ゲーム
「何度もお願いしているだろう? それなのになぜ君は、アクレオと親しくする。肩を並べ、顔を近づけ、密会しているように会い……。君の婚約者は、私だろう?」
向かい合っている婚約者、ディオスは今や能面のような顔で、そこから感情を読み取ることができない。
だが彼が誤解していることは分かっているので、潔癖だと訴えるよう、視線を逸らさず答える。
「もちろんです。アクレオは幼なじみで友人なだけです。ただ性別が私と違うだけで……」
「私にも幼なじみの女性はいるが、互いに誤解されぬよう言動に気を配っている」
沈黙が落ちる。
いつもこの話になると、私たちは平行線をたどる。
なぜ彼は性別が異なるというだけで、アクレオとの友情を認めてくれないのだろう。
やがて沈黙を破るように、ディオスが大きく嘆息を漏らす。
「とにかく次はない。私にも我慢の限界がある。誰の子を身ごもるか分からない相手との結婚は、避けたい」
「承知しました。誤解を与える行動をとらないと、お約束します」
「……その約束、何度目だ?」
席を立った彼は冷たい目で私を見下ろしてそう言うと、我が家を後にした。
それから数日後のパーティーで、ディオスが友人たちと歓談に興じている間、私も友人たちと歓談に興じる。
その中にはアクレオもいるが、複数人の昔から親しい仲の男女が集まって話しているから、問題ないだろう。
その晩は熱気が強く、すぐに汗ばむ夜だった。
「今夜はやけに暑いわね」
「ベランダに出れば、少しは夜風で涼しめるかもしれない」
それで涼みにアクレオとベランダへ向かう。
「駄目ね、夜風も生暖かいわ」
「ああ、残念だ。だけど、見てごらん」
私たちは二人でベランダに並び、夜空を見上げる。今晩は新月のためか、星が一層輝いている。
「昔は二人でよく夜空を眺めたね」
アクレオに言われ、私も思い出す。
アクレオとは領が隣同士なので、両家の親交が何世代も前から深くあり、幼いころは互いの領地内の家に泊まっては、二人で夜空を眺め星座を作っていた。
久しぶりに幼い頃のように、星座を作る遊びに興じる。
「ほら、あの星と星を結べば……」
「本当だ」
自然と顔を寄せ合い、星を指さしては笑い合う。
ただそれだけだったはず。それなのにいつの間にか昔のように手を握り合い……。やがて幼かった頃にはなかった行為に走る。指を絡めあい、くすぐったいがどこか喜ばしい気持ちで振りほどけない。
よくないと思いつつ、初恋の相手との結婚前の思い出になると理由をつけた。
どれくらいそうしただろうか。
「リア、ここにいたのか」
背後からディオスに声をかけられた瞬間慌てて手を離し、振り返る。そこには笑顔のディオスが立っていた。
「ここも暑いな」
手を握っていたことに気がついていないのか、襟元を緩めながら何事もないように言う。
それから私はディオスと一緒に会場へ戻り、彼に送られ帰宅した。
その翌日、婚約破棄の申し出が我が家へ届いた。
「約束を反故にしたので、婚約破棄? アクレオと必要以上に親しくしないと約束したのを反故にした?」
手紙を受け取った父は、何度も読み返す。
見られていた。
平静を装っていたが、ベランダでの行為をディオスに見られていたのだ。私は顔を青くした。
「どういうことだ、これは」
父が鋭い目を向けてくる。
「アクレオと……。ベランダで、星を眺め……」
「手紙には指と指を絡め、顔を寄せ合っていたと書かれているが?」
本当のことなので、なにも言い返せなかった。
それが答えとなり、すぐさま父はディオスの家に謝罪へ向かった。そのまま賠償金等の話し合いを行うそうだ。
「私もディオス様も、何度もあなたをたしなめていたのに……」
家に残った母には、呆れられた。
婚約が決まり彼の人柄を知るにつれ、ディオスを愛するようになった。そしてディオスも私を愛していると信じていたから、見限られないと高を括っていた。その驕りが、この結果だ。
私は何度も謝罪の手紙を書いては送ったが、開封されることなく返されるばかり。
パーティー会場でディオスと会って話そうとしても、無視をされる。
私が彼の視界に入れば、最後の忠告の時と同じ冷たい目となることに気がつき、同時にあの時にはもう、彼の私への愛は冷めていたのだと悟った。
「お前とアクレオとの婚約が決まった」
ある日、父に告げられ息を呑んだ。
「お前もそれを望んでいただろう?」
違う。私がアクレオに抱いていたのは友情で……。愛しているのはディオスで……。
