「私、前世は芋煮だったの」と、二人の姉がおかしな事を言い出した……え? 僕もイモニガー?
「カー君、落ち着いて聞いてね? 騒がないでね?」
最近、イー姉の様子がおかしい。
我が家の長女、イー姉が思い詰めた顔で部屋を訪ねて来たのは僕がそう思い始めたある夜の事だった。
「どうしたの?」
「絶対よ? もう夜だから絶対に騒がないでね?」
僕が聞き返してもイー姉は念押しするだけで答えない。
騒がないのは内容次第なんだけど……僕はそう思いながらため息をついた。
「わかったよイー姉」
「絶対よ?」
「とりあえず部屋に入って」
「絶対だからね?」
するり、パタン、ガチャリ。
イー姉が何度も念押ししながら僕の部屋に滑り込み、ドアを閉じて施錠する。
そこまでなのか……僕はいつもとまるで違うイー姉に息を呑んだ。
いつも明るくオープンなイー姉が何度も念押しした上にドアを施錠するのだから相当の悩みを抱えているのだろう。
恋の悩みとかだったら、ちょっと嫌だな……部屋の中央に置いた小さなテーブルの前にちょこんと正座したイー姉の前にお茶を置き、僕は対面に正座する。
いつもはもっと崩した格好で座るけれども大好きなイー姉が相当の悩みを抱えているのだ。どんな悩みでも真面目に真摯に答えよう。
と、僕は心で身構えて、イー姉の言葉を待つ。
「騒がないでね? 本当に騒がないでね?」
「それは分かったから。ね?」
イー姉は絶対よ? 絶対よ? と何度も繰り返した後、僕に悩みを打ち明けた。
「実は……私、前世は芋煮だったの」
「……え?」
「だから、私の前世、芋煮だったの……」
僕はあまりの言葉に息を吸い、叫びと共に吐き出した。
「ええーっ!」
「カー君っ!」
イー姉が慌てて僕の口を塞ぐ。
僕も慌てて叫ぶのをやめたけれども家中に響き渡った事は間違い無い。
息を潜めた僕とイー姉の耳に廊下を近付く足音が響き、僕の部屋でピタリと止まる。
「何かあったのか?」
僕の叫びを聞きつけた父さんだ。
「な、何でも無いよ父さん!」
「そう! 何でも無いの父さん!」
「そうか。二人とも、もう夜だから静かにな」
「「うん!」」
施錠したドアの向こうに二人でブンブンと頷き、黙って去るのをじっと待つ。
父さんの足音が寝室へと消えていく。
ドアが閉じた音を確認した僕とイー姉は、大きく安堵の息を吐いた。
「もうカー君、騒がないって言ったじゃない!」
「ご、ごめん」
そりゃ驚くのも仕方無いよイー姉。
前世だけでも驚くのに芋煮だよ? まさかの前世芋煮宣言だよ?
驚かない方が無理ってもんだよ。
「芋じゃないの?」
「芋煮よ」
「煮られた芋だよね?」
「当然よ、芋煮だもの」
「……それ、生きてるの?」
「生きてるわよ。芋煮だもの。イモニガー」
「……」
そんなイー姉に僕は天を仰いだ。
うん。まったく理解できない。
真面目な顔でイモニガーとか言うイー姉が僕には全く理解出来ない。
「ねえカー君、私どうしたらいいと思う?」
「いやぁ、気にする必要は無いんじゃ……前世なんだし」
たとえ芋煮が前世でも今は関係ない。
しかしイー姉はどうにも納得出来ないらしい。僕にしがみついて語り出す。
「だって芋煮よ? 芋煮なのよ? 椀に盛られた芋煮を眺めてこの中に入りたいとか思っちゃうのよ? そんなの絶対ヘンよ」
「いやまあ、それはヘンだけど」
芋煮は食べるもの。浸かるものではない。
芋煮に浸かって許されるのは赤子までだ。
僕らはそこまで子供ではない。今、芋煮に浸かれば食べ物を粗末にするんじゃないと怒られるだろう。
「そのうち私、絶対に芋煮鍋に飛び込むわ」
「えーっ」
「そして芋と一緒に漂ってイモニガーとか叫んじゃうわ。そんな事したら友達に笑われちゃう。父さんと母さんに怒られちゃう。どうしようカー君……」
