シナリオは動き出す:3話
時刻は既に21時を過ぎた。
今宵は半月であり、少々薄明るい。選抜射手を任されたジョージにとっては、少々嫌な条件だった。おまけに汗がにじみ出る。鬱陶しさが、なんとも言えない。
ともかく、予定ではそろそろ公演を終えてパーティが始まっている頃だろう。会場であるセンターホテルからはそこまで時間がかからない。つまりミイナ・コールの乗る車がいよいよこの道に到着するはずだ。
「しかし…運が味方しているな、俺も奴らも」
彼らもバカではない。ここを絶対的に通ると言わざるを得なければ、アンブッシュによる作戦を敢行しないだろう。
ではなぜこの道を通る事がわかったのか。
それは、純粋に彼らがそのルートの情報を聞き出したのだ。コールカンパニーの元社員と接触していたのは、このためだったと言うわけだ。
聞き出した人物の中で、幸運な事に元運転手の男がいたらしい。なんでも優秀な運転手だったが酒癖が悪く懲戒免職を受けた曰く付きの男だったそうだ。
自業自得な部分もあるが、男はコールカンパニーを逆恨みしており、また明日の酒を獲得する為、彼らのその情報を売ったのだという。素性はどうあれ、確定的な情報だった。
余談だがこのルートは、ミイナ・コールと深く関わりが有ると言う。
ミイナ・コールはそもそも捨て子であったらしく、のち孤児院に引き取られた。そしてたまたま、金持ちの道楽か、ユイマンが目を付け引き取ったのだ。
写真でもわかる通り、幼少期から目を見張る美少女であっただろうが、それに加えまさに金の卵を拾った気分だろう。彼女が幸運の女神と言われるほど、彼に利益を与えたのは火を見るよりも明らかだった。
それでも、彼女を自惚れさせない為に拾い子である現実を忘れさせない為か、ここを通るのだろうか。
「しかしあの男…ペックとベンだったか?うまくできるといいがな」
もっとも、事実こうしなければ車を止める事が厳しいのだろう。彼らなりの出した結論を否定するつもりはないが、あまりにも単純で力技で、スマートではなかった。
その方法とは、強硬手段。事故を故意的に起こし、混乱に乗じて誘拐する算段であった。
手法もいたってシンプルだ。誰かが車を一時的に止める。たとえば車の前に飛び出すなど、そうしたスタントにも思える無謀な行動をするわけだ。
だが身を案じてか、または事故防止の為か、止まったら最後でもある。装甲を取り付けたバンで、ベンが横から激突するのだ。流石の防弾仕様の車で有っても、物理的なダメージは吸収できないだろう。
安直にも思える、ひねりのないこの作戦。だが、この作戦が立案されたのも、むしろ必然だったのかもしれない。
そもそも時間が押していたのは自分だけではなかったらしい。彼らもジョージより三日早い、一週間前にこの依頼を受けたのだ。
確かにそうであるならば、小細工をしようにも、念入りに作戦を立案し合っても、結局は間に合わず仕舞いに終わるはずだ。
むしろ幸運だった。そう思うべきなのかもしれない。もし彼らが自分を頼ってきたら、それこそ八方ふさがりだった。
「ま、どうせ何をしても、泥船に乗るしかなかった訳だ」
ぼそりとつぶやくジョージは、いよいよジェイの指定された配置についた。
まるで壁のように立ち並ぶ雑居ビル群生の非常階段がジョージの持ち場だった。
改名前はダウンタウンの一画であったこの東区。今ではすっかりさびれた雰囲気を醸し出し、テナントは移店したか廃業したかで、ぽつぽつと古臭い個人経営店が構えられているだけだ。
それ以外はシャッターが下りているか、空しく過去の看板が掛けられ放置してあるかで、いうなればシャッター通りに近い物がある。
ただその分、空き家が多数ある故に、人口過多のピースアイランドであれば、此処に移住する者もいるのではないか。そんな疑問も沸き上がるだろう。
だが空き家ばかりなのには理由がある。それは此処に居を構えようと思えるものがまるで居ないからであった。
東区は確かに高級住宅が列を成す地域でもあるが、同時に治安が悪い事も有名であるのだ。
しかしさびれた部分が有るからこそ、行き場を失った者達、俗に言うチンピラや家庭ごみを漁る浮浪者などが生息する市域になり下がのだ。
つまりこうした廃ビルなどをあえて崩さず、逆に利用することで、出入り自由な収容施設として機能していた。
もっとも、表の人間にとってはそれが害悪にも思えるし、土地利用の無駄だと言われてもいるが、今のジョージたちには関係のない話だ。現にそれが功を成し、こうした無茶でも可能性のある作戦が立てられた訳なのだ。
『お!こちらペック。目標の車を見つけた!今から目的地に向かうぞ!』
