憧れと畏怖
今日も、いつもと変わりない町だ。気だるげに通りを眺めてる俺に声をかけてくる女。その横から顔見知りの男が、軽く手を上げ俺を呼ぶ。
女の視線を無視するように男は、俺の腰に腕を回し歩き出す。仲の良い友達のようにさりげなく俺に話しかけながら。
いつもと変わりない日だと思っていたのに違っていた。
誰からの情報なのか、行きつけのホテルの前で俺は、第三者である手に腕を不意に掴かまれていた。
勢いよく掴まられた手に引かれて振り向くとそこには朔也さんがいた。
鋭く厳しい視線に囚われた俺は、逃げ出す事も考えられず、男と話す朔也さんを茫然と眺め立ち尽くしていた。
男と別れた俺は、町を補導された子供のように朔也さんに引きずられ、大通りでタクシーに乗せられ何処かに向かっていた。
何処に向かっているのか、朔也さんからの言葉は何もない。
いつもは優しい朔也さんの厳しい視線や態度に無意識に怯えに似た感情が芽生える。
逃げ場のない状況、腕を組み、目を閉じているだけの朔也さんなのに、この威圧感はなんだろう。
沈黙に耐えられないでいる俺は、窓の向こうを通り過ぎていく灯り眺めるふりをし、窓に映る朔也さんを感情の伴わない無表情を装い不安や戸惑いを隠し眺める。
かなり走ったと思う。タクシーから降りて、俺はまた腕を取られ、ネオン街を歩いていた。
「朔也さん、腕を放してください。もう、逃げたりしないですから」
朔也さんは、そんな俺に一瞥をくれただけで、何も言わず腕を取ったまま歩いていく。
何の答えも返ってこない。幼馴染の優しい兄役の朔也さんではない、俺の知らない逆らえない従うしかないのだと思わせる大人の迫力みたいな物を感じる。
どれぐらい歩いただろうか、朔也さんは、細い路地を曲がった先、アンティークな店のドアを開け、俺を先に入るように促し、自分もその後に続いて入ってきた。
その店は、小さなステージ、カウンター、テーブル席とちょっと変わった感じの店だった。
「朔也、どうした?そのガキはなんだ?」
不意にかけられた低く渋い男の声の方に俺は顔を向け、その声の主を捕らえる。
俺の目に映ったのは、朔也さんより、少し年上だろう。朔也さんの様な穏やかな感じではなく、どちらかというとワイルドな癖のある感じの男だった。
「木島さん、すみませんがお話があるのですが、時間あります?」
「その坊やのことか?」
朔也さんは、そんな物言いの木島という男に微笑みながら
「相変わらず口が悪いですね。」
「ふん!余計なお世話だ!その坊やはなんだ?」
「幼馴染の弘樹くん、龍也と同じ歳ですが、木島さんところで働かせてもらえないでしょうか?」
働き先を探していた時に見せた大人たちと同じ俺を値踏みする視線を向けてきたから、俺もその男をただ同じように値踏みするように眺め返した。
だが、他の大人たちとは違う久しく感じた事がなかった見下ろされる威圧感を感じていた。
背が高い低いの問題じゃない、修羅場を潜り抜け得た知識とか色々の事で裏付けされた自信を伴ったものだろうと思う。
「働くつもりなら、一人の大人として扱うし、甘えは許さない。朔也、それでも良いか?」
「木島さんにお任せします。でも、守るべき一線は守ってくださいね。大事な弟の一人なので。」
気圧された俺はいつの間にか俯き、床の模様を眺めていて男が近づいてきたのに気づかなかった。
何の抵抗もなく顎に手を沿え顔を上げさせられ至近距離で眺める男の自信に満ちた瞳から目を逸らす事も出来ず、男の瞳に映る自分を不思議な想いで眺めていた。
「明日から来るか?」
顎に添えられた指で俺の唇をなぞる仕草や紡がれる色気を含んだ落ち着いた心地よい声に霧が晴れる様に意識を取り戻したが、僅かな揶揄いを含んだ言葉に今さっきまで抱いていた想いはシャボン玉がパチンと割れ消えていく。
