自衛権
「師よ、五月は憲法記念日があった事もあって安保法に関するデモがいくつかありました。
師は安保法に関してはどのような意見をお持ちでしょうか」
師は答えます。
「ワシは安保法に賛成じゃよ。
安保法の中身はこれまでに日本がその時その時に特別法を作ったりして行ってきた事ばかりじゃ。
場当たり的に法を乱発されるよりは予め制定しておいた方がずっと良いじゃろう。
業腹なのは賛成派と同類に見られる事じゃな」
その言葉に弟子は驚きました。
「師よ、それはどういう事なのでしょうか。
師は賛成なのですから当然、賛成派となるのではありませんか?」
師は嫌そうに顔を歪めながら答えます。
「今回の騒動の最大の問題点は賛成派、反対派共に国際法に関する知識が欠如しておる事じゃ。
挙句、自分で勉強しようともせずにネットやマスコミの垂れ流す空想上の国際法を前提に九官鳥のようにこれまたどこかの誰かの言葉を繰り返すだけじゃしな。
反対派は無知な憲法学者の言い分をそのまま繰り返しておるだけじゃからまだ理解できるが賛成派も変わらん認識というのはよく解らんよ。
国際条約集を開くのはそんなに困難な事なのか、たかが三千円前後の書籍を購入するのはそんなに厳しい事なのか、図書館に行って探す事さえ絶望的な難易度なのかと聞きたいわい。
正直な話、あれでは主権を他人に譲り渡しているのと何も変わらんよ。
あんな不真面目で怠惰な連中と一緒くたにされたいとは思わん」
それを聞いて弟子はあぁ、と納得しました。賛成派も反対派も師が嫌うタイプの人間の集まりのようです。
しかし、少し疑問に思った事があるので弟子は質問してみる事にしました。
「師よ、どちらも国際法の知識が欠如しているとの事ですが、具体的に彼等は何を知らないのでしょうか」
師は答えます。
「まず、戦争のような国家間に発生した問題は国際法によって解決手段が提示され、国内法によって提示された解決手段を制限するものなのじゃが、彼等はいきなり国内法にすぎない日本国憲法で解決しようとしておる。
これだけでも正常な判断が下せなくなるというのに日本国憲法は古い憲法で、想定しておる国際社会も国際連合が作られる前の古い世界じゃ。
その結果、どうなるかと言うと賛成派も反対派も国際法上、自衛権とは認められない事例を持ち出して無意味な罵り合いを繰り広げる事になるわけじゃよ。
国連憲章の第二条と第五十一条を読めば自分達の想定しておる自衛権は現代では行使できないと解りそうなものなのじゃが憲法学者ですら読もうとせんからどうしようもないわい。
自分の専門分野だけに拘り視野狭窄に陥るのは学者がよくやらかす悪癖ではあるが、今回はもちっとだけでも視野を広げるべきじゃし、民衆は民衆で学者に専門外の分野を含む内容を聞いても確度の高い情報を得る事は難しいと理解すべきじゃな」
弟子は自分の知る事実との矛盾に気付き師に質問しました。
「師よ、師は憲法学者が国際法を知らぬ無知蒙昧の輩とお考えのようですが彼等は集団的自衛権は他衛権とするのは国際常識だとか、イラク戦争のように自衛権の行使で戦争は可能になるといった風に国際法にもその主張の中で触れているように思えます。
何故、師はそのようにお考えになられたのですか?」
師は答えます。
「彼等の主張が現代では自衛権の行使とは認められぬものばかりだからじゃよ。
おそらく、憲法学者の主張は七十年以上前の古い国際法を元にしておる。彼等の専門、憲法がそれを前提としておるからな。
七十年以上前の世界であれば確かに集団的自衛権は他衛権であると解釈されたじゃろう。先制的自衛権を行使する事で戦争も行えたじゃろう。
しかし、現代では国際慣習法としての自衛権ではなく、国連憲章による自衛権となっておる。集団的自衛権は他衛権そのものではないと否定されておるし、先制的自衛権は行使できないとするのが通説じゃな。
憲法学者は憲法の条文通りにせよと主張するのだから、自衛権に関しても同様に国連憲章の条文通りの権利を前提にして話をすべきじゃろう。
基本を勉強せずに学論だけを読み、七十年以上前の慣習法的自衛権を前提とする事で発生する矛盾には目を瞑り、自分達に都合良く解釈するから集団的自衛権は他衛権だなどと現代国際常識の真逆の主張をしだすのじゃよ。
他衛権なぞ認めてしまったら国連を前提とした現代の国際安全保障は崩壊する事くらい想像出来ても良いと思うのじゃがなぁ。
あと、憲法学者だけでなく賛成派も知らないようなのじゃが、イラク戦争は安保理決議1441が根拠で自衛権は関係ないわい」
その言葉に弟子は驚きます。
「師よ、私もイラク戦争は自衛権の行使だとばかり思っていたのですが違うのですか?
