シナリオは動き出す:5話
魔女を撃退したジョージは細い路地を巧みに使い、やがて事務所の裏手までたどり着く。
事務所の裏手はシャッター付きの車庫が出迎える。また少々開けた場所でもあり、もともとは搬入出入り口だったのだろうが、現在ではこうしてバレてはマズイ物を一時的に隠せる場所として使用している。もっともこうした目的もあり、態々このビルを買ったのではあるのだが。
シャッターを上げると、バンを後部扉から突っ込む形で駐車する。そしてすぐさま、それを下ろした。
後部扉を開けると、すでに意識がもうろうとしているベンが居る。ミイナ・コールは車の端に寄り添うようにして、只々畏怖を感じる不安気な視線で、ジョージを眺めている。
「ベン。大丈夫か?」
ジョージはベンに声をかけた。ベンは力ない返事をする。
「…そいつは冗談のつもりか?…全く笑えねぇぞ」
「ああ…そうだな。そいつは悪かった」
まあそう言いたくなるのも無理はないだろう。何せ腕を吹き飛ばされたのだ。これで大丈夫だと言うならば、頭のネジが緩んでいるか、現実を受け止めて居られない証拠だ。
「…なあ、エドワード」
そんなベンをただ眺めていたジョージに、ベンは問いかけた。
「なんだ」
「ご、合流、ずいぶんと遅かったじゃねぇか。…何してたんだ?」
「すまない。警戒して進んだのが仇になった」
ベンは鼻で笑った。
「いいや、純粋に出て来るのが怖かったんだろ?」
「…そうだな。その通りだ」
否定したところで、もう意味はないだろう。ジョージはすぐにそれを認めた。
「ふぅ。お前は知らないだろうが、お、俺達はな、結構っう、うまくやってたんだぜ?」
段々とベンの息遣いが荒くなっていく。長い間ろくな治療も施さずここまで連れてきているのだ。こうなる事は火を見るよりも明らかだろう。
「もう、しゃべらなくていい。今回はたまたまツキがなかったんだよベン。俺が着いた頃には、すでにお前たちの空気は良くなかった。どうせ合流したところで、お前の腕は飛んでいたはずだ」
下準備をしていたにせよジョージが門の前に辿り着く頃と、ベンの腕が吹き飛んだ際のタイミングは、わずか数分程度である。故にこれは、必然に近かった。
「へ、へへっ…そうかよ。ああ…そうかよ。ああ…」
諦めがついたような言葉を漏らすベン。同時に焦点がもう、合わなくなっている。
楽にしてもいい頃合いだ。どうせ、もともと殺すつもりでいたのだ。それに躊躇いは無いし、躊躇した所で、もう助からない。
懐からジョージは拳銃を抜き取ると、それをベンに向けた。
それを見たベンも、理解したようだ。静かに目をつむる。
「…ジェイたちによろしく頼む。短い間だったが、お前たちはいい仕事仲間だったよ」
そういうと、ジョージはトリガーを絞り始めた。
だが死に際、ベンはふとつぶやく。
「あ、い、今思い出した…老けて気が付かなかったが、お前さん、あの大戦時――」
言い切る前に、ジョージはトリガーを引ききる。消音機で発砲音は、静かだった。
「ベン、それはおそらく、違うはずだ」
発砲音と同じようにつぶやいたジョージの言葉もまた、重く静かなものであった。
*
彼女の拘束を解いたのは、それからすぐの事だった。事務所まで裏口から上がり、応接椅子に座らせる。ジョージは体面する形で座り、腕を組んだ。
「わかってはいるがな、形式上聞かせてもらうぞ。ミイナ・コールだな?」
彼女はうつむいて、口を開かない。また彼女は、少し震えてもいた。
無理もない。彼女にとって自分は恐ろしい誘拐犯かあるいは、人殺しとして写っているはずである。そんな人物に高圧的な聞き方をされれば、一般人であるならば誰もがこうなるだろう。