しかし、この後に湧き出た悔しい感情が溢れて漏れそうになるのを抑え、貼り付けた笑顔で顎にかけられた手を払いのけ、強気の態度をとってやる。
「何時に来ればいいですか?」
俺の言葉にほんの少し目を見開いたが、何故か嬉しそうに揶揄いの言葉を続ける。
「なかなか、冷めたお子様だ。働かせてもらうのに、お願いしますの言葉もないのか?ん?」
俺は、その言葉にホンの少し目をすがめ、
「朔也さんの顔を立てて、貴方の態度には目を瞑りますし、ここで働かせて貰えるのは助かります。だから、働かせて頂けるのであれば、精一杯働きます。宜しくお願いします。」
皮肉を少しばかり織り混ぜ、腰を折って頭を下げる。
「龍也よりも仕込み甲斐がありそうだな。まあ、いいだろう。明日、17時に店に来い。それと、学校から直接はこないようにしてくれ。一度、家に帰って着がえてから来る様に。絶対、制服では来るなよ!いいな!」
「はい。わかりました。」
ずっと、俺達のことを側で見守っていた朔也さんは、意外そうに木島という男を眺め、薄っすらと微笑みを浮かべたまま視線攻撃をしあう俺たちの意識を自分に向けさせる様に言葉を挟んできた。
「じゃ、僕はこの辺で。まだ、仕事の途中なんでね。弘樹君、君はもう少しここで仕事の事を習うと良いよ。木島さん、いいですよね?それと、ちょっと木島さん、お話が。」
「わかった。」
店の入り口に二人で歩いていき、何やら内緒話をした後、朔也さんは帰って行った。
一人残された俺は、店の雰囲気をぼんやりと眺めていた。
「どうする?」
話の終わった男がいつの間にか側に来ていて話しかけてきた。
「予め習う事はありますか?」
「最初はカウンターの中でアシスタントをするだけで良いだろう。開店前の掃除とかは、明日来ている者から習え。」
「では、今日しないといけない事がないのならこれで帰ります。」
「本当に帰るのか?朔也に邪魔された相手か、それとも新たな相手が待っていたりするのか?」
「何故?ああ・・・朔也さんから聞いたって事ですか。今日は大人しく帰路に着きます。でも、俺が時間外で何をしようと貴方には関係ないことだと思うのですが。」
「まあな、お前がこの後、男とホテルに行こうが関係ないっちゃ~関係ないことだな。だがな、知らない男を誘うのは辞めろ。いつか、痛い目に遭うぞ。」
「それって、病気とか?」
「それもあるだろうが、たちの悪いお遊びを好むやつ等もいるってことだ。」
「大丈夫ですよ。これでも、俺は空手の有段者です。大人相手でも負けません。」
「見た目でもわかる、かなり強そうではあるが、大人は言葉巧みに騙すんだよ。薬を仕込ませ飲ませるなんて子供相手だと容易い。」
「ご忠告ありがとうございます。言われなくても、醜い大人にはもう散々な目に遭ってますので、ご心配なく。これでも小心者なので用心深いほうです。今日の相手も常連さんですよ。」
「常連さんとは、中々顔が広いみたいだな。それでも、警戒は忘れるなよ。出来れば、辞めてくれるのが、朔也の望みみたいだがな。俺は、そこまでは口を出すつもりはないがな。今のところは。」
「今のところですか、わかりました。今日は、直帰します。朔也さんには、その様に連絡しておいてください。」
「了解、明日は遅れずに来いよ、弘樹。」
俺は、呼び捨てにされた声に体が僅かに反応してしまい、そんな自分が恥ずかしく、そんな赤みの増した顔を男には見られたくも、勘付かれたくもなく軽く頭を下げ足早に店を後にした。
常連の誰かに連絡してもいい時間だったが、今はそんな事は全く考えられず、名前を呼んだ木島の声が頭の中で何度も繰り返され、現実の男からだけでも逃げたくて、ネオン街を走り出していた。