38話 ずる賢い交渉
森精種の首都、ポワルは『始まりの樹』と呼ばれる天高くそびえる大樹の根元にあった。
その街の中心に立つ城に全ての森精種の長である森精種の女王が住んでいた。
「はぁ………」
まるで雪のように白い肌と桜のような淡いピンクの美しい髪に右目の下に涙ボクロのある女性、彼女こそ森精種を総べる長、女王エリーナである。可憐な姿はもちろんのことながら、まるで陽だまりのような暖かさを感じるそんな聖母のような女性である。 そんな彼女はペンを置き、近くにいた女性の近衛兵にお願いをする。
「ソラ、扉を開けてあげてください。 もう少しで現れると思うので」
「は? それはどういう……」
突然の脈略もない頼み事にソラと呼ばれた近衛が聞き返そうとした時、部屋の扉がバンッと勢いよく開かれる。
「いやいや、お久しぶりです。 女王陛下」
現れたのはここには居るはずのない人間種の青年。
藍色の外套に身を包み、同じく藍色の大きなウィッチハットを被るという見るからにして魔法使いだとわかる格好の青年であった。 青年は大きな帽子を人差し指であげ不敵な笑みをエリーナに向ける。 それをみたエリーナは再び大きくため息をつき、呆れたような仕草をする。
そもそも森精種の政治の中心であるこの城に他種族である人間種が易々と入ってこれる場所ではなく、しかもこの女王の間に至るまでには数々の監視の目をかいくぐらなければならない。
それにもかかわらず、目の前の青年は特に乱れたところはなくまるで友達の家に遊びに来るような軽さで現れたのである。
「なっ!? 貴様どこから!?」
「ソラ、剣を収めなさい」
突如現れた人間種の青年に剣を構えるソラ。
しかし、エリーナは落ち着くようソラを宥める。
「しかし!」
「うーん、陛下のところの近衛は勇敢だなぁ。 うちの近衛もそれくらいの気概があってほしいよ」
「あなたのところの近衛も優秀だと思いますよ、オリバー殿、いえオリバー皇帝殿」
「あなたにそう言っていただけると嬉しいですよ」
それを聞いたオリバーと呼ばれた青年はエリーナにニコッと笑いかける。
「何度も申し上げていることなのですが、私との面会をするなら事前に話をと、いうことをあれほど言ったのですが?」
エリーナは目の前のカップに口をつけ、出されたお菓子を子供のように頬張るオリバーに尋ねる
それにクッキーを口の中に放り込み、彼女に答える。
「それは申し訳ない、今回は急を要する案件だったもので。 それに僕のような人間種のしかも下民出身の皇帝なんてこうでもしない限りとりあってもらえないと思いまして」
「仮にも他国の皇帝を無下に扱うことはしません」
「いつでも優しいですねぇ。 惚れそうになりますよ」
オリバーの軽口にクールに答えたエリーナをヒューっと口笛を吹きちゃかす。
そんな自分たちの主に対して下等種族である人間種の態度にソラが堪らず剣を抜く。
「おい! いくら大国の皇帝といえ、人間種風情が女王陛下になんていう口を……っ!?」
しかし、彼女はその剣先をオリバーにむけられずなぜか自分の喉元に向けていた。
いや、向けさせられていたのだ。
ガタガタと震える剣先がソラの喉元の皮膚に触れそこから赤い血が滲む。
「ソラ、口が過ぎますよ。 それにオリバー殿、私の大事な家族にこれ以上のことは許しませんよ? あなたは戦争しに来たんですか?」
エリーナはカップを置き、目の前にいるソラとオリバーに子供を窘めるような口調で言う。
しかし、彼女の右手に高まった魔力からそれ以上ソラに何かをすればオリバーに対して危害を加えることも辞さないというのも見え隠れしている。
「おっと、失礼しました。 そうです、そうです。 僕はあなたと交渉に来たんでした」
それを察したオリバーはソラにかけていた魔法を解き、彼女を解放する。
正直エリーナを本気で怒らせたら彼自身でもどうにもできないのは心得ていたし、それに彼女のいう通り今日ここに来たのは戦争のためではない。
「はぁ、はぁ、はぁっ!!」
解放されたソラは玉のような汗をびっしょりとかき、息を切らしていた。 その様子を見たエリーナは彼女に部屋を出て落ち着くように声をかける。 ソラはそれに従い部屋を後にし、それを見送ってからエリーナは改めてオリバーに向き直る。
「それで、ご用件とは何のことなんですか?」
オリバーは冷めた紅茶を一気に流し込むと今日ここに来た目的を話す。
「率直に、今度の防衛戦で貴国の力を貸して欲しい。 魔王軍の動きは貴国でも察知はしているでしょ?」
「ええ」
エリーナは短くそう答えるとしばし考え込むような仕草をする。
そして、
「なるほど、話はわかりました。 しかし、申し訳ありません。 我が国として皇帝殿の希望には沿えません、お引き取りを」
「まぁ予想はしていたけど、というか予想通りの返答だね、エリーナ」
「堅苦しい口調よりそちらの方が貴方らしいです」
「それは、どうも」
オリバーはエリーナの皮肉にそう笑って答え、ポットに入っていた先ほどまで冷めた紅茶を自らの手でカップに注ぐ。 すると、驚くことにカップに入った紅茶は湯気を上げ、まるで入れたてのような芳醇な香りを放つ。
そしてそれをエリーナの方にも進めると彼女はニコッと笑って空いたカップを彼に差し出す。
森精種が防衛線への派兵を断るのはオリバーにとって想定内の話であった。
いくら森精種、人間種、獣人種の三種族が停戦し、魔王軍に対して同盟を結んだと言っても何百年にも及んだ禍根が消えて無くなったわけではない。 特に人間や獣人種よりも長い寿命を持った森精種は特にその傾向がある。
