「腹黒経営者を粛清する」
「異世界転移で日本社会をよくします」の第2部目がアップされたのは,小野が殺害された翌々日である2017年12月7日の21時32分であった。
投稿者は「世直し転移者」。
内容は以下のとおりである。
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第2部目「腹黒経営者を粛清する」
2017年12月7日の夜遅く,六本木の高層ビルの最上階にある個室の料亭で,この国を支えていると自負している大企業の社長が集まる会議が開かれていた。
日本最大の圧力団体である営団連の臨時会議である。
緊急で会議が開かれなければならなかったのは,営団連の代表である伊坂美樹也が代表取締役を務める某大手製造メーカーで,不祥事が発覚したからである。
不祥事の内容は,下請けによる品質検査において,基準を満たす検査が行われていなかったというものだ。
「今回の件では,皆様にご心配をお掛けして申し訳ないね」
言葉とは裏腹に伊坂はにやけ顏だった。
伊坂が酒を煽ると,待ってました,とばかりに,隣に座っていた別の製造メーカーの重役がおちょこに酒を注いだ。
「社長,気にしないでください。どこでもやってますから」
「まあな,ただ,バレたのはマズかった」
「誰がリークしたんですか?」
「通信社の記者だよ。可愛がってたつもりだったんだが,可愛がりが足りなかったのかもな。単にあいつが無能で,出世をとうに諦めてた,という可能性もあるが」
個室が下卑た笑いで包まれた。
「それは不運だったな」
伊坂の正面に座ったさらに別の製造メーカーの社長が,刺身を箸で突きながら言った。
「まあな。確かに不運だ。ただ,ピンチをチャンスに変えろ,というのがうちの先代の教えでね」
「さすが社長,奇策があるんですか」
「おどけてもらっては困るな。君ら全員,今日ここに呼ばれた理由は分かってるんだろ」
伊坂は出席者全員の顔色を窺う。
にやける者,無表情な者,料理に夢中な者。少なくとも,伊坂の発言に唖然とした表情を見せる者は一人もいない。
「仕方ないから,弊社では値上げを行おうと思う。真面目に検査をやるためにはコストがかかるから値上げが必要だ,といえば誰も文句は言えないだろ」
先ほど伊坂に酒を注いだ重役が,パチンと手を叩く。
「それは素晴らしいアイデアですね。もちろん,値上げした分のお金は品質検査をする下請け企業に還元されるんですよね?」
「最初の数年だけな」
個室は再び汚い笑い声で包まれた。
「ただ,心配なのは,弊社には優秀なライバル企業がたくさんいるということだ。値上げをしたら,弊社は競争に敗れてしまうだろうな…」
「社長,我々ももちろん値上げに追従しますよ。大手製造メーカーが一斉に値上げをしたら,国民も目が覚めるでしょう」
「内部留保を吐き出せと声高に叫んでる奴らも,大企業は目の敵にするのではなく,大事にしなきゃいけないんだ,ということに気付くでしょうね」
個室の笑い声は止むことがない。
日本の経済を動かしているのは,アダム・スミスが発見した「見えざる手」ではなく,国民からは見えざる悪魔たちの酒宴なのである。
運転手にチケットを渡し,タクシーから降りた伊坂は千鳥足だった。とはいえ,タクシーは伊坂の家の前で停車したため,前後不覚であっても帰宅には支障がないはずだった。
伊坂が何者かに突然腕を掴まれたのは,まさに伊坂が自宅の石門をくぐろうとしたところだった。
「ら…誰ら!?」
呂律が回らないながらも声を出した伊坂が振り返ると,そこにはローブを羽織った見知らぬ男がいた。
伊坂はその男に威嚇をするように目を剥いた。
「僕はしがない異世界転移者です。日本社会をよくしにきました」
「日本社会をよくしにきたらって? ふ…ふざけるな! 日本を背負ってるのは俺ら経営者なんらよ!?」
「背負っている? 腐らせている,の間違いではないですか?」
再び,「ふざけるな」と叫ぼうとした伊坂だったが,なぜか声が出なかった。
「怪訝そうな顔をしていますね。魔法で声を封じさせてもらいました。閑静な住宅街であまり騒がしくするのはよくないですからね。さらに動きも封じさせてもらいます」
ローブ姿の男が話し終わるやいなや,伊坂の身体は言うことを聞かなくなった。
「よく肥えたお腹ですね。毎晩さぞかし美味しいものばかり食べてるんでしょう。こんなに脂肪が多いと,ちゃんと心臓にまで剣が刺さるか不安ですね。少し刃体を長めにしましょうか」
ローブ姿の男は,伊坂の腕から手を離すと,その手を夜空に向けた。
すると,まるで星屑が落ちるようにキラキラと輝く物が手の中に集まり,やがて細長い剣を構成した。
「恨まないでくださいね。世直しのためですから」
ローブの男は剣を伊坂の胸に突き刺し,引き抜いた。
おびただしい量の出血とともに,伊坂の巨体がアスファルトに倒れる。
「なかなかよい表情をしていますね。まるであなたの欲望によって苦しめられてきた人々のような表情だ」
ローブ姿の男は,剣を地面に向かって振り下ろした。
伊坂の首がゆるやかな下り坂をコロコロと転がる。
ローブ姿の男は,それを魔法によって自らの手中に引き寄せる。
「これは記念として持ち帰らせてもらいます」
男がローブを翻すと,男の姿は夜の闇の中に溶け込んだ。
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