閑話:有力な人物たちのそれぞれの思惑 赤松政則・大内政弘
赤松政則は嘉吉の乱で一度大名家として滅亡した赤松家を再興した中興の英主と呼ばれる男である。
赤松氏は村上源氏の流れをくむと自称する播磨に勢力を持つ悪党で、もともと六波羅探題所属の一武将であった、赤松円心こと赤松則村が鎌倉幕府に対する倒幕運動である元弘の乱において、後醍醐天皇の皇子である大塔宮こと護良親王の令旨を受けていち早く挙兵し、楠木正成らと共に建武政権の樹立に多大な功績を挙げた。
その功績もあり建武の新政において播磨国守護職に補任されたが、護良親王が皇位簒奪を企てたとして失脚し播磨国を没収されたことから彼も失脚し、その後は建武の新政から離反した足利尊氏に味方し、京から追い出された足利尊氏を追おうとする、新田義貞らの西進を食い止め、それにより湊川の戦いにおいて足利尊氏を勝利に導いた。
円心の三男である則祐は室町幕府2代将軍の足利義詮を補佐し、京都が南朝方に一時占拠された際には幼い足利義満を自身の居城に避難させて保護するなど、室町幕府の基礎固めにも貢献したことで播磨守護に任じられると共に、京極氏・一色氏・山名氏と並ぶ四職家の1つとなって幕政に深く関わった。
しかし嘉吉の乱で赤松氏は滅び一旦は見る影もなく落ちぶれたが、赤松家の旧臣である上月満吉が康正2年(1456年)に吉野に入り、神璽に関する情報収集に務め、翌長禄元年(1457年)12月に赤松家旧臣らが奥吉野に侵入し、南朝後胤とされる一の宮、二の宮を殺害し神璽を奪還したことで、長禄2年(1458年)8月に神璽は京都に戻り、その功績により赤松家の再興が幕府から認められ、赤松政則に幕府から勲功として加賀北半国の守護職、備前新田荘、伊勢高宮保が与えられた。
だが、そういった場所の統治はあまりうまく行かず播磨奪回を狙うようになる。
政則の養育を務めた浦上則宗を中心とする赤松軍は、寛正3年(1462年)10月、京都で大規模な土一揆が起こると、畠山政長に協力して鎮圧に功績を挙げ、寛正6年(1465年)11月、山城西岡で土一揆が起こると、京極氏に協力して鎮圧に貢献した。
しかし、文正元年(1466年)に細川勝元らにより義政の近臣であった伊勢貞親や禅僧の季瓊真蘂、斯波義敏らが政界を追われる文正の政変が起こると赤松政則も失脚したが、その後に細川勝元の支援を受けることで政界に復帰、播磨奪還を目指す彼が西軍の山名宗全側につくはずもなく、細川勝元へ味方して山名攻撃の急先鋒を担った。
「播磨は我らの土地よ…
山名の赤入道などに大きな顔をさせてたまるものか!」
大内政弘は百済の聖王の第3王子である琳聖太子の後裔と称する大内氏の当主である。
建武の新政において大内氏は周防守護職に任じられ、新政崩壊後は北朝側につき足利尊氏を支援し、尊氏の九州下向の際に引き続き周防守護職に任ぜられる。
その後内輪もめなどもあったが、周防・長門の両国を制圧するとその守護職を幕府が認めた。
だが、今川了俊が1375年に少弐冬資を誅殺したことで、大内家は幕府から距離を置くようになる。
明徳2年(1391年)には山名氏の反乱である明徳の乱で活躍し、和泉・紀伊・周防・長門・豊前・石見の6カ国を領する守護大名となり、李氏朝鮮とも独自の貿易を行うことで大内氏の最盛期を築き上げたが、3代将軍足利義満と対立し、鎌倉公方の足利満兼と共謀して応永6年(1399年)に堺で挙兵するも敗死した。
その後もゴタゴタするのだが大内持世が、6代将軍足利義教の信任を受け筑前守護に任じられ、少弐氏・大友氏を征伐し、大内氏の北九州における優位を確立するも、嘉吉の乱に巻き込まれ非業の死を遂げる。
その後は、いとこで養子の大内教弘が勢力を引き継いでおり、彼は嘉吉3年(1443年)に山名氏との関係強化のために山名の娘を娶る。
長禄3年(1459年)に、長禄合戦に敗れた斯波義敏が亡命してきたことで、寛正2年(1461年)に幕府は斯波義敏を匿っていることを理由として教弘討伐を行った。
これに反発した教弘は、細川氏及び幕府の支援を受けた安芸武田氏と戦い、大内氏の勢力を安芸・石見・肥前にまで拡大、さらに細川氏と日朝貿易及び日明貿易を巡って争い勝利した。
寛正6年(1465年)幕命に従って河野通春討伐のため伊予に渡海するも逆に河野通春と手を結び、細川勝元の軍を攻撃、優位に戦ったがその途中で死去し、家督は長男の政弘が継いだ。
彼は父に引き続き日朝貿易及び日明貿易を巡って管領細川勝元と争い、細川氏と敵対する伊予の河野通春を支援していたが、これに対し細川氏は大内氏追討の幕命を発し、安芸武田などと戦うことになる。
この時に斯波義敏は、政弘から離脱し上洛して、将軍の足利義政に赦免されると、文正元年(1466年)7月23日に斯波義廉に代わって斯波氏当主に復帰したが、斯波義廉が畠山義就と山名宗全と繋がっていたこともあって、大内政弘は宗全と連携し西軍主力として大きな影響力を持つことになる。
「細川めが、いつまでもいつまでも口うるさく干渉しおってからに…
この機会に完全に叩き潰してくれるわ」
そして将軍の足利義政であるが……。
「本当にどうしてこうなった?」
とやはり呆然としていた。