プレートメイル
「師よ、私にはやはり解りません。
どうしてプレートメイルが欠陥品なのでしょうか?
確かにプレートメイルはその重さによって動きが激しく制限されてしまいます。
しかし、その防御は堅牢無比。騎乗すればまさしく動く要塞ではありませんか」
そんな弟子の言葉に師は少し困ったものを見るようにして言いました。
「創作物の見過ぎじゃな。もしくは白人至上主義者の言い分を真に受けたか。
まぁ、よい。弟子や、お主の主張には間違いがいくつかある」
間違いがある、と指摘され弟子は困惑してしまいました。
弟子は自分の述べた評価は一般的なそれと同一であると考えていたからです。
「師よ、納得が出来ません。
いったい私の主張のどこが間違っているのでしょうか」
師は弟子に軽く頭を上下に振るとバッと手を広げました。
すると、師の前にプレートメイルを装備した騎士が現れたではありませんか。
「ランニング開始ッ!!」
師は現れた騎士に大声で命令しました。あまりの大音量に弟子はたまらず耳を押さえたものですが、騎士は平然としており、そのまま素直にランニングを始めます。
「まず、間違いその1。 プレートメイルの重量は重い物で40kg程度。1度装備してみれば簡単に解る事じゃが、重過ぎて動きが激しく制限されるなんて事はありゃせんよ。見ての通り、重量だけなら問題なく動ける程度でしかないわい。
現代の歩兵の装備も40kg程度あると言えばさらに納得できるかの?」
うぅむ、と弟子は唸ります。なんとなくプレートメイルの重量は100kg以上だと考えていたのですがそれは間違いだったようでした。事実、目の前で騎士が軽快にランニングをしているのですからどうしようもありません。
「確かに重過ぎるという認識は間違いでした。
しかし、師よ、なればプレートメイルの欠点は存在しないという事ではありませんか。
いったいどこが欠陥品だというのですか」
プレートメイルの欠点は重過ぎる事だと弟子は思っていたのですが、それが間違いだった以上、プレートメイルは欠点の存在しない完璧な防具であるように思えました。
しかし、師はそんな弟子を諌めます。
「これ、間違いその1と言ったじゃろう。そう結論を急ぐでない。
プレートメイルの欠点はお主の主張の間違いを全て指摘してから説明するから少し待たんか」
そう言うと師はクルリと手を回します。今度は師の左の手の平の上に薄い金属の板が右の手の平の上には脇差が現れました。
師は脇差をしっかりと持ち、薄い金属の板をヒラヒラさせながら弟子に見せます。
「弟子や、この板が何だか解るかの?」
そんな事を問われても弟子にはさっぱり解りません。DIYショップ等で販売している金属板だと考えれば厚い方になるのでしょうが、この金属板がプレートメイルにどう関係してくるのかはまったくもって不明だと思いました。
「実はこの板はプレートメイルの最も装甲が厚い部分、胸甲の平均厚と同程度の厚さでプレートメイルと同じ素材で作られた金属板じゃ」
えっ!?と弟子は驚きました。どう見ても鎧に使われるような物だとは思えなかったからです。
「厚さは約2mm。ヨーロッパで使用されていたソードではこの素材でこの厚さでも鉄壁なのかもしれんが日本刀にかかれば……!」
師は空中に金属板を固定すると、思い切り脇差を突き込みました。その結果、ああ、なんという事でしょう!先端が金属板を貫通してしまっているではありませんか!
