用心棒の男
「よお、カイル! 今日は、この近所を案内してやるよ」
南国ヒョン・カンの港町では、新しい冒険者を受け入れていた。
町の青年アッカスが、宿から出て来た旅の青年カイルと落ち合い、二人は歩き出した。
「まずは、ここが俺んち」
白い石造りの家だ。
アッカスの話では、なんでも、裏の小さな畑でポケポケ芋という品種の芋を栽培し、収穫すると、ユウの酒場に差し入れるということだった。
船出をして、ヒョン・カン島から、さらに他の小島へ渡り、未開の地で見つけた木の実なども育て、天然の重曹といって、鉱物から取れる物質を発見し、洗剤や研磨剤として安く売ったり、畑の土に混ぜると、植物を病気から守れることも、実験からわかり、農家に、安く売ったりしているのだという。
カイルは、好奇心に目を輝かせ、アッカスの説明を聞いていた。
「それで、こっちが、うちの隣のパン屋。ここのパン、すっげえうまいんだぜ!」
既に、焼けたパンのいい匂いが、漂っている。
アッカスの隣の、やはり白い石造りの家に、移動する。
茶色い木の扉は、常に開いていた。
「中で、ちょっと食べられるんだ。行ってみるか?」
アッカスに連れられ、カイルは、パン屋の中に、入って行く。
いろいろな種類のパンが並んでいる棚に、客が並ぶ。その向こうにいる店の者に、硬貨を支払う。
「あら、いらっしゃい、アッカスさん。今日は買いに来たの? 食べに来たの?」
会計のまだ若い女性の店員が、微笑んでいる。
金色の髪を横に一つに束ね、紐で結んでいる。
「今日は、友達を連れて来たんだ。奥は、空いてるかい?」
「ええ、どうぞ」
アッカスとカイルは、店の奥の、テーブルに着いた。
「あ、アッカス、こんにちは!」
まだ十歳くらいの少女が、注文を取り来る。
「よっ、リリー! 今日は、友達連れてきたんだ。カイルって言うんだ」
金髪の少女は、髪を上の方で二つに分け、まとめていた。緑色の、くりくりとした瞳に、生成りのシンプルなワンピースを着ていて、緑色の石のペンダントをしていた。
「いらっしゃいませ」
リリーは、カイルに、ペコリと頭を下げた。
「かわいい店員さんだな」
カイルが笑う。
「カイル、リリーをただのかわいい女の子だと思うなよ。リリーは、なんと魔法学校に通ってるんだ」
「魔法学校だって?」
リリーは、照れたように、肩を竦めてみせた。
「まだそんなにすごい魔法は使えないけど、かすり傷くらいなら、治せるよ」
カイルは、あんぐりと口を開けた。
「へえ! すげえなぁ! じゃあ、今度、俺が怪我したら、ここへ来ることにするぜ」
リリーは笑った。
アッカスも笑いながら、カイルの肩に、ぽんと手を置いた。
「時にカイル、お前、ロリコンじゃないよな?」
あまりにさらっと聞かれ、カイルは、アッカスの顔を見直した。
「別に、俺はロリコンじゃねえよ?」
「ならいいだろう」
「それより、あの店員のかわいいおねえさんと、親しそうだったな、アッカス。もしかして、カノジョか?」
アッカスは目をパチクリさせ、リリーは吹き出した。
「確かに、ママは若く見られるけど」
「へ? ママって……?」
「そ。あれは、リリーのママなんだよ」
リリーが笑いながら、カイルに説明した。
「あの美人は、リリーのかあちゃんだったのか!?」
カイルが心底驚き、感心するので、リリーは、おかしくて笑い通しだった。
「さて、今夜は、どんな冒険談を聞かせてくれるんだ?」
酒場のカウンターで、アッカスとカイルが、木の実酒を飲む。
ユウの出した今夜のツマミは、アッカスの栽培したポケポケ芋を薄くスライスして、揚げたものだ。
カイルは、それも気に入り、パリパリと食べながら、答えた。
「そうだなぁ……。この剣の話はどうだ? まだちゃんとは話してなかったよな」
「ああ、その魔法剣の?」
「そう。この剣をもらったのは十三の時だったけど、イマイチ使い方がわからなかった。もちろん、普通の剣としては使っていたけどな。この剣の、本当の能力を引き出した時のことにするかな。俺の今までの冒険の中で、一番おかしな、不思議な、夢みたいな話だ」
