シナリオは動き出す:1話
広大な乾いた大地に、遠雷のように残響を残しながらも聞こえるのは銃声だった。
小銃や機関銃などの火器が、絶えずに発砲しているのだ。
ここは戦場だった。それも、世界の命運を握った、まさに最終決戦の真っただ中だ。
兵士の大半は、ある標的を集中して攻撃している。
それは十メートルを優に超えるであろう巨体で、軟体動物のような肌質をしており、暗緑色をさらに濃くしたような色合いをしていた。
顔面も不気味と呼ぶにも足りないほどに禍々しいもので、タコのようないくつもの触手が生えたような顔つきである。
この存在をあえて名づけるのであれば、まさに邪神と呼ぶのにふさわしいだろうか。
邪神はずいぶんと動きが鈍いが、その一歩一歩は大地を踏みしめている。この場で一番の脅威であるのに、疑う余地もないだろう・
正にこの邪神こそ、この戦争の象徴的な絶対悪であった。
「次の攻撃が来るぞ!」
何処かで、そう言葉が聞こえてきた。その刹那に、奴は巨体から成る剛腕を思い切り、地面に擦り付けるように横なぎで振り切った。
いくつもの鉄片と肉片が、宙に舞う。赤黒の液体をまき散らし、乾いた大地に惨たらしい潤いを与えていく。
「何人やられた!ハンター4、報告しろ!」
声の主であった男は罵倒の様に声を上げる。そうでもしないと、畏怖と絶望で押しつぶされるからだ。
インカム越しからハンター4と呼ばれた女性はもまた悲痛な声で、大まかな数を述べる。
『くっ…目視では二十ほど!これで総勢は約300!ハンター2どうか指示を!』
「指示もクソもない!現状維持だっ!…畜生め、増援が来たばかりでこのざまか!」
男――ハンター2は奥歯を噛み締めると、奴の足踏みを避け、小銃を発砲する。効果があるかは不明であるが、銃弾が貫通しているようには思える。
あと何発撃てばいいのか。それは海岸の砂粒を数えるような、途方もない無意味な作業にも思えてならなかった。
『ハンター2!あとどれだけ殺せばいいんですか!?』
再び無線が入ってくる。今度は奴の周りに点々と居る雑魚散らしをしていたハンター5からであった。
「そんなこと知るか!増援部隊と何としても狩り尽くせ!」
怒号を上げるように叫んだハンター2。彼は現状、総司令官のような位置づけであり、同時に彼の指示でこの最終局面が動いて居た。
階級的には、隣にいるハンター1が適切だろう。だが、彼はハンター2の指示で何とか動けるような状態でもある。
彼は邪神がその姿を見せた時、一時的にその精神が破壊されてしまったのだ。恐怖に染まり切り生気を殆ど失った絶望的が顔つきが今なお続いている。
それでも瞳の奥はまだ辛うじて、正義の心を宿している。彼はその体を、無理に動かしているようなものだった。
ハンター2はそんな彼を横目で見ると、奥歯を噛み、やがてその怒りを邪神へと向ける。
二人はこの戦争の勃発時から、常に生死を共にしたバディであった。
だからこそ、彼がこうなってしまった事に、怒りを抑えれなかった。
「…お前は狙撃に専念してくれ!」
ハンター2は彼に怒号の如く言うと、小銃を抱えながら奴に接近していく。
無意味な攻撃だと分かっていても、やるしかないのだ。いつか必ず、奴にも限界が見えてくる筈と信じて。その命を散らしきるまで戦わなければならないのだ。
負ければ人類は家畜になるだろうか。それとも食料になるだろうか。どちらにせよ、人類は滅亡してしまうだろう。
だからこそ、命を燃やし尽くさなければならないのだ。
やがて小銃の弾薬が切れることを確認すると、ハンター2はファックと叫び散らし、小銃を投げ捨てた。
接近しすぎたか、目の前には見るだけで立ちすくんでしまいそうな巨体がある。だが同時に、奴の額部には、一人の人間がそこから生えているように、上半身が伸びているのも見えた。