「このように貫通は可能じゃ。大して貫通しておらんように見えるじゃろうが、5㎝以上も貫通しとるわけじゃから内臓に到達するには十分じゃ。装着者は速やかにせよ、緩やかにせよ、まぁ、死に至るじゃろう。
間違いその2はもう解るな?プレートメイルは堅牢無比ではない。
この点に関して、おそらくお主は3つの点で勘違いをしておる。
まず、胸甲、厚さ2㎜というのは実は金属鎧としては特筆して厚いというわけではない。日本の具足と比較した場合、平均的か、むしろ平均より薄いくらいじゃろう。
厚さが5㎜以上の物も存在するが、あれは実戦用ではなくパレード用と試合用の物じゃな。
パレード用の鎧は、細かい細工を施す為に軟らかい鉄を使用しておる。あれをもって堅牢無比とするのは無理があるわい。
試合用の鎧はその名の通り試合を前提に作成された鎧で試合で打撃を受ける部位以外、例えば戦場で最も攻撃を受ける可能性がある頭頂部の装甲等は通常の鎧と変わらん。ついでに言うと関節部が試合で必要な可動範囲以外は動かせない上に視界もほとんど無い為にろくな防御反応もできぬから、これを装備して戦場に行くのは自殺志願者だけじゃな。
次に、全身を鎧で覆っている事なのじゃが、戦場で負傷する主な部位は頭、前腕、肩を含む胴の3つ。騎乗する事も考えれば脛もじゃな、以上の4つの部位以外はまず狙われる事のない部位であり、装甲で覆う意味があまり無い。安心感を装着者に与えるという点に着目すれば意味はあるのじゃが、後述するが全身を覆う事が致命的な欠陥にもつながっておるから評価すべき点ではないじゃろう。
最後にプレートメイルは素材に粗悪な鉄が使用されておる。
ヨーロッパでマトモな鋼を得られるようになるには1737年、ベンジャミン・ハンツマンがるつぼ法を発明するまで待たねばならん。それ以前のヨーロッパの鉄なぞ、とてもとても武具に使用できるような品質ではないわい。
日本でも例えば徳川家康のように南蛮胴といってプレートメイルの一部を利用した事はあるが、戦で使用する物は補強改造が行われておるよ。
そうさな、実際に試した事はないが、プレートメイルの兜は1.6mm程度じゃから補強も行なわず、そのままの素材なら日本刀を用いれば流石に頭頂部から顎まで真っ二つは難しいじゃろうが、から竹割りで兜ごと頭を叩き割る程度は出来るとワシは思っとる」
うぅむ、と弟子は唸りました。
確かに弟子が想像していたプレートメイルと現実のプレートメイルはまったく違うものだったようです。
創作物に出てくる銃弾をも弾くようなプレートメイルは存在しないのだと思うと弟子は何だかがっかりした気分になりました。ですが、そうなると気になるのは師が欠陥品と断言している事です。
「師よ、確かに私の考えていたプレートメイルは現実には存在しないようです。
しかし、性能は劣っているとしても、欠陥品とまで言われるほどではないと思います」
それを聞いた師は少し呆れたような表情をして言いました。
「これこれ、ワシはまだお主の主張の間違いを指摘しただけじゃぞ。欠点の指摘はこれからじゃ」
師の言葉に弟子はびっくりしてしまいました。ですが、言われてみれば全ては間違いの指摘でしかありませんでした。
「師よ、では欠点とは何でしょう。浅はかな私にどうかお教えください」
師はそれを聞くとまだ律義にランニングを続けている騎士に視線を向けました。
運動を阻害しないにしてもやはり鎧の重さは体力を余分に消耗させるようで最初の頃に比べるとペースは落ちているようです。
「ふぅむ、まだあちらは余裕があるようじゃが、まぁ、よかろう。
まず、そこまで致命的ではない欠点としては金属の塊であるわけだから当然じゃが浮力は期待できん事じゃな。
水場や泥濘地では溺れたり、沈み込んで身動きが出来なくなる可能性が高い。