アッカスは、昨晩、カイルの話を聞いていた時のように、興味深気に、話を聞いていた。
ロマーナ王国、そこは、砂漠に隣接した都市であった。
貿易が盛んであり、旅人の出入りも多く、活気に満ちている。気温も高く、非常に日差しが強かったため、皆、布を被り、紐や環で止め、男も女も、足首のところで、すぼまった、柔らかく膨らんだ麻のパンツに、麻の布をはおるというスタイルが多かった。
その町を、ひとりの女が歩いて行く。
その女も例外なく、人々と同じ格好である。ただ、頭に被っている布からは、茶色い、艶のあるウェーブへアが覗き、日除けの黒っぽく色付いたメガネをしていたことから、外国人であることが、一目でわかる。
この地方の民族であったなら髪は黒く、縮れ毛か直毛であり、肌も褐色だった。その上、サングラスのような気取ったものをかけている者は、滅多にいなかったのだから。
女は、裏路地へ行くと、小汚い居酒屋のドアを開けた。
昼間であるため、居酒屋はまだ営業していないが、暗い室内には、人の気配がある。
女の知り合いである年老いた男が、木でできた丸いテーブルについていたのだった。
「おお、エミリー、こっちじゃ」
小柄で、丸いシルエットの老人は、手招きをした。
女は、さっと店内を見渡す。
バーカウンターには、中年の、口髭を生やした、居酒屋の主人がひとり。客は、その老人の他に、同じテーブルにいる、ひとりの若い男だけである。
エミリーは、すました仕草で、つかつかとやってきて、老人の隣に座った。
「エミリー、彼が、砂漠を案内してくれるそうじゃ」
老人がそう言うと、女はサングラスを少しずらして、同じテーブルの向かいに座る男を見る。
男もサングラスをしていた。
年齢も一見すると若く、エミリーと同じ二〇を過ぎているくらいであろうか。
しかも、彼のサングラスの下に見える肌の色も、彼女と同じ西洋白人系であり、髪は、さらっと艶のある、長い金髪であった。
白い麻の服を着てはいるが、どう見ても、この国の人間ではなかった。
エミリーは、メガネを直すと、不審げな表情で、老人を見た。
「彼も外国人なのではなくて?」
老人は頷いた。
「人種はそうじゃが、彼は、この辺りの地理に詳しい上に、剣の腕も立つという。酒場のマスターの話では、用心棒としての仕事も、何度かこなしているそうじゃよ」
エミリーは、慎重な面持ちで、男に向き直った。
「……あなた、信用できるんでしょうね?」
男は、エミリーの問いに答える前に、紙巻き煙草を胸元から取り出した。
マッチで火を点け、くわえると、煙を吐いた。
「俺がついてれば、野盗は寄り付かない。奴等の方から逃げていくぜ。それより、あんた、女ひとりで、あの砂漠へ行こうってのかい? やめた方がいいぜ。女には、とても酷な旅になるだけだ」
男は、テーブルの上に足を投げ出すと、また煙を吐いた。
「それでも、私は行かなくてはならないんです」
エミリーは、少しムキになって言った。
男の行儀の悪さに、腹を立ててもいた。
男はサングラスの奥から、じっと、彼女を見て、煙草を指の間に挟む。
「やれやれ、あるかどうかもわからない遺跡を調べに行く考古学者の卵っていうから、どんなクソ真面目のアオビョウタン学生かと思ったら、こんなお嬢さんだったとはねぇ」
男の言い方にカチンときたように、エミリーがサングラスを取り、身を乗り出した。
「まあ、バカにして! あなたのような浮浪人にはわからないかも知れないけどね、私は、以前から、あの遺跡に興味があって、関係ある資料も集めたし、どうしても実際に見てみたいのよ。それを、学会で発表するのが、私の夢なの。そのためだったら、例え、世界の果てだろうと、どこへでも行くつもりなんですからねっ!」
男は、ぽかんと口を開けて、エミリーの剣幕に圧倒されていた。