「先の事を見て、俺がどういう人間かは理解したはずだ。俺は人を殺すことは慣れているし、仕事仲間が死んでも何も感じない。ただ約束はできる。俺はお前を殺さないし、だからと言って辱めたり、いたぶったりもしない。まあ何を隠そう、俺はただの仲介人だからだ」
ジョージは一通りを彼女に宣言し、これ以上の絡みは必要ないと、席を立つ。そもそも黙ってくれているならば、騒がれるより幾分もマシだ。どうせ叫ばれても、近くに善良な市民などいやしない故に、誰も助けに来ないのだが。
そんな事を思いながらも、ジョージは何時もの灰皿を手に取り、窓から外を眺めた。
これで依頼は完遂したわけだ。誤算がいくつか起こったが、それでも彼女を保護する形にはなった。終わってみれば、何ともあっけない物だった。
ここから先の件は効かされていない為、おそらく近々に依頼内容が更新されるはずだ。とは言うもの後処理のようなもので、引き渡しの日時や場所指定などの通達だろうが。
だた、腑に落ちない点もある。これが普通の依頼ならばそう事が進むのだが、今回は全くと言っていいほどその依頼の質が異なるのだ。これもシナリオの一幕とするならば、簡単に終わるとは思えない。そもそもハングドマンが、スムーズに依頼を終わらせてくれるような人物ではないだろうし、なにより奴が何を考えているのかもジョージは予測がつかなかった。
さてどう出て来るか。ジョージは煙草をふかしながら、夜の街に響くサイレンを聞きつつも予測できないなりに思案していた。
すると、この短い沈黙の中、まるで思考を遮るか様に、彼女からふと言葉を返してきた。
「…先に謝っておきます。ごめんさない」
急に謝罪され、ジョージはどういう事だと振り向いた。何を思って言ったのか、いまいち理解できなかったからだ。
「なぜ謝る?」
「謝っておきたいからです。恨まれたくないので」
「ああ、ひょっとしてコールカンパニーの輩に見つかると思っているのか?ま、それなら別に構わないがな。どうせこっちも目的がある。もっとも、そう上手く事が運ぶと思えんがね。君がどこにいるかを突き止めたころには、すでに君は引き渡され、俺もこの町を去るだろうからだ。足は着きにくいだろう」
少し考えてみれば、そういう事だろうと合点がいった。確かにコールカンパニーの情報網は侮れないだろう。
また企業が企業だ。コネを使い、監視カメラや其の類でも漁れば、やがて自分に行きつく可能性はあるだろう。加えて言うならば、いくら東区のアウトロー達でも金に釣られてしまえばそれまでだ。餌に食いついた魚に、アウトローを名乗る誇りがあるのかとは思うのだが。
思案を巡らせていたジョージだったが、そうした考えはすべて的外れであったようだ。彼女は「違うんです」と口にして、言葉を続ける。
「仕事ですから仕方ないでしょうけど…でも、あなたは近いうちにきっと死んでしまうから…。私に関わった以上、絶対不幸な目に合うって決まってるんです」
「何故断言ができる?…わからないな。お前は幸運の女神なんだろう?むしろ幸運を運んでくれるんじゃないのか?俺の手元にある以上は、死から遠のきそうだが」
「いえ…その逆なので…」
流石に此処まで言う彼女に、ジョージは少し興味を抱いた。
「そもそも、こんなことを聞くつもりもなかったが、どういう原理でユイマンは幸運を手に入れている?お前の幸運の力が――いや、不幸な力でもいい。だいたい俺は、はなから信じちゃいない。だが、それが働いているから幸運になる。違うか?」
ジョージの問いかけに、ミイナはうつむいた。どちらかと言えば、言ってはならないと固く口を閉ざしたようにも見えるが。
「ふん、まあなんだっていいさ。その力で死ねるなら、俺は別にかまやしない。それが俺の運命なんだろう。それは意味のある死になるか、わからないが」
