甲斐は落ち着いたが今度は駿河・遠江がきな臭くなってきたかよ
さて、小山田や武田分家の国人領主たちを切り崩して、甲府を制圧し、残りの武田分家も降伏させることで甲斐は制圧した。
甲斐切り崩しの功績もあり甲斐で直轄化成功した地域に関して、風魔党には甲斐における田畑や金山の代官の地位を与え、甲斐国内における諜報網の構築も行わせている。
「我々に甲斐の田畑や金山の管理をさせていただけるとは誠に光栄です」
風魔小太郎は俺にめちゃくちゃ感謝しているが、そう単純な話でもない。
「ああ、それに関してはお前さんたちの働きあってこその甲斐制圧だからな。
恩賞として十分なものを与えるのが当然だろう。
だが甲斐という国の住民の反感を表立って受ける立場にもなるから、むしろこれからが大変だぞ」
「わかっております。
まずは餓死者を出さぬように努めてまいりましょう」
「ああ、頼むぞ」
甲斐の国を手に入れたことで経済力は大きく上昇したと言えるが俺たちを余所者と考えるものはまだまだ少なくはないのではあるが、まずは可能な限り飢えさせないということをやっていけば農民たちはついてくるだろう。
海から離れた盆地である甲斐は冷害が起きやすいがそれだけに冷害にも耐えて実っている抜穂選種を行って、明治時代に品種として確立された「亀ノ尾」のような丈夫で冷害に強い稲を何とか作り出していきたいところではある。
とはいえ甲斐の国人の多くは俺の直接の臣下に入ったというよりも現状では商売を通じた同盟者に近い状況ではあるので、伊豆や小田原を始めとした西相模と違って甲斐の統治権限を俺が持つようになったとも言い難いが、小山田・穴山・油川の勢力が拮抗しているうちはどこかが主導権を握って統一するということも来ないだろうから、相模や駿河へ侵攻してくる心配はいらないだろう。
次の問題は扇谷上杉がいよいよやばくなって山内上杉に降伏してしまうという懸念と、俺が第一の後見人を降りたことで政争が激しくなっている今川家中の統制が取れなくなっているということで、姉上から何とかならないかと言われていることだったりする。
今川義忠が討ち死にした直後も堀越公方の執事である上杉政憲の娘との間に生まれた小鹿範満の今川の家督継承を有力国人の三浦・朝比奈・庵原氏が支持し、龍王丸を擁する今川分家の瀬名・関口・新野氏らの二派に分かれての抗争があって、範満支持派と龍王丸派が数度の合戦に及ぶ内乱状態となってしまい、この内乱に堀越公方である足利政知が介入し、上杉憲政を大将とする三百騎を派遣、また範満と縁がある扇谷上杉氏は太田道灌を代官として同じく三百騎を派遣したことから、龍王丸と俺の姉上であるその母の北川殿は小川郷の長谷川政宣の館へ逃れることになったことから、俺が駿河へ下向してきたのだが同じようなことが繰り返されているらしい。
その時の俺は龍王丸派を支持したわけだが天文5年(1536年)には今川家の家督継承を巡って花倉の乱が起きていたり、京でも実際の権力を巡って政争が激しくなった結果が応仁の乱だったり、関東も同様だったりするように権力があればそれを巡って内乱が起きるのはこの時代では珍しいことではない。
「朝比奈や福島なんかは俺を追い出したがっていたからなぁ……」
俺がそう言うと大道寺重時も重々しく頷いた。
「まあ、連中からすればお前さんがいなくなれば、とはずっと思っていたのだろうな」
「まあ、そうだよな、取り敢えず兵を出す準備はしておくか。
いつ姉上に直接助けを求められても大丈夫なように」
俺がそう言うと大道寺重時は再び頷いた。
「ああ、それがいいだろうな」
もういっそ今川は京の公方や関東の堀越公方のように神輿にしてしまい、駿河・遠江の軍権は俺が握ってしまったほうがいいかもしれんな。