「ええーっ……」
涙目上目遣いで僕を見るイー姉超可愛い。
でも悲しいかな、僕にもどうしたら良いかなんて分からない。
だから僕は父さんが良く言う言葉に従い、父さんにぶん投げる事にした。
「と、父さんには言ったの?」
「こんな事言える訳ないじゃない。恥ずかしくて死んじゃうわ」
「じゃ、母さんには?」
「母さんに言ったら父さんに筒抜けじゃない。ラブラブだもの」
デスヨネー。
イー姉は父さん大好きファザコンだ。こんな事が言える訳がない。
そして僕らの母さんと父さんの間に秘密という文字は無い。ラブラブだからだ。
だから僕に相談するのは分かるけど、僕もこんな相談お手上げだ。
「……明日、朝ご飯食べたらまた来るから」
イー姉もそれが分かっているのだろう。僕から離れて立ち上がる。
しかし僕に縋る瞳は変わらない。
イー姉はもう、独りで抱え込む事が出来ない程に思い悩んでいるのだ。
「カー君だけが頼りなの。お願い、私の力になって」
そう言い残してイー姉が僕の部屋を去っていく。
後に残されたのは困り果てた僕だけだ。
出来れば力になってあげたい。
しかし相手は前世、そして芋煮。
雲を掴むような話だ。
しばらく唸っているとドアをノックする音がする。
父さんだ。
父さんはいいかと訪ねて少しだけドアを開け、僕の頭をくしゃりと撫でた。
「何があったかは聞かないがお前を頼りにしているんだ。男の見せ所だぞ?」
「うん」
さすが父さん、お見通しだ。
「でも出来ないと思ったらまるっと他人にぶん投げるんだぞ? 父さんもそうやって波瀾万丈の人生をぶん投げまくって切り抜けてきた。出来ない事を抱え続けてもいい事なんて無いからな?」
「……うん」
「明日学校は休みだろ? 今日はもう遅い。考えるのは明日にぶん投げなさい」
さすが父さん。堂々としたぶん投げっぷりだ。
そして父さんの言う通り今日はもう遅い。
いつも寝ている時間はとっくに過ぎている。僕はベッドに潜り込む。
そして次の日の朝……事態はさらに悪化した。
「カー君、ちょっとイモニガー?」
「……ムー姉」
朝食後、思い詰めた表情で僕の部屋を訪れたのは僕のもう一人の姉、ムー姉だ。
そしてイモニガーの言葉に爆釣なイモニガー姉。
「い、今、イモニガーの言葉が!」
「イー姉もイモニガー?」
「イモニガー!」
「「イモニガー!」」
ひしっ……僕の前で抱き合う姉二人。
その脇で頭を抱える僕である。
父さん増えたよ。イモニガーが増えたよ父さん。
何も考えずに寝たら二倍に増えたよ父さん!
「とりあえず座りましょうイモニガー」
「そうするイモニガー」
するするりバタンガチャリ!
何も解決していなくても仲間を見つけると元気になるものである。
イー姉とムー姉は互いに悩みを支え合い、二倍の速度でテーブルにつく。
そして僕に早く座れとペチペチとテーブルを叩くのだ。
「カー君、座るイモニガー」
「とりあえず語尾のイモニガーはやめよう。ね?」
「「カー君もイモニガー」」
「いやいやおかしいのはそっちだから!」
この場で多数派になったからってヘンな事に変わりは無いからね?
と、仲間を得て増長半端無い姉二人にツッコミを入れる僕だ。
それにしてもイー姉に続いてムー姉までもがイモニガー。
何かに呪われているんじゃないかこれ? と背筋がゾワリと寒くなる。
「ムー姉も前世が芋煮とか……言わないよね」
僕の言葉にぐっ! と、無言で親指を立てるムー姉。
さすがカー君わかってる! と言わんばかりの態度である。
イモニガーか、やっぱりイモニガーなのか!
「芋煮鍋に飛び込みたいの? 飛び込みたいのね?」
「それもある」
「え?」
他にも何かあるの?
