第10話 妖精王子-復讐者-
「で、ベルベットは何でここに。密偵として命令されてここで変装して・・・そんなフリを?」
マクシミリアンは言葉を濁すが、ベルベットはきょとんとする。
「え、聞いてたでしょ。今の話。マイヤーさんはたまたま立ち寄っただけ。私はここで普通に働いてるわよ。結構お給料いいのよ?お客さんから得た情報は使えるものがあればべべーラン様が買い取ってくれるし」
「じゃあ、まさか本当に・・・?」
「ええ、娼婦よ。高級娼婦。王宮で教育を受けた元貴族ですしね」
「・・・べべーランの豚野郎め!お前を娼婦にした挙句に密偵としてこきつかっているのか!?」
マクシミリアンは剥げ頭で子豚を連想させる体型だったナーメン伯の姿を思い出す。
「そんな風にいわないで、べべーラン様は私を救って下さったのよ」
ベルベットの為に憤慨したというのに、逆に抗議されてマクシミリアンはぐぅ、と呻く。これは完全にいいように弄ばれて調教されてしまっている・・・、強く美しく子供達に取って女王のようだったあのアスパシアが・・・、マクシミリアンは世界が崩壊するような衝撃を受け子供時代の思い出を穢したべべーランを憎んだ。
「お前は利用されているんだ、・・・アスパシア」
「そんな事分かってるわよ。何分かり切った馬鹿な事言ってるの?」
悲壮な顔をしたマクシミリアンを、まだ子供ね、と笑うベルベット。
「お前まで、私を子ども扱いするのか」
「悲しまないでマックス、貴方はすぐにいい男になるわ。ナーメン伯はね、本当に私を救って下さったのよ。ギュイに王宮を出ていくよう言い渡されて、父のヘンウェンも私を見捨たわ。私に庶民の粉引き屋の女房になれっていうのよ?」
それがどんなに辛い事かわかる?とベルベットはマクシミリアンに聞いた。
マクシミリアンはこんな所で働くよりマシなのではないかと思ったが、それが違うと彼女はいいたいのだろう。
「そうよ、王宮で他の貴族の姫君達と一緒に育てられたこの私が何の取柄も無い粉引き屋の女房になって力仕事をして、庶民の子供を産めですって・・・笑っちゃうわ」
庶子であっても彼女は優秀だった。
王宮でどの貴族の子弟よりも賢く、教師たちにも目をかけられた。
護身術をやらせれば男の子達を投げ飛ばし、剣はともかく体術では敵う者なし。
「あの男は私を馬鹿したわ。どこの豪商の隠し子か知らんが、お前はもう俺の物だって。貴族の娘だったというのは秘密にされたのよ、さすがにね。せっかくこれまで磨き抜かれた玉のお肌も直ぐにぼろぼろになって、私の一張羅は売り飛ばされて、代わりに汚れた服を着せられて・・・。さっさと男を産め、役立たずって殴られた」
「それで・・・ナーメン伯がお前を拾い上げたから慕っているって?」
アスパシアが水車小屋に行かされたらしいというのは彼女の妹のアルシーナから聞いていたが、深くは考えていなかった。
神殿に閉じ込められたり、人知れず殺されるよりはマシかと諦めていた。
アスパシアに言わせれば、それより酷いという。
「初めから庶民として育てられていれば、庶民の生き方を学んで強く生きていけた自信はあるわ。私はただ身分を落とされたから境遇の変化に文句を言ってるんじゃないの、わかる?」
「ああ、そうだろうな。アスパシアならきっと下町でもガキ大将というのか?大親分になってたと思う」
「・・・年頃の娘にガキ大将だなんて酷いわね、マックス」
「・・・・・・悪い」
哀し気に笑うアスパシアにマクシミリアンも暗く沈んだ気持ちになる。
「ナーメン伯は環境の変化に耐えられず病んで死にかけていた私に選択肢を与えてくれたわ。国内じゃどうしたって幸せになれない。故郷を捨て名を変えて生きていく意思はあるかって。二度と妹にも会わないし本当の名前も名乗らないなら生活の場所を与えようと」
「それで・・・こんな所で娼婦に?あいつはお前に別の不幸を与えただけじゃないのか?」
「ここでこの仕事を選んだのは私自身。私は庶民のお金の稼ぎ方なんて知らない。庶民の子供みたいに幼い時から親の仕事を見て育ったわけじゃないの。貴族の中じゃあ有能でも庶民の中じゃ無能の役立たずよ。ここなら少なくとも美味しいものを食べられるし、服装だって自分で選べる。借金がある訳じゃないから客だって好きに選べる人気者の高級娼婦よ。知ってる?結構世の王様の愛妾の中には貴族の愛人じゃなくて娼婦も多いのよ。中には爵位を与えられて身請けされたものもいる」
自分はマシな生活を送っているのよ、とアスパシアは笑ったが、マクシミリアンには強がっているだけのようにも見えた。
「ま、そんな話は後で二人で閨に行ってするといい。今は酒じゃ!」
