幕間②
「神官様。私は心配です。せっかく傷が良くなって話せるようになったのに、あの娘は時々鋏をじっと見ているんです」
「鋏を?」
「ええ、それも先端ばかり。次の瞬間には自分の喉に刺すのではないかと思って慌てて取り上げたのですけど・・・」
「それは心配ですね・・・わかりました。わたくしが話してみましょう」
「お願いします」
その女神官は大怪我をして倒れていた所を治療し助けてやった娘の元へ赴いた。その娘は挨拶をしても無言だった。
口は利ける筈だが、まだ他人に怯えていて話したがらず口を閉ざしている。
それでも命の恩人である女神官に対してはまだ話す方だった。
「傷はまだ痛みますか?あれほどの大怪我から持ち直し貴女が生かされたのも神々の思し召し。共に感謝の祈りを捧げましょう」
「わたしを生かしてくれたのは貴女じゃないですか。神様ってなんですか」
「この世界をおつくりになった方々ですよ」
「いつ?どこにいるの?会える?」
「むかし、むかし、ずっと昔のおはなしです。残念ですけれど、もういらっしゃらないのですよ」
「死んじゃったんだ・・・」
幼い娘の素朴な言葉は冒涜的でさえあったが、女神官は怒らずゆっくりと神話を聞かせてやるのだった。
「神々は死という人間の概念を超越されていらっしゃるのです」
「よくわかんない・・・です」
「仕方ありませんね。まだ幼いのですし。『死』を理解できないのも無理はありません」
「ううん。生物が死んだことくらいわかるよ。わたしのせいでたくさん子供も大人も死んじゃったから」
「貴女のせい?」
「そうなの。わたし馬鹿だったの。たくさんいいつけやぶったの。だからみんなわたしのせいで死んじゃったの」
少女の嘆きは深く、心を閉ざしていて神官には多くを語らなかった。
「きっといつかまた会えますよ」
「うそばっかり。死んだ人には会えないことくらいわかってるんだから」
「いいえ、嘘ではありません。人も動物も植物も皆いつか天に還っていくのです。いつか必ず同じところに到達するのです」
神官は自信たっぷりに諭し、子供へのおためごかしと思った少女も神官があまりに自信げなので耳を貸す事にした。
「この世界は一体の巨人から誕生しました。その名はウートー。全ての始まりの神、泥の巨人。その体が崩れ去った泥の中から創造と再生を司る太陽神モレスと霊魂と復活を司るアナヴィスィーケが生まれました。モレス達は協力して泥を天と地に分離したといいます」
神官は神話を語って言った。
常日頃から子供達に何度も言い聞かせている神官の言葉は巧みで少女も聞きいった。
神々の世界、始まりの時代は生み出された幾多の生命と共に繁栄したが、その最後に森の女神と地獄の女神との間で争いがあった。
森の女神を従える風神ガーウディームが世界樹を独占しようとした事で白色金剛の神イラートゥスが怒り、攻め込んで来た際に誤って世界樹を傷つけてしまった。
盟友にして紅き炎の神オーティウムが救けに来たが、勢い余って世界樹を燃やしてしまい止めを刺してしまった。
「ぷっ、なにそれ。だれを助けに来たの?」
「さあ、どちらでしょうねえ。あんまりにも古い物語なのでわたくしも実は本当の事は知らないのです」
「なんだ」
最初は自信たっぷりだった女神官もそのくだりには悩んでいるようだ。
「大人でもこんなものです。死ぬまで学び続けるしかないのです」
「死ぬまで?」
「ええ、そうです。よければわたくしが教えましょう」
「うん、じゃあ続きをお願いします」
女神官は神々は主神モレスとアナヴィスィーケの他に五大神と呼ばれる風神ガーウディーム、金剛神イラートゥス、炎神オーティウム、水の女神ドゥローレメ、大地母神ノリィッテンジェンシェーレなど他にも多くの神がいる事を教えた。
ドゥローレメは世界樹の炎を消そうとしたが手遅れだった。
ノリィッテンジェンシェーレは神々を仲裁し争いを収めようとしたが、五大神以外にも付き従う神々が眷属を率い各地で争って世界は乱れに乱れ大いに荒れた。
大神達が争いをやめていくら仲裁してもすぐに別の場所で争いが起こり、収まる気配がない。疲弊した神々が我に返った時、滅びが迫っていた。
八つの眼がある不気味な獣で、脚もたくさん生えていたが姿は狼の面影がある。
次々と神を喰らっては巨大化していき、気が付いた時には五大神も主神ですらも手に負えなくなっていた。
そして色恋沙汰で地獄の女神と対立しガーウディームを巻き込んだ事で争いを大きくした森の女神が責任を取って人柱ならぬ神柱となって神喰らいの獣を封じ込めた。主神はそれからすべての神々に反省を促し、地上を捨て天へと去っていった。
その際、時の神ウィッデンプーセだけは地上に残り、ヒトの代表としてスクリーヴァを指名して中つ時代を任せたとされる。
「中つ時代って?」
「アル・アクトールという予言を司る狂気の神の神殿に残る聖典にこの世は始まりの時代、中つ時代、終わりの時代の三つがやってくるとされていました。現代がその中つ時代、人の時代と言われています。神の力に頼らず自立しなければいけない時代だと」
女神官は子供達に教える際に神々を敬うよう強制はしなかった。子供達の中には神様も完全じゃないんだって馬鹿にするものもいた。親がいなければ子供もいないように神々がいなければ世界も無く、人の時代もない。
父を、創造主を馬鹿にするなど東方の子として昔は許されるような言葉では無かったが、もう時代は変わっていっている。
神の奇跡をこの目で見なければ信じない、子供だけでなく大人でも今はそんなものだ。祈れば神様は何でもやってくれて何をしても赦しを願えばあっさり赦してくれるような便利で慈愛に満ち溢れた完全無欠な神を人間は期待している。
要するに人間が神に奉仕するのではなく神が人間に奉仕するものだと。
神官は少女がどう受け取るかは本人に任せた。
少女は不思議そうに周囲を見回している。
「じゃあ、みんな神様がおつくりになったの?」
「ええ、そうですよ」
「みんな?」
少女は周囲にあるものを見回した。
「みんなです。それは間違いありません。万物はみなウートーから生まれたのです。人間はその恩恵に預かっているのです。最後にはそこへ皆還っていくのです」
女神官は少女が神々を敬う事にしたようだとほっとして彼女の視線を追わなかった。