また、重心バランスが崩れてしまう為、転倒しやすい事もまぁ、こちらのカテゴリに入るじゃろう。
山岳地での移動は困難じゃろうし、片足タックルで簡単に転倒するぞ。実戦でも片足を掬い上げるようにして押し倒し、馬乗りになって止めを刺すという事もあったそうじゃ」
なんと、と弟子は驚きましたが同時に新たな疑問も抱きました。
「師よ、しかし鎧を装備した相手をそうも容易く投げられるものなのでしょうか」
それに対して師は深い溜息で返しました。
「お主は西洋武術を馬鹿にしすぎじゃな。いや、武術を、と言うべきか。
まぁ、これも愚かな学者のせいとも言えるのじゃが」
自分の主張に学者がどう関係してくるのか。弟子にはさっぱり解りませんでした。
「学者のせいとはどういう事でしょうか」
「現在はともかく、過去の西洋の学者はいい加減な者が多くての。
現在の技術は全て過去より優れておるという事を前提に物事を捉え、ろくに調べもせずに妄想で学説を唱えておったりするのじゃ。
中世の騎士が硬く重い武器を振り回すだけで技術なぞなかったというのもそうした妄想学説の1つじゃよ。
生きる為に足掻くのは世界のどこでも同じじゃ。どのような形であれ、術理程度は大抵の国に存在するわい。
よいか、相手が前に踏み出そうとする瞬間に膝の裏に手を差し入れて掬い上げつつ、肩で相手を押してやれば先程も言ったようにプレートメイルを着た者は重心バランスが崩れているので簡単に倒れる。
その場で倒さずとも片足を掬った後に押し込んでやればバランスを立て直そうとして相手から勝手に後ろへ動いてくれる。ぐいぐい押せば元から重心の崩れている相手じゃからあっという間にバランスを保てなくなって倒れるじゃろうな。近くに壁があるならそのまま押し付けて、使える武器を鎧の隙間へ突き入れてもいいじゃろう。
これらに力はほとんどいらぬ。あえて言えば片足とグリーブの総重量、せいぜい12kg程度じゃな、それを持ち上げるだけの力があれば十分じゃ」
言われてみれば中世の西洋武術なのだからと力任せに相手を持ち上げる様子しか自分は考えていなかったと弟子は気付きました。レスリングにしてもタックルはあるわけですから、どのタイミングが最も有効なのかを調べる程度はやっていると考えるのが自然だ、とも納得しました。
「師よ、私は自分の勘違いを理解しました。
ところで師は致命的ではない欠点の方と仰いましたが、プレートメイルには何か致命的な欠陥が存在するのですか?」
師は満足気に頷きます。
「うむ、あと三つ程ある。そのどれも兜に問題が集中しておるから兜を脱げばかなり解消されるが完全に欠陥が解消されるわけではない事に注意が必要じゃ。だからこそ致命的欠陥とも言えるのじゃが。
まず、欠陥の中でもほぼ全ての致命的欠陥の理由にもなっている最悪の欠陥。
通気性が劣悪」
は?と弟子は自分の耳を疑いました。
通気性が悪い事が師の言うような最悪の欠陥であるようにはとうてい考えられなかったからです。
しかし、師はそんな弟子の反応を予想していたのかニヤリと笑います。
「納得がいかぬようじゃな。まぁ、全ての欠陥を聞けば最悪の欠陥と言った意味も解る。
とりあえずはプレートメイルは全身を金属で覆う形になるので通気性が物凄く悪い。特に兜なんぞは装備するだけで息苦しさを覚えるほど通気性が悪いと覚えておけばよい。
鎧の重さと胸甲が金属製で変形しない事によって胸部が圧迫され呼吸がしにくい事も加わりかなり苦しいぞ」
確かにそれは問題です。言うなれば鼻にティッシュを詰めて運動をするようなもので、とても大変だったのだろうな、と花粉症の弟子は当時の騎士達に同情しました。
「次はまぁ、解りやすい所で視界のほとんどが遮られている為、死角が多い事じゃな」
これには弟子も納得です。
