士様」
「そうか、致し方ない。邪魔をした」
祈祷師は高齢の女性でありかなりの知識があるようで、王妃の苦境についても誰からか聞いて知っているようだった。
先を急ぐエルマンは会話も少なく祈祷師が住む山小屋を離れようとしたが、祈祷師はひとつ頼まれごとをして貰えないかと声をかけた。
「む?」
「最近、この辺りでアープとかいう巨猪が出てね。馬鹿でかい牙が何本も異常な成長をして鼻の上にも牙だか角だかよくわからんものが生えた化け物さ。碌にメシも食えなくなって荒れてるって話で大勢が犠牲になったらしい。そいつを倒して貰えないか。餌を求めてそこら中の木々をひっくり返してくれてね。うちの薬草園も荒らされた。これじゃ商売あがったりだよ」
「ふむ、よかろう」
エルマン・ザルツァはあっさりと頷いた。
「いいのかい?先を急ぐんじゃないのかい?」
祈祷師もあまりにもあっさり応じられたので拍子抜けしたようだ。
王国でも最も誉れ高き騎士が王命の途上で田舎の祈祷師の頼みを聞いてくれるとは思わなかった。
「む、それはどうだが、どうせ手がかりもない。魔獣を追う内に彼女の手がかりを得られるかもしれない」
「そうかい、そうかい。じゃあ太っ腹な騎士様の為に王妃に効きそうな薬を煎じてさしあげよう」
「おお、それは助かる」
エルマンは思いがけない幸運と喜んだ。
彼の旅の目的は王妃の侍女を見つけて連れ帰る事だが、そもそもは侍女もエルマンも王妃の体調を戻す為に旅に出たのである。
王妃を癒す薬があるのなら根本的な問題は解決する。
「だけどこのまま死なせてやった方がいいかもしれないよ?」
「何故だ?」
「昔も、妖精の森から嫁いできた王妃がいてその時も大変な不幸があったと聞くから。世界を滅ぼす事になるかもしれない」
「いつの事だ?」
エルマンには心当たりが無く祈祷師に聞いてみたが1000年くらい前の話で火山が噴火して世界中で不幸があったとなんとか言う。
エルマンは王妃が嫁いできたくらいで世界が滅ぶなどさすがに迷信が過ぎるし、このままでは世界の前にフランデアンが滅んでしまう、何を置いても王妃の命を優先して欲しいと頼み込んだ。
そしてエルマンは魔獣を追って山々を追跡した。
魔獣アープはどうやら神々の森から出てきた魔獣であるらしい。
魔獣というものは体内に魔導騎士が身に着けるような魔石を宿していて、体全体が強固な力に覆われている。
魔導騎士は内なるマナを操る事に長け、自身の魔力が宿った血に錬金術で用いられる秘薬を駆使して魔石化し武具や自分の体に埋め込み身体能力を大幅に増幅させる。その魔石は魔獣が体内に持つ魔石や血を使って強化する事も出来る。
魔獣の方も魔導騎士同様に強化されている為、並みの騎士や狩人では歯が立たない。
魔導騎士や魔術師は貴族から輩出される。
人類が時の神より中つ時代を導く種族として指定された際に現代貴族達の祖先は神々と人との間に生まれた優等人類であったといわれている。
神々が争いあって自滅した始まりの時代の末期にはそれらの神の血を引く人間は英雄といわれて多くの怪物を退治していた。
だが始まりの時代の最後に現れた神喰らいの獣によって、その栄耀栄華を極めた時代は終わりを告げる。
人類の長とされた初代神聖皇帝スクリーヴァとその子孫により大陸の人類は征服されたが、英雄たちの子孫とその国々は従属下に置かれたものの維持され貴族となった。
エルマン自身もそういった英雄の遠い子孫であるがゆえに魔導騎士の素質を持っていた。
エルマンは魔獣アープを倒す際に近隣の狩人達の手も借りた。
いかに魔導騎士と言えど山の小神といわれる魔獣アープに一対一で挑むのは余りにも危険で無謀な行為だった。
