HBインシデント
弟は動物園や三越にまでは同行しなかった。
それは伯母の体力と経済力が下降線をたどり始めたためなのか、家長になるわけでもない者に恩を売るのは無駄と判断したのか、よく分からない。
もしくはただ単に、男の子供というのが伯母の想像していたほどには面白くなかった。リカちゃんファミリーを買い足してやって喜ぶわけでもない男児に対して別のイベントを思いつくには、リサーチ力も想像力も欠けていた。その程度の理由だったのだろう。
ウルトラマンや怪獣のソフビ人形が流行るのは、もっと後のことだ。
それでも小さい弟は可愛くて、大抵わたしか伯母にくっついて来た。祖母のことはあまり好きではないように見えた。
「A君はお母ちゃんに頭を叩かれてばかりいるから、馬鹿になったね」
ある日、弟とわたしがままごと遊びをしていると、伯母が言った。
せせら笑うような口調だった。
なぜなのかは、子供でも分かった。
わたしが小学校で逆上がりや跳び箱、何を言っているのかさっぱり分からない教諭に悩まされている間に、弟に対する母の暴力はエスカレートしていた。
弟は鼻の奥に何か余計なものがあって、そのせいでグズグズ音を立てた。
母はそれがうるさいと言って、か細い弟を階段から蹴り落とした。
わたしは固まったまま、無言でその光景を見た。
大人になってから、あの時わたしが庇うべきだったと後悔し、やるせない気持ちになったものだが、当時は恐怖が先立った。距離を置いて他のことに気持ちを集中させようと努めさえした。
正直なところ、恐ろしい目にあったのが自分でなくてほっとしたという思いもあった。子供が二人に増えた結果、母が八つ当たりをする対象が分散されたので少しばかり救われたのだ。
一応言い添えておくと、父は仕事の後の酒とプロ野球のナイター中継、あとはボクシングとプロレスのテレビ放映だけを楽しみにして、他のことは一切気にせず生きていた。
やがてわたしたち姉弟の成長に伴い、暴力の頻度は落ちて行った。
けれど言葉の暴力は、かえって過激さを増したように記憶している。
母は口を横いっぱいに広げて歯噛みする。間違ったリードを使い、『イ』の形のまま怒鳴った。どの言葉にも「いまいましい奴らめ!」が付け加えられた。
この状況を誰かに相談したい。わたしはそう思った。だが、誰に言えば良いというのだろう。そして、どんな大人に訴えたとしても、結局はあのピンクの傘と同じように、この家に送り届けられるのではないか。大人の罠は、子供の思惑などはるかに飛び越えるものだ。
出口など見つかりはしない。
大人の手を借りなければ生きていけない子供にとって、選択肢はあまりに少ない。
ただただ、頭の上を飛び交う金切り声が、些細な事柄を発端にいきなり始まる折檻が、永遠に消え去ってくれれば良い。それだけが望みだった。
弟の胸には鉛の弾が残っている。
大げさな表現だが、似たようなものだ。
わたしが家を出てから数年後の夏。忘れがたいその日、たまたま弟と休みが合ったので二人して海水浴に行こうということになった。弟の同級生が店番をしている海の家で時間制限無視の波乗りマットを借り、沖のブイ近くまで運んでプカプカ浮いた。
その時初めて、弟の胸の中央に変な色のホクロが一つあるのに気付いた。
「あれ? A君、そんなところにホクロがあったっけ?」
「あ~、これね~・・・小学生の時、お母ちゃんに鉛筆で突き刺された跡だな」
「うは、じかに?」
わたしは鬼畜にしかなせないような光景を思い浮かべた。
服は着てたよ、と弟は言った。鉛筆は折れ、シャツやアンダーウエアには小さな穴が開いたけれど、洗濯すると目立たなくなった。皮膚に刺さった芯を取ろうと自分なりにやってみたが無理だったので放っておいた。友達の噂でもするような口調で、そういうようなことを言った。
「HB鉛筆だったよ」
「へ~・・・HBって、意外と硬いんだね~」
わたしたちはそれ以上、そのことについて話さなかった。現在に至るまで、ただの一度も、自分たちを貶め支配しようとした大人たちについて語り合ったことはない。
店の営業に損害を与えない程度に時間オーバーして波乗りマットを返却すると、わたしたちは缶ビールを何本か買って古いほうの堤防へ渡った。
波に洗われて小さく丸まった堤防に腰かけて、ビールを飲んでタバコを吸った。
子供の頃、ここに腰かけて透明な水に足を浸すと、海底の白い砂がはっきり見えた。海藻やイソギンチャクが揺れていて、たまにハタタテダイかなんかの群れが通り過ぎた。
弟にそのことを言うと、フジツボで足を擦りむいたのは憶えていると答えた。
「新しい海パンにタールが付いて困ったことがあるよ。俺、それがオイルショックなんだと思っていた時期がある」
そういえば、ベンジンと脱脂綿が夏の必需品だった年があった。
わたしたちがつまらない子供時代を送っていたせいで、海は華やかさを失ってしまったのだろうか。水は青いだけで何もない、ありきたりな単なる海に姿を変えてしまった。
その頃、弟はわたしのだった部屋を使っていた。久しぶりに立ち寄ると、壁にはタイヤメーカーの大きなポスターが貼ってあった。『どこまでも行こう』というCMソングが有名な会社で、のどかなイラストが印象的だった。
「わ~、良いじゃん!」と言うと、嬉しそうに笑って、車屋さんで貰ったと言った。
弟は穏やかな大人になった。 意外に友達が多く、年上の人からも結構好かれるタイプだ。
そして今でも車が好きだ。