シナリオは動き出す:2話
『依頼内容。ミイナ・コールの誘拐に加担し、のちに彼女を連れ出すこと』
彼女を連れ出したのち、保護せよ。保護の為の犠牲は厭わない。
報酬は君が望むものを贈ろう。
四日後、ユイマン・コールと共に、彼女は講演会に出席する。ダウンタウンにあるセンターホテル。そこが会場だ。
講演後はパーティがあるのだが、彼女は出席しないようだ。ユイマンが帰らせるからだろうね。故に、パーティで一般人を装い接触するのは難しいだろう。
ではどうするか。いちから考えても良いが、少しでも安上がりに済ませたいだろう?
だからだ、実はこの依頼に別働隊として他数名も参加する事になっている。彼らは移動中の車を襲撃しようと考えているようでね。手を組むのが妥当じゃないかな?
彼らは依頼終了と同時に殺してしまって構わないだろう。あくまでも君が保護していることは、悟られないようにするのが無難だしね。
では健闘を祈っているよ――
話し言葉のように記載されていた概要の文章を一通り読み終えると、ジョージは資料の束を大雑把に投げ捨て、物申したい感情を抑え煙草を吸う。
要するに今回の依頼は、『どう足掻いても女神が誘拐される未来が変わらないならば、それが例えお前でも構わないだろう』と、そういうことなのだろう。
ジョージは資料にクリップ止めされていた写真を奪い取る様にして指に挟みこむと、瞳を動かした。
映っているのは幸運の女神だろう。しかしそれにしては、イメージとはかなりのギャップがあった。
まずその女神とは、アジア系の少女。親近感を覚えるわけではないが、どうにも肩すかしを受けた気分になる。てっきりきらびやかな装束をまとう西洋系なレディだろうと考えていたが、病弱そうな色白な肌に青黒い髪色、幸が薄そうなたれ目に、何といっても本人の纏う雰囲気が何とも辛気臭そうな、十代半ばの少女だった。
「…何が幸運の女神だ。陰気な文学少女と言った方がしっくりくるな。これは」
そうぼやきながら興味が失せたように写真を机に滑らせると、今度は書類と同じく置かれていた木箱に目を寄越した。
おそらくハングドマンが言っていた小道具とは、これのことだ。
まずは埃っぽい紙の梱包を大雑把に破りながら解いた。
すると中から出てきたのは薄汚れた木箱だった。板を張り合わせたような、簡単な物である。だが――
「これはどういう事だ?」
ただの外箱でも、驚く点があった。
箱には梱包年が印されているのだが、その年代が妙だったのだ。
記載年数が一九〇〇年代の序盤。おまけにキリル文字であった。
大戦時、ドイツ語を学ぶ機会はあったが、あいにくジョージはロシア語など学んではいなかった。
故にその意味を理解することはできなかったが、そもそもこんな物が現存した事態に驚愕した。もはや一〇年どころの騒ぎではない。
「戦火を逃れた遺物か?それにしても一〇〇年以上も前じゃないか」
一〇〇年前と言えば、世界で最初に勃発した大戦真っただ中だ。
火器をはじめとする現代兵器の基礎を作り出したこの戦争は、後に第一次世界大戦と呼ばれ、その規模はあまりにも巨大だった。
そうした戦火に加えてもう二つの大戦すら耐え抜いているとすれば、相当な遺物に違いないだろう。
箱の保存状態も別段悪くはない。むしろ美品中の美品だった。この外箱だけでもかなり値打ちが付くのではないだろうか。
箱だけでこれ程驚いたのだ。ともかくいったい何が入っているのか、現状は全く予想ができなかった。
希望的観測は、金品財宝の類だろうか。こうした厳重な箱に入っているのだから、その可能性は安直な考えだが、あり得ない話ではない。収集家や富裕層に高額で売りつけることもできれば、資金面に潤いが持てる。
ジョージはデスクからナイフを取り出すと、箱の隙間に差し込みながらてこを使って徐々に開け始める。
しばらく、木材の軋む音が響いた。
だが箱の封を開いて蓋を取れば、ある意味驚いた。
希望的な観測が莫迦らしくなるような、目を疑うようなものが入っていたのだ。
赤錆びで覆われたレシーバーに、木製のピストルグリップ。ただ拳銃と言うにはあまりにも巨大で武骨なもので、小銃と言うには小さすぎる。銃身が切り落とされた、ライフルの優位性を喪失させた物。すなわちこれは――
「ソードオフライフル…なのか?これは?」
薄い錆びがこびりついているとは言え、形状が綺麗に保たれているのが、また異質な雰囲気を醸し出している。
「…とんだ玩具だなこれは」
思わず一人でつぶやきたくなるようなほど、面白おかしい物だった。