と、首を傾げる僕にムー姉は頷いた。
「最近、私が煮た芋煮から声が聞こえるようになった」
「ええーっ……食べないでーとか言って来るの?」
「逆。食べてーと言ってくる」
「いや、どっちでも食べたくないよねそれ」
呆れる僕だ。
それと同時に最近まったく芋煮を作らなくなったのはこれが原因だったのかと、ここ最近のムー姉の変わり様に納得がいった僕である。
会話出来る食べ物なんて絶対口にしたくない。
ムー姉は寡黙で我慢強いからよくわからないけど、イー姉よりもずっと悩んでいたんだな。
でも、何とかしてあげたいと思っても何をしたらいいかは分からない。
僕がどうしようかと悩んでいると、ムー姉に頭を撫でられた。
「姉を心配するカー君にとても癒やされる」
「……でも、僕に言ってもどうしたら良いのか見当も付かないよ」
弱音を吐く僕に、しかしムー姉は首を振った。
「悩みを話す、それだけでも楽になる」
「そうよカー君。まだ何も解決してないけどイモニガー仲間が居れば十人力。さらにカー君がいれば百人力! これでしばらく芋煮鍋に飛び込むのを我慢できるわイモニガー」
「むふん全くイモニガー」
「だからイモニガーはやめよう。ね?」
そう言うのが今の僕には精一杯。
父さん大好きファザコンな姉二人は親にバレるのが何よりも嫌らしい。
だから僕にしか相談できないのだ。
しかし僕らはまだ学生。イー姉、ムー姉と三人で考えても解決策など出てこない。
そしてイモニガーは飛び火するのである。
「大変だ。ムーちゃんが芋煮を作らなくなった!」
「……イモニガー」
次の日の午後。
僕は学校近くの一戸建て借家で、親友の悩みに思わずイモニガーを呟いた。
畑仕事で汚れた泥まみれで鍬を手入れする親友は、こう見えても大金持ちだ。
『ほら吹きじいさんのおとぎ話』
親友の御先祖様が家族に語ったほら話は今や世界のベストセラー。畑を耕さずと
も生きて行けるご身分だ。
まあ本人はそれは所詮あぶく銭。俺は芋農家になると言って聞かないが。
ちなみにこの書籍を取り扱ったのも父さんだ。
我が父さんながらよくわからない人である。
「いつもこの時期になるとお前の父さんが俺の実家から大切な芋を持って来てくれる。毎年ムーちゃんに頼んでその芋で芋煮を作ってもらっていたのに今年はダメだと断られた。おかげで今年は俺のヘタクソ芋煮だ。こんな芋煮では御先祖様に顔向けできん」
まあムー姉が断るのも当然だ。そんな大事な芋を煮込んで親友に語りかけたら一大事。両親にイモニガーが知られてしまうのだ。
そのあおりを食らったのが僕の親友という訳だ。間接的イモニガー炸裂である。
「何か、知ってるか?」
「いや、知らない」
「そうか……」
すまん親友。
心で謝る僕である。
イー姉とムー姉の名誉の為に、イモニガーを語る訳にはいかないんだ。
が、しかし……僕もイモニガーには行き詰まっている。
親友に聞けば思いがけないヒントが見つかるかもしれない。
僕はバレないように注意深く言葉を選び、親友に聞いてみた。
「なあ、芋煮に命はあるのかな?」
「あるに決まってるだろ」
親友、即答だ。
親友は立ち上がると台所へと歩き、鍋の中の芋煮を椀によそい戻って来た。
「俺の家には御先祖芋って奴がある」
「なにそれ?」
「芋煮にして食べると御先祖様に会えるって芋だ。うちの特定の畑でしか実らない特別な芋。ムーちゃんが芋煮にしてくれないから俺が芋煮にした。食え」
「いやだよ」
御先祖様に会える芋煮とか怖い、怖すぎる。
しかし首を振る僕に親友が椀を押しつける。いつになく強引だ。
「いや食え。いつも芋煮はムーちゃんだから加減がわからず作り過ぎた。腐ってしまっては御先祖様に折檻される。だから食え」
「うわっ」
親友は芋にフォークをブスリと刺し、僕の口の前に突き出して来る。
親友も我が家と同じく食べ物にはうるさい。
僕も我が家の皆と同じく食べ物を傷めたり腐らせたりするのは嫌だ。
僕は覚悟を決めて親友のあまりおいしそうではない芋煮を口に入れ、噛み潰す。
直後、視界が真っ白になった。
「……どうだ?」
川が、川が見えるぞ親友! おーい親友!
うわぁ、なにこのおじいさん。え? 親友の御先祖様? 生前は父さんに大変お世話になった? 子孫をよろしくお願いします? うちの父さん一体何やってんの?
これヤバイ芋だ。絶対ヤばい何かが入ってるよ!
