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作者: 葉月

 きみがそれに気づいたのは、ある仲夏の夜だった。

 汗が流れるような蒸し暑い夜でも滅多に目が覚めることのないきみの意識が、ふっ……と深い眠りの底から浮上したのは偶然だったのかもしれない。ぼんやりとした目がとらえたのは、宙をゆるりと舞う緑がかった黄色い光だ。不規則な軌道を描きながら目の前を飛んでいる。

 やがて頭がはっきりとしたきみは、蛍だ、と心の中で呟いた。

 淡い光を発しながら暗闇の中を飛び回る一匹の蛍。その舞はきみの心を捉えた。

 しばらくの間それを楽しんでいたが、あることに気づく。

 蛍は、どこから入ってきたのだろうか――?

 夏は日が落ちた夜でも空気が熱を帯びている。いくら暑さに強いきみでも、風通しのために部屋を閉め切ってはいない。けれども、たとえ虫一匹だとしても、外から勝手に入ってくるような隙間はなかったはずだと考えた。

 だが、ないと思いこんでいただけかもしれない。ここには長く住んでいるが、知らない隙間がどこか見えないところにあるのかもしれない。

 あとで確認しておこうと思いながら、きみは蛍から目を離して視界を閉ざした。

 夜明けにはまだ早い。だんだんと瞼が重くなっていく。

 ――そういえば、と。

 ふたたび眠りにつく直前にきみは思い出す。

 人の魂は蛍と成りて飛び去るもの、と。



 蛍は死者の魂だときみに教えたのは、きみの行きつけの店で会った人だ。

 その人は書物に触れる機会が多く博識だった。得た知識を常識として押しつけることもなく、面白おかしく話す人だ。だからきみはその人の話が好きだった。別段興味がない内容でも、知らず知らずのうちに引きこまれる話しぶりだったから。

 蛍の話をその人から聞いたのは、同じような夏の夜だった。

 知っている? ――と。

 会話が途切れたときだ。真っ白な紙に一滴、墨汁を落とすかのように、その人がぽつりと言った。

「何を?」ときみは返した。

 蛍を見たことはあるかと質問に質問で返されたきみは少々面食らう。その顔がおかしかったのか、その人はくすりと笑う。酒精でとろりとした目を細めた表情は、妖しい色香を放っていた。

「――人の魂は蛍と成りて飛び去るもの」

 歌うように言葉を発したその人は、残っていた酒を飲み干して、きみの目をじっと見つめた。

「夏の夜を彩る蛍は美しいけれど、少しだけ怖い」

「怖い?」

 不思議そうな顔をしてきみは訊ねた。

「人が死ぬと魂が蛍になるのは知っている?」

 きみは曖昧に笑った。そのような御伽噺じみたことを言われるとは思わなかったから。

「昔は、戦の跡地に蛍が多く発生したという」

 魂が蛍になるというなら、敗れた自分の無力さを悔やんだか。もしくは己の命を奪った者への恨みを持って(おに)と化したか。

 あるいは――恋しい人を想う心が形となるのか。

「……」

 考えを巡らせながら、きみは空になった盃ふたつに酒を注いだ。

 ふと視線を感じて顔をあげる。視線が絡む。酒でぼんやりとした眼差しの奥に強い熱を感じ取って、どうしてかきみは怖くなった。

 すべてを飲みこまれそうな錯覚を起こして、気のせいだと誤魔化すように酒をあおる。

「ひとりでは寂しくて、近くにいた誰かを道連れにしようとしているのかもしれない」

 しんと静まり返った中にそれが響き、きみは喉を鳴らした。

「蛍が綺麗だからと見とれていると、死者の国へ連れて行かれるよ」

「――ふうん。そんなに強い想い人が?」

 からからになった喉から言葉を搾り出すように発すると、妖しい雰囲気を増した瞳がきみを捕らえた。

「幼虫は肉食だというけれど、本当は肉だけではなく魂も喰らうのかも、ね」

「まさか、そんな、子供じみた話を信じているの?」

 きみが冷やかして言うと、その人が笑った。

 どきりとするような艶のある笑みは、ほんの少し気味が悪く感じた。



 ふっ……と目が覚めた。

 ずいぶんと懐かしい夢を見ていた、ときみは瞬きを繰り返す。

 あれからあの人とは会っていない。約束をしているわけではないし、店に行くたびに顔をあわせていたわけでもない。複数いる知人のひとりだ。

 なのに、ひどく気になった。

 寝具に寝転んだまま、きみは外をうかがい見た。深い闇が広がっている。

 朝にはまだ早すぎる。けれどきみの目は冴えてしまった。

 無理矢理にでも眠ろうか、それともいっそのこと起きてしまおうか、ときみは何とはなしに視線を動かした。

 淡い黄緑色の光が、ふうわりと闇の中に浮かんでいた。

 初めて蛍を見つけてから七日ほど経っていた。

 七日間。毎晩。きみは蛍に起こされるかのように目を覚ましていた。そしてしばらく蛍を見つめていると眠気が襲ってきて、いつの間にか朝になっていた。

 蛍が人の魂だというのなら、何か伝えたいことでもあるのか。

 きみはそんなことを思った。

 不規則な軌道を描いていた蛍は、寝転んだままのきみの上をくるりと一回転すると、すぅ、と壁に吸いこまれていった。

 本物の蛍ではない。

 そのまま眠ってしまえば朝になるだろう。けれどもきみはそっと身を起こす。どうしても消えた〝蛍〟が気になってしまったのだ。

 手早く着替えて外へ出た。

 雲が隠してしまっているのだろう、月明かりもなく真っ暗だった。もうどこかへ行ってしまったかもしれないと思っていた蛍は、少し離れたところで光を放っていた。

 きみはその光を見失わないよう歩き出す。ゆっくりと左右に揺れながら飛ぶ様は、手招きをしているようだった。

 暗闇のせいか、きみの目は辺りの景色を映していなかった。

 ただひとつ。蛍だけを見つめて歩き続ける。

 急に視界が開けてきみはびくりと肩を揺らした。

 たどり着いたのは川のほとりだった。水の流れる音がきみの耳を打つ。無意識にこんなところまで来てしまった――辺りを見回して、乾いた笑いを浮かべる。

 いくら蛍が気になったとはいえ、これでは夢遊病患者のようだ。しかも蛍はその姿を消してしまった。きみは自身に呆れて踵を返そうとする。

 すると――一面黒の空間に、ぽぅ、と光がひとつ現れた。

 さっきの蛍だ、と思った。

 深閑として物音ひとつしない中、それがきみに向かって飛んできた。

 ふわりふわり、ぐるりぐるりときみの周りを飛び回っている。その場に立ち尽くしたまま蛍を目で追っていると、錯覚なのだろう、蛍の残像が網膜に残った。

 形がはっきりとしない複数の影。それが少しずつ曖昧さをなくして蛍と成る。ばらばらな動きを見せていた蛍たちは、同じ目的があるかのように徐々に息をあわせた動きをして、ひとつに纏まろうとしている。


 視界一面に広がる無数の蛍。



 それが、きみが見た最期の光景だった。

お久しぶりの更新は短編です。

そして微ホラー。普段あまり書かないものにチャレンジしました。

でもこの程度ならゲームのバッドエンドで書いてるな……。


普段書かないものチャレンジ→挫折しかける→素人なんだから下手であたりまえじゃん→開き直り(ポジティブ思考)

というわけで普段は書かない二人称やってみました。

合ってるのかはわかりませんが。


元ネタはツイッターの「夏だから怖い話~」というようなタグで読んだ実話から。

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