沈む二人を見て老人は一人、酒を注いでぐいと飲んだ。
「さて、その通りね。何飲む?」
「違うだろ!マリアの事を教えてくれるんじゃなかったのか」
「ああ、そうだった。すっかり忘れてた。マックスが勘違いするからよ。ところで身分証としては今どんな名前なのよ。まさか本名じゃないんでしょ?」
「ジャール人の傭兵シャールミンだ」
「ああ、フーオンが用意してくれたのね。それなら常に狩猟弓持ってないと変よ」
それがジャール人の傭兵の特徴だ。
フランデアンの東半分に点在する彼らの中には外国へ出てそうやって生計を立てている者がいる。馬上から射る為の独特の弓は故郷の生活を忘れない為、彼ら共通の証だ。
「む、そうか。明日手に入れてこようかの」
「そうしてあげてマイヤーさん。王子様には難しいでしょうから」
「ふん!」
二人に子ども扱いされてマクシミリアンはむくれた。
恵まれた大人顔負けの体格をしているが、表情はまだまだ子供っぽい。
「ああ、可愛いわマックス。お姫様の事は忘れて私と一緒に外国に逃げましょうよ」
ひょっとしたらそれはアスパシアの精一杯の告白だったのかもしれないが、受ける事が出来ない話だった。
「断る」
「相変わらず固いわねえ・・・おさしみでもさしあげましょうか?」
「お刺身?いや食事はいい」
「ぷっ、あははっ。その分じゃ帝都でマリア様に不義理は働かなかったようね」
「?」
おさしみというのは娼婦らが使う隠語で口付けの事だった。
マクシミリアンの表情がどんどん悪化していくのでアスパシアは冗談を止めて本題に入った。昔からどんなに貴族の姫君達が秋波を送っても誰にも靡いた試しがない。
「マリア様は国内にいないわ。スパーニアに捕らわれてる。姉君が亡くなって弔問に行ってる最中に紛争が起きて帰国させて貰えなかったの。ご本人からも使用人達からの連絡も途絶えてどうなっているか分からないけれど。スパーニアの都バルドリッドから出たという情報は無いわ」
それでようやくマクシミリアンの胸を襲う焦燥感の正体が分かった。
「おやまあ、危うく姫君が居た城に行って無駄足を踏む所じゃったな」
「庶民は随分前に嫁いだ姫様が亡くなった事くらいしか知らないし、三番目のお姫様が何処で何やってるかなんて地元の人間くらいしか知らないでしょう」
マクシミリアンにとっては有難い情報だったが、同時に敵国の首都に捕らわれているとは厄介な情報でもあった。地元の新聞社もどうせならそのあたりから道義的な面でのスパーニアへの批判を強めてもいいのではないか。紛争勃発前から訪れていた外交使節は当然ながら返還すべきだ。
スパーニア側からもこれまでマリアについて声明が無いという事は表立って人質とされているわけでもないらしい。水面下では何らかの交渉があるのかもしれないが、そこまでの情報はアスパシアは得ていなかった。
「どうするのマックス?」
「当然救い出しに行くけど、それより詳しい情報は無い?」
だんだん打ち解けてきてマクシミリアンの口調も昔に戻って来ている。
リカルドに言われた事もあるが、もう少年時代は過ぎ去ろうとしており王としての自覚と振舞いが必要だった。
だが、幼馴染相手なら今はいいだろうと少しずつ緩んできている。
「マリア様については無いわね、いちおう使用人たちが親族にあてた手紙から幽閉されているらしい塔の場所はわかってるからあとで図面をあげるわ。他は公王陛下が戦死した後、その遺体が敵に奪われて晒しものになったとかいう噂があるくらい。後は逆襲してきたスパーニアの兵がシュテファン王子の城へ進軍しているとか。最近、獣害が増えたとか」
「公王の戦死か・・・」
「どうかした?」
「いやな、アルトゥールが遺体は少し見ただけだが何か毒矢に射られたのか、随分妙な死体だったと言っていた」
マクシミリアンが王都のアンヴェルスでウルゴンヌに派遣されていた騎士から急報を聞いた際の事を思い出す。
「あぁ!そうだ。アルトゥールよ。アルトゥール・ザルツァ。マックス、貴方一体何をしたの?」
突然アスパシアが大声を上げる。
「何って何がだ?」
「ギュイが国境を閉鎖したのは知ってる?でもアルトゥールが貴方を追いかけて出奔したって」
「そうか・・・まあそうだろうな」
「知ってたの?」
「ギュイの奴が国境を閉鎖したのは難民から聞いた。だが、アルトゥールの事は初耳だ」
マクシミリアンは道に迷いながら避難先を求めて逃げ惑う難民達から噂は聞いていた。フランデアンが完全に婚約者のいるウルゴンヌを見捨ててしまったと。
「じゃあなんで?アルトゥールの事は聞いてなかったんでしょ?」
「それは私がツヴァイリングの山門を抜けた時、奴の父エルマン・ザルツァを殺したからだ」