ふと無線機からペックの声が聞こえてきた。いよいよもって、この作戦が始まる。ジョージは目出し帽を着用した。
「さて…仕事だ」
SR-25のアンダーグリップを握りなおすと、ジョージはスコープに目を添えたのだった。
*
駆動するタイヤの音が微かに耳に入る。彼女は、茫然とそれを聞きながら、俯いていた。
物々しい黒ずくめに黒光りするサングラスを掛けた屈強そうな男たちが、彼女の両隣を挟む様に座っている。
豪華絢爛な応接室のように設計された車内には、彼女と黒ずくめ以外にもう一人、グレーのスーツに身を包んだ男が対面している。足を組み座っていた彼はふと、口を開いた。
「ミイナさん。今日はお疲れ様でした。正直な話、講演会は退屈でしたでしょう?此の後、私は再びユイマン様の元に戻りますが、貴方はご自宅でゆっくりお休みすると良いでしょう」
男は備えつきの冷蔵庫から酒を取り出し、グラスに注ぎ始めた。
「しかし残念だ。ミイナさんはまだお酒が飲めませんから。貴方のような方と飲めたら、どれだけ幸せか」
義父であるユイマンも愛飲しているウィスキーの香りが、ミイナの鼻を衝く。
少しだけ、彼女は顔をゆがめた。この臭いは嫌いだ。ベッドに押し倒された時、裸にさせられた時の記憶が鮮明に蘇るからだ。
身の毛がよだつ。嫌な気分になる。
一方の男は、先ほどからなにも反応しない彼女に控えめな態度で問う。
「えっと、ミイナさん。もしや私を避けていらっしゃる?」
彼女は男と目を合わせようとしない。故に、彼はそう思ったのだろう。
流石に失礼ではある。彼女は目を合わせ、おずおずと返事をした。
「いえ、その、すいませんヴェイクさん。私はいっつもこうでして…」
力のない返事に、ヴェイクは苦い笑いを見せた。
しかし、実際彼女はヴェイクがあまり好ましいと思えなかった。彼の噂は良い物ではない。今は義父ユイマンの秘書をしているのだが、近々その座を狙っているのではないかとか、若い野心を抱えているとか、そう耳にするからだ。
それは噂ではないのだろう。だからいまヴェイグとこうして帰されているのだ。彼女はふと、そう確信付いていた。
この場から逃げ出したい気分になる。嫌な気分になる。
「…そういえばミイナさん。今年で貴方は御いくつに成るのでしたっけ?」
彼女がそんな事を考えていると、ヴェイクが声をかけてきた。
「えっ…あっ…」
おそらくヴェイクは、この重い空気を打破したかったのかもしれない。現に軽い問いかけと言うよりは、探るような顔つきであった。
彼女は言うべきか迷った。自分の事を知ってしまえば、ヴェイクもそうなるのだろう。噂こそひどい男だが、今のヴェイクを見てそうは思えない。
だが沈黙を続けようとしても、背中に這いずるように駆け巡った呪縛は、彼女の口を滑らせた。
「えっと、あ…もう十四になります」
「へえ…そうか。それにしては、ずいぶんと成長なされていますね。背丈とか」
純粋に彼は褒めたつもりだったのかもしれない。しかし彼女の感覚が、身の毛のよだつ思いを駆り立てる。
恐怖心が押し寄せてくる。嫌な気分になる。
「あの…その、やめてください…。それ…その…」
彼女の言いたい事に感づいたのか、ヴェイグはハッと気が付いたような素振りを見せる。
「あ、こ、これは失礼しました。純粋にあなたをまじまじと見る機会がなかったもので」
「…いえ、その、すいません。私も過剰に反応してしまって」
それでも彼女は怯え切り、逃げ出したく、どうしようもない感情で彼を瞳に捉えた。そのガーネットのような瞳は、吸い込まれる様な感覚を抱くだろく。
「えっ…あっ…すいませんね。も、モラルにかけてました」
ヴェイグは軽く謝罪するが、それはどこか恐怖心を孕んだ瞳だった。言うなれば、不気味なものを見るかのような瞳だ。彼女はこうした表情をした人間を、何人も見てきた。決まって訪れるのは、不幸な現実だ。
まさか、やってしまったのだろうか。彼女は嫌だと、ヴェイグから目線を逸らす。
しばらくして口を開いたのは、時間に換算すれば十数分と行った所か。お互い取りつく島もない雰囲気の中、唐突に運転手の男が「なんだ?」と呟いた。
「どうしました?」
ヴェイクは耐え難い沈黙から逃げる様に身を乗り出し、フロントガラス越しから外を確認する。
外には中国系の男と、白人の男性が口論をしているようだ。それも、道路のど真ん中で。
今にも取っ組み合いに成りそうな場面だったが、運転手はそれを止めようとする様子もなく、ただ「じゃまだなぁ」と言うと、車輪の駆動を止めてクラクションを鳴らした。夜のビル街に、空しくそれが響く。