目の前で笑うおじいさんにぺこぺこ頭を下げながら、僕は心で叫ぶ。
しかしヤばい時は一時。やがて僕の視界は復活した。
日差しを見れば二時間ほど経っただろうか。すでに夕日に変わっている。
そして親友も芋煮を食べたのだろう、僕の目の前でお椀に土下座していた。
「御先祖様。これからはムーちゃん頼みにせず芋煮に精進いたします……どうだ? 会えたか?」
「いやこれもう臨死体験だろ。走馬灯だろ」
「何を言う、去年はムーちゃんだって感動のあまりイモニガーと呟いた芋煮だぞ。今年はイーちゃんがムーちゃんに頼んでみるって持ち帰ってくれたのに。ダメだったら私の芋煮で我慢してねと言ってくれたのに……」
お前か! お前がイモニガーの原因か!
そしてムー姉がイー姉よりも重症なのはそういう理由か!
飛び火ではなくがっつり種火。親友がイモニガー源だったのだ。
すると僕もそのうちイモニガー……?
と、青ざめるもすでに遅い。
すでに芋煮は僕の胃ががっつり消化済み。吐き出す事も不可能だ。
「なあ親友……お前、イモニガーなのか?」
「は?」
くそぉ親友。お前免疫あるのか? あるんだな!
きょとんとする親友に頭を抱える僕だ。
しかしヤばい。これはヤばい。
このままでは僕もそのうち前世が芋煮とか言い始めて、芋煮に突入してしまう。
前世が芋煮は別に良い。
ホントは良くないけれど知っているのが僕らだけなら特に実害がある訳ではない。
しかし芋煮に突入してしまうのは問題だ。
食べ物は感謝して食べるのが我が家の家訓。それに浸かるなど論外だ。
思い詰めるイー姉ムー姉を思い出し、背筋が寒くなる僕だ。
しかし親友を責める訳にもいかない。
たぶん親友は何も知らない。
御先祖芋もきっかけでしか無いだろう。
現れたおじいさんは僕らの前世が芋煮など一言も言わなかった。この芋を食べた事で僕らの中の何かが変わったのだ。
「よし。今度はムーちゃんに芋煮作りを教えてもらおう」
「伝えておくよ」
「頼む。俺も明日学校で土下座懇願する。ムーちゃんの芋煮味を我が手に!」
はいはい。ムー姉の芋煮味は無理だろうけどがんばって。
僕は心で呟きつつ、親友の家を後にした。
もう夕方だから早くしないと我が家の夕飯に間に合わない。
頭を抱えて悩むのはご飯を食べた後にしよう。
僕はいつもより早足で道を歩き、畑の脇を歩き、おじさん達の家に向かう。
おじさん達の所を通り抜けるのが我が家に帰る近道だからだ。
「おじさん、通るねーっ」
『おお、お前だけ遅かったから心配したぞ』
「ごめんなさい。親友の家で遊んでたから」
『そうか。楽しかったか?』
「うん」
『そうか……良かったな』
『うん、良かった』
おじさん達が本当に嬉しそうに笑う。
僕はこのおじさん達の笑顔が大好きだ。
そんなおじさん達の顔はちょっと……いや、だいぶ豚っぽい。
だから幼い頃はぶーさんと呼んでいた。
今はさすがにその呼び方は出来ないのでおじさんと呼んでいる。
父さんに恩のあるおじさん達は僕らに本当に良くしてくれる。
本当に良くわからない父さんだ。
それはそれとしておじさん達はいつもほっこり温かとても優しい。
僕はおじさん達に頭を下げ、いつもの近道を通りながらふと呟く。
「イモニガー……か」
『ん? イモニガー?』
『イモニガーだと?』
ザワリ……!
おじさんがその言葉に反応した。なんで?
『い、今のイモニガーは?』
「何でもない。何でもないから!」
え? おじさんもイモニガーなの?
まさかの食いつきに僕は慌てて手を振り否定する。
鬼気迫るおじさん達の豚顔は怖い。体格良いから超怖い。
おじさん達はしばらく僕を睨み、やがて大きく息を吐き出し肩を落とす。
なに? その超がっかり感?