だけどなにを言っても、父からの信頼を失った私の言葉は届かない。
父だけではない。母からも、ディオスからも……。
愛されているから大丈夫という、根拠のない自信から全てを失ってしまった。身から出た錆とは、まさにこのことだと悲しくも思い知らせられた。
ディオスには新しく婚約者が決まったと、伝え聞いて知る。相手は他国の貴族で、両国の交友関係のための結婚でもある。
彼が外国へ行く形になるので、もう二度と会えなくなるかもしれないと思うと、居ても立っても居られなくなり、パーティー会場で会った彼に訴えた。
「どうかお許し下さい! もう一度お考え直しを! 私を愛していると言ってくれたではありませんか!」
彼は振り向くと、にこりと微笑んだ。
一瞬私は光明を見た。しかし……。
「過ぎた話ですよ、リア嬢。愛は冷めることもある。遅くなりましたが、アクレオ殿とのご婚約、おめでとうございます。どうぞお幸せに」
祝いの言葉を述べたディオスは、外国へ立った。
アクレオとは逆に婚約者になると、よそよそしくなった。
「僕は確かに君を好きだったけれど……。結婚となると、違うと分かったよ。手に入らないから手に入れたいと酔っただけで、実際手に入れると……。君もそうだろう?」
そんなことを言われた。
それは私を女として愛していないと、宣言したようなもの。
ここにおいて私とアクレオの認識が違っていたのだと、気がついた。
アクレオが私に邪な思いを抱いていたから、ディオスも母もしつこく忠告していたのだ。
それを私は……。
彼にとって、ゲームだったのだ。それも勝てる見込みがないゲームだったから、夢中になった。それにまさかの勝利でゲームが終了し、私への興味を失った。
勝つまでは無我夢中となるのに、勝利した瞬間、そのゲームに飽きる。そういう人だと知っていたはずなのに……。
結婚後アクレオは、すぐに愛人を作った。彼女のために家を借り、頻繁にそちらへ通っている。
世継ぎを作るため、私と肌を重ねてはいたが、産まれた子は女の子だった。
継承権は男児とされているので、これでは駄目だ。
でも、これでアクレオと過ごす時間が失われることはない。きっと彼の性格なら、男児が産まれるまで私を求めてくれる。
そう思っていたのに、敷地内に別邸が建てられ、そこに愛人が住み始め、信じられない光景を目にした。
「……嘘……」
愛人が抱いている子は、男の子だった。つまり私が男の子を産まずとも、この家は後継者に困ることはない。いや、むしろ私が男の子を産めば継承権争いが生まれ、面倒なことになるだろう。
泣く我が子を抱き、家の中から幸せそうな三人を見下ろす。
この子もあなたの子どもなのよ? なのに、どうして愛人の子ばかり優先するの? 男児だから? ねえ、あなたは娘を愛していないの?
アクレオと愛人の子は、三人に増えた。しかも全員、男の子。私との間は、娘一人のまま。夜を共にしないので、妊娠できる訳がない。
それでも少しは娘を思ってくれているのか、たまに本邸へ顔を覗かせる。その滞在時間は、わずかなものだけれど。
そして一か月に一度、親子三人で出かける日も設けている。この時だけは、幸せな親子の振り。娘も楽しそうだが、所詮は『親子ごっこ』。
いつかは娘も、異母兄弟の方が大事にされ自分が蔑ろにされていると気がつき、父親からの愛情を疑うだろう。
ある時、帰国されていたディオス様一家と出くわした。
ディオス様には、子どもが二人も誕生されていた。
「お久しぶりです」
軽い挨拶と会話を交わす。
彼は今でも魅力的で子どもへ関心を向け、家族を愛し守っていると、短いやり取りでも分かった。
彼の隣に当たり前のように立っている夫人が、妬ましくなる。
本当なら私がその場所に立ち、私とその子どもが彼から愛情を受けていたはずなのに。
心の中で、細い彼女の首を絞める。
それだけでは足らず、刃を振り下ろし、その身を刺す。何度も何度も……。幸せそうなその顔を中心に、壊すように何度も。
彼の声が聞こえないよう耳を削ぎ、彼を永遠に見られないよう眼球を抉り、彼に触れないよう腕を切り落とし、彼に近寄れないように足の腱を切り……。
この差はなんなの? 私は夫から見向きもされず、子どもは蔑ろにされ……。
なぜ私だけ……。なぜ私と娘だけ、幸せではないの?
確かに私に非はあったが、その一端となったアクレオは幸福な日々を過ごしているのに。
なぜ?