では、何故フランスや国連事務総長が批判していたのでしょう」
師は少し呆れたような表情を浮かべて答えます。
「勘違いしておる者が多いのじゃが、イラク戦争の根拠は決議1441じゃ。
湾岸戦争の停戦条件としてイラクは大量破壊兵器の所持や生産が禁止されておるのにも関わらず大量破壊兵器を生産し所持しているのではないか、と疑いをかけられた。
イラクはこれまでにも同様の疑いが持たれ何度か査察が行われておったがそのいずれにも非協力的で武力制裁も行われた事がある。そこで疑いを晴らす為に安保理はイラクに最後の機会として無条件査察を要求した。これが決議1441じゃ。
これに従い、イラクは査察団を受け入れたのじゃが、査察の中間報告においてイラクが査察を制限したり、妨害を行っている事が報告された。
米英は直ちに強制的に査察を行う為に武力行使の準備を開始。お主の言うフランスや事務総長の批判はここで行われておる。
まだ査察は途中なのだからもう少し待ってあげるべきだ、というのが主な内容じゃな。
そこで米英は安保理を開き、直ちに武力行使を行うべきだと主張したのじゃが、どうも反対多数で否決されそうになった。
なので途中で打ち切り、決議1441を根拠に武力行使を始めたわけじゃな。それがイラク戦争じゃ。自衛権の行使ではないな」
うぅむ、と弟子は唸ります。
「師よ、イラク戦争は自衛権の行使ではない事は理解しました。
しかし、自衛権でなかったとしても集団的自衛権によって戦争に参加出来るのではありませんか?」
師はさて、どこから説明したものかな、と呟き弟子を見ました。
「弟子や、集団的自衛権を行使するには個別的自衛権が行使されていなければならん。
個別的自衛権を行使した国の救援要請が集団的自衛権を行使する条件じゃからな。
例えばイラク戦争では個別的自衛権は行使されておらんから集団的自衛権では参戦できんよ。
あと、どうも大多数の日本人は勘違いしとるようなのじゃが、現代の国際社会では基本的に武力行使は禁止されておる。
国連憲章第二条三項及び四項により国連加盟国は国家間の問題を平和的に解決しなければならんし、武力行使や武力による威嚇は慎まなければならん。これを武力不行使原則と呼ぶ。
あぁ、ここで言う武力による威嚇とは刑法で言えば強要罪が近い。武力で脅迫して行為を強要する行為が該当するんじゃ。
余談じゃが、国連憲章と日本国憲法は同じくしてパリ条約を土台にしておるから、日本国憲法第九条一項に書かれた武力による威嚇もこれと同じじゃとワシは考えておる。
それはともかく、国家による武力行使が例外的に許可されるのは自衛権の行使と安保理の決議に基づく時のみ。
これらに共通しておる事は平和的解決が不可能な時においてのみ、行使可能という事じゃ。
イラク戦争の場合、国際社会は平和的解決方法として無条件査察を提示したが、イラクがこれを拒否した為、平和的解決は不可能と判断されたわけじゃな。これにより決議1441に基づき米英を中心とした武力行使が行われたわけじゃ。
正直、あれは馬鹿な行為じゃったと思うよ。根拠は何の根拠にもならんと断言されてもおかしくない写真程度だったわけじゃしな。せっかく国際社会が味方についてくれておったのに、イラクは自分からそれをぶち壊しおった。
武力行使が行われてもせいぜい写真の場所にミサイルを撃ち込む程度じゃろうとタカをくくっておったのじゃろうが逆にその強引さからやらせなければタダで済むはずがないと悟るべきじゃったな。
自衛権の場合はその緊急性から安保理決議が無くても行使は可能じゃが、その場合は事後報告が義務付けられておる。事後報告の結果、自衛権の行使として認められなかった場合、単なる違法な武力行使として何らかの制裁を受ける事となる。
ここら辺は刑法における正当防衛を考えると理解しやすいじゃろう。
当然の事ながら、あいつは気にくわないから自衛権で戦争しちまおうぜ、何て使い方は出来ん。国際社会を馬鹿にし過ぎじゃな。現に侵略されている状況でも無ければ事後報告しても認められんよ。
加えて、自衛権には行使出来る期間が制限されており、国連が平和維持活動を行えばもう行使出来ん。
同時じゃったら湾岸戦争の時に周辺国家が集団的自衛権の行使による海上封鎖を行ったという例は存在するが、基本的には行使出来んと考えておいた方が良いじゃろう。
お主達の考えておる戦争は国連の平和維持活動であって集団的自衛権の行使ではないし、行使出来る期間が過ぎておるから集団的自衛権で参戦は出来ぬよ。