どう考えてもあの形状では視界なんてろくにないだろうという事は容易に想像できます。現代のプロボクシングでも危険なので視力をテスト項目に入れているわけですから、視覚の制限は十分致命的な欠陥と呼べる物でしょう。
バイザー部分を上にあげれば改善されるのでしょうが、せっかく全身を鎧で固めているのにわざわざ戦闘中に自分から弱点を増やそうと考える者はそういないでしょうし、この点だけは容易に受け入れられると弟子は考えました。
しかし、そんな風に珍しく素直に納得している弟子を見て、師は意地悪そうな笑みを浮かべます。
「そして、これに通気性が劣悪な事が加わり致命的な状態を発生させるんじゃ」
今度こそ弟子は師の期待通りにキョトンとしてしまいました。
視界と通気性の関係がまるで理解出来なかったからです。
「師よ、お言葉ですが視界と通気性にどのような関連性があるというのですか?」
師は言います。
「本題に入る前に確認しておこうかの。音は何によって伝わっておる?」
突然の問いに弟子は少し困惑しましたが、質問の意味を少し考えた後に「空気です」と最も単純な答えを返す事にしました。
はたして、師はゆっくりと頷きます。
「うむ、その通りじゃな。
通気性が悪いとは空気の通りが悪いという事。つまり、プレートメイルの兜を装備していると周囲の音が聞こえにくくなってしまうのじゃ」
ああ、だから騎士にランニングを命じた際、師はあんなに大声を出したのか、と弟子はとても納得しました。
しかし、弟子にはどうにもピンときません。
「師よ、それは理解しましたがそれが何だというのでしょうか。
どうせ戦場では細かい命令は混乱を招くばかりで有益ではありません。このような鎧が使用されていた時代では尚更でしょう。
音が聞こえにくかったとしてもさして問題だとは思えません」
それを聞いて師は少し呆れたように言いました。
「お主はどうして戦場では細かい命令しか出されないと考えたのじゃ?
突撃、停止、撤退といった単純な命令でさえ聞こえなくなるとは思わなんだか?
古代ギリシアの重装歩兵、ホプリテースが初期は全体を覆うようなコリントス式のような兜を装備しておったのに、前6世紀頃以降は耳の部分の空いたカルキディケ式のような兜を装備する事が増えていったのは一騎討ちさせるならばともかく、集団戦闘を行うには合図のラッパの音さえ聞こえにくくなるコリントス式のような兜では不都合があると気付いたからじゃよ。集団戦闘を考えるならば設計という段階でプレートメイルの兜は古代ギリシアの兜より劣っているとワシは考えておる」
弟子は納得できたような、納得できないような不思議な感覚を覚えました。
師の言葉は理解できるのですが、集団戦闘を考えるなら命令が聞こえない兜は設計段階で古代ギリシアの兜に劣っているというのがどうも消化できないのです。
「納得がいかぬか?では、例を挙げようかの。
マラトンの戦いは知っておるか?
マラトンの戦いでアテナイ軍が敗走する両翼を追わず、中央の敵を包囲殲滅する事に切り替える事が出来たのは耳部が空いていて命令をちゃんと聞き取れたからだと言われておる。
もし、アテナイ軍が装備していたのがコリントス式のような全体を覆うような兜じゃったら命令に気付かずに両翼を追い、その間に中央を食い破られてとてもではないがギリシア連合死者192名に対しペルシア軍死者6400名などという圧倒的な勝利をおさめる事は出来なかったじゃろうな。初手の奇襲でイニシアチブを握ったと言ってもペルシア軍はギリシア連合の2倍の兵を率いておったのじゃから逆に敗北に追い込まれておったやもしれぬ」
マラトンの戦いは弟子も知っていました。確かマラソンに何か関係する戦いだったかな、程度でその内容までは知りませんでしたが。
師は続けます。
「プレートメイルを装備した集団にアテナイ軍のような臨機応変な対応は期待できぬ。