さっぱりわからない僕に、おじさん達をまとめるアーサーおじさんが語り出す。
『もし本当にイモニガーならば家の前の蛇口をひねると良い。必ずお前達のイモニガーに応えてくれるだろう』
「う、うん」
さっぱりわからないアーサーおじさんの言葉に僕は頷き、近道を抜け家に帰る。
夕食後、僕の部屋にまず現れたのはムー姉だ。
「カー君、ちょっと来て」
イー姉も誘ったムー姉は僕の手を取り、家の外に出た。
しばらく歩いてたどり着いたのは住宅地の外れの空き地。
こんもり盛られた土の上に、文字の書かれた木の棒が立ててある。
僕は文字を読んでみる。
「芋煮、ここに眠る……?」
ムー姉の字だ。
これは芋煮の墓なのだ。
「喋る芋煮、食べてあげられない。そのうち腐って喋らなくなった。こっそり運んでここに埋めた。ごめんなさい」
ムー姉が墓に向かい土下座する。
その瞳に輝くのは涙。
芋煮だろうと何だろうと言葉が通えば友達だ。食べてと言いながら腐っていく芋煮を見るのは辛かった事だろう。
そして食べ物を食べずに腐らせた事も辛かった事だろう。
食べ物は感謝して食べるのが我が家の家訓。
芋煮を腐らせるなどもっての他だ。
でも……僕は拳を握る。
「ごめんなさい。食べてあげられなくてごめんなさい……」
それは、泣くほど苦しんでいるムー姉よりも大事な事か?
「……入ろう」
「え?」
「芋煮風呂に入ろう。芋煮は僕が全部食べればいいんだ」
「カー君……」
どれだけの量を作れば入れるほどになるのかわからない。
でも、芋煮は食べれば解決。
僕の血肉にしてしまえば食べ物を粗末にした事にはならない。腐る前に全部平らげてしまえばいいのだ。
イー姉とムー姉が浸かってる? 二人ならどんとこいだ。
「でも、そんなにたくさんの芋煮を作ったら父さんに見つかっちゃう」
「そんなに作れる材料も場所も、用意できない」
「う……」
イー姉とムー姉の言葉はもっともだ。
芋、汁、鍋、火。
芋煮を風呂にして入ろうと思えば普通の食事の量ではとても足りない。
すぐに見つかり入る前に止められてしまうだろう。
僕は考え、帰りに聞いたアーサーおじさんの言葉を思い出した。
『もし本当にイモニガーならば家の前の蛇口をひねると良い。必ずお前達のイモニガーに応えてくれるだろう』
アーサーおじさんの言葉に従い家に戻る。
我が家の前には使われていないプールがあり、どこに繋がっているのかよくわからない蛇口が付いている。
ここしばらくは使っていないはずの蛇口は風雨に晒されているのにピカピカだ。
そして空のプールもとても綺麗。
父さんがいつも手入れしているからだ。
そして蛇口をひねれば溢れるのは……芋煮だ。
「芋煮だわ!」
「やわらか新鮮あったか芋煮!」
ジャバジャバと蛇口からあふれる芋煮にイー姉にムー姉が歓声を上げる。
……父さんは全部分かっていたのかもしれないな。
ピカピカな蛇口を見て僕は思う。
いつか使うものと思っていたのか、使う事を願っていたのか……そんな事を考えている内に芋煮はプールを満たしていく。
芋煮風呂の完成だ。
「よし、入ろう」
「で、でも父さんが……」
「僕が大丈夫だって言ってるんだ。父さんも絶対大丈夫」
「でも……」
「大丈夫!」
不安な二人に僕は叫ぶ。
ここをしっかり綺麗にしているんだから、父さんはきっと理解してくれる。
僕に出来るのは二人を納得させる事、ダメだった時に二人の代わりに怒られる事。
だから後はまかせたよ、父さん!
幸いな事に今は夜。
近所の家は一家団らん。外に出て来る様子も無い。
イー姉とムー姉は互いの顔を見合わせ頷き、服を脱ぎ始めた。
「いきなり脱がないでよ!」
「お風呂なんだから脱ぐわよ」
「当然」
僕は慌てて目をそらす。
イー姉もムー姉も方向性は違うがどちらも美人。
露わになる肢体は目のやり場にとても困る。
しかし姉は二人、僕は一人。
多数派はいつだって大胆だ。
「カー君も芋煮風呂に入るわよ」
「姉と弟水入らず。芋煮入らず」
「姉ちゃん達と一緒に芋煮とか恥ずかしいよ」
「「カー君は可愛いなぁ」」
あれ? このやりとりどこかで聞いたぞ?
でも芋煮風呂に入るのは物心ついてからは初めてだ。そんな事を思う訳がない。
前世か? 僕もとうとうイモニガーなのか?