特に反対派は条文の通りにしろと主張しておるのだから尚更条文通りに行使出来ないと考えるべきじゃな」
弟子は憲法第九条が無くなったら好き放題に戦争が出来るようになってしまうと思っていたのですが、どうも、国際法においてもちゃんと戦争は禁止されているようです。
しかし、弟子はそこでふと疑問を覚えました。
「師よ、自衛権で戦争は出来ないとは理解しました。
しかし、日本国憲法下で考えた場合、自衛権といえども武力行使なのですから日本は自衛権を行使出来ないとするのが自然のように思えるのですが」
師は答えます。
「それなんじゃがな。実は日本国憲法が古い弊害がそこでも発生しておる。
古い世界であれば自衛戦争は禁止されておる武力行使にあたるのかどうか、という議論が成立するんじゃが……。
まず、憲法で禁止されておる国権の発動たる戦争。これは自主的に始める戦争、つまり宣戦布告を伴う戦争であり、受動的な自衛権の行使は含まれておらぬ。
次に武力による威嚇は前述の通り、自衛権では強要は出来ぬから自衛権とは関係が無い。
最後に国際紛争の武力行使による解決じゃが、現代における自衛権とは問題解決手段ではなく、国連が問題解決を行うまでの権利保護行為じゃ。自衛権が問題解決手段でない以上、憲法第九条では自衛権を制限出来ん。
つまり、日本国憲法第九条では自衛権を制限出来ぬ。制限出来るのは現代の国際法的には自衛権の行使とは認められない行為で、それはもう自衛権とは関係が無いわい」
その言葉に弟子はびっくりしてしまいました。
確かにそれなら現在行われている議論は無意味化します。
「師よ、では集団的自衛権はどうなのでしょうか。
集団的自衛権による武力行使は自衛の範囲外なので行使出来ないと政府や賛成派も認めている事ではありませんか」
師はため息を軽くついてから弟子に答えます。
「それに関してはこう答えようかの。お主らは何様のつもりじゃ、と。
考えてもみよ、国が各々で勝手に自衛権の範囲を決定出来るなら何もしておらん他国に核ミサイルを撃ち込んでも自衛の範囲ですと主張して無罪にする事も可能なんじゃぞ。
武力不行使原則を基本とした現代の国際社会が崩壊してしまうわい。
自衛権の範囲を決めるのは国連じゃ。日本ではない。出来るのは推測だけじゃな。
国連憲章では武力行使を含む集団的自衛権を認めておるのじゃから、当然、集団的自衛権による武力行使は自衛の範囲内と認められる。
そして、現行の憲法では問題解決手段としての武力行使でなければ何も制限されんわけじゃから自衛権は制限されん。
つまり、現行の憲法下でも集団的自衛権による武力行使は可能じゃ」
弟子は今までに自分がマスコミやネットで聞いてきた話とは違う師の説に困惑しました。
しかし確かに師の言う通り国が勝手に自衛権の範囲を決められるならば自衛権という権利は無意味化するわけですから、納得も出来るのです。
「師よ、話は解りました。しかし、私にはどうしても信じきる事が出来ません。
どうにかして私を説得してはいただけませんか」
その言葉に師は呆れながらも答えます。
「お主の飲んだ邪見の毒に対する治療薬はワシは持っておらん。
それはお主が自分で解毒する類の毒じゃからな。
まず、お主は安い物で十分じゃから六法全書と国際条約集を買え。そして国立国会図書館等で自衛権に関する国際法の論文を探して読め。
書店で探すのはオススメせんぞ。少なくとも今回の問題に関して一般向けの書籍は偏った意見を垂れ流しているだけで読む価値が無い。思想の偏った人間の思考のサンプルを得るにはちょうど良かったりもするが、金を払ってまで得る必要はないじゃろう。
少しでも解らない事があれば、さらにそれに関しても調べよ。
探求を続ければ、お主の心の中の邪見の毒は自ずと消え去り自分なりの考えというものが確と完成しておるはずじゃ」
弟子は深く頷いてから言いました。
「師よ、私は理解しました。
ところで、恥ずかしながら私は国立国会図書館なる図書館を知りません。どこにある図書館なのでしょうか」
師は答えます。
「東京にある図書館じゃよ」
「解りました。では、行ってきます!」
弟子はそのまま知識欲に燃え滾る瞳で外へ駆け出して行ってしまいました。
国立国会図書館なら利用者登録をしてしまえばネットで有料の複写サービスを利用する事も出来るのですが時間が多少かかるし、まぁ、一度実際に行ってみるのも経験か、と師は思い、そのまま放置する事にしたのでした。