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畿内では兵で優劣を競うのはやめて茶で争うようになっているみたいだな

 さて、今年収穫できた大豆や木綿や山の秋の味覚でもある椎茸などのきのこを採り、それを干し、上方から下ってきた絹や木綿などとともに緑茶や米などに変えつつ、上方でやりかけていた椎茸の人工栽培もこちらで開始した。


 また適応pHが5.0から7.0と割と酸性土壌に強く吸肥力が非常に高いために施肥があまり必要ない蕎麦を蕪や大根の前に栽培し多少なりとも穀物を自給できるようにしていくことにした。


「蕎麦ならたしかにここでも育つだろうし、収穫までにかかる時間も短いだろうが、まずくて食えたもんじゃないしここまで労力をかける意味があるのか?」


 大豆の収穫が終わった後の畑を耕している大道寺重時が俺にそういった。


「だがいざというときに食える穀物が作れるだけでもだいぶ違うぞ。

 それに蕎麦もうまいたべ方もあるはずだ」


 この頃はそばの実を米に混ぜて食べる「そば米」やそばの実を粉にして蕎麦粉に湯を加えこねて粘りを出して塊状のまま食する 「そばがき」として食されているのだが、どちらもうまいとは言えない。


 そばが美味い食べ物になったのはこねたものを平らに伸ばして麺にしてから茹でるそば切りがでてきてからだな。


「それならまだいいんだけどな。

 しかしまあ米や麦が作りづらいってのいうのは本当に大変だよな」


「たしかにな」


 そして豆腐や湯葉の原料としての大豆や干し椎茸に加えて緑茶や木綿の一部などを上方への帰りの船に乗せて朝廷や幕府、寺社に寄贈したがかなり評判が良かったようだ。


 特に兵士を集めて戦うことに倦んだ武士たちは、将軍足利義政を筆頭にして武士階級の間で闘茶というお茶を用いた寄り合いが増えていた。


 闘茶は、茶器の値段や茶の点て方、茶を飲んでその香りや味から茶葉の産地を推測するなどして、勝敗を競うもので、兵士を使って勝敗を決めるよりはずっと平和的でいいことだろう。


 もっとも使われる茶器は唐物舶来の超高級品でその茶碗一個でどれだけの兵士が雇える? というような高価なものでもあるので、莫大な金がかかるという意味では兵を動かすのと大差がないとも言えるようだが。


 後に安土桃山時代には茶の湯が重要視されるわけだが、南北朝時代から室町時代までも同様に闘茶や唐物の茶器で武家がお互い競うような文化があったのだ。


もっとも行き過ぎた高価な唐物を尊ぶ風潮に対し、禅僧である村田珠光は、粗製のつまり「侘びた」中国陶磁器を使用したわび茶を推進し、茶の湯の流れを整え、そのさいの作法を定め、珠光流の茶道を確立し、その後は商人などの庶民の間ではそちらが主流になっていったようだが。


 まあ何れにせよ茶器の価値やら茶の腕やらティスティングやらで、公方が権威を示せるならいいことじゃないだろうか。


 もっとも日野富子あたりはまたそんな訳のわからないものにお金をつぎ込んで、いい加減にしないとぜんぶ捨てるわよとか言っていたりしそうでもある。


 文化的な旦那の趣味が全く理解出来ない奥さんをもつと大変だよな。

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