最低な甘さを孕む
何気ない一言って、意外とズバッとくるものがある。
たとえばこんな台詞。
「莉央、何か最近良いことあった?」
女の勘って、時々超一流の占い師以上の的中率を叩き出すことってありますよね。
たとえ、それがアホの子としか言いようがない頭で考えるよりも先に行動しているというような子でも、誰もが認めるキャリアウーマンみたいな人でも、それが女である限り、とんでもない勘を持っていたりする。
勘なんて非科学的だとか言われるけれど、女の勘はそこいらの占い師よりガチです。これだけは信じる。
そんな占い師さながらのことを的中させてきたのは、何を隠そうわたしの友人・宮原麻里奈その人です。
宮原麻里奈といえば、高校入学以来常に赤点を出し続けたある種レジェンドな方です。良くも悪くも普通の女子高生。普通に可愛いし、普通に恋愛して、普通にオシャレなんかしたりして。……一方のわたしといえば、見た目は普通女子だけども中身は結構年いってると思う。こないだ精神年齢測ったら34歳だった。何ていうか、リアルな年齢すぎてどうしようかと思った。確かに、妙に冷めてて妙に苦労してるから仕方ないけども。ちなみに麻里奈は16歳だった。こちらも実にリアル。
そんな同い年なのに精神年齢はともすれば親子ほど年のあるわたしたちは、駅前のフェリシアというカフェで女子高生らしい放課後を過ごしておりました。わたしはこないだの中間テストで見事麻里奈の入学以来の記録を断たせることに尽力したお礼として、麻里奈のおごりで大好きなガトーショコラを頬張りつつ、昨日のドラマの話とか、麻里奈が最近ハマってる俳優の話とか、今年の流行は千鳥格子だとか、実に女子高生らしい他愛のない会話に花を咲かせていました。
そんな中の、麻里奈の一言が、
「莉央、最近良いことあった?」
でした。
「……はい?」
わたしがすぐ返せたのはその一言。
正直、ありえないことだった。いや、わたしが常に良いことがないアンラッキーガールというわけではなくて(もしかしたら、タイミングの悪さはアンラッキー感漂ってるかもしれないけれどそれは昔からだ!)、麻里奈がわたしに話題を振ったことが、である。
麻里奈とは中学時代からの付き合いで、もう既に5年近い付き合いなのですが、わたしと麻里奈だけだといつも麻里奈が会話の主導権を握っているのです。わたしは大方聞き役に徹している。そんな麻里奈がわたしに会話を振った。これは、ありえないことだった。
もう一つありえないのは、今までの会話の中に片桐さんの話が出てきていないことだった。
片桐さんというのは、麻里奈の彼氏のことである。麻里奈はこの片桐さんとはラブラブで、あの一途だけども飽きっぽい麻里奈が2年も付き合っているという麻里奈最愛の彼氏である。どうでもいいけど、ラブラブって単語を精神年齢34歳が使うと一気に死語っぽいな。死語っぽくても仕方ない。なぜなら、上手い日本語が思いつかなかったからだ。睦まじいという表現もあったことにはあったが、麻里奈の学力的にいえばラブラブ示すのが正しい気がする。
まぁ、そんな麻里奈なので、話し込めば絶対に片桐さんというワードが出てくるのだが、今日は出てこない。喧嘩でもしたかなと思ったけど、麻里奈の左手の薬指には片桐さんが初任給で買ったというシルバーリングがはめられていたから、そういうわけじゃないようだ。本当に喧嘩してたら、麻里奈はいくら値段が張って好みのデザインだったとしてもつけてこない。喧嘩でもないなら、何で片桐さんの話が出てこない?もしかして、わたしの「最近あった良いこと」が恋愛絡みだから、そこにのっかる形で片桐さんの話を出そうとか?いやいや、麻里奈にそこまでの会話の組み立てなんかできない。思ったこと感じたことはすぐさま話すタイプだ。
「良いことって言っても、今麻里奈のおごりでガトーショコラ食べてることは良いことだと思うけど」
麻里奈の意図が読めなかったので、わたしはとりあえずおそらく正解ではないだろうが、間違ってないことを言った。
わたしの言葉に麻里奈は違うと返した。何がどう違うんだ。このひと月このガトーショコラを食べることを心待ちにしてテストを乗り切ったというのに。
「そうじゃなくて、何か最近雰囲気変わったなって思ったの。あたしが知ってる限りそんな変わることがなかったから、どうしてかなって」
雰囲気、変わった?