「くっ…!クソがっ!どうした!俺はここだぞ!」
ハンター2はそれを見るなり、恐怖を吹き飛ばすように虚勢を張る。
残す所は、この作戦のために用意された試作兵器に頼るしかない。ハンター2はどうにも気に食わなかったが、それでもその玩具を使わざるを得なかった。
それは小銃等の火器を使う飛び道具ではなかった。彼の背中に帯刀されたのは、中世ヨーロッパで使用された、クレイモアのような両手剣に巨大な鎖鋸を取り付けたようなものだった。
「邪神とガチンコで殴り合うなんざ、面白れぇじゃねぇか」
ハンター2はそういうと、IOTVに内蔵されている機動スイッチを押した。
日米合同開発の侍式強化服と呼ばれる、パワードスーツだ。
ジョイントロックを外し、鎖鋸を展開する。パワードスーツの稼働時間は、十分。早々に蹴りをつける必要があった。
肩に担ぐようにして柄を両手で握りしめる。
「人間を舐めるんじゃないぞタコ野郎が!」
深く踏み込み、ハンター2は大地を駆け出した。
人類史には必ず、一つのターニングポイントがある。
産業革命や技術革新。それらの間接的には必ずしも大きな戦争が勃発したからであった。
歴史を辿れば、度々転換点となるのが戦争の傾向であり、人々は命を燃やすことで、利便性を求める皮肉さがあるだろう。
だが来るべき第三次世界大戦は人々が血を流しあう、形式的な戦争ではなかった。
人類同士によるものではなかったからである。
宇宙からの侵略ではなく、自我を持った機械の暴走、また突如異世界の門が開いたわけでもない。それは母なる海の深淵から現れ、何の音沙汰もなく人類に宣戦布告をした。
彼らは過去に世界を震撼させた大戦時、ある国が装備していた兵器と装備を引っ提げた、半漁人達であった。
こうして人類は初めて、人外と戦う事になる。その死者数は明確にはなっておらず、不明となっていた。
ただ一つ、これは全世界分け隔てりなく大規模で、史上最も多くの人類が参加し、最も命を燃やした戦争であった。
ハンター2は叫びながら、巨大な奴に立ち向かった。強大な腕力を余すことなく使い、その巨体の足を的確に斬り付けていく。青黒く淀んだ、奴の血液が辺りにまき散らされていく。
意も返さずハンター2は、永遠とも思えるように、長い間、ひたすら、ひたすら斬り付けていく。
その間、ハンター2はまるで獣のような、戦鬼のが取り付いたように見えるだろう。
乾いた大地は、鮮血に染まっていく。
人類が明日を手に掴んだ、その時まで。
*
大戦から十年が経過した現在でも、世界各国は復興に追われていた。
インフラの破壊、人材の大量損失は、人類にとって相当な痛手であろう。兵士だけが消耗しただけならまだしも、優秀な技師や医師、その他世界を支える歯車がいくつも欠けてしまったようなものだった。
それでもいまだ人類主導で世界が回り続けるのは、やはり数千年もの歴史を持つ賜物なのだろう。
その中でめきめきと力を付けていき、世界有数として生まれ変わった都市は、数多くあった。
ピースアイランドと呼ばれるこの都市も、その一つだろう。
アメリカ大陸の中央にあるこの都市は、東京やニューヨーク、北京にロンドンなどに後れを取ってはいない。もともとの名称は違ったが、いつしかそう名前が変わっていた。
ピースアイランドは端に行くにつれ、居住区が増えていく。いわゆるベッドタウンがその周囲を取り囲んでいるのだ。人々はそこから中央のダウンタウンへと足を延ばし、行き来を繰り返している。大方の大都市は、こうした構造が成立しているものであり、それはピースアイランドも例外ではなかった。