遮られた視覚は変化や合図を見落とすし、遮られた聴覚は異常や命令を聞き逃す。
ただただ、目の前の敵に突撃するだけの所謂、猪武者というやつにしかなれんのじゃ。
重装歩兵、重装騎兵にこそ状況判断能力が必要なのにそれを殺して猪武者にする鎧なぞ、設計段階で劣っていると言われても仕方がなかろう。
まぁ、当時の鎧鍛冶達を弁護しておくと、中世ヨーロッパでは、とりあえず騎士達を突撃させてあとは歩兵がフォローするというのが主流の戦い方であったし、中世ヨーロッパという辺境のド田舎の戦場だけを考えればプレートメイルも全てが間違いとは言えんよ。ただ、世界全体で考えた場合はやはり駄目設計と言わざるをえないんじゃ。
ただ、ドイツでは20㎏程度にまで軽量化されたマクシミリアン式と呼ばれるタイプも開発されとったし、もし、ヨーロッパに火薬の製法が輸入されなんだら、古代ギリシアの重装歩兵の鎧と同じように軽量化の次は防御能力をある程度残しつつ、視覚と聴覚をちゃんと確保できる兜が開発されとったじゃろうよ」
その言葉に弟子はとても衝撃を覚えました。
弟子はプレートメイルは鎧の一つの完成形だと考えていたからです。まさかまだ改良の余地があるとは思ってもみませんでした。
また、弟子はヨーロッパがずっと世界の最先端を走っていたように錯覚していたので中世ヨーロッパが辺境のド田舎だと言われて地味に衝撃を受けました。
「師よ、私の考えていたプレートメイルは空想の産物だという事はよく解りました。
ところで師は致命的な欠陥が三つあると仰いましたが残る一つとはいったい何なのでしょうか」
師はまだ走っている騎士を見ました。
師としてはもう少し走らせてからの方が完璧だとは思ったのですが、いい感じに仕上がるまでただ待つのも馬鹿馬鹿しいと思い直し、騎士を自分達の前に瞬間移動させました。
「止まれ!」
師の大声に騎士が止まります。
師はそんな騎士の胸甲をコンコンと叩いて言いました。
「では、あと20分程ランニングを続けていたら中の人間はどうなっていたか見てみようかの」
コン!と師が一際強く叩くと何という事でしょう!騎士の着ていた鎧等は光と共に消え去り、後にはズボンを履いているだけの赤い顔をした汗だくの半裸の男が残ったのです。
途端に広がる体育会系の匂いに弟子は思わず、うっ、と呻きます。
テラテラと光りながら裸の胸を滑り落ちる滝のような汗。
ムフームフーと男の荒い息の音。
男は一種怪しい魅力を放っていますが、弟子に男色の趣味はなかったのでげんなりとするだけです。
そんな弟子を見て師は笑いました。
「おや、このサービスは気に入らなかったかの?」
「サービスと言うなら中身を女性にしてください」
弟子の返しに師はさらに笑います。
「これこれ、ギャルにこんな拷問じみた真似をさせる気か?
まぁ、冗談はさておき、プレートメイルの最後の欠点。それは激烈に、猛烈に、暑い事じゃよ。
通気性が悪い事から熱の逃げ場がなく、それはもう耐え難い程暑い。
あまりの暑さに我慢できず戦闘中に武器を捨てて兜を脱ぎ、そのまま頭をかち割られて死亡、なんて者もいるくらいじゃ。
プレートメイルは重さというよりこの暑さが原因で装備していられる時間が制限されとるの」
弟子は戦慄を覚えました。
戦場で兜を脱げばどうなるかなど解りきった事です。それでも脱ぎたくなる程の暑さとはどれくらいのものでしょうか。
サウナより暑いのだろうか、と弟子が考えていると師がパンッと手を叩きました。
すると、暑苦しい男が消え去り、蒸せ返るような汗の臭いだけが吹き抜けます。
「ああ、もしかしたら今、お主は兜を脱いだら危険なのは解りきっているのだから脱がなければいいのに、とか思ったかもしれぬが、その場合、今度はしばらくすると熱中症で死亡する事になる。