「え…あなたは、死にたいんですか?」
逆に問いかけてきた彼女だったが、ジョージもまた口を噤んだ。それを言う義理もないし、その必要もないからだ。
此処で会話が一旦途切れ、しばらく沈黙が続く。
それから、ジョージが三本目の煙草に手をかけた時だ。けたたましく電話が鳴り響いた。
このタイミングならば、おそらくハングドマンであろうと思い立つ。四回目のベルが鳴る頃には、受話器を手に取っていた。
「誰だ?」
『誰だろうねぇ。ジョージ・ニューマン』
このなめ腐ったような声は聴き間違えるはずもない、彼である。やはりそうだったかと、ジョージは口を開いた。
「雛鳥は無事に貰ってきたぞ」
雛鳥とは言うまでもないが、ミイナ・コールのコードネームだ。盗聴の恐れもある故に、あえて言葉を濁した。
ハングドマンはそれを聞くと、まるで自分の事のように、嬉々とした声を出す。
『いやぁ解っているとも!君が巧みに人を使って、まるで漁夫の利を得たかのように事を運んでいくのは本当に見ものだった!こちらとしても、そして絶対者も大満足のはずだ!君は本当にいい役者だねぇ。幸を持っている!』
「見ていた?…まあ貴様の事だ、驚くべきことではないのかもしれない。じゃあ聞かせてもらおう、あの女は何者だ?やはり誘拐者か?」
探るような問いかけに、ハングドマンは答えた。
『ご明察だよ。彼女は私の知り合いなんだ。誘拐者…と言うにはそうでもあるし、違うともいえる。そうだねぇ、実は案外、君と同じなのかもしれない』
「同じ?何が同じなんだ。まさか役者だとでも言いたいのか?」
『さあ?自分で考えてみたまえ。彼女と君は何処が共通しているのかをね』
そうは言われても、いまいちピンとこない。強いて言うなら、自分と同じようにその多くを知っている様には思えたが。
だが、今はそんな事などどうでもよかった。仕事を早く終わらせたいジョージはしびれを切らし、苛立ちを交えた声で言う。
「もういい、時間の無駄だ。それで?本題の受け渡しだが、どうすればいい?早く伝えろ」
すると、何故だろう。ハングドマンはしばらく黙ってしまった。どうしたとジョージが思う頃には、口を開いたようだったが。
『あ、ああ…、受け渡す?いやぁすまないねジョージ。君とおしゃべりするのは楽しいし、ジョークを言うのも楽しい。だがね、君がどのようなジョークを言っているか私にはわからないのだが?』
「…何を馬鹿な。ジョークを言っているのはそっちだ悪趣味野郎め。この荷物をどうするかを聞いているんだよ」
ふざけたような言葉に、ジョージは言葉を強めた。だがハングドマンもまた、言い聞かせるように言う。
『はあ?荷物をどうするかねぇ…。保護していればいいだろう?』
「だからいま、保護しているだろう」
『ああ、そうか。勘違いしているんだね』
ジョージは電話越しながらも、彼の言葉に首をかしげた。
「そもそも…私は言った筈だ。彼女を保護しろと。思い出したまえ、私は彼女を保護次第、どこかで受け渡してほしいだなどと、一言も言っていない。それに依頼内容にだって書いていないだろう?違うかね?』
そうだったかと思い返す必要もなかった。確かに彼は彼女を保護しろとは言ったが、それをどうしろとは一言も言ってはいない事も、重々理解しているからだ。だからこそ、この通話で何か通達されると踏んでいたのだ。
要するにこういう事だ。ハメられた。ジョージは真っ先にそう思った。
「…ふざけるな。これで依頼は達成なのか?報酬はどうなるんだ!?」
怒り狂うジョージに対し、ハングドマンはさもバカにするように、こう口にした。
