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塩を止めるために先に下田の深根城を攻略したよ

 さて、年が明けて文明8年(1476年)になった。


 伊豆の平定はかなり進み、現状俺に抵抗しているのは天城にある狩野城の狩野道一と下田にある深根城の関戸吉信だ。


  関戸吉信はもともと山内上杉家の被官で、関戸吉信は、下田市堀ノ内にあった深根城という山城の二代目城主であるが、吉信の父播磨守宗尚は、 山ノ内上杉憲実が応永26年(1419年)に上杉憲基の死去に伴い、10歳で室町幕府の出先機関の鎌倉府において鎌倉公方を補佐する関東管領に就いたときに上野・武蔵・伊豆の守護となった際に、奥伊豆の鎮護のため派遣され、深根城を築いたが、永享7年(1435年)、宗尚が没して後は嫡男の吉信が継いで、堀越公方足利政知が中央から派遣されるとその重臣として狩野道一とともに重用されたこともあってしぶとく抵抗している。


  もともと伊豆は平安時代までは流刑地の一つでしかなかったが、源頼朝が鎌倉に幕府を開くと下田港を重要な中継点として栄えていた。


 もともと伊豆の守護代は狩野氏と同族の宇佐美氏であったが、宇佐美氏は越後守護に任ぜられた上杉憲顕に従って越後に入部した一族がいたことにより越後と関係を持つ事になり、有名な宇佐美定満も同族だ。


 なお伊豆の宇佐美能登守定興は堀越公方に仕えていたが、すでに討ち死にしていて、熱海と伊東の間にある宇佐美城もすでに制圧済みで、その他の宇佐美一族は、今は俺に従っていたりする。


「塩を止めさせるためにも下田を先に落とすべきか」


俺がそう言うと大道寺重時もうなずいた。


「狩野のほうが古くからいるだけあって影響力や抱えている兵数も大きい。

 だからこそ塩を止めればそれだけ影響は大きくなるはずだ」


天城に向かう比較的大きな道があるのは実は下田からの北へ向かう道なので、そこを抑えるのは意外と難しい。


 ならば下田を抑えてしまったほうが早いというわけだ。


「下田の兵力はいかほどだろうか探ってきてくれるか?」


 俺は風魔小太郎に指示を行う。


「わかりました、しばらく時間をいただければわかるかと」


「うむ、任せるぞ」


 まあ、千を超える人数の兵はいないはずだけど、攻めるには2千ぐらいは必要か。


俺は2千の兵を集めて、兵の訓練を行い、相良油田で湧き出している油を汲ませてそれを陶器に集めつつ風魔の報告を待った。


「深根城の兵力は手勢が200とその他雑兵500でございます。

 そして攻め込むことが出来る場所は西のみであるようでございます」


「うむ、よく調べてくれた」


深根城は、北は山で、東と南は沼であり、西方は堀や逆茂木で防衛線を構築して、ここに兵力を集中して守りを固めている。


 俺たちは西伊豆の松崎に船で上陸し松崎街道を東進、途中で木を切り倒して進み、逆茂木に軽油が入った脂を投げつけさせてから火をかけ、生木で堀を埋めて、渡れるようにして城内に斬り込んだ。


 関戸吉信とその嫡男、そして上杉憲実の娘で妻の尉奈の前(じょうなのまえ)は自刃し、残りのものは降伏した。


 ”史実”では城内の兵のみならず場内にいた女子ども法師まで一人残さず首を斬られ、城の周りに1千余の首を掛け置いたとされるが、一度降伏したならば一旦は助命することにした。


 そして下田からの天城街道からの塩などの輸送が途絶すれば狩野も苦しくなるだろう。


 塩は人間にとっては必要不可欠なものだからな。


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