序章9:冒険者互助組合
「ここがそうなのか?」
店舗を前に小首を傾げる小歳に、ディーノが、ああ、と疑問を肯定する。
通りに突き出された、カイトシールドを背景に剣と槍を×字に組んだ吊るしの袖看板。
庇つきのウッドデッキに、ガラスが嵌められた十字格子。
出入り口にはバネで開け閉めされるバタ戸が設えられている。
これに砂塵交じりの乾いた風にタンプルウィードが転がれば、西部劇の酒場を連想するだろう。
とはいえ気紛れに吹き抜ける風は瑞々しく、小歳とても毒性がなければ非常に心地よく感じるものであるのだが。
「んじゃ、行くか」
そう言ってバタ戸を押しのけるディーノに続く。
店内は外観から受ける印象と違って役所のようだった。
人の居ない受付らしきカウンター。奥には仕切り板で区切られた窓口があるが人気はない。
突き当りには奥へ続く通路があり、窓口と向き合う位置には長椅子が三列並べられた待合があった。
時間的に暇なのか人影は無く、ときおり窓口の奥から休憩中らしき組合員の話し声が漏れ出てくる。
「すいませーん」
窓口の一つにひょっこりと頭を突っ込んで、ディーノが奥に声をかけた。
すると、少ししてパタパタと足音を立てて一人の女性が顔を出す。
白い貫頭衣にカーディガンを羽織った、明るい赤い長髪をさらりと流した女性だ。
歳は二十前半といったところで、整ってはいるが、どこか昼行灯然とした雰囲気があった。
「はいはい、お待たせしました。何か御用でしょうか?」
椅子に腰掛けて、柔和そうな……強いて言うなら事務的な笑みを浮かべて組合員は言った。
その笑みに小歳が親近感を覚えたのは、それが愛想笑いのようで故郷を思い起こさせたからか。
ホームシックに罹るには早すぎると、小歳は内心で嘆息する。
「冒険者登録を頼みたいんですが」
「………お二人ともでしょうか?」
「はい」
訝かしむような組合員の言葉に、ディーノははっきりと頷く。
その態度に組合員は一瞬迷うような仕草をして言った。
「登録料は一人当たり銀貨6枚。合わせて銀貨12枚となります。
………ですが、その、本当に宜しいのですか?」
組合員の気遣うような言葉と、探るような視線に、ディーノは首を傾げた。
「何か問題でも?」
「冒険者というのは、羽振りがよく見えますが、実際の所は危険に対する実入りは決して大きくありません。
お嬢さんは身なりも悪くないですし、普通に働いた方が稼ぎは多くなりますよ。
それにそちらの男せ……い? いえ、男性の方は……」
組合員は不思議がっているディーノから小歳に視線を移して、その目を細める。
明らかな警戒が滲む、どこか剣呑な視線に小歳は内心で同意して頷いた。
気持ちはわかる、よくわかる。
今の己の容貌は堅気には決して見えないだろう。百歩譲っても何かを受信中の変人なのは間違いない。
コンビニに入れば警報ボタンに指をかけられる、そんな外見だ。
そんな男が明らかに荒事とは無縁そうな少女と一緒に危険のある仕事を始めようとしている。
傍から見れば世間知らずな少女を騙すか脅すかして冒険者にしようとしているロクデナシにも見えなくはないだろう。
現時点ではヒモ同然であるし。
「あー、いえ、こいつ、この間の浸食の時にこんなんになっちゃいまして。
まあ元に戻る手段は迷宮にあるらしくって」
ディーノの曖昧な説明を肯定するように小歳は相槌を打った。
下手に口を挟んでも勘繰られそうだし、何か言って脅しと勘違いされて話が拗れても困る。
沈黙を理由に怪しまれるかもしれないが、何か言って襤褸を出すよりは遥かにマシだろう。
「そうでしたか、それは失礼を」
まだ怪しんでいるようではあるが、組合員は軽く頭を下げて謝意を示した。
それに小歳が頷いて応じ、それが相手に伝わったタイミングでディーノが容赦なく追撃を叩き込んだ。
「んで、私は職場が物理的に潰れました。
職場が再建されるまでの食い扶持を稼がなきゃいけません」
少なくない怨嗟が篭められた声は、地を這いずるような重々しさが宿っている。
斜め後ろに立つ小歳には、その面持ちは解らない。
しかし何か察するところはあったのか、組合員はバツの悪そうな表情をして。
「あ、例の……う、その、解りました。
登録しますので、この木板に、名前、出身、年齢、市民権の有無の記入をお願いします。
あと端に、拇印を」
カタン、と二枚の長方形の木板と羽ペンと赤と黒のインクがカウンターに差し出される。
言葉は通じるが、しかしそれが文字の読み書きに適応されるかと言えば……期待はできない。
この場に来るまでに確認すべきだった、と小歳は内心で苦々しげに笑った。
「ディーノ。代筆を頼めるか」
「ああ、そっか。解った、任せろ」
小歳の頼みをディーノが快諾する。
肩越しに手元を覗き込めば、やはり学はあるのだろう。
カウンターに寄りかかるようにして、ディーノは木の板に文字らしき記号を記していく
しかし思った通り文字が読めない。
何と言うか………ローマ字を複雑にして漢字のような形にした文字だった。
常用外漢字の一覧を見ている気分になっていると、不意にディーノが振り返る。
「お前の出身って何処だ?」
「日本国―――」
番地を省いて町名に限ったが、それでも随分と長く感じるのは普段は頭に国号を付けないからか。
戸惑うように眉根を上げて口元を曖昧に歪めたディーノは、少し考えるような仕草をしてから何事を書き込んでいく。