そんな事を考えている内に姉達に服を脱がされて、芋煮風呂に放り込まれた。
ざぶーんっ……芋と煮汁が跳ね、僕の体が芋煮を泳ぐ。
これは……良い。すごく良い。
体を撫でる芋と汁は素晴らしいの一言だ。
「……最高」
芋と一緒にぷかりと浮かび呟けば、イー姉もムー姉も芋煮の中。
「あぁ……これが夢にまで見た芋煮風呂」
「むふん、良い。すごく良い」
「イモニガー」
「「イモニガー!」」
うん。まったくイモニガーだ。
とてもイモニガーだと自分でもよく分からない事を考えながら芋煮に漂う。
「そういえばイー姉、御先祖芋をこっそり食べたね?」
「し、仕方無いじゃない。味見しないで作った芋煮なんて出せないもの」
うん。それはごもっとも。
「で、その芋煮はどうしたの?」
「う……イモニガーを確かめる為に、全部食べました」
「明日、一緒に謝ろうね」
「うん」
僕らは芋煮に漂う。
「それにしても、これを完食するのは大変そうだな」
「私も食べるわよ」
「私も」
「でも、僕も浸かってるんだよ?」
「「カー君ならどんとこい」」
「……ありがとう。頼むよ」
僕は芋煮に沈み、汁の中から夜空を見上げた。
あぁ、なんか思い出す。
琥珀色の汁に漂いながら父さんを見上げるこの感じ、不思議な既視感がある。
きっと姉二人と同じように僕も芋煮だったのだろう。
だからこんなに見上げる父さんが懐かしいのだ……
「「父さん!」」
いや、本当に父さんだ。
イー姉とムー姉が叫んでいる。
慌てて芋煮から顔を上げれば、いたずらを咎められた子供のようにイー姉とムー姉が芋煮の中ですくんでいる。
僕はそんな姉二人を庇うように、姉達と父さんの間に割って入った。
この決断をしたのは僕だ。だから怒られるのも僕だ。
怒るなら僕に怒れと、僕は芋煮風呂から父さんを睨む。
しかし父さんは芋煮に浸かる僕らに笑い、穏やかに聞いてきた。
「芋煮加減はいいか?」
僕らはコクコクと頷く。
そんな僕らに父さんは嬉しそうに頷いた。
「そうか。出たら居間に来なさい。ここの芋煮はそのままでいいからな」
父さんはそう言って家へと戻っていく。
僕らは顔を見合わせて、とりあえず芋煮風呂に漂った。
怒られるのかどうかは知らないが、今は芋煮風呂。
そして満足する程漂った僕らは芋煮風呂から上がり、体を拭いて服を着る。
「イー姉、ムー姉。先に行かないでよ」
「ダメ。だって私はお姉ちゃんだもの」
「弟は姉が守ります」
いや、僕ら殆ど同じに生まれたよね? 一日も差は無かったよね?
イー姉とムー姉に庇われながら居間に行けば、テーブルに座るのは嬉しげに涙を流す僕らの母さん。そしてやはり嬉しそうな父さんだ。
僕らが椅子に座ると、父さんは静かにとんでもない事を言い出した。
「今まで黙っていたけれど……お前達は昔、父さんが煮た芋煮だったんだ」
「「やっぱり!」」
歓喜する姉二人。
「おじさん達も知っている。近所もみんな知っている。だからお前達、これからは堂々と芋煮風呂に入っていいからな」
「「わぁい!」」
バンザイする姉二人。
「で、でも芋煮風呂は? 正直あんなにたくさん食べられないよ」
「それはおじさん達が食べてくれる」
僕の問いに父さんが答えた直後、外で誰かが騒ぎ出す。
アーサーおじさんとおじさん達の声だ。
『ぬぅおおお芋煮、お三方がお浸かりになられた芋煮だぞ!』
『まずは崇めろ、そして汁一滴も残さず頂けイモニガー』
『『『イモニガーッ!』』』
外ではおじさん達が泣きながら芋煮風呂をよそい食べている。
そして中では僕らの母さんが喜び、父さんが抱きついた姉達の頭を撫でている。
僕らの前世が芋煮だって事は、みんな知っていたのだ。
「父さん、どうして教えてくれなかったのさ?」
「昔の事を押しつける訳にもいかないだろう? 今は芋煮じゃないんだから」
うん、僕の周りはみんなおかしい。
だけど僕の周りは皆温かい。
ほっこり嬉しい僕だ。
それにしても……芋煮って、何だろね?
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