甲斐の内乱に引き続き、今川の家中でも権力争いから内乱が起きそうだ
さて、甲斐の武田の切り崩しのために小山田氏に引き続いて穴山・栗原・油川といった武田本家と仲の悪い分家の調略や、相模川西岸の治水開墾などを行ったりしているうちに文明15年(1483年)になった。
甲斐の武田は先に上げた国人たちに加えて、西郡の大井氏なども含めての有力国人勢力の抗争から乱国状態となっており、この状態が続けば武田が駿河や相模にちょっかいを出す事はできないだろう。
甲斐がそうやって内輪もめをしている間に調略を行い、その上で甲斐盆地へ侵攻し、甲府まで平定すれば後背の驚異はほぼ無くなると思うが、甲斐盆地西部は”地方病””風土病と呼ばれる”日本住血吸虫症の被害が最も甚大な場所でもあるし、その撲滅は昭和53年(1978年)の感染者の確認が最後となるくらいであって撲滅には気の遠くなるような長い年月がかかっているし、現状の技術レベルなどではこれを撲滅するのはかなり難しいのが問題ではある。
なにせ日本住血吸虫症はその名前の通り寄生虫病であるうえに、皮膚からの経皮感染であるうえに管内に寄生するタイプの寄生虫でもあり虫下しなどはほとんど効果がないうえに、寄生主であるミヤイリガイの生命力が恐ろしく強かったりもするのだ。
最終的には、古くから稲作から養蚕、さらにはモモやサクランボ、ブドウなどの果樹栽培へ転換されて水田面積が大きく減ったことと、一般家庭で使用されていた洗濯用合成洗剤などの生活排水が用水路にも垂れ流されたことがミヤイリガイを死滅させたのが地方病根絶の大きな原因ではあったわけで、現状では水田を潰して養蚕による絹を特産品にすることはできるだろうし、それを相模などの米と交換することもできるが、合成洗剤による止めは無理だしな。
おまけに今川の家臣団は今川氏親の元服に伴って俺が後見人の座から引いたことで、家臣団が実権を握ろうと権力争いが激化しているらしい。
今川義忠の不慮の死により起きた、龍王丸と小鹿範満のお家騒動のときにも今川の分家とそうでない国人の重臣たちが内紛を起こしたがまだまだ両者の間には深い遺恨があるらしい。
甲斐を制圧できるかどうか微妙だが、駿河が内乱となって姉上から助けてくれとお家騒動への介入を求められたらば、駿河へも兵を動かさざるをえないかもしれないな。
現状ではまだ扇谷上杉は山内上杉相手に何とか戦術的に勝っているし、そちらからの介入をさせないためにも早いうちに対応が必要ではあろう。




