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序章2:彼のお話/ただ、そのように生きるのだから





「――――■■」





 悲痛な音を聞いた。

 未だ生きている体を身じろぐように動かして、眠るよう下ろしていた瞼を開く。

 眼球に走る刺すような痛みに涙が溢れるが、それでも歪み朧げな視界の中に恐らくはへたり込んでいる女性らしき背中と、見たこともない二足歩行の潰れ顔の犬のような何かが映り込む。

 遠ざかっていた意識が戻ったからか、忘れ去っていた痛みが蘇る。

 肌を火で炙るような、喉は焼けて肺は裂けたかのように、血液には硝子でも混じったか鼓動一つ打つたびに全身に痛みが走った。




 訳が解らない。目の前の存在が何なのかも、何が起こっているのかも、何一つとして解らない。




 予兆らしきものはなく、日々は変わらず、何時ものように。

 特筆すべき事柄を探しても、精々が精々がクラスメイトと一言二言、言葉を交わした事があったくらい。

 学校から真っ直ぐに返って、部屋に籠もった。

 夕食を終えて、そして縋るように、昔を懐かしむように剣の稽古をしようと倉から真剣を持ち出して。


 そして、どうだったか。


 記憶が曖昧なのは、きっと今が死に掛けているからか。

 倉から一歩、外に出て――――そして、そう、見知らぬ場所に立っていた。

 劇的な出来事など何もない。舞台で垂れ幕の背景を落としたかのような素っ気無さで。

 見知らぬ場所の、恐らくは路地裏に放り出されていた。

 まず目に入る筈の古臭いを通り越して苔むすような実家はなく、土が向き出しの庭もない。

 見たこともない作りの家屋に挟まれ、石畳の地面に立って、嗅いだことのない匂いの空気を吸っていた。

 余りの出来事に驚愕の切欠を得られず、困惑が先走るほど。

 一旦、自らを落ち着かせようと大きく深呼吸をし―――そのまま喉と肺に痛みを感じて喀血した。

 そして血を吐いたことに動揺する間もなく、全身に痛みが走って地面に倒れた。

 病か事故かは知らないが、少なくとも自殺ではないし、過失も無い。

 何一つ解らないのが逆によかったのか、この結末を静かに受け入れて―――――





 ――――――――耳朶打つ音に、消えゆく意識を引き戻された。



 全身全霊の力を篭めて、もう一度だけ息を吸う。

 ただそれだけで、喉に焼けるような痛みが走った。

 ただそれだけで、肺が引き裂かれるような痛みがした。


 そして力を抜くように息を吐けば。

 ただそれだけで、全身の血管を引き裂かれるような痛みがした。

 ただそれだけで、血が込み上げ吐き出した。


 刺すような肌の痛みに、恐らく原因は空気だろうと当たりをつける。

 自分にとって空気が毒―――それも猛毒の類になっているらしい。

 息をすれば死に繋がり、息をしなければ死ぬ。

 どうやっても絶命が約束されている辺り、生身で宇宙に投げ出されたかのよう。

 これはどうしようもない。人生における詰みとは、こういうことを言うのだろう。





 けれど、それでも。





「――――■■、■■■」





 苦しみの中で、確かにその音は胸を打ち振るわせた。

 その音の意味は解らなくとも、それが助けを求めているのだと不思議と理解した。



 ――――場違いながら、言語の壁を越えるのは悪意だけではないらしいと感心する。



 空気は猛毒だが、即死する程でもない。

 苦しみもがいて死ぬかも知れないが、まだ僅かに猶予はある。

 なら立たないと。立って、戦わないと。

 例え及ばずとも、死を免れずとも、挑まねばならぬ時はある、と。

 そう育てられた。それを尊いと信じた。それを人の生き方だと定めた。



 ―――歯を食いしばって体を起こす。



 胸の最奥にある不文律。揺らぐことなき祖父の教え。

 自らを恥じるような行いするなと、そう教わって生きてきた。

 それを正しいと感じ、人として不出来であるからこそ、そのように生きると自ら定めたのではなかったか。



 ―――手にしていた長曽根虎徹を杖に立ち上がる。



 死ぬのはいい。死ぬのはいい。死ぬのはいい。別に大した問題ではない。人はいつか必ず死ぬのだから。

 それに関わる感情の多くは、母の腹の中に落としてきた。

 だから、恐れるのは別のこと。

 未だ余命があるというに、力なき者の助けを無視するなぞ死に恥極まる。

 そも、そんな死に様を遺しては家族だって恥じ入るだろう。それだけは御免被る。



 ―――血を吐きながら、刀を抜いた。



 例え及ばずとも、出来ることを出来る限りに。

 そのように生きてきた。だから、生きている限りはそのように生きるだろう。










 ――――されども、救いの掌は此処に在り。











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