「誕生日おめでとう、リジー」
娘の誕生日だけは必ず夫も本邸で過ごす。夜も本邸で眠り、翌朝、朝食も共にする。
それはきっと、父親という義務感からだろう。娘を愛しているからではない。なんと哀れな子だろう……。娘の不憫さに泣けてくる。
皆が寝静まった頃、私は起き上がると枕を持ち、娘の部屋へ向かう。
きい……。
ゆっくりドアを開けば、娘は父親から贈られた犬のぬいぐるみと一緒に、ベッドで眠っていた。
「……かわいそうに」
廊下からの明かりだけをもとに、娘の頭を撫でる。
「本当にあなたがお父様から愛されているか、確かめてあげるから」
持ってきた枕を娘の顔に当て、その上から全体重をかける。
やがて息苦しさを覚えた娘が、手足を大きく動かす。それでも私は枕から体を離さない。
もうすぐ分かるからね。もうすぐお父様があなたを愛しているのか、分かるからね。それまで我慢してちょうだい。
子どもとは思えぬほどの力で暴れていたが、急に動きが止まった。
それからしばらくして身を起こし、枕を退ける。
娘の開かれた両目を閉じ、口もとに手を当てる。呼吸はしていない。手首で確認すると、脈も動いていない。
私はそれらの確認を終えると、涙や涎で汚れた枕を持って部屋を後にする。
それから朝になるまで、眠らず過ごした。
ほとんど瞬きをせず暗闇の中、じっと天井を見つめ、ただ時が過ぎるのを待つ。
やっと朝になり、娘を起こしに行った使用人の叫び声が館に響いた。
「た、大変です! お嬢様が! リジー様が! 息をしていません!」
「なんだと⁉」
報告を受けたアクレオが顔色を変え、慌てた様子で娘の部屋へ駆けていく。
その後ろ姿を追いながら私は、幸せを感じ始めた。
「リジー! リジー‼」
すっかり冷たくなった娘の体を抱き、何度も名前を呼んでいる。反応がないと分かれば涙を流し、悲しんでいる。冷たい顔に頬を当て嘆くその姿は、こちらの胸も締め付けるほど。
それを見て私は両手で顔を覆い、泣いた。
なんと嬉しいことかしら。リジー、あなたはちゃんとお父様に愛されていたのよ。良かったわね。
いつも異母兄弟ばかり優先されていたけれど、あなたはちゃんとお父様に思われていたのよ。大切に思われていたのよ。それが分かって本当に良かった……。
「奥様……」
嬉し泣きする私の背中を慰めてくれているのか、使用人がさすってくれる。
「旦那様……。医師を……」
「今さら医師を呼んで、どうなる! 生き返るものか! リジー……。なんという……。どうして……」
ねえ、あなた。
娘を愛してくれていたことが分かったから、私も幸せを取り戻せたわ。
やっと一番に思ってくれ、今ごろリジーも喜んでいるに違いないわ。だけどね……。
「……ねえ、あなた。リジーはね、犬より猫が好きだったのよ……」
突然なにを言い出すのかと、夫は泣き濡れた顔を向けてくる。
私は顔から手を離し、無表情で彼を真っ直ぐ見つめ告げる。
「犬が好きなのは、あちらのお子さんよ? リジーはずっと猫を飼いたいと言っていたのを、あなたは知らないでしょう? あなたはあちらのお子さんが望むなり、犬を与えたわね」
周りの使用人たちが気まずそうに、目を伏せる。誰もが夫の娘への扱いを知っているからだ。
「あなた、リジーの好きな料理はご存知? 好きな絵本は? 好きな色は? どの花が好きだったか、知っている? 最近あの子に、よく尋ねられていたの。どうしてお父様は、こちらの家にあまり来ないのかと。それにこうも言っていたわ。いつも遊んでもらえている男の子たちが、羨ましいって。ねえ、あなた。そんなことを言うたび、あの子の心が傷ついていたと思わない?」
なにも答えられない夫は、ただ唇を震わせるだけ。
それから小さな声で謝罪の言葉を口にすると、リジーの体を強く抱きしめた。
どれだけリジーを蔑ろにし、興味を抱いていなかったのか、ようやく分かったようね。あなたは娘について、なにも知らない。知ろうとしなかった。
あなたの性格を考えれば、これからずっとそれを悔むでしょう。
さあ、次は私の番。
私が死んでも、同じくらい悲しんでくれる?
手に入って興味を失ったけれど、当たり前のようにあったモノが無くなれば、また興味を抱いてくれるでしょう?
勝利したゲームに再び負ければ、また勝つまで夢中になる。そういう人だもの。
でも残念。リジーのことを知ろうとしても、時間を取り戻そうとしても、あの子はもういない。相手がいないのだから、ゲームは成り立たない。
娘の亡骸が収められた棺に土にかぶせられている間、私はどのように死のうか、そればかり考えていた。
葬儀以来、彼はリジーの部屋で泣くことが増え、別邸へ足を運ぶことが減った。
ねえ、あなた、知っている? 人はそれを、後悔と呼ぶのよ?
「……今回の勝者は、私たちね。あなたは一生、敗北者なのよ」
リジーの部屋で泣く夫の背を最期に確認し、太く頑丈な縄を持って私は部屋へと戻った。
最期の仕上げのために。