手に取って持てば、もちろんズシリと重たさを感じた。動作確認をすれば、意外にもちゃんとした動きを見せてくれる。
もっとも、だからどうしたと言った話だ。ジョージが率直に抱いた感想は、ごみを押しつけられた。これに尽きる。
「何を加工した銃かもいまいちわからない。なんだ?タイムカプセルか?これは?」
少なくとも現代で使用されるカービンライフルでもなければ、軍用狙撃銃ではない。新品をわざわざ加工した様にも見えないし、使い込まれた傷がいくつもある。むしろ使い潰してから加工した。と、言うのが正しいだろう。
せめて何が元になったのかと、レシーバーに記載されていた名称を読み解こうとする。擦れてしまい、刻印が消えかかっているがはっきりと分かった事がある。
箱と同様、キリル文字がうっすらと見える。ボルトアクションでおまけに百年前となれば、おそらく一つしかないだろう。
帝国ロシア時代からソビエト連邦、第一次から第二次の世界大戦まで幅広く使用された名銃――
「モシン・ナガン…か?」
7.62×54Rのライフル弾を使うこのモシン・ナガンは、ロシアを代表するライフルの一つであろう。
白い死神が愛用した事でも有名なこの銃は、1891年に製造され、今なおも民間で猟銃として幅広く使われている。当時の同世代ライフルと比べて最も長いのが特徴的であるが、信頼性故にその製造数は三千万を優に越えている。
「憶測だが間違いないだろうな。正真正銘、骨董品だ」
いくら加工前が名銃であっても、やはりこれをいざ実戦で使おうとは思えない。
そもそもソードオフを施すならショットガンが望ましい。実包の中に詰まったいくつもの弾丸を放出する際、ソードオフを施すことでその拡散率を上げることができる。そうした利点があるのだ。
だが、対してライフルはそもそも遠中の距離で使用される銃なのは言うまでもない。
切り詰めれば射程と精度を格段に落としてしまうし、だからと言って連射が利くものでもない。精々使用弾薬に相まって、至近距離でのスラグ弾の様な運用ができる程度だろう。ともかくジョージにとって、使用する場面の無い物であった。
「しかしまあどうして、ますます妙だな。いったい何故こんなものを…?」
そう呟くジョージは一旦、銃の有用性とは違う、別の視点から考えてみる
そもそもゴミかどうかわからない物を、態々送ってきた意味が解らない。ならば逆転の発想として、仮にこれが必要になる状況があるとしたらと考えた。
まず物事を整理しよう。最初に、あの男はこの玩具を何と言っていたのか。
その答えは、小道具。言葉の真意はそのままで、撮影や芝居などで演出の一つとして使用する道具だと考えるのが、妥当だろう。
根拠としては、あの男は現状すでにシナリオが始まっていると言っていた。すなわちこれは、シナリオもとい脚本内における小道具と考えるのがごく自然のはずだ。
なら今度は言葉通りこの銃を小道具として考えてみた。
何よりあの男は「それを正しくどう使うか見ものだ」と、まるで道具を使うサルを観察するような口ぶりだったと記憶している。
ただ、何を想定して正しいのか、これがさっぱり解らない。撃てば良い相手でも指定されていれば、まだ正しい使い方としてわかるのだが、あいにく何もその指定を受けていない。
言葉の意味からして一つ言えることは、この脚本では必ず使いどころがある。そんな漠然とした憶測だろうか。あれこれ考えるにも、ともかく情報が少なすぎる。
ただ一つ、これがシナリオと言うならば、自分は役者として参加している訳だ。もっとも自分は傭兵であって、役者でもなければ脚本家でもないのだが。
それでも依頼を受けた――いや強制的に受けさせられた。ならばやることをは簡単だ。今まで通りの自分を演じ続ければいい。演じるというよりは、ありのままの自分を魅せるというべきか。
一つ縛りがあるとすれば、この小道具を使う必要があるのだが、関係ない。精々大根役者としてこのシナリオに参加していればいいのだ。この小道具も、自分が必要なときに使えばいい。
「まあ、何はともあれ、このシナリオで晴れて俺は意味のある幕引きができるってことだからな。そうだろ?」
依頼の遂行を覚悟したジョージは、一人むなしく独り言を口にする。
ただそれは、問いかけでもあった。
答えは返ってこずとも、ジョージは問いかけが了承されるのを確信できた。きっと、今回で晴れて幕引きを、許してくれるだろうと。
ジョージは何気なくソードオフライフルを構えると、絞るようにトリガーを引き、やがてドライファイアを行う。
それは問いかけの主に対して行ったものだ。無論、その場には誰もいないのだが。
