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どうも京都のほうもきな臭くなってるようだ

 さて、山内上杉顕定が養子の憲房と共に、扇谷上杉定正の拠る武蔵国河越城を攻略するべく2千の兵での河越城を攻撃しようとしたが、長尾景春と古川公方足利成氏が援軍を引き連れて扇谷上杉定正の養子である上杉朝良に加勢し700兵で迎え撃ち須賀谷原で衝突。


 扇谷上杉勢の先陣は初陣の朝良隊で、台地の低部で上に陣取っていた山内上杉勢に逆落としに攻撃をかけられて崩されるといったん不利な状況になったが、長尾景春がそこへ横からの一撃を入れ、今度は山内勢が浮き足立ち、そこに主力部隊を率いた上杉定正が突撃して突き崩し、山内上杉顕定は上野へ撤退した。


 ほぼ3倍の兵に勝った上杉定正や長尾景春が強いのか山内上杉顕定が弱いのかというところだが勝ったほうの上杉定正たちにおける損害も少なくなく、防衛戦であるため得られる土地などもないことから戦勝ムードはあまりないようだ。


 一方京の都でも状況はややこしくなっていて昨年の文明11年(1479年)12月に丹波国内における細川氏の家臣同士の争いが原因で細川政元は一宮宮内大輔一族に拉致され、翌年3月まで丹波国に幽閉されており、畠山政長が管領に就任したりしている。


 どうも日野富子は細川政元を煙たく思っていたようだからこれ幸いと行ったのだろう。


 もっとも多大な領国を持つ細川政元と違い、いまだに畠山義就と争っていて河内を維持できるかできないか程度の畠山政長に実権はほとんどなく無く日野富子と足利義政の不仲もあって幕府中央は畿内の統治すら危うい状況になっているようだ。


 三管領家のうち細川と畠山がそういう状況で、残りの斯波は越前の奪還が優先だから畿内に関わっている余裕もない。


「現状京近辺はだいぶ不穏な状況になっているようです」


 風魔小太郎からの報告でも間違いなく畿内は統治されているといえない状況のような。


「だからといって今すぐ俺に京へ戻って来いとか言われても困るのだよな。

 今川龍王丸の元服もまだだし、関東の戦火も収まっていないのだから」


 そして大道寺重時が呆れたように言った。


「幕府のお偉方がどう考えているか知らないが、大森や三浦のお家騒動もあって、現状俺たちが伊豆から離れることはできないだろ?」


「そうなのだよな。

 扇谷上杉が武蔵方面の戦では勝っているとは言え、本拠地であるはずの相模が万全じゃない。

 だからこそ俺と手を組んでいるわけでもあるが。

 何れにせよ今川龍王丸が元服してもしばらくの間の後見は必要だろうし、相模が落ち着かない限りは戻るのは無理だ。

 最悪は弥次郎に代わりに行ってもらうか」


 俺がそう言うと弥次郎が驚いたように言った。


「ええ?! いや俺が京都に行っても意味ないと思うけど」


「全く意味がないということはないと思うが、本当に最悪の場合だよ」


 いずれにせよ本来ならば人を移動させるというのはもっと慎重に行うべきだし、功績を上げたからと左遷したり粛清したりしていたら納まるものもおさまらないのだが、室町幕府はそれで足利義満が成功したように見えたせいでそれが正しい手段と勘違いしたのだよな。


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― 新着の感想 ―
[一言] 義満がそうしなかったら、室町幕府は有力守護の誰かを執権とした鎌倉時代の焼き直しになっていました。 江戸幕府前の中継ぎ政権として室町幕府は必要です。盛時の中の人も後の歴史を考えれば必要な政権だ…
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