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脱出計画の頓挫

ここらあたりから時系列がだんだんおかしくなります。

あまり気になさらず、昭和の光景をお楽しみください。

考えてみると、車が好きなのは弟だけじゃなく、わたし自身も乗り物が好きだ。

弟は車いじりが好きだが、わたしは移動手段としての車が好きだ。自力で動かせる乗り物なら何でも好きだ。


当時家にあった乗り物といえば、父のカブが一台。

軽トラが二台(父と母の仕事用)。

ちょっとした外出用にスバル360。

それと耕運機が一台あった。


わたしは耕運機から始めることにした。

離れたところにある田んぼに行く時など母や弟と一緒に荷台に乗って父の運転を観察していたから、おおよその理屈は理解していた。

要はスターターのワイヤーを引くタイミングと、走り出しのバランス能力だ。

シートに腰かけるとハンドル操作が難しくなるので、わたしは立ったまま運転した。


わたしが耕運機で庭を走り回ると、弟がキャーキャー言いながら後を追いかけて来た。

今にして思えば背筋も凍る光景である。わたしが親だったら、絶対にそんな真似は許さなかっただろうが、この遊びで叱られた憶えはない。

母の怒りのスイッチが伯母と祖母の絡みにのみ絞られていたからなのだろう。


まあ、それはともかく。

乗り物を使いこなすのは、わたしの計画に欠かせない要素だった。

その話をしようと思う。


その頃、薪割りがマイブームだった。

家を改築する以前のことで、風呂場は手水場の隣にあった。

棟続きで薪小屋兼道具小屋があり、そこから台座になる大きな切り株を庭に引きずり出して丸太を立てる。斧を振り下ろして四等分したら、左手で支えながら鉈でさらに割る。燃えやすく微調整のきくサイズだ。

わたしは自分の仕事ぶりに満足していた。仕上がった薪を、きっちり面を揃えて棚に積み上げるのは気分が良い。


その日の夕方、宿題をしながら夕飯を待っていると、お勝手で女たちの諍いが勃発した。

耳障りだったので、いつものように庭に出て薪割りをすることにした。

薪を割っているうちに父が風呂に入った。


すでに暗くなっていたが、母屋と風呂場の明かりがあったから、そのまま薪を割り棚に並べる作業を続けた。


女たちの言い争いは延々と続き、食堂に場を移してさらに激しくなった。

弟はテレビにへばりついてアニメを観ていた。

父は風呂につかりながらのんびり鼻歌を歌っていた。


わたしはだんだん腹が立って来た。


「いい加減にして!」

わたしは叫んで、斧を家に向かって投げつけた。

斧は縁側に当たり、物騒な音を立てた。

そのまま家を出た。


広い通りに下りて道を渡り、海へ向かう坂道を下りた。

坂は徐々になだらかになり、完全に平らになった辺りには大きな材木工場がある。通りの右側が製材所、左の地所が材木置き場になっている。

聳えるような建物と、ダンプカーやリフトが月明かりの下で沈黙していた。


木屑の散らばる敷地に、直径が1メーター近くある原木が無数に積み重なって幾つかの山が出来ている。わたしは中でも一番高い山によじ登り、てっぺんに腰を下ろした。


衝動的に家出をしたが、この先どこへ行けば良いのだろう。

くよくよ考えながらお月様を見上げていると、製材所の向こうの小屋に明かりがついて、エレキギターやドラムスの音が聴こえて来た。


わたしはその人たちを知っていた。夏休みの盆踊り会場でステージに上がって、その頃流行っていた『グループサウンズ』とかの曲を披露した高校生たちだ。


あの頃、材木屋さんとか家具屋さんと言えば、お金持ちのお宅と相場が決まっていた。

そういうおうちの息子たちが、親に練習用の小屋を建てて貰って、楽器その他の機材を買って貰ったのだ。


いいなぁ・・・。

わたしは思った。今からあの小屋を訪ねて、お兄さんたちの内の誰かの家に連れて行って貰えないかしら。恵まれたおうちで誰かの妹にして貰えないか。わたしの家みたいな馬鹿らしい騒ぎとはオサラバして、静かな生活を送るわけには行かないだろうか。

わたしは丸太の上で空想に耽った。


長いことそうしていたが、小屋には行かなかった。

あのお兄さんたちは自分たちの幸せしか眼中になく、わたしのような子供が頼れるような存在ではない。それくらい予想はついていたからだ。


仕方なく山を下り、わたしは家に帰った。


呆れたことに、家ではまだ女たちのわめき合いが続いていた。

父はビールを飲みながらナイターを観ていた。楽しそうに笑っていた。

弟はあの騒ぎの中で晩御飯を食べて寝てしまったのだろうか。


往復の時間を合わせて2時間弱、小学校低学年の子供が夜の9時近くまで外をほっつき歩いていた事実に、誰一人気付かなかったと言うわけだ。


わたしは、庭に散らばった薪や斧を片付けながら考えた。

こんな家は、早く出た方が良い。

この人たちが居なくならないとしたら、こっちが出て行くまでだ。


だが、そうは言っても、歩きやバスでは限界がある。

持って行きたい荷物もある。とりあえず季節ごとの着替えは必要だろう。あとは教科書と文房具。数冊の絵本。それと貝殻とガラスの詰まった宝箱。数え合わせると結構な荷物だ。