「そう?自分ではそう思わないんだけど」
麻里奈の勘に心当たりはあった。最近、数少ない友達の麻里奈にも話せないことが起きたのだ。
「変わったってー!だって、最近携帯よく見てるし、いきなり『用事ができた』とか言ってもいなくなったりするし。彼氏でもできた?」
「かっ、彼氏って……」
女の勘って怖い。何も伝えてないはずなのに、ドンピシャで当ててくる。こりゃ世の中の男性は浮気できないですよ。いきなりストライクかましてくるもん。
わたしが麻里奈に言ってない最近の変化は、わたしに彼氏ができたということだった。
彼氏といっても、麻里奈たちみたいな関係ではない。正式名は彼氏役。恋愛感情で繋がる関係じゃなくて、ビジネス的な要素を多く含む関係。しかも、その関係にあるのは、何を隠そう人呼んでミスター・パーフェクトこと吉岡葵なのである。色々あって、吉岡の彼女役を引き受けてるから、別に正式な彼女というわけじゃないし、現に吉岡には好きな人がいるし、そんな関係なので、麻里奈には公表できなかった。大体クラスメイトであることくらいしか接点のないわたしと吉岡がそういう関係だって知ったら、今まで吉岡が築きあげてきた良い人像も彼が秘めてる恋愛感情も、ひいてはそんなことを全て知りつつわたしは吉岡が好きという事実まで明るみになってしまうのである。それだから、お互い秘密にするというのがわたしたちの間の暗黙のルールだった。
この暗黙のルールを破る気は、さらさらなかった。
「そんなのいないよ。携帯見るようになったのは、お母さんが最近突然夜勤になったりなんだりで連絡が必要だってだけだし、突然出て行ったりするのは世界史の三宅先生のとこ行ってるだけだって。ほら、わたし三宅先生と仲良いし」
わたしは決して嘘ではない話をした。確かに、最近お母さんがいきなり夜勤になったりしてわたしが家事をしなきゃいけなかったり、世界史の三宅先生と仲が良いのは事実だったし。
真実を言う勇気も、かと言って、嘘をつく勇気も、わたしにはなかったのだ。
「確かにそうかもね。莉央のお母さん忙しいもんね。本当ご苦労様です。三宅先生のとこはあたしが行ってもわかんないしねー」
麻里奈はアイスティーのストローを回しながら言った。これで信じてくれるのかどうかは、わからなかった。けれども、麻里奈はいつものような笑みを見せて、ホッとした。
その瞬間、わたしの携帯が鳴った。何というタイミング。
「ちょっと失礼」
わたしはそう断ると、携帯を見た。メールが1件。
『東校舎屋上』
そんな味気もないメールの送り主は、名前を見なくてもわかった。
(あいつ……何でこう絶妙なタイミングなの)
もしかしたらエスパーなのかもしれないと、最近わたしは疑っている。非科学的なものは確たる証拠が揃えられない限り信じない主義なんだけども。
わたしは一息ついた。仕方ない。行くしかないか。
「麻里奈ごめん。わたし学校に忘れ物したから戻るね」
「忘れ物?そんなの明日でいいじゃんー」
「だめなんだって!明日提出のプリント忘れたんだって!」
「えー、あたしも行くって」
「麻里奈今日バイトでしょ?わたしのこといいから」
麻里奈はちらりと時間を見る。現在4時30分過ぎ。ここから学校までは10分あるし、麻里奈は6時から地元でバイトだから、無理だった。
「確かにそーかもー。じゃあまた明日ね」
「うん、また明日!!」
それだけ言うと、わたしは荷物を持ってここまできた道を引き返した。
(なんだってこの時間!!しかも、至福の時に!!しかも良い感じに麻里奈を納得させられたのに!!)
わたしはメールの送り主を恨んだ。
10分ほど歩くとそこに見えてきたのは見まごうことなく我が母校。まさか、ほんの1時間前に通り抜けた校門を再びくぐるとは。
校内に入ったわたしはすぐ東校舎の屋上を目指した。
基本的に屋上は鍵が閉まっている。少女漫画とかドラマでありがちなシチュエーション・屋上は、現実世界では成り立たないから何とも物悲しい。しかし、うちの高校はと言うと、確かに北校舎は常に屋上に鍵がかかっているけれども、東校舎には鍵がかかってなかったから、生徒たちは自由に入ることができたのだった。
必死に階段を駆け上がり、わたしは東校舎の屋上に登った。息切れもいいところ。こういうところで自分の体力のなさが現れる。もしかして精神年齢だけじゃなくて、肉体年齢も34歳なのかもしれない。
肩で息をしながら、わたしは周りを見た。いた。
ミスター・理不尽・パーフェクトこと、吉岡葵その人である。
肩で息してるわたしを見ながら、吉岡は嬉しいんだかイラついてるんだかよくわかんない顔で言った。
「おせーよ」
開口一番がそれとか信じられない。さすが、ミスター・理不尽・パーフェクト。ちなみに理不尽はミドルネーム。命名者は牧野莉央、つまりわたしである。
「駅から引き返してきたの健気なわたしにその仕打ちはあまりに酷だと思います」
「何が健気だよ。もうちょっと体力つけてから言え」
ぐっ。体力のなさはおっしゃる通りです。しかし、健気は撤回しません!呼び出されたらたとえ放課後ティータイムであろうが何だろうが駆けつける。これほど健気なものがあるでしょうか、いやない!このスピードと健気さは日曜7時からやってる戦隊ヒーローのピンクと同じくらいだと思う。ちなみに、吉岡は黒の組織のトップと同じくらい最低な人間である。
「奴さん、いないけど」
息が整ったわたしは辺りを見回す。奴さんこと吉岡に告白してくる健気な女子がいない。もうすぐ来るってことなんだろうか?