直訳されたかと小歳が思っていると、書き終わったディーノが蓋の開いた赤インクを差し出してくる。
拇印を押すのは初めてだななんて思いながら捺印した。
「…………ちゃんと拇印を押せるんだな」
「見た感じ指紋とか無いんだが……」
感心したといった風のディーノに、自らの指を見ながら応じておく。
指はグローブを填めたようで、つるりとしていて当然の如く指紋のようなものはない。
無貌の表面を撫でるのではなく、その奥の顔を触れたのと同じように。
そうと見えると言うだけで、実際の手の平は変容前と変わりはないのか。
「はい、確かに。準備が出来ましたら呼びに来ますので、後ろの長椅子に座ってお待ち下さいね。
あ、手はこちらで拭いてください」
組合員は木の板に押された小歳の拇印と手を交互にまじまじと見つめた後、濡れ布巾をカウンターに置くと、二枚の木の板を持って奥へと消えていく。
それを見送りながら順番に親指を布で拭って、待合の長椅子へと並んで腰掛けた。
「なあ、やっぱ文字は読めなかったか?」
ディーノの質問に無言で頷く。
あれは今後も読める気がしない。表意文字なのか、表音文字なのかすら理解できない。
日本語の読み書きが難解だという外国人の気持ちが少し理解できたくらいである。
「言葉が通じるだけ御の字だ。
…………いや、通じるようになったのは、だが」
ディーノと出会った時のことを思い出す。
あの時、ディーノが発した声を、小歳は声ではなく音として認識していた。
だから、言葉が通じるようになったのは、目が覚めてから……この殻を纏ってからだ。
不思議なことがあるとすれば、驚きはあっても不安はないことだろう。
肉体が変貌しているというのに、それに対する不安が生まれないのは何故なのか。
「何なんだろうな、その体」
「さてな。変身ベルトの持ち合わせはなかったが」
「なんだそりゃ?」
不思議そうな表情をするディーノに、変身ヒーローについて簡単に解説する。
ついでに命綱なしの高所で役を演じたり、足に傷を負ってなお演技に入った役者の話をしていると、先ほど奥へと引っ込んだ組合員が、突き当たりの通路から姿を現した。
「ディーノさん、えー……ショーサイさん、準備が整いましたので、こちらへ」
「はいはいっと」
「はい、は一度だ」
ディーノに続くように立ち上がり、並んで組合員へと歩み寄る。
「お前は私のお袋かよ」
「そんなことを言う子を産んだ覚えはありません!」
「まず性別考えろよ!?」
鋭い突っ込みであるが、しかし手の甲で胸を打つ動作がないのは残念だった。
なんというか、ディーノにはそれが似合いそうな気がするので、暇を見て教えておこう。
そんなやり取りを見ていた組合員は小首を傾げて。
「失礼ですが、お二人の前職は酒場付きの漫談師で……?」
「ウェイトレスです」
「学生です」
「……そ、そうですか。では、付いてきてください」
組合員は小歳に何ともいえない微妙な、生暖かい視線を向けると、背を向けて歩き出す。
その後に続きながら小歳は視線の意味を考えるが、解らず首を傾げた。
ふと真横からの視線を感じてディーノを見ると、やはりこちらも何ともいえない表情をしていた。
「なんだ?」
「……い、いや、ああ、うん、その話は後でな。
ところで組合員さん」
歯切れ悪くディーノは言って、それから話を変えるように先導する組合員に声をかける。
組合員は足を止めず、一度だけちらりとこちらに視線を向けて応じた。
「はい、なんでしょう?」
「準備が整ったって言ってましたけど、これから何をするんですか?」
それは小歳も気になっていたことである。
考え付くところとしては、冒険者として守るべきルールの講習だろうか。
試験の類とも思ったが、先ほどディーノに代筆を頼んだ際に組合員は何の反応も示さず、何も言わなかった。
それは恐らく文字の読み書きができない人間が珍しくないということで、そして冒険者になるのに文字の読み書き自体は必要ないのだろう。
文字の読み書きで差し支えがあるのならば、その時点で何か言われた筈だ。
「形成法の施術と、後は簡単な講習です。
…………確認ですが、お二人は形成法を施されては」
突き当たりの扉を前に足を止めて、振り返った組合員にディーノが首を横に振る。
小歳としては、そもそも形成法が何なのかすらも解らない。
推測するにしても、それが魔法的なもので、ディーノの反応からして一般的なものだという事くらいだ。
だとすれば、それを知らないというのは、反応としてはおかしいだろう。
だが、それが己の身に施すものであるのなら、知らないで居るというのは無理がある。
「不勉強で申し訳ないが、思えば形成法というものを詳しく知らない。
我が身に施すものであるのなら、詳しく知っておきたいので、説明をお願い出来るだろうか」
文字の読み書きにも不自由する人間が、不勉強も何も無いが、この言い回しなら何の問題もない……はずだ。
こういう口先で何とかするのは性分ではないのよな、と小歳は内心で愚痴るように呟いた。
「そうだな、言われてみりゃ私も詳しくは知らないな。
精々が職人やら兵士が見習いをある程度続けてから施すってくらいだわ」
意図を察してくれたのだろう。
ディーノが簡単に、形成法が一般的にどう認識されているのかを教えてくれる。
よし、頭を使うことは以降ディーノに丸投げしよう。
しかし見習いになる時に施すということは、どちらかと言えば儀礼的なものなのだろうか?