さて、その最端より中、名付ければ南区と成る場所にとある年季の入った四階層の小ビルがあるが、これは元々この場所がピースアイランドと呼ばれる前には既に建てられた建築物であった。そこには最上階を丸々利用した、個人経営の事務所がある。
高所にある故に朝焼けがすっかり入り込むがらんとしたその事務所に、一人の日系人が入室した。
目元にクマを作った疲れ切ったような表情に、顎をなぞるようにうっすらと無精ひげが特徴的の、三十路ごろの成人男性であった。色褪せたブラウンの革製ジャケットを着こみ、さらに皺の目立つ濃いカーキ色のボトムスを履いている。
肩掛けのボストンバッグを入り口の近くに下すと、男はゆったりと歩いていき、やがて町を眺められる窓辺へと歩みを止めた。
ソフトケースのタバコから一本取り出すと、一服するなりふわりと煙草の臭いを漂わせながら、薄紅の空を眺めた。じわじわと空は色を変え、やがて一日が始まるのだと痛感させる。
「俺は今日も、生きているな」
男は眺める窓越しからぼそりと、つぶやく様に言う。
ふと、キャビネットに置いてある灰皿を使用するなり、同じく置かれた写真立てに目を寄越した。
そこにはまだ若かった頃の彼と、他に数人が肩を組み合いながら写っていた。
彼らは皆軍人であるが国の識別用ワッペンはどれも疎らで、火器も装備も統一性が無い。だが、軍服ともう一つ、握手をするように手の組み合う刺繍絵が施されたワッペンを取り付けている。このワッペンはかの大戦時に使用された、連合軍の証であった。
男は仕事を終えるたびにこうして生を実感しながら、こうした言葉をつぶやくのだ。
一人で切り盛りしている人気のないこの部屋に、それは散霧するように消えゆく。いつものことだった。
だが、今回はいつもとは違う、思いも寄らない事態が起こる。
ふと言葉が返ってきたのだ。
「死んでもらっては困るのだがねぇ。ジョージ・ニューマン」
条件反射のように男――ジョージがホルスターから拳銃を抜きさったのは、素早かった。やがて一刻もない間に銃口は、声の向きへピタリと止まる。それは迷いのない手馴れた動作だった。
「誰だ」とジョージは短くも威圧するような声色で返答をする。
声の主は、ジョージがいつも使う作業デスクの手前右、来客用の応接椅子に足を組ながらまるで自室で寛ぐように悠々と腰を掛けている。
中肉中背のまるで喪服のような黒地のスーツ姿に、ハットを深くかぶった黒人の男。全体的に黒々としており、まるで保護色を意識しているようにも思えた。
「お邪魔しているよ」
悠々と中折れ帽子を持ち上げ答えるハットの男に、ジョージは威圧した睨みを続けると、拳銃を両手で持ち直し、構えたままおもむろに男に近づいていく。
ハットの男は上げた帽子をかぶり直すと、無言の圧力に答える様に、大げさに両手を上げて見せた
「乱暴ごとは嫌いなのだがねぇ」
「ああそうかい。じゃあ眉間に一発で終わりだ。俺も弾を無駄にしたくない」
あくまでも警戒心を解かないジョージを見ると、大きくハットの男はため息を吐いた。
「はぁ…まったく君はユーモアがないねぇ。サプライズだよ。サプライズ。嫌いかね?」
「…あいにく出身の国柄的にまじめな種族でね。サプライズは時と場合にしか好まない」
だが、ジョージは今にも射出されそうだった銃口を、すんなりと下げた。
この男に敵意が無い事を察したのだ。また、後ろめたい様子を見せない事から、物取りでもない。と、なればここに用があって来たのである。
その用とは言うまでもないはずだ。
ハットの男はジョージが警戒を解いたと認識すると、意外にも流暢な日本語で口を開く。
「さてはて、君がこうした依頼を生業にしている事は承知でね。ここにいる理由も無論、依頼のつもりだ。おかしいかね?」
*
密室に不法侵入を果たした、この怪しげな男が依頼人だと如何にも思えなかったが、事実それ以外にこうした客人が訪れるのは滅多にない。
