第13話 短い反抗期
フリードリヒは息子が妖精宮から帰って来て突然武芸に励み始めた事を疑問に思いエリンに尋ねた。
「マルレーネはどうしたのだ?」
「若様に厳しい口調で嘘吐き、裏切者と詰られたのが原因で寝込んでしまいました」
「・・・どうしてそんなことに?」
エリンはヴォーデヴァインの命令でマルレーネの元を離れて王都に戻るマクシミリアンに従って戻って来た。エリンはマルレーネ同様に可愛らしい若様にはミリア様の方が似合うと思っていたので包み隠さず報告した。
「マルレーネ様の名誉の為に今からでもミリア様に改名してあげて頂けませんか?」
「馬鹿をいうな」
「このままではマルレーネ様は心痛で健康を害してしまうかもしれません。マルレーネ様を愛していらっしゃらないのですか?」
「ぐぬぬ」
フリードリヒはもちろんマルレーネを愛していた。
王であれば愛人を数人持った所で非難されるような事は無いが、マルレーネ以外を愛した事は無い。
彼は自分を厳しく律した生活を送り、権威の衰えた王家を建て直す為に誰からも模範とされるような人間であるよう心掛けて来た。そんな彼の厳格な灰色の人生において彩りを与えてくれたのがマルレーネだった。
フリードリヒは孤独な王として生涯を送る覚悟を固めていた。
だが、政略結婚であるものの天真爛漫な彼女がずっと側にいてくれたおかげでつまらない人生が一変した。
フリードリヒは間違いなく王妃を愛している、だがそれでも出来る事と出来ない事があった。
エリンを下がらせると今度はジェンキンスを呼んだ。
「女達には困ったものだ。どうしたらいいと思う?」
「それはもちろん父親の責務として二人の仲直りを図るべきかと」
「そんなことはわかっておる。どうすれば仲直りさせられるかと相談しているのだ」
「マルレーネ様は自由な方ですが、話は聞いて下さいます。マルレーネ様から折れるよう説得してみては?」
「・・・むう、今は帝国が皇位継承争いで不穏な気配が漂っている。あまり長い間ここを空けたくない。妖精宮まで行って意地になったあいつの説得に時間をかける事はできん」
帝国は皇帝が存命なうちから引退を決めて次の皇位継承を議会と選帝侯、そして皇室会議で決める事になる。選帝期間の間は毎度多少の争いが起きる。
今はその時期だ。
どういうわけか蛮族もそれを察して攻勢を激しくすることがあり、帝国軍が援軍や領内の通過を求めてくる事がある。その時国王不在で何も答えられません、では帝国との関係を悪化させてしまう。
「では、若様を」
「やはりそうするしかないか」
フリードリヒは仕方なく息子に仲直りを促しにいった。
「ちちうえはぼくとははうえどっちが大事なの!?」
これだ。
◇◆◇
フリードリヒは頭を抱えた。
よくできた息子だが、やはり子供だ。
何十年もマルレーネは子供っぽいまま、息子はまだ幼児。
父親が片方をひいきしてはどうにも後味が悪い。
妖精宮につれていった隙に長年の野望を遂げたマルレーネに対して呆れた気持ちはあるが、寝込んでいるというマルレーネに負担をかけたくないし説得に行くには政治的状況がそれを許さない。
息子が怒るのも当然だし、フリードリヒとしても立派な国王として育って欲しいので女の子扱いさせるわけにはいかない。
こまった、こまった。
「なあ、ジェンキンス。頼む。どうにかしてくれ」
「恐れながら父親の責務と心得ます」
ジェンキンスは断ろうとしたが、フリードリヒは頼む頼むとひたすら頭を下げた。
「おやめください陛下。汚う御座いますぞ」
「そう、いわんでくれ。お前以外に頼めるものがいないのだ」
フリードリヒは30で王位に就いて長年苦労してきた。
家内の事はジェンキンスがずっと補佐して相談に乗って来た。
人前ではともかく二人だけだとフリードリヒもこうして多少はふざける事はある。