それ以外にも脱水症状も起こすし、もう、滅茶苦茶じゃな」
確かに考えてみれば耐え難い暑さを無理に我慢し続ければ熱中症になり、その結果死亡する事は当たり前と言えますし、ああも汗をかいていれば脱水症状も起こさない方が変です。
「熱中症の実例としては薔薇戦争でのタウトンの戦いが挙げられるじゃろう。
この戦いは猛吹雪の中で行われたが、それでも何人もの騎士が熱中症とみられる症状を起こして死亡しておる。
ああ、ちなみにこの戦いでは逆に凍死した者達もおるぞ。
総崩れになって慌てて撤退しようとしたら渡ろうとした者達の重量で橋が崩れてのう。
冷たい河の中に放り出された者達はただでさえ寒いのに金属製の鎧が冷え切って氷のように冷たくなってしまったんじゃ。そんな状態で動きにくい鎧を着て対岸までまともに移動できるわけもなく、次々に凍死あるいは溺死していった。
タウトンの戦いはプレートメイルの欠点が解りやすい例とも言えるのう」
悲惨な情景が目に浮かび、弟子は騎士が騎士という名の一個のキャラクターではなく、鎧を着ただけの生身の人間なのだという当たり前の事を今更ながらに理解しました。
それは栄光に包まれた煌びやかな勇士ではなく、ただ生き残りたいと最後まで、もがき足掻く人間でした。
そこに格好の良さは無いでしょう。見苦しく浅ましいと嫌悪感さえ抱く人もいるでしょう。ですが弟子は騎士の死に様を聞き、弟子の頭の中にだけいた曖昧な一種幽霊のようでさえあった騎士が逆にしかと肉を持ち、大地に意思を込めて立ち上がった姿を感じました。泥に塗れながらも立つその姿は、月の光を身に纏った美しい伽藍堂の騎士人形よりも尊く、太陽の輝きを放っていると思いました。
「師よ、私は今、ようやく師が創作物の見過ぎか、白人至上主義者の主張を真に受けたか、と仰った意味が解った気がします。
騎士は堅牢無比の要塞などではなく、血を流す人間に過ぎないのですね」
そんな弟子の発言に師は少し驚いた様子でしたがうむ、と頷きました。
「物語の中であれば銃弾をも弾くプレートメイルがあっても構わぬ。
現実では最も威力のない二十二口径の拳銃弾ですら貫通してしまうとしても、その物語の世界のプレートメイルは防げるのじゃろう。現実においても伊達政宗の黒漆五枚胴具足は二十二口径の拳銃弾なら防ぐ事が出来ると推測されているように、銃弾を防ぐ事が出来る鎧も荒唐無稽に過ぎるわけでもあるまい。
じゃが、それはあくまでも物語の世界の話。現実のプレートメイルは美術品としては素晴らしいが防具としては欠陥品じゃ。装備したとしても人を鉄壁の要塞に変える不可思議な力など持っておらぬ。それどころか装備した者を死に追いやりかねない欠点すらある。
もしお主がファンタジーではなく、仮想戦記として中世ヨーロッパの騎士を他の文化圏の戦士と戦わせる物語を作るなら注意が必要じゃぞ」
その言葉を聞いて弟子は胸を張って言いました。
「師よ、ご安心下さい。
今、私の執筆している小説は徳川光圀がお供を連れて悪代官を追い、イタリアのレオナルド・ダ・ヴィンチや、シャーキャのガウタマ・シッダールタを助けたりしながら、西洋もんすたあやインド妖怪を退治するという大変ふぁんたじっくな冒険活劇なのです」
「そ、それは面白そうじゃな」
師は若干引きつりながらもそう答えました。
前5世紀頃や16世紀頃の人物が何故17世紀に存在しているのかとか、それはゲームであったよねとか、言いたい事はあったのですがなんだかツッコミを入れるのも馬鹿馬鹿しくなったからです。
弟子は師のそんな内心には気がつかず、純粋に期待されていると受け取り、礼を述べてから意気揚々と部屋を出ていきました。「そうだ、ロンドン橋を落として悪役騎士令嬢を溺れさせよう!」とか部屋の外から聞こえてきた気がしましたが師は何も聞こえなかった事にして読書に戻るのでした。