エリーナはその点、人間種にもある程度理解があるのだが、普通は先ほどのソラのような態度になる。
そんな相手から協力を求めるのは至難の業であった。
「要件が終わったら帝国へ戻られた方が良いのではないのですか? 今度の魔王軍も相当の数、前回のような惨劇になりかねませんよ?」
エリーナは静かにそう告げる。
だが、オリバーも簡単には引かない。
断られるの覚悟できた彼にはとっておきの手土産があったからだ。
「だからこうしてそれを防ぐために交渉しに来てるんじゃないか。 獣人族の方はもう協力依頼して引き受けてもらえたからねぇ。 あとは森精種だけ」
「なるほど。 ですが、その件なら先ほども申した通り残念ですが」
「まぁそう言われると思ってちゃんと用意はして来たよ」
エリーナが呆れたようにため息をついたて立ち上がり彼を出口へ誘導しようとした時、オリバーは外套の袖口から小さめの麻袋を取り出す。
「これは?」
「強情な森精種の女王様を口説き落とすとっておきの手土産さ」
不思議がるエリーナを他所に彼は麻袋の中に手を突っ込む。
そして何か得たような表情で麻袋のなにやら取り出しニヤリと笑って彼女に見せる。
「見覚えあります?」
「………」
それを見たエリーナは黙り込む。
彼女がオリバーから渡された袋から取り出したのは森精種が使用するインカムであった。
「最初に断っておくけど僕は戦争をしに来たんじゃない。 あくまで『お願い』をしに来ただけさ。 あ、ちなみにその袋の中には『君たちの同胞』も入ってるよ。 もちろん、丁寧に処理をしてるよ」
「これは、あなたがやったのですか」
「疑われてるなぁ。 残念ながら僕じゃないよ。 やったのは遺跡の魔物と『骸の舞姫』さ」
「そうですか……」
「国境侵犯と無許可での他国の遺跡の発掘、明らかに『三国協定』を破るものだ。 森精種の立場も危うくなるだろうね」
オリバーはニヤリと笑う。 これは誰が聞いても脅し以外の何者でもない。
しかし、エリーナはその慇懃無礼な態度にも涼しい顔で彼に答える。
「なるほど、今回のことを不問にする代わりに戦争に協力しろ、ということですね………。 残念ですが、お断りします。 そもそもこれが我々森精種主導で行なったという証拠はありません。 」
「はっはっは、そうですか。 さすがは森精種の女王様だ。 人間種と獣人種がどれだけ徒党を組もうと物の数ではないということですか。 こわい、こわい」
オリバーはそうおどけて見せて再び袖口に手を突っ込み、今度は資料の束を差し出す。
「また手土産ですか?」
「うん、こっちの方が君たちに本命じゃないのかな?」
オリバーから紙の束を受け取ってそれを眺め、目を見開く。
「『聖輪』はすでに僕たちの手中だ。 そしてもう1つは僕が独自に調べた残りの『聖具』の情報。 僕はたしかに戦争協力もお願いしに来たけど、同時に共同研究の件でも協力を依頼しに来たのさ。 ちなみに生き残りが何人かいてね、君がいくら誤魔化そうがもう誰が何のためにこんなことやったのか知ってるから」
「はじめから全て分かっていてこちらを試したということですか………」
「嘘はなんとかの始まりってね、 まぁだからと言ってどうということじゃないし、ただ僕は『お願い』にいい返事がもらいたいだけさ」
「なるほど、そのお願いに最初からこちらの拒否権はないということですか。 ですが、まず確認したいことがあります」
「ん?ああ、心配しなくても大丈夫だよ。 せっかくのお客人にひどい扱いはしてないと思うから。 あ、これは生き残ってるリストね」
そう言ってエリーナが見ていた資料を覗き込み指を指す。
しかし、エリーナは今のオリバーの言い回しに引っかかる。
あ
「思うから?」
「うん。 彼女たちを預かってるのは先生だからね」
「『天災の魔女』ですか……」
魔女マリーの噂は種族問わずその名を知る者は多い。 なにせ、戦場でまるで『天災』のように暴れまわるのだ。 敵にも味方にもその名を聞いていい思いをする者はいないだろう。
だが、エリーナはもう1つの彼女の顔を知っていた。 それは『天才学者』である魔女マリーである。 『勇者』、特にかつての勇者についての研究じゃその道ではトップクラスである。
「ちなみに『聖輪』も先生のとこ。 だから僕も正直、この研究には興味があるけど今はなにもかも先生のとこだからねぇ。 流石に僕も先生から奪うなんてことはできないよ。 命惜しいし」
彼はそうお手上げのポーズでエリーナに愚痴をこぼす。
「まぁでも、エリーナも安心でしょ? 僕なんかのとこより先生のとこなら幾分マシだし、『聖具』の調査も基本先生主体だし」
実際派遣した隊は壊滅し、失敗したかと思われたのだが、ここに来て天才学者マリーとの共同研究を持ちかけられたのだ。 しかも、これには帝国はあまり関与することができない。
エリーナにとってこれは美味しい話ではあった。
「…………わかりました。 街の防衛への派兵の件、『聖具』の調査の協力の件承りました」
エリーナはしばし考え込んだ後、オリバーに承諾の意を伝える。
「ありがと、愛してるよ。 それじゃ!」
タネハルはそう言ってエリーナにウインクをするとまるで嵐が過ぎ去ったように部屋を去ってしまった。
彼が去った後静かになった部屋でエリーナは今日一番のため息をつく。
「まったく、なにが『さすが森精種の女王様だ』ですか。一国の主を恫喝するなんてこわいのはあなたの方でしょ」