序章
辺り一帯に充満しているのは木々や家が焼け焦げる匂い。そして何よりも鼻を突くのは人の肉の焦げる匂いだ。
今まで嗅いだ事の無い異臭に、自分の意思とは関係なく腹からこみ上げる物があった。
自然に囲まれ、のどかで美しかった村はもはや見る影も無く、すべてが黒い灰の塊と化している。
死んでいく。ついさっきまで、温かく笑っていた仲間達が。
殺されていく。いつでも傍にいた、大好きな家族が。
これは夢だ。そうだ、これは悪い夢なんだ。
赤々と燃え盛る村を駆けながら、幼い少女は自らにそう言い聞かせた。
しかしそんな考えも、五感を支配する容赦ない現実にすぐさま崩されていく。
「逃げろローゼ!走れ、止まるな!走れっ!!」
背後に聞こえるのは、優しい三つ年上の兄の声。
周囲から絶えることなく響いてくる悲鳴はもはや誰のものかわからない。
嫌だ。やめて。
死なないで。殺さないで。
必死にそんな事を願っても、まだ幼い彼女にはどうする事も出来ない。ただ、逃げる事しか───
そこで途端に膝がガクンと折れた。長く走ったせいで、もう足に力が入らない。極度の疲労に底知れない恐怖も加わり、彼女は心身共に限界だった。
「おか…さん……おにいちゃ…っ」
助けて、と言いそうになった言葉をぐっと飲み込む。
自分はもう充分に助けられたのだ。母も兄も、自分を守って村に残った。村に居た大人達は皆、自分のような幼い子供を守って戦った事を彼女は理解していた。
もう、助けてくれる者はどこにもいない。
ゆっくりと深呼吸をして乱れた息を整える。村の外までは、もう少し走らなければならないのだ。
疲れきった両足を叱咤するように立ち上がると、少女は炎に染まった道をフラフラと歩き出した。
左腕から背中にかけて切りつけられた傷が、ジンジンと熱を持つ。けれど痛みは感じない。もっと動けと、そう思うのにそれが動きに繋がらず、彼女はまたも地面に崩れ落ちてしまう。
不意に地面を踏む音が耳に届き、その音に弾かれるようにして顔を上げると、そこに立っていたのは見慣れない青年だった。誰が見ても文句の付けようがない程の美貌を持つその青年は、口元に綺麗な弧を描き、愉しげに少女を見下ろしている。
美しいはずの笑みは炎に赤く照らされ、ひどく恐怖を掻き立てた。
「逃げようとしてるわけ?ははははっ!無理に決まってんでしょ。馬鹿だねえ」
一歩、また一歩と迫る青年が場に似合わない声音でそう言った。この状況を愉しんでいる彼は人間ではない。
人ならざる美しさは、力のある魔物のものだ。
「ど…して、村をお、襲ったの…?」
発された声は掠れて、情けないくらいに弱々しかった。しかしどれだけ願っても、もう足は動いてくれそうにない。
時間が稼げれば、少しは回復するかもしれない――
そんなわずかな期待を抱き、少女は青年に尋ねたのだった。
「…それ、時間稼ぎのつもり?無駄だよ。君達の一族は全滅させろって、そういう命令だからね」
けれどその思惑に気付いていた青年は、まるで少女の怯える様を愉しむ様にゆっくりと距離を詰めていく。
二人の間の距離が触れられる程になった時、青年の持つ赤く染まった短剣が振り上げられた。炎で輝く刃は、そのまま少女目がけて下ろされる。
「いっ…嫌あああああああああっ!!」
最後に見たのは、狂った獣の喜びに満ちた笑み。本能のままに喉が傷付くくらい叫んだ瞬間、彼女は突然意識を手放した。