流石に耳に入ったのか、外の男たちは口論を止めてふと車に目を寄越した。
ヴェイグはそんな彼らの表情を見てぞわりと寒気が体中に走った。
二人とも一転して、にやりと口元を歪ませたのだ。
「あ…!バ、バックしろ!全力でっ!」
ヴェイクが嫌な予感を抱き叫ぶ頃には、すでに遅かった。横から勢いよく飛び出してきたバンが、彼らの乗るセダンに思い切り追突をしたのだった。
*
「始まった」
ジョージはスコープ越しから覗く惨劇を見て、そう口にした。
しかし、まあ良く此処まで綺麗に決まったものだと、ジョージは呆れた笑みが漏れた。ジェイとベンの熱演にも少々見る物もあったかと、同時に思う。
一車線ではあるが幅広い道路でもあるこの場所を、うまい具合に塞ぐように押し合ったり、動いたものだから、止まらざるを得なかったのかもしれない。良心のある運転手だったことが、今回の発端を招いたわけだ。
勢いよく追突を受けたセダンはひしゃげ、防弾ガラスは粉砕している。せっかくの特注車もこれでは何の意味もない。
ジョージはそんな感想を胸に秘めていると、役者なジェイとペックが動き出した。彼らはボンネットに上ると懐からハンマーと拳銃を取り出し、叩き始めた。
突起物の付いたハンマーは一回、二回と叩かれ、やがてガラスを破壊する。
それを狙う、一つの陰に彼らは気が付いていない。
「危ないな」
ふとつぶやき、ジョージは絞るように引き金を引いた。刹那高い音が響けば、消音機が働いた亜音速の静かな弾丸は、後部座席から出てきた男の腕を容易に打ち抜いた。男は拳銃を落とすと、かばうように腕を抑え、その場にうずくまる。
「ファック!どこからだ!」
男は怒鳴るように叫んだ。無論、それが狙いだ。
「もう、用はない」
ジョージはそれを確認すると躊躇なく引き金を引き、男の頭部を打ち抜いた。寝転がるように、男は絶命する。
これで狙撃手の存在を認識できただろう。ジョージはにやりと口元を歪ませる。
狙撃手は、ただ遠くの敵を狙うだけが仕事ではない。ワンショット、ワンキルを行うだけでもなく、その真骨頂は姿の見えない脅威となり、敵の行動を制限する事にあるのだ。
たった一人の見えない狙撃手に、軍隊の進軍が遅れる事実は、歴史を紐解いていけば明らかだろう。
無論、存在を知られることはデメリットに働く場合もあるだろう。だが今回は、制圧射撃を行うような輩もいなければ、こうした市街地戦を経験していない素人達だ。むしろ存在を知らしめて、恐怖に陥れる事をジョージは選んだのである。
制圧は完全に成功を収めた。残すところあとは殲滅と目標の彼女を連れ去るだけだ
ジョージはじっとスコープを覗き、事の一部始終を目撃する。
まずジェイだが、運転手を引きずり出すと、脳天に銃弾を放った。タンタンと、二射確殺。躊躇なく射殺したようだ。
そしてもう一人、違う男がベンにより引きずり出される。彼はグレーのスーツを着ているようで、恐怖に満ちた顔をしていた。
やがて、その男も無慈悲に射殺される。目標はあくまでもミイナ・コールである故に、殲滅による殺傷は不必要ではあるが、ジョージにとってはむしろ有り難かった。
これでスナイパーの存在が今の所、コールカンパニーの人間に知られていないのだから。
もう一人、今度は反対のドアからサングラスの男が出てきた。男は少女を連れており、こそこそと逃げようとしている。あの少女が、ミイナ・コールだろう。
ジョージは通信を飛ばした。
「ジェイ。男が後ろから這いずり出てきた。ミイナ・コールは殺すなよ」
『了解だ鷹の眼』
嬉々とした声でジェイは返答すると、それとは対照的におもむろな歩みで、間抜けにも背中を見せている男へ拳銃を向ける。
「グッバイ。てな」
ジョージが呟くや否や、無慈悲にも発砲は敢行される。
もちろん二射確殺。胴体と後頭部に、銃弾は放たれたようだ。
後に残ったのは、恐怖の表情で顔を歪ませている、ミイナ・コールだけだ。スコープ越しで念の為確認するが、ほぼ間違いないだろう。この後はジェイたちが回収をして、合流地点で落ち合う手筈に成っている。
しかしまあ、何ともあっけない物だろうか。安直でひねりのない力任せな作戦ではあったが、一度すっぽり型にはまってしまった以上、こうなる事は必然だった。小難しい作戦を立てて失敗するよりは、よほどいい結果ではある。
『三人とも流石だな。貫通したライフル弾は回収してくれ。手筈通り、後に合流する』
ジェイの了解と声が聞こえたのち、ジョージはインカムを外す。
「…さて。どうするかな」
スリングを弄りSR-25を肩に掛けると、ジョージはそう呟いた。