『いやぁ、有るじゃないか、ほらそこに。彼女が報酬だよ?ま、君の望む物だとおもうからね。きっとそのうち、そうなるはずだ。…っと、もうこんな時間か』
どうやらハングドマンは、ここいらで話を切り上げようとしている。ジョージは追い打ちを駆ける様に、怒鳴り散らした。
「おい、まだ切るなよ!こいつが報酬だと!?ふざけるなよ、まだ聞きたいことは――」
『そうだ。最後に忠告しておこう。彼女、大切にした方がいいだろうねぇ。なぜなら君の運命を左右するからだ。きっと君の望む、幕引きの手助けになるはずだろうしね』
ハングドマンはそう言い残し、電話を一歩的に切った。ジョージの耳に入るのは、電子音の空しい音だけだった。
「ファック!」
怒りの矛先を見失い、ジョージは受話器を思い切り電話機に叩きつけたのだった。
*
電話を叩きつける様にして、さも憤りを感じるジョージの様子に、彼女は申し訳ないような顔つきをする。まるで自分の所為だと言わんばかりだ。
ジョージはそんな彼女が目に入ると、更に苛立ちを覚えた。
「何故、そんな顔をする」
問いかければ、彼女は更に表情を歪めた。
「…いえ、その様子だと、問題が起きてしまった様なので…」
「それは自分の所為だと言いたいのか?」
その問いかけに、小さく彼女は頷く。ジョージの憤りは頂点に達し、抑えれない怒りは行き場をなくし、やがて思い切りこぶしを振り上げると、デスクに叩きつけた。
デスクは強烈な衝撃を受け、激しく揺れる。
「うぬぼれるなよ…ガキ。この程度で謝罪されると逆に不愉快だ。これくらいのアクシデント、起こる事は良くある話だからな。お前の所為だと罪を転換するほど、俺はクズじゃない」
「あ…その…、すいませんでした…」
それでも謝罪する彼女に、ジョージはもうあきれ返った。大きな息を漏らし、勢いよくデスクチェアに腰掛ける。駆動部のこすれる音が、悲鳴のように響いた。
「ふぅ…もういい。怒る気すら起きない。それで、俺の話を聞いていたはずだな。事情が変わったんだ。もう、お前を拘束する必要もなくなった」
彼女は顔を上げると、限界までイスにもたれ掛っているジョージに目を寄越す。ジョージもまた、視線を感じて彼女を見た。
「何か言いたげだな」
「その、私はもう必要ないってことですか?」
「そうだ。逃げたかったら逃げてもいい。俺もこの町を去るだけだ」
どうせ彼女がコールカンパニーに戻れば、ユイマンも満足のはずである。ジョージが逃亡して違う街に行ったとしても、深く追ってこないはずだろう。警察もどうあれ、指名手配をするほどの罪も、帰してしまえば犯していない事になる。所詮人殺しの罪など、この町では日常茶飯事なのだ。今更やっきになる事も、まずありえない。
こう聞けば、どうせ逃げるだろうと踏んだジョージだったが、彼女は何故かその場を動かなかった。むしろ何かを考え付いた素振りし、ジョージの前までゆっくりと歩いてきた。
それはチャンスを掴んだような、満ちた表情だった。
「なんだ。何を企んでいる?」
不可解な行動に、ジョージも流石に警戒した。まさかとは思うが、抵抗する手段を見出したのだろうか。
だが、彼女は口を開いたのは、ジョージの予想をまるで掠めない、思いもよらない言葉だった。
「お願いします。私が不要なら…この場で処分してくれますか?」
彼女の言葉に、ジョージは時間が止まったように、思考が停止する。
無理もないだろう。突拍子もなく、何の脈絡もない。ジョージはただ絶句するしかなかったが、会話の主導権を取るように、言葉をひねり出す。
「な…。いや、なんだ?何が言いたい?俺を遠回しに馬鹿にしたいのか?」
「そ、そんなつもりはないです。でも…私がもう必要ないなら、あの人と同じように、私を殺してほしいんです。そうすれば…そうすればきっと、あなたは不幸な目に合わないから…」