ジョージは鋭い眼光はそのままで拳銃を仕舞うと、腕組みをしながら事務デスクに体重を預ける。警戒を解いたとはいえ、椅子に座ろうとは思わなかった。
「そもそも…もしそうなら態々脅されるような真似をせずと、外で待てばいいだろう」
「そこも、ユーモアかな」
余裕そうにハットの男は笑って見せる。ジョージは男の態度が心底虫に触り、苛立った。
「チッ、もういい。それで、依頼内容はなんだ?」
淡々と話を進めようとするジョージに男はまたもや大げさな素振りを起こす。
「まってくれよ、そんなにトントンと進められてしまっては面白くないじゃないか」
「おもしろいも何も、依頼人とは基本的に仕事以上に慣れ合うつもりはない。さっさと話せ。断られたいのか?」
「いやぁ、はは。つれないなぁジョージ。やっぱり君のような人物は総じて冷たいのかねぇ?」
含みのある言い方にジョージはさらに苛立ったが、すぐに無表情に戻る。
「どうせ俺を頼って来たんだ、ロクでもない依頼のはずだ。違うか?」
ジョージはピースアイランド内の裏面において、少々名の知れた存在だった。
まず、彼は傭兵としての質が純粋に高い。無鉄砲で直線的だが、精密機械のように鋭い戦い方をする彼は、いわゆる死を恐れない男としてのレッテルが張られている。なかなかどうしてここまで生き延びているのだから、敵も多いが信頼できる人物としても、評価を受けていた。
次に、彼は仕事とは別に、私的に行動する事もある。
それは、気に食わない奴らを、ぶちのめす際だ。
彼には独自の正義感がある。私利私欲の為に、乱暴を働く者。弱者をいたぶる者。彼の住む南区を荒らす者。そうした奴らを、容赦しない。
こうしたいくつかの要因が、ジョージの名を轟かせていた。
ハットの男は口ぶりからしてそれらを認知しているようだが、口を開けばまるで喫茶店で友人と会話を楽しむような軽口じみたしゃべり方で、嬉々と喋りはじめる。
「いやぁ聞いてくれよ、私には友人がいるんだ。それもとても素晴らしい奴なんだこれが!あれほど面白い奴は類稀だと思うねぇ」
「へえ、そうかい。それはよかったな」
「おいおいれっきとした依頼の話だ。ちゃんと聞いてくれたまえ」
「ちゃんと聞いているぞ、ホモ野郎なんだったか?お前の友人は」
ジョージは如何にも小ばかにしたような、横柄な態度で聞く姿勢を見せる。
「面白くないなぁそのジョークは。ま、いい。それでね、その友人は起業家なんだ。これが大層に繁盛しているわけでね、そんな彼にこう聞いたんだよ。成功の秘訣はなんだってね?なんだとおもう?」
ジョージの反応を待つようにハットの男は目線を向ける。
「さぁ?俺はビジネスマンじゃない。そろばんを叩いたり、客の顔色を伺う毎日なんざ知りたくもない」
「そうかね。ま、それで、その秘訣だが…なんと女神がいるらしいんだ!幸運の女神が!」
「それは驚いた。よくあるホラ話じゃないか」
鼻を鳴らして小馬鹿にしたようなジョージに、ハットの男も笑って見せた。
「ハハハ!そうだろう!そうだろう!そう思うのも無理はないだろうさ!だがね…これが本当らしい。なんでもその女神は彼曰く幸運を運んでくるそうだ。おもしろいだろう?」
さも驚いただろうといわんばかりにハットの男は言うが、ジョージは興味なさげに煙草に火をつける。
「それで?その女神をどうしろって?商売敵だから殺せばいいのか?それともご利益をあやかりたいから誘拐でもすればいいのか?まあなんだっていい。出来そうなら引き受けてやる」
ジョージは淡々と思いつく内容を適当に列挙した。
見え透いていたのだ。列挙した内容が、これまで受けた下らない商売事の依頼でもある。
しかし、ハットの男は椅子にもたれかかると、両指を合わせ、足を組んだ。