「もうすぐ来るだろ」
そう言うと、吉岡がわたしの腰を抱き寄せた。相変わらずの手癖の良さである。一体どこでそんなの覚えたのか。わたしがそんなこと思っているとは露知らず、吉岡が不機嫌そうに言った。
「腕、首に回せよちびっこ」
「ちびっこじゃないです」
157cmは女子の平均身長であって、決してちびっこではないのだ。けれども、相手は推定身長180cm。相手が悪かった。
「じゃあ女優か?」
「なんかあんたの女優って言葉に否定的な形容詞がついてるって信じて疑わないんだけど」
「じゃあ信じんな」
「信じる者は救われるんです」
アホみたいな会話をしつつ、わたしは吉岡の首に腕を回す。た、確かに届かない。背伸びしてやっと届く。大変ギリギリなんだけど、早くしてください。というか、吉岡屈む努力をしろ。人間歩み寄りが大切だ。しかし、吉岡はそういう努力とも思いやりとも縁がないようだ。人前ではできる癖に、わたしの前では一切やろうとしないところが特別扱いされてるようで何か嬉しいなんていう感情が一周回ってやっぱりムカつく。きっと当然の帰結だ。
(……というか、顔近い)
正直、こんな長い時間吉岡の顔を間近で見たのははじめてだった。何なのこいつ顔整いすぎ。わたしがこんなに間近で吉岡のご尊顔を拝めるということは、吉岡もわたしの顔がこの距離で見えるというわけで。何となく気恥ずかしくて、わたしは目を反らしてしまった。
すると、視線の端に吉岡の口角の上がり具合が見えて、キスされた。
(へ?はっ?何でこのタイミング!!)
いくら何でも唐突すぎる。心の準備くらい欲しい、そう思ったが、わたしは脳内で頭を振った。違う。
わたしたちの間に情なんて関係はない。このキスはビジネス。それは何回も何回も、吉岡とこういう関係になってから何回も反芻した。こんな貪るような口づけであっても、吉岡はわたしと同じ感情を抱いてない。吉岡の目に映るのは、わたしじゃなくて、妙子先生。最低。
わたしの耳に足音が聞こえて、立ち止まる音がして、すぐに足音が遠のいた。それはきっと、ある一人の女の子の恋が終わる音なのだと思った。最低。
その音が止むと、吉岡はわたしから唇を離した。最低だ。
「……あんた、いつか刺されるよ」
「そんな馬鹿な目に遭うかよ」
「どうだか」
わたしは遠くの方を見やりながら言った。もう5時過ぎか。世界は緩やかにオレンジ色に染まっていく。そういえばお母さん今日遅番だっけ。帰ってたら夕飯の支度しなきゃ。
そんなことをつらつら考えていた時に限って、わたしの目に映る淡いオレンジ色が、突如として消えるのだった。
「!」
わたしの淡いオレンジ色の世界を消したのは誰を隠そう吉岡で、吉岡が目に入った瞬間、またわたしたちの距離はゼロになる。
(何で!!)
どうしてこのタイミング。もしかして、わたしはタイミングが悪いんじゃなくて、吉岡がタイミングをわざと乱しているのではないかと錯覚するくらいに、吉岡はわたしとタイミングが合わなかった。
吉岡がしてきたのは先ほどの貪るようなキスじゃなくて、何ていうかこう支配するようなキスだった。わたしの全てを舐めとるような、そんなキスだった。
一瞬抵抗しようかと考えてみたけど、精神的な理由を述べるまでもなく、身長に体格差という物理的理由があって、わたしはなすがままだった。
わたしが抵抗しないことを良いことに、吉岡はわたしに口づけし、突然それをやめた。何でだ。
「……やっぱ甘いわ」
「は?」
何が甘い?何を形容した品詞?意味がわからない。
「何か食ってきた?」
「へ?あ、あぁここ来る前ガトーショコラ食べてた」
「通りで甘いわけか」
一人でうんうんと頷く吉岡。まるで、長年の疑問が解決したかのような表情だ。
わたしは何が何だかわからなかったけど、よくよく考えてみれば、わたしは先ほどまでガトーショコラ食べてたのだから、わたしの口の中は甘くて、吉岡は何で甘かったのかを知りたくてキスをしてきたということだった。何てまどろっこしい。
「……そんなことだったらわたしに直接聞けば良いじゃん」
別に疚しいことはまるでないのだから隠す気はない。
「まぁ、それでも良かったけど」
そりゃそうだ。吉岡の口はキスをするだけじゃなくて言葉を話す機能も搭載している。
「何か、したかったから」
吉岡が、にっと笑った。
「へ?」
ちょっと何それ意味わかんない。何なのそれどういう意味なの。まるでわからない。「何か」って何だ!
唯一わかったことは、これだけだった。
「……最低」
吉岡も、吉岡が演技じゃないキスをしてきたことに嬉しくなってるわたしも。