彼女の態度は変わりすぎている。これは明らかにおかしい。つきさっきまでの辛気臭い雰囲気ではなく、覚悟に準じた思いから、切に頼み込んで来ている。そんな様子だった。
「それはできないな。…先ほども言った筈だ、俺はお前の不幸話など信じてすらいない。それに、死にたいなら勝手に死ねばいいだろ。俺が如何して、態々手を下す必要がある?」
彼女の頼みは、いうなればジョージのポリシーに反している。
それは始末する際だ。彼は仕事と必要な場合しか、銃を取り、人を殺すことはないのである。もっとも、それでも十分すぎる程だろう。この世に人を殺して良い人物など、いやしないのだ。
要するに、頼まれて殺すのは正式な依頼の時だけで、目の前で殺してほしいと頼まれ、はいそうですかと鉛玉をぶち込むほど、彼は殺しのジャンキーではないのである。むしろ自殺を手助けしてほしいのであれば、自分に頼むのではなく、勝手にビルから飛び降りでもして、死んでればいい。それがジョージの考えだった。
だが彼女は食い下がらない。深く頭を下げ、頼み込むのを止めなかった。
「お願いします!ダメなんです、それじゃ…。私は誰かの手で殺されないと、ダメなんです」
「わからないな。何がダメだ?その理由は?」
すると彼女は先ほどと同じように、押し黙る。ジョージはまたこれかと、鼻で笑ってやった。
だが、今回ばかりは違うようだ。彼女は何かに抗うようにして、絞り出すように声を発する。
「私は…人形。そう、人形だからです。人形は、自分で手を下せないので…」
「ふん、何が人形だ。理由になってすらいないな。意味深な事を言いはぐらかそうとするな。どうせ言うなら、もう少し説得力のある言葉を選ぶんだな」
心からの叫びのように思えるが、ジョージはすっぱりそれを切り伏せる。正直、もうどうでもいいのだ。彼女が何であろうと、ポリシーに反して殺す気にならないのである。
さっさと突き離したいジョージであるが、彼の態度を顧みず彼女は机に手を当て、身を乗り出した。
「でもそれが理由です!私は御父様の人形なんです!」
彼女はそう叫んだ刹那、口元を覆うように、また信じられない様な顔つきをして一歩下がる。勢い余ってしまったのだろう。彼女はしまったと言った顔をして、俯いた。
この時、ジョージは有る考えに行きついた。
それは彼女が頑なに言おうとしない、ユイマンの事だ。彼女の言う言葉のピースを組み合わせ、やがてこう結論付けた。
「つまり…だ。お前はユイマンの操り人形なんだな?ユイマンの指示に従い、ユイマンの思うように不幸をばらまく。それが、貴様が幸運の女神と言われる所以だった。違うか?」
彼女はゆっくりと頷いた。それを見たジョージは、小馬鹿にしたような態度で椅子を鳴らす。
「はん。なおさら殺す気になれないな」
「どうして…ですか?貴方はたった一人の少女も、殺せないんですか…?」
その言葉を皮切りに、ジョージは彼女に顔を近づけ、指を差す。
「俺を煽ったつもりか?残念だが、それは無意味だ。その理由や背景を知れば、自ずと答えが見えてきたんだよ。何故そんな事を言ったのかがな。つまりだ、お前は甘えているだけなんだよ」
「あ、甘えている…ですか?」
彼女はジョージの言葉を理解できないようで、困惑した表情を見せる。
「ああそうだ。お前が不幸をばらまく時限爆弾か、それ以外かはどうだっていい。お前は要するにユイマンから何かしらの拘束具を与えられ、それから逃げようとするのを諦めているんだよ。だからこそ、今ここでふと思い立った、抗いで最も簡単な手段をお前は取ろうとした。それが、他者による殺害だ。だが俺はな、そんな奴に与える死など、持ち合わせていないんだよ」