「いや?殺すなんてもってのほか。直球に言えばそうだね、君に保護してほしいんだ。おそらくこのままだと、彼女は近々誘拐されるんだよ」
唐突な思いがけない内容の挙句、さもこれから起こる事を予見したような口ぶりにジョージは耳を疑う。
そんな様子にハットの男はニヤけた。
「おや?興味を持ったみたいだね」
「持っていないと言えば、嘘になるな」
「もう一度言うが君の依頼は彼女の保護。簡単だろう?」
ジョージは煙を吐いて、一感覚置いた。
どうやら依頼に嘘を言っているような顔ではない。むしろ真実を語るそれだった。
「なるほど、要するにアンタの友人に恩を売りたいのか。しかしその情報、その友人とやらに教えてやったほうがいい気もするが。無駄金なんだよ。この依頼、態々俺が出張る必要が無い。それともあれか?まさかこの依頼が、その友人に対してのサプライズか?だったら回りくどいな。お友達とふざけ合いたいなら他でやってくれ」
叱咤するように言うジョージだったが。この依頼内容に違和感を抱かざるを得なかった。
もし友人の為ならば、何よりその友人に教えるのが筋のはず。友人とふざけ合いたいにしろ、傭兵を雇うまでする必要があるのだろうか。金持ち同士の道楽に巻き込まれたくは無いのもあるが、ジョージの直観はそれらとは他のベクトルが働いているように思えた。
「頑なだね、ジョージ。ま、友人に教えてもいいのだが、彼がどうしようと、彼女が誘拐される運命は変わらない。問題はどうなるかだからね」
しかし何故だろう。彼こそ頑なに誘拐と表現する。
おかしなはなしだ。如何してそこまで言い切れるのか。彼の口ぶりからすれば誘拐こそまだ起こっていないのだろうが、いずれ起こると運命の話まで出てこれば、流石に疑問も湧きあがる。
そもそも、この男からしてただ物ではない雰囲気を感じ取ることができるし、占い師やイタコのようなうさん臭さを感じることも出ない。彼の言うことは、なぜが正しいのではないだろうかと、錯覚してしまう恐ろしさがあった。
ジョージはそれらの要因から、待てよと視点を変える。依頼の話ではなく、彼に対してだ。
するとやはりというべきか、彼には違和感がいくつもある様に思えた。何かが違うと、直観的に浮かび上がってきたように、そう感じた。
違和感とは、抱けば抱くほど浮彫になっていくものである。ものの数秒、ハットの男を注視すれば、彼の纏う雰囲気には若干の不自然さがあったのだ。
彼はぼんやりと確かに蜃気楼のようにゆがんで見えるし、凛と形をもって座っても見える。見据える男の瞳はまるで混沌を思わせるほど黒く無限大で、人知を超えた何かのように思えてならない。
気付くべきではなかったのかもしれない。認知してしまったジョージは思わず、一筋の冷や汗が出るのを感じた。
そうしたジョージの表情を読み取ったのだろう。ハットの男はわざとらしく、それでいて不気味にニヤけて見せた。
「ほう…そうかね」
彼は静かにそうつぶやき、変わらず調子よく話題を変えた。
「お、そうだ。知っているかねジョージ?この世界に、神はいないかもしれないんだ。そう、十年前以前から語られてきたバイブルの神は…ね。人は、何かにすがりたい物だろう?だから、絶対的偶像を作りたがる。それは空想神であったり、民草の誇張表現からだね。だが…この世界には神とは違う、君の運命を決める絶対者がいるのだよ」
「お前は…何を言っている?」
「とぼけなくていい。君はその末端に触れてきたはずだからね。つまりだ。このシナリオは、もう始まったんだ。わかるよね?」
末端、シナリオ、そうした言葉の羅列を聞けば、妄想だの空想だの、頭のいかれた奴と突っぱねたい気分になるだろう。