スバル360を使うしかない。


親の留守を見計らって、車とお金を盗もう。

そして出来るだけ遠くへ逃げるのだ。どこかに大きな牧場を見つけて雇ってもらおう。牛舎の仕事なら良く分かっているし、雑用係や子守りでも構わない。


姿をくらます前に、弟には計画を打ち明けようか。一緒に行きたいと言えば連れて行っても良いが、途中で駄々をこねるようだったら適当な孤児院を見つけて、預けてしまおう。

それだって、こんな家に置き去りにするよりずっとマシだ。

「タイガーマスクが来るかも知れないよ」と言ってやれば納得するだろう。


長い旅になる筈だし、どう考えても一人きりの方が気楽だった。


計画を実行に移すためには、何よりもまず、もう少し背が伸びなければならなかった。

立ったままでクラッチとブレーキを踏むのは無理だ。


そんなわけで、わたしは牛舎に置いてある電動シュレッダーのスイッチを入れ、牧草なんかをガンガン刻んで牛に与え(子供は真似しない方が良い)、搾りたての牛乳をせっせと飲んだ。



だが、残念なことに、わたしの身長はなかなか伸びなかった。

中学校入学直後の身体測定の時点で、身長142㎝、体重は26kgだった。


その後の3年間でめでたくも身長は160㎝程に伸び、体重も倍近くになったが、当初の計画を推し進めるにはあまりに現実主義者となってしまった。

だいたい、盗みを働いた挙句に無免許運転で捕まりでもしたら家裁かなんかに送られるのがオチだ。必要以上に自由を奪われ、はいおしまいなんて、笑えない。


それもそうだし、中学時代の男性教師から世の中には子供にちょっかいを出そうとする変態野郎がいくらでもいるのだという実情を、身をもって教えられた。


ついでに言っておくと、当時柔道部の顧問で学年主任だったゴリラが、一時的な感情に任せて小柄な特殊学級の生徒に殴る蹴るの暴行を加えている現場にも遭遇した。知性も情緒もサル以下の教師が、なぜ他の生徒たちやその父兄から信望を得ているのか? まったくもって世の中謎だらけであった。


それはさておき。

わたしは現実に則して考えを変えた。

18歳になれば車の免許くらい堂々と取れるのだから、そうしたら遠方の会社(職種は問わない)に就職して、この家から出て行こう。




中学時代のわたしは新聞部に入っていた。時に記事のテーマをめぐって仲間たちと喧嘩すれすれの議論をし、その同じメンバーと隣町の灯台までサイクリングを楽しんだ。

学校に来た業者から天体望遠鏡を買うと、夜を待って皆が自転車でやって来て、代わるがわる星を眺めた。

土星が近づく頃になると仲間内の男子が「もっと高性能の望遠鏡を買ったぞ」と宣言し、またもやわたしたちは夜の道を自転車で走った。



家族が何を騒いでいようと、一歩外に出れば友達がいるし、未熟ながら自分だけの世界観も形成されつつあった。

要するに、わたしはそれなりに楽しくやっていて、弟との間には距離が出来た。

弟は弟でいろんな友達がいたから、殆ど一緒には遊ばなくなった。

わたしたちはそれぞれの道を歩き始めていた。


わたしは机に座っているのが好きではなかった。あまり勉強せずに牛と遊んで過ごせる高校へ進みたいと(内心では)希望していたのだが、中途半端な成績が災いして、なぜかお嬢さん学校にやらされた。

結局、賑やかな友人たちとはそこで別れ別れになった。



残りの三年間は、ひたすらぼんやりして過ごした。

一時的な友人も何人かいたけれど、正直な気持ちや感情を表現するのが以前にも増して苦手になった。

自分でも一体何を考えているのか分からなくなるほどだった。


もしかしたら、他人の気持ちを察する能力にも欠けたかも知れない。

後悔したこともあるが、その時はその時、そうするしかなかったのだ。

今はそう思っている。



あれから長い月日を過ぎて、いろんな車を運転した。殆どが大衆車だ。自分の車歴でたしか7台あるし、友人の車や勤め先の営業車、ボーイフレンドのRVなんかもあった。

スバル360はとうとう運転することなく、いつの間にかカローラに替わった。


今、あの小型車があれば運転したい。

そろそろ高齢者に近づく友人をドライブに誘ったら、きっと喜ぶだろう。


ちょっと惜しかったなぁ・・・。


なかなか自分が死んだ日に辿り着きませんが、もう少しお付き合いください。


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