「でも、そうじゃないと…私はずっと利用されるままで…だから…」
何かにすがるような彼女に、ジョージは止めを刺すように強い言葉で言う。
「そう思うならそれまでだ。お前は一生、操り人形として生きていくしかない。これが結論だ。よかったじゃ ないか、一つ学習できたな。さあおしゃべりはこれまでだ、さっさとここから出て行け」
ジョージは彼女に解らせようとしたのだ。自分に定められた運命を。
確かに彼女にとって絶好の機会だった。ジョージを利用して、操り人形としての糸を切るチャンスのはずだ。
だが、そのチャンスは結局の所、人頼みである。達成するにはジョージの意志を動かす必要があり、だからこそ明確に断りさえすれば、彼女のチープな目論見は不意になり、此処での用はなくなる。
後の判断は彼女次第になるのだが、相手は子供だ。どうせユイマンの元に帰るしか、思いつかないだろう。子供が親を求める様に、自立心を育まなければいずれそうなるのだ。
彼女は振り返ると、とぼとぼと歩みを進めていく。やっとここから、立ち去る気になったのだろう。こうなれば後は早い所、この町から脱出する手はずを考えなければならない。
だが、そう上手くはいかないのが、この依頼の本幹だったのかもしれない。
「…なら、違う方法で抗えばいいんだ。…そうだ、そういう事…なんだ」
「…なんだと?」
彼女に対してジョージは思わず反応してしまう。彼女はジョージに視線を合した。
「あなたは言いました。…私の不幸を信じないって。私だって、自分が不幸だなんて信じたくないんです。事実は違うかもしれないけど…本当はそうじゃないって信じたいんです。だから、そう抗えばいい訳ですよね?私が不幸じゃないって証明するために、叔父様から離れるれば良いんです。あなたが私と居て、それで生き続ければ、私は不幸じゃないって証明できるので…」
彼女が展開した無茶苦茶な理論に、ジョージは頭が追い付かず呆然とした。彼女はそれでも、続けるのを止めなかった。
「それにあなたは私を報酬として、今ここに連れてきています。つまり所有物に成る訳で…ここに居いれば叔父様に抗う事になる。違いますか?」
彼女の理由はそうであるようだが、ジョージが呆気にとられたのは、彼女の理論がおかしかったからではない。むしろ理解し、後悔したからだ。
彼女がこうした抵抗する思考に成り代わったのは、紛れもない自分の所為である。突き放すつもりがその逆で、彼女を奮い立たせてしまったのだ。ただ言われることを真に受けてしまう少女だと踏んでいたばかりに、その意外性に意識が取られたのである。
「あ…その…脅かすつもりはなかったんですが…でも、真意はそう言われた気がして…」
悪意はないだろうが、その見透かされたような言葉に、ジョージは何時もの調子を取り戻す。
「ふ、ふざけた事を言うなよ?だいたいなに?守ってほしい?何を勝手に決めているんだ。それに、お前は報酬が払えるのか?俺を簡単に雇えると思わないことだな。俺は自分が納得した依頼しか受けるつもりはないんだ。つまり、断ろうと思えば断れるんだよ。いいからやめておけ。お前にはここから去る事しかできないはずだ」
再び突き放そうと試みるも、彼女の思念は揺るがなかった。
「じゃあ、報酬は…『死』を与えれば納得してくれますか?」
「死…だと?何を言い出すかと思えば…だいたい、お前に殺されるほど俺は自分の価値が安いとは思っていない」
彼女はその言葉に暗い表情に戻る。そしてこう口にした。