他人の前では家令に頭を下げて頼むなどありえないことだ。
仕方なく今度はジェンキンスが説得に向かった。
◇◆◇
「若様」
マクシミリアンは騎士から剣を習おうとしていた。
騎士はまだ早いと断ろうとしていたが、我流で変な形を覚えられても困るのでなんとか体力づくり、基礎訓練について教えようとしていたが五歳児では一足飛びに剣を習いたいと駄々を捏ねてしまって中々話を聞いてくれない。
「若様」
ジェンキンスが話しかけても用件を知っているマクシミリアンは無視して教師役の騎士と話し続けた。
「ねえ、アルトゥール。僕強くなりたいんだ。誰からも馬鹿にされないくらい強く」
「それは結構な事ですが、ジェンキンスが呼んでおりますぞ」
「あいつはちちうえとははうえの味方なんだ。知らないったら!」
「若様!」
ジェンキンスはもう一度きつくマクシミリアンの名を呼んだ。
大人に怒鳴られるとさすがにマクシミリアンもちょっと怖くなってしまう。
恐る恐る顔を向けると案の定見た事もないくらいジェンキンスは怖い顔をしていた。その隙に騎士は関りになるまいとさっさと退散してしまう。
「マルレーネ様がお倒れになりました。ご心配にはならないのですか」
「ははうえが・・・?でもそんなのははうえが悪いんじゃないか!」
僕の知った事じゃないとマクシミリアンは重たい木刀を拾ってなんとか振るおうとした。それをジェンキンスが抑え、木刀を放り捨ててしまう。
「何するんだ!」
ジェンキンスは無視して拳を振り上げて、それから庭石に叩きつけた。
彼の拳が砕けて鈍い嫌な音がする。
「な、何してるんだ」
「罰を与えたのです」
「ばつ?」
「はい。わたくしめが若様を打擲する事は出来ません。両親が貴方を叱る事もありませんのでわたくしめがこうして叱りつけているのです」
ジェンキンスは手加減無しで自分の拳を振るってしまったらしい。
皮が避けて血が出ている、骨も折れているだろう。
だんだんと手袋に赤い血が広がっていく。
「て、手当しなよ」
「若様を説教している最中なのです。そんなことは後回しです」
「話なら聞くから先に手当しろってば!」
ジェンキンスはただの人であり、顔に鈍い汗も浮かんでいる。
かなりの苦痛の筈だ。
「物事には優先順位があります。若様が両親を思う孝の心を取り戻してくださるのが先です」
「取り戻したから!治療してってば」
「では、マルレーネ様に謝罪にいって下さいますか?」
マクシミリアンはそういわれるとそのことについてははっきり拒否した。
「それとこれとは話が別。話は聞く。それだけ」
理屈に合わない事はしないと拒否した。
「仕方ない方だ、まあいいでしょう」
ジェンキンスは手当を受けた後にマクシミリアンの私室で話を続けた。
「若様がマルレーネ様に対して怒った事は理解できます。でも酷い言葉を使ったのはよくありません」
「でもははうえは嘘をついて僕を騙してたんだ」
「マルレーネ様は嘘などついていませんよ。実際に男性がああいった格好をする国はありますし、愛称の付け方も様々な決まりがあります。不自然というほどの事はありません」
「ジェンキンス、ぼくに嘘を吐くな」
「いいえ、天の神々に誓って嘘偽りなど申しません。若様もいずれ帝国に行けば世界の広さが分かります」
「行った事無い癖に!」
「若様、私はたった今天の神々に誓ったのです。その私に世間知らずの若様が一体何の根拠があって『嘘吐き』と罵れるのですか?」
ジェンキンスが余りに自信たっぷりに見つめてくるのでマクシミリアンはたじろいだ。
「う、御免なさい」
「はい、若様。謝罪を受け取りましょう」
ジェンキンスはにっこりと笑って許した。
「でもジェンキンス。ははうえは僕が嫌がっている事を要求したんだ。酷くない?」