かちりと乾いた音が、一つむなしく室内に響いた。
*
四日後の夜。作戦決行当日を迎えたが、最悪の気候を迎える事になった。
季節外れの太陽が焼き付ける様に地面を照らし、ヒートアイランド現象をまさに体現したように熱気が町に籠り切ってしまったのだ。じんわりとした不快感の覚える暑さは、汗がにじみ留まる事を知らない。
鬱陶しさを見せつけるように噴き出る汗をぬぐいながらも、ジョージは自分の幕引きが迎えられる事を信じて、ある場所に向かっていた。
この日が来るまでの間、ジョージは念入りに作戦を練った。
ミイナ・コールを保護しろと言われてもピンと来なかったが、何はともあれまず彼女と接触する必要がある。そうなれば後は簡単だ。邪魔者を排除していき、最終的に保護をする形になればいい。
どうすれば接触できるかは、結局悩んだ挙句、依頼書通りにすることとした。せっかくのチャンスがこれだけ提示されているのに、不意にする必要はないからだ。
「しかし…まさかドンピシャだったとはな」
目線の先には、一人ポールの横で立つ男の姿がある。平坦な顔つきな、中国系の人物だ。日本人も平坦の顔付きが特徴の人種だが、若干の違いからはっきり読み取れた。
顔写真を見ても、間違いは無い。ジョージは気味が悪くなった。
行動方針が定まったジョージはこの四日間、時間を足に費やしていた。
何をするにも、まずは情報を集めるところから始まる。ジャックたるもの、それが決まりであり、生きる術だった。
まずは協力者の存在を確かめる事。これが優先だった。どのような背景や人物か不明な異常、色々と洗う必要がある。信用に値するかどうか、重要なのはそこだった。
だが、何時もならばそう上手くはいかないのだが、今回は言いえて妙な事態が多発した。
まず知り合いの情報屋を当たれば、即座に繋がった。
広大なこのピースアイランドで偽類した情報が数ある中、一つのグループの存在が浮き彫りになったのだ。
情報屋曰く、中古のバンに、拳銃類を購入したそうだ。加えて東区の小道を探る様に歩いて居たり、コールカンパニーの元社員と接触したりと、襲撃の下準備としては十分すぎるだろう動きだった。
特に協力者だと確信できたのは、ハットの男――ハングドマンであろう人物と遭遇したことだった。リーダーであるジェイ・リーは彼と何かしらの契約を交わしていたことも、目撃証言を得ている。
噂程度にも、それなりに腕が立つと聞く。何を隠そう彼らは過去に従軍した経験者ばかりで、折紙付のチームのようだ。
ここまでの情報がぼろぼろと四日の間に出てきたのだから、妙に順調すぎる動きにジョージは気味の悪さを抱いた。
まるで、はなから調べればそう出て来るような、レールの敷かれたトロッコに乗せられている気分に近い。まさか本当に、シナリオ通りに進んでいるのか。そんな考えが頭を過ぎった。だが、そうした推察は行動に迷いを起こす。現時点までは運が良かったと割り切るしかない。
どうせこちらも決めあぐねる時間は、無いのだ。このチャンス、存分に生かすのが得策だろう。
ジョージはそんな思いを巡らせ、意を決すると、目に映る中国系の人物に声をかける。
「…ハングドマンを知っているな?」
中国系の男は案の定、聞こえていない様に無視をした。
舌打ちをジョージはすると、指を差しながら言う。
「とぼけるなよジェイ・リー。ハットをかぶった黒人の男と接触したことはわかっているんだ。無視をしても意味はない。ほかにも証拠はいくつもあるんだ」
流暢な英語で言うと、中国系の男はうつむくような仕草をしたかと思えば、勢いよく片手で拳銃を抜き放った。
やはり間違いない、ジェイ・リーだ。
ジョージはそう来ると読んでいた。銃口から逸れるように動き、伸ばした腕を強く掴むと、手首を捻り、銃を落とさせた。
「クソッ!離せ鬼子が!」
念のために、ジョージは銃を蹴り飛ばす。鉄が地面をする音が響いた。
「ここでやり合っても何の得にもならないぞジェイ。さあ仕事の話をしようじゃないか」
「あ?何の話だ?」
「…コールカンパニーのVIP車襲撃。その件だ。協
・
力
・
者
・
だろう?」
少々言葉を濁した言いまわしだったが、中国系の男――ジェイは睨み付けては来たが、やがて脱力する。
「ああ…そういうことか…。そうだよ。聞いているぜ、そのハングドマンからよ」
ジェイはやはり、協力者のようだ。ほかのグループメンバーは居ないようだが、リーダーの男がここにいるならば、近くで待機しているはずだろう。ジョージは彼の手首を解放した。ジェイはしかめた顔で、手首を回す。
ジョージは彼の様子を見ながら、口を開いた。
