作物の栽培も始めるか、まずは緑茶と大豆、木綿から
さて、焼津の小川湊の整備、荷物を保管する土倉の建設、市座の土地の割り振りとともに、争いの減った上方から呼び寄せた武器職人の職人街などの町割りをすすめつつ、クジラやイルカ、イワシなどの漁を進めることで食料確保も進めている。
もっとも米の多くを遠江などから買わないといけないのは結構きついところもあるがな。
そしてそろそろ川沿いは乾田に、火山灰土の原野は大豆や緑茶の栽培を始めようと思う。
「ここではほとんど何も育たないときくが、本当に緑茶を栽培するのか?」
大道寺重時が大丈夫なのかと心配そうに言ったので俺は頷いた。
「ああ、もともと駿河では鎌倉の時代からちょこちょこ緑茶は植えられていたはずだから大丈夫だ」
緑茶は温暖で排水性と通気性がよくて、根が十分に生長できるような土壌中の礫や粘土の割合が高くない土が1m以上あり、土壌pHが一般的な作物の好むpH6~7より低いpH4~5程度の酸酸性土を好む珍しい作物であるが、雨さえ十分降れば火山灰土でも栽培できるので、稲作には向かない駿河でも十分栽培出来るのだ。
実際駿河での緑茶の栽培は鎌倉時代にさかのぼり、円爾が仏教修行のため渡った宋から茶樹の種を持ち帰り、駿河国足窪に植えたことが、静岡茶の始まりと伝えられ、江戸時代には幕府の御用茶を駿河の足久保や大河内から江戸の将軍家へ届ける下命があったくらいだ。
明治期から20世紀や21世紀でも静岡が日本最大のお茶の名産地であった理由はその土が緑茶の育成に向いている場所であったからだ。
そして緑茶は木であるため良質な茶畑が増えると地盤が固まり保水力が高まるのもメリットだ。
南北朝以降は薬という意味だけでなくたしなみとして飲むようにもなっているから、僧だけでなく公家や武家にも茶は結構な値段で売れるはずだしな。
最初は種をまいて育てたようだが、お茶の栽培は通常挿し木によって行い、挿し木時期は6月ころか9月ごろに行なう。
茶摘みが出来るようになるには4年ほどかかるからすぐにもとが取れるわけではないが逆に言えば早くやらなければ収穫はどんどん遅くなるということでもあるしな。
大豆と木綿の場合は中性土壌を好むので石灰により土壌を中和してやらないと駄目だが、大豆はさほど肥料がいらないというメリットが有り、薩摩のシラス台地でも栽培されていたくらいだからなんとかなるだろう。
大豆の種まきは5月くらいにやれば7月くらいには枝豆として、8月ぐらいには黄金色の大豆として収穫ができるはずだ。
木綿も水はけのよい土で、温暖かつ風通しがよく、日光のよく当るところで、やせ地に草木灰を少し施肥するくらいでよいが、酸性土壌をきらうので、こちらも石灰を加え、土を中和する必要がある。
木綿は5月から6月に種を蒔いて9~10月に収穫をする。
あとは比較的酸性土壌に強くて冷涼な気候を好む蕪や大根を冬は栽培するのがいいかな。