例えるなら成人の儀などと言ったものに該当するものかもしれない。
ただ魔法という法則が存在する以上は、儀礼であっても何らかの効果があってもおかしくはないのだが。
小歳がそう考えたところで、考えるようにしていた組合員が口を開いた。
「まー、私も詳しくはありませんが……。
簡単に言いますと、成長に方向性を持たせることで覚えを良くする儀式です。
戦士ならば戦士、魔法使いならば魔法使いという方向性を持たせることで、成長の効率を高めます。
丸いバケツと三角形のバケツ、口の大きさが同じなら水嵩が高くなるのは三角形バケツであるというように。
予め、その方向性を持たせることで経験を無駄なく成長に寄与させるというものです」
「………すみません、ちょっとよく解りません」
「大丈夫ですよ……私もよく解ってないので。
まあ戦う力を簡単に得られるものと思っていただければ」
難しい顔をしたディーノの言葉に、バツが悪そうに組合員は目を逸らした。
パソコンの原理、プログラムを理解できずとも、パソコンを使うことが出来るのと同じこと。
詳しく理解していないが、便利なので使っている……ということだろう。
要するに、RPG等におけるクラス(職業)の会得的なもので、そのクラスに就くことで特定能力の成長を高め、関連技術の習得を早める、というものか。
適正に合うという辺り、誰でも好きなクラスを得られるという訳でもないようだった。
「それは必ず受けねばならぬものなのでしょうか?」
言外に拒否できるならば、拒否したいと意図を篭めて小歳は言った。
「はい。これは冒険者として登録する上で絶対です。
こちらとしても能力の無い人間を迷宮に入れる訳にはいきませんので」
「………そうか、失礼した。気にしないで頂きたい」
はっきりとした組合員の言葉に、小歳は不承不承と頷いた。
その形成法というものに些か生理的な拒否感を覚えたのだが、それを施さねば冒険者になれないのであれば仕方が無い。
ディーノが怪訝そうに見上げてくるが、なぜ拒絶しようとしたのか理解できないからだろう。
感覚的なものだから小歳にも説明はできないし、組合員が居る前で話すことでもないので曖昧に頷いおく。
訝しげな面持ちのまま、しかし何も問わずにディーノは組合員に向き直る。
実際のところ、小歳にも形成法と言う者になぜ拒否感を覚えたのかは解らない。
ただ―――――これは違うと、心の何処かが訴えたのだ。
きっと成長と技術というものに対する認識と文化の違いから来たものなのだろう、と小歳は自分を納得させた。
小歳が口を閉ざしたことで質問も終わったと判断したのだろう、組合員は背後の扉を開けて室内へと足を踏み入れる。
ディーノ、小歳の順で後に続く。扉を潜れば、そこは何というか総合病院の待合場所じみた場所だった。
壁際に椅子が並べて置かれ、それが行き来の邪魔にならない程度の広さの通路に、奥には扉が三つ並んでいる。
「ええと、ディーノさんは手前の扉に、ショーサイさんはその隣の扉に入って下さい。
二重扉になっていますので、一番奥に移動したら地面に描かれた魔方陣の上に楽な姿勢で座って居て下さいね。
お二人が魔方陣の上に座ったことを確認し次第、お香を焚き上げて儀式を開始しますので」
「解りました」
中に入って改めて向き直った組合員の説明にディーノが応じ、小歳は無言で頷く。
そして指示された扉に入ろうとしたとき、ディーノがふいに言った。
「また後でな」
その言葉に、小歳は虚を突かれたかのように、無貌の奥の目を瞬かせ。
「ああ、また後で」
静かに、そう言葉を返した。