「いえ…報酬は私と付き合って死ぬ事なんです。…あなたは意味のある死が欲しいと仰ってましたよね?もし私の不幸が証明されるなら、あなたは死ねるはずです。それは意味のあることだと思います。もし死ぬような事になったら、操り人形のまま生きていかなければならないと納得できると思うんです。だから…」
「…お前にそれを解らせることができる。それが、意味のある死と言う訳か?」
「はい…」
ジョージは彼女の必死な説得を聞き、しばらく沈黙を貫いた。
要するに彼女は、お前が死ぬまで守ってほしい。そう口にしているのだ。図々しいにもほどがある。ジョージはすっぱり断ろうとした。
だが、いつものジョージならこれで終わるが、今回ばかりはそうではなかった。ある言葉がジョージの頭を掠める様に過ぎったのだ。
それは『シナリオ』と言う、意味深な言葉だ。
ハングドマンの話を思い返してみれば、数あるやり取りの中で一つ気がかりな事があった。それはシナリオでなければ死ねないと言った内容で、これが妙にジョージには信憑性があり、納得していた。確かにこれまで死に急ぐような真似をしてきたが、如何にも幕が引けなかったからである。
つまり、まだこのシナリオが続いているのであれば、ここで断ってしまえばこのシナリオは終わってしまうのだ。そうなれば再び人生の幕を下ろすばかりか、その機会が二度と訪れないかもしれない。
加えて少し考えてみれば、意図がまるで解らなかったこの報酬だが、シナリオ内でイベントを起こすためのカギだった考えれば、確かにつじつまが合う。彼女の依頼を受けてナイトとなり、やがて死ぬであろうこの配役は、確かに意味のある死であろう。銘打たれた報酬に恥じない内容は、ジョージの望む物に十分成りえたのである。
此処まで来てやっと彼の意図が読み解けた。彼はまだ、このシナリオを継続しろと言っているのだ。舞台から降りるのはまだ早いと、彼は電話でも遠回しに指摘していたではないか。
そうと分かれば、これは試してみる価値があるかもしれない。ジョージはついに、腑に落ちた。
「なるほど…ずいぶんとひねくれていがるもんだ」
「え?」
ジョージの独り言に、彼女は首をかしげる。
「なんでもない。…いいだろう。その取引、確かに応じてやる。これで満足か?だがな、すぐにでも俺は死んでやる。お前が操り人形だと証明してやるからな」
どこか負け惜しみのように言うジョージの言葉を聞き、彼女は何故か首を振った。
「その…、一つ良いでしょうか?」
「なんだ。まだ満足していないのか?こっちはずいぶんと妥協に妥協を重ねているが?」
「満足はしています。でも、これも一つの抗いなので…どうか了承してほしいんです」
「ふん、今更どうもこうもないな。言ってみろ」
ジョージの言葉に安堵した表情の彼女は、やがて真っ直ぐ彼を見つめた。
「ミイナ・コールはお義父さんに着けてもらった名前。だからこう呼んで欲しいんです。…マトリ。これが私の、本当の名前なので…」
彼女はそう口にした光景は、スポットライトを浴びるヒロインの様だ。月明りが彼女を照らし、何処か劇的で、演出的であった。
ジョージは「シェイクスピアもビックリな演出だな」と、皮肉を漏らしたのだった。
ユイマン・コールは私室でプロフィール書類に目を通していた。
秘書のヴェイグはミイナを送ったきり帰ってこず、仕方なく自分でやる事にした。どうせ彼女の不幸を受けたのならば、そう長くはないだろうし、こればかりは自分でやるべき仕事だと割り切ってもいたのだが。
ユイマンが悩みあぐねていた丁度その時、黒く艶を持った固定電話が鳴りを上げた。
「もしもし私だ」
電話を取り返事をしたが、なぜか言葉は返ってこなかった。
悪戯かと思ったが、この私室に通っている回線は内線だけだ。つまり社内の誰かが、悪戯をしたことになる。それは考えられなかった。