「紹介がまだだったな。エドワード・キタザキだ。乱暴をしてすまなかった。悪気はなかったが自己防衛のためだ。ま、仕切り直しをしよう、宜しくだジェイ・リー」
偽名をごく自然に使うジョージだったが、ジェイは安堵したような息を吐いて、警戒を解いた顔をした。
「まったく、脅かさないでくれ。こっちもピリピリしているんだ。素直に協力者だと言ってほしかったもんだ。何せ大物だろう、相手は」
確かに彼らがピリピリするのも当然だ。今回の標的である大本、コールカンパニーはピースアイランドで巨大になりつつある企業である。このコールカンパニーで巨大と言う事はすなわち、世界的な企業に足並みを揃えられる力を持つ表れである。
「どういった情報網が有るかわからねぇ。それにハングドマンって奴もきな臭かった。信じられるのはグループの奴らだけだ」
そうは言うもジェイは数刻の間を開け、「だが」と言葉を続ける。
「この仕事が終われば、金は保障されているな。なあ…そうだろエドワード?」
ジョージは彼の言いたいことを理解し、小さく頷く。
「ああ、そうだな。報酬が約束されている。そうだろジェイ?」
まったくだとジェイは口角を上げた。彼は握手を求めて来た故に、ジョージもそれに答えた。
彼らのような傭兵には、初対面であっても切っては切れない共通の縁がある。
それは素直で信頼できる物、金だ。
だからこそお互いは、その利害の一致を確認した。そうして初めて仲間だと認識する。
同じ稼業者でなおかつ同じ依頼人から報酬が手に入るのだから、このやり取りは現状の敵ではない事を表すのだ。
今なら自然に聞けるだろうと、ジョージは流れる様に探りを入れる。
「…ところでジェイ、前金はもらったか?奴の事だ、小道具だとか言っているだろうが」
自分以外にも役者がいるなら、こいつらも小道具を受け取っているかもしれない。そう考えたのだ。
だが、ジェイは不思議そうにしたのち、首を横に振った。
「いや?もらってないな。小道具とかも初耳だ。しかしエドワード、お前さんやけにハングドマンを詳しそうだが、ひょっとして知り合いなのか?」
「まさか。依頼に来た日が初対面だ。それ以降も会っていない。そもそも、あんな奴と友人になりたいとすら思わないが」
吐き捨てる様に言うジョージに、ジェイは失笑を見せる。同意の念を見せたのだろう。
「さて、おしゃべりはこれくらいにしようぜエドワード。手の内を教えてくれ」
ジェイの言葉に、ジョージは少し間を開けた。
「俺はプランを考えていない。何せもともと一人だ。立てられる作戦も限られてきてな、結果、お前たちのフォロー要員に成ろうと考えていた」
それを聞いたジェイは、顔を顰めた。
「なにぃ?じゃあお前は何ができる」
「これならある」
そういうと、ジョージは肩掛けバッグを縦に置き、ジッパーを下げ少しだけ隙間を開ける。ジェイはそれを見て、関心の念を見せた。
「へぇ、ずいぶんと面白いおもちゃだ」
ジョージが所持していたのは、SR-25。セミオートマチックのバトルライフルだ。
使用する口径は7.56×51NATO弾で、用途通り狙撃銃などで使用される。アフガニスタン紛争やイラク戦争などで使用された銃であり、少し古い時代の物ではあるが、今回の依頼如きでは十分すぎるほどの活躍ができるだろう。また劣悪な環境とは程遠いこうした市街地では、まさにうってつけの代物だった。
関心した素振りを見せたジェイは、やがて納得するように頷いた。
「ま、要するに腕に自信が有る訳だ。いいだろう、望み通りその役にしてやる」
「感謝するジェイ。さて、では作戦を教えてもらえるか?」
「いいだろう。仲間を呼び出す。少し待っていろ」
こうしてジョージは、ジェイたちの一味に加わる事になった。
*
熱を放出する忌々しいアスファルトを歩く、一人の女性がいた。
白銀を思わせる髪の毛を携え、彼女は黒を基調にした装束に身を包む。歩む姿はゆったりとした雰囲気であった。
彼女は赤褐色の瞳を動かし、横目で一つの方向を見る。そこには男二人が、会話をしている様子が見えた。
二人はアジア系と称するのが相応しい、平坦の顔をしている。ただ、そこに平和的な雰囲気を感じる事は出来ず、どちらもきな臭さを感じた。
それから風土に似合う洋風な顔つきの男が二名合流を果たす。彼らは少しの間、会話をしている様子だったが、区切りをつけたのか何か短い言葉を交わすと、其々離れていった。
「そう…。まあ、楽になりそうかな」
彼女はポツリとつぶやくと、路地へと入っていった。
月明かりの差し込まない、薄暗い路地に身を隠すように。