狩人に頼んで魔獣の足跡を追跡して貰い、発見すると軍馬に跨り魔獣を挑発して罠をしかけた場所に誘い込んだ。
この魔獣の突進力が生かせないよう岩場に誘い込んだエルマンだったが、アープの突進は岩をも砕き窮地に追い込まれた。
エルマンも死を覚悟するほどだったが、幸い狩人達は隠れた木々や岩山の上からアープに矢を浴びせかけて注意を削いだ隙にエルマンはアープに致命傷を負わせることに成功した。
巨猪は大量の血を流して倒れ伏し、すぐに動かなくなった。
息の根が止まったか確認しようと馬を下りて近づいたエルマンだったが、それはまだ早かった。
最後の力を振り絞ったアープは鋭い牙でエルマンを突き上げて空高く放り投げた。
重装備のまま高空に打ち上げられ、落下したのをみた狩人達はこれは死んだな、と思ったが強固な魔力で保護された鎧と優れた身体能力を持つエルマンはかろうじて姿勢を制御して着地に成功し何とか月の世界へ旅立つことを免れた。
とはいえ彼の鎧は修復不可能なほどに破壊されており、血反吐を吐いて倒れたので狩人達は慌てて祈祷師の元へ運び込んだ。
祈祷師達は薬師でもある。
医薬品を購入できない貧しい村人の為に祈祷と称して薬草を施してやる事も多い。この時代、正規の薬は東方職工会の薬師が牛耳っていて貧しい人間が買うのは破産を覚悟せねばならないほどだった。祈祷師が出す薬草は怪しげなものも多かったが、貧しい人々はそれでも彼らにすがった。
「おやまあ、ここまでして下さるとはねえ。こりゃあたしも報いねばならないか」
「何、これも騎士の誓約の一つでござる」
エルマンは昔ツヴァイリング公から王都へ急使に出された際、街道で救いを求めて来た貧しい老女を馬で撥ねて殺してしまった事があった。
不可抗力であったし、早馬を遮れば死罪という法律もあったのでエルマンの罪ではなかったが、彼は悔いて決して老女の求めを拒まないとの誓約を立てた。
「そうかいそうかい。じゃあ安静にしてな。約束の薬は用意してやるから」
「かたじけのうござる」
祈祷師は上機嫌で薬を調達しに出かけ、エルマンがどうにか起き上がれる頃には戻って来た。
「それじゃあ煎じてやるが、仕事部屋には入らないでおくれよ」
「承知した」
東方職工会の医師も知識は秘匿しているし、そんなものだろうとエルマンは察した。
「ああ、そういや今度は魔女が出たとかでまた村人達が噂していたよ」
「魔女?」
貴族の女性には魔術をよくするものが多いのでエルマンからすれば魔女といわれても普通の魔術師くらいにしか思えなかったが、一般人からすると山姥のようなものだった。50年くらい前に帝国が始めた魔女狩りの恐怖がまだ色濃く残っている。
「ああ、何でも近隣の村々を渡り歩いて誰彼構わず襲い掛かってくるらしい」
「それだけか?」
「わけのわからない事を大声で絶叫してるのだとか」
「むぅ、ただ気が狂っているだけなのでは?」
「さあ、あたしが見た訳じゃないからね。注意して帰るんだね」
「まあ帰りがけにでも保護しよう」
「ほんとにまあ、今時珍しい騎士様だよ」
エルマンは治療の甲斐もあって、王都までの旅に耐えられるほど回復し祈祷師に礼を言って急いで帰還する事にした。
「感謝する。もし王妃様が健康を回復され無事に王子を出産されれば是非王宮に参られよ。私からも国王陛下に貴君の貢献を申し上げる。きっと恩賞を頂けるであろう」
「そいつは楽しみだ」
エルマンは秘薬を受け取ると約束通り帰路の途中でくだんの魔女に遭遇した。
街道を行く人々に襲い掛かるという噂だったが何という事は無い、やはりただの気が狂った女だった。