だが、ジョージは理解が追いついてしまい、体が自然と動いてしまった。信じてしまった。無理もないだろう彼はそうした類に触れてしまっていた。
いや彼だけではない、世界中がだ。ただジョージは一般と比べれば少しだけ、より深く触れてしまっている。
居ても立ってもいられないジョージは、またも拳銃を抜き去り、男へ銃口を向ける。
「お前は…何だ?いや、正直お前がどういったものなのかは理解できるかもしれない。だがな、お前は知らない…いや、今知ってしまったと、そういった方が正しいんだろう?だからあえて聞かせてもらう。お前は…お前は一体なんだっ!?」
静寂はさらに引き締まり、息も詰まるような張り詰めた空気があたりを覆った。ジョージは今にも引き金を引きそうで、ハットの男を完全に敵視している。
だが、男も銃口を見ると、一つ息を吐いた。
「嫌いなんだよ…その玩具は。人は、勘違いをしてしまうからね」
そう言うとハットの男はぼそりと何かをつぶやく。ジョージの意識は何事かと聞き取るべく耳に行ったが、まったくと言っていい歩、理解の追いつかない言葉だった。
そもそも、人間が発するような言葉ですらなかったのだが。
刹那、拳銃はジョージの手元から忽然と姿を消し、力んでいた手は力の行き場を失い空をつかむ。それは寝たきりの赤子が作り出す不器用な握りこぶしだった。
「くそっ…!」
下手な動きをすれば殺られると判断したジョージは反射的に地を蹴って距離を取っていた。床板が鳴くように軋む。
ハットの男はジョージの慌てふためく様に、にんまりとした分厚い唇をさらににやけさせた。
「ふふ、お前は何だ…か。いやぁ何だろう?神なのかもしれないし、人なのかもしれない。それとも、フェアリーテイルかな」
そういって、ハットの男は立ち上がる。ジョージの警戒にも意も返さず、帽子を深くかぶりなおして革製の手袋を外し始める。
「ああ、間違っても立ち向かおうと思わないことだ。君では私は倒せない。勇気と無謀は違うからね。あとね、私は痛いのが嫌いなんだよ。それは君も同じじゃないかな?人間だれしもそうだからね」
ハットの男は革製の手袋を丁寧に折りたたんでポケットに入れると、話続けた。
「ま、ともかく、依頼は伝えたよ。ああ、依頼内容がよくわからないなんて話はなしだ。詳しい内容はデスクに資料を置いたからね。よく読んでくれたまえ。それともう一つ小道具も置いておいた。私には忌々しい物でもあったが、面白そうだから託してみるよ。ま、君がそれを正しくどう使うかはまた別の話だがね」
ハットの男は最後に、ジョージに手のひらを向ける。一見意味のない動作に見えるが、ジョージにはそれがはっきりと異常だということを感づかせた。
黒人は肌の色は黒くとも、その手のひらは意外にも色が薄い。曰く手のひらは身体的特徴が現れにくく、大概の人間はこうであると言う。理由としてメラニンが少ない故、また手のひらが発達した故など様々の説があるのだが、ともかくそうした生物学的法則がある。
だが、この男は――
「これで、逃げようとも思わないだろう?これは私が君にかける保険だ。意味、分かるよね?」
明らかに黒々とした色だった。注視しなければ気が付かない点だが、すなわちそれは人ではないという証である。
これではっきりした。この男は――
「ああ、そういえば名乗っていなかったね、私はハングドマン。いいかね?君はプレイヤー。つまり…逃げられないのさ、この盤上からね。それに君はシナリオでなければ死ねない――いや、死ぬことが許されないからねぇ。まあ今まで…酷だったねぇ、君は無駄な努力をしてきた訳なのだから。では、君に幸運を…」
こうしてハットの男は不敵な笑みを見せると同時に、まるで元々そこからいなかったかのように、空気が歪んだと同時に姿を喪失させたのだった。