内線先を教えるライトを見ると、ユイマンは不思議に思った。たとえば営業部の内線先であるならばS1と、製品開発部の内線ならE1と決められた番号ボタンが光るはずなのだ。だが僅かにもライトが点灯している様子はなく、つまりどこかの内線からではない。
ユイマンは顔を顰めると、ぼそりと凄味のある声をだす。
「…君かね?」
しばらくすると、堪えたような笑い声が聞こえてきた。
『さすがだねぇユイマン』
その声には聞き覚えがあった。この小馬鹿にするような口ぶりは奴しかない。ハングドマンだ。
「何の用かな?君とはもう、縁を切ったはずだが」
低く威圧するようにユイマンは言う。この男なら原理はどうあれ、こうした芸当もできるだろう。
彼はそんなユイマンの威圧など意も返さず、おいおいと軽い口調で言う。
『それはないだろうユイマン?まあ、別に用と言う用はないんだ。ただ…一つ聞いておきたいことがあってね、こうして久々に電話をしてみたんだよ』
確かに彼の声を聴くのはずいぶんと久しぶりだった。だからこそユイマンは理由を聞こうとは思うも、どうせ無駄だろうと素直に答えた。
「この私に聞きたい事が?構わないが、心底驚いているよ。お前は何でも知っているんじゃないのかね?」
ハングドマンは少し唸る。
『まあ、正しくは君たちより知っていることが少し多いだけで、私はまだ何も知らない。だからこそ、知りたいし、見たいし、感じたいんだよ。私は』
何処か含みのある言い方に、ユイマンは少し気分を害した。どの口がそういうかと。
「それで、聞きたい事とは?」
『ああ、どうかね?最近』
まるで本当の友人が最近の進展を聞くような聞き方に、更にユイマンは苛立った。
「どうかね。と、言われてもね。会社は君が見ての通りだ。とても大きいものになった。それに、私には幸運もあるからね。私は現在、君の干渉を受けずらい筈だし、清々しい毎日だよ。そういえばいいかね?」
ユイマンは彼の本質を知っている故の答えだった。
ハングドマンはそれを聞くと、笑い出した。
『いやぁ、それは良かったじゃないかユイマン。ああ…そうだともその通りだとも。今の君は私も積極的に接触したいと思わないからねぇ。そう考えれば清々しくもなるさ。だから電話越しなんだ。わかるだろう?』
彼の言い分を、ユイマンはよく理解していた。自分にはアレがある限り、こうした形のない恐怖からは縁遠い物になっている。故にこうした絶頂期を、迎え続けているのだ。
少し得意げになったユイマンだったが、それを打ち砕くようにハングドマンはふざけた口ぶりで言う。
『じゃあ日常は満たされているわけだ。なら問題ないよね?君の幸運の泉を誰かに上げてしまっても』
「…どういう意味かね?」
またもや唐突な言葉に、ユイマンはその意味を探った。ハングドマンは補足する。
『君の幸運は、君の物だ。でもその源は君の物じゃないだろう?だからそれを、他人に上げてしまってもいい。そういうことさ』
彼の言いたいことは、何となく察しがついた。ヴェイグが戻らないのはそういう事なのだ。またこの男が態々動くほど、そこまでして自分を陥れたいのかと、同時に思う。
だがユイマンはそれでも、勝ち誇ったような気持ちを落とさなかった。
「別にいい。どうせね、泉は戻るんだよ。私と女神は切っても切れないのだ。運命の相手を女神に仕立て上げた私は、なかなかどうして、自分でいうのもなんだが罪な男だろう?なぁ、ハング?」
『ハハハ!これは驚いたユイマン!ジョークを言えるようになったのかい?これは傑作だ!』
ハングドマンの言葉に、ユイマンは「かわったのさ、私もね」と言い、笑い始める。ハングドマンもそれにつられるようにして、さらに声を上げて笑い始めたのだった。