「お気持ちはわかりますが、マルレーネ様も理由があってなさっている事なのです」
「理由?どんな?」
マクシミリアンは素直に尋ねた。
「若様には二人の兄上がいらっしゃいました」
「え、そんなの聞いてないよ」
周知の事実ではあったが、国王夫妻の心情を慮って誰も口にしなかった事だ。
「皆隠していたのです。最初の子が生まれるまで五年かかりました。しかし生まれてすぐに医師たちの努力の甲斐も無く亡くなってしまいました。次の子供は三年後に生まれて三歳まで生きましたが病死しました。体が弱く結局最後までマルレーネ様の名を呼ぶ事も出来ませんでした。時折マルレーネ様が姿を消すのはお二人の墓参りにディリエージュに行っているのです。今も深く哀しんでおられますが私たちにはそっとしておいて欲しい、とだけ」
「そうだったんだ・・・全然そんな風に見えなかった」
「二人目のお子様が亡くなった時は余りに嘆き悲しんでおられた為、食事も喉を通らなくなりそのままマルレーネ様まで亡くなってしまうかと思われたほどです」
フリードリヒの励ましによって立ち直らなければ危ない所だった。
それからマルレーネはアーナディア神殿で子宝に恵まれるように願い百度参りを行った。
「ははうえが?」
「そうです。マルレーネ様の体格では石段を上がるのは大変お辛い事です。それを百日間毎日行って体は傷だらけになりましたがやり遂げました。そして若様がお生まれになったのです。若様が生まれた時、この手の平に収まるほどの未熟児でした。皆がまた駄目なのかと嘆くほどに」
だが一年後には十分健康に成長した。
「後から聞いた話ですが、ディリエージュにいる妖精の民の占い師が何やらマルレーネ様には呪いが掛けられていると診断したそうです。その呪いはマルレーネ様からマクシミリアン様に移っていると。どうやら男の子、フランデアン王国の嫡子を対象としたものだったそうでマルレーネ様は呪いの効果を防ぐ為にマクシミリアン様に『ミリア』と名付けて女性として育てようと為さいました」
◇◆◇
ジェンキンスから事情の説明を受けたマクシミリアンは急いで妖精宮に戻って病床の母に跪いて謝罪した。
「母上の気持ちも知らず申し訳ありませんでした」
「いいのよ、ミ・・・マックス。お母さんも悪かったの・・・」
マルレーネは本当に健康を崩して病に倒れていた。
それをみてマクシミリアンはいよいよ額を地面にこすりつけんばかりに平伏した。
「もういいの。嫌がる事を押し付けたお母さんを許してくれる?」
「はい。でも何故教えて下さらなかったのですか?」
「それが神様の約束なのよ。たとえ大事な一人息子に恨まれても理由を口にしないって。変わりに息子を無事に成長させて欲しいって」
「でも、もう知ってしまいました・・・」
「もう呪いを跳ねのけちゃうくらい強く育ったのよ。きっと」
それからというものマクシミリアンは妖精宮で母が健康を回復するまで付きっ切りで看護した。マルレーネが起き上がれるようになると一つの提案をしてきた。
「ねえ、やっぱりミーちゃんって呼んでもいい?」
「え?もう必要ないのでは」
「でもね、お母さんはやっぱり女の子も欲しいの。駄目?」
「だ、駄目です。僕は王になるんです。女の子扱いは許してください」
「そうよねえ。じゃあお父様にお願いしてもう一人作って貰おうかしら」
マルレーネの嘆息を聞きとがめたエリンがさすがに反対した。
一人生むのに難産を繰り返している上、もうフリードリヒも高齢である。
マルレーネはまた気落ちしてしまった。
「わ、わかりました。愛称だけなら母上の好きに呼んでください」
「ほんと!?」
「はい、でも成人するまでですよ!」
マルレーネはこうして次期国王を好きに呼んでいい権利を手に入れて意気揚々と王都に戻った。