老人が、興奮して、ほとんどテーブルに乗り上げてしまっているエミリーを、まあまあと、なだめる。
男は、ぽりぽりと頭をかきながら、言葉を探るようにして言った。
「……まあ、要するに、あんたの学者魂とやらが、どうしても、そこに行かせたがってると、そういうことか」
「そうです」
男は、煙草を、アルミの灰皿に押し付けた。
「ふう、やれやれ。世の中には、いろんな理由で旅をするヤツがいるもんだな。引き受けてやってもいいぜ、道案内と用心棒の二役をな」
「おお、ありがとうございます!」
それを聞いて、逸早く安心したのは、老人であり、男とバーの主人とに、ぺこぺこと頭を下げた。
「それじゃ、さっそく前金を払ってもらおうか」
男の言葉に、エミリーが、金貨の詰まった袋を取り出す。
テーブルの上に置かれた黒い革袋には、まだ手をつけずに、男は尋ねた。
「ところで、その遺跡には、まだ眠ってる財宝がある……なんてことは、ねえのかな?」
エミリーの代わりに、老人が答えた。
「おお、それは、学会でも、まだまだ財宝が残っているだろうと、言われております」
「ふ~ん」
男の考えていることに想像をつけたエミリーは、老人を肘で突いた。
「ねえ、彼、まさか、財宝を盗もうとか、考えてるんじゃ……?」
「ええっ?」
学者である老人は、そのような無粋な考えを持つ者がいるとは思いもよらなかったようで、慌ててエミリーを見た。
「し、しかし、ここのマスターの話では、あのキーナ砂漠へ入るだけでも嫌がる者が多く、というのも、野盗が出るという噂が絶えないからなんだそうじゃが」
「……他に、適役がいないのなら、仕方がないわね」
エミリーも老人も、仕方のなさそうな目で、サングラスの若い男を見つめる。
男が、テーブルの上に金貨を並べて、積み上げながら、口を開いた。
「まあ、財宝が見つかったら、そいつの一部を手数料にいただくとして……」
(やっぱり……!)
エミリーも老学者も、顔を見合わせる。
「もうひとつ、いただいておきたいものがある」
エミリーが、キッと男を睨んだ。
「なんですって? お金なら、それで足りているはずよ。しかも、今、財宝をもらうと言っておいて、この上、まだ金目の物が必要だと言うの? 話が違うじゃないの!」
テーブルをバンと叩いて、またも、エミリーは、顔を突きつけた。
「研究に対する、人の純粋な思いに付け込んで、ひどいわ。この不良浪人! 誰が、あなたのような人に、頼むもんで……!」
話の途中であったが、エミリーの怒りには、まったく気にも留めない様子で、男はサングラスを取った。
透き通った、青い瞳が現れる。
一瞬、エミリーも老人も、男の顔に見入った。
男が意外に若く、想像もしていなかった整った顔立ちに、思わず目を見張っていたのだ。
その時だった。
男が、すばやくエミリーの顎を掴んで引き寄せると、その紅く彩られた唇を奪った。
一瞬の出来事であった。
エミリーの目が、見開かれる。
「きゃっ! 何するのっ!?」
慌てて、男の手から逃げ延びた。
男は、悪びれもせずに、にっこり笑う。
「よしっ! これで、商談成立!」
あまりの唐突さに、エミリーは驚き、しばらくは、口がきけないでいた。
(なんなのー、この男は!?)
鼻歌混じりに、金貨の袋をふところにしまい込む彼を見て、呆然としながら、そのうち、エミリーと老人は、顔を見合わせる。
「……ホントに彼、信用できるんでしょうね?」
「……さ、さあ……?」
エミリーは、これからの旅に不安を覚えていた。
「このロマーナからキーナ砂漠へ入るには、このルートで行くといいだろう」
エミリーの持っている地図を指で追いながら、用心棒の男カイルが説明した。
彼の話では、砂漠では、ウマよりも、ダグラという動物に乗るものだという。
「ロマーナにもダグラは売ってるが、砂漠の入り口で買う方が数もあるし、安上がりだぜ。それと、水も多めに仕入れておいた方がいいな。それから、日除けの布と、干し肉とかは、逆に、ここで買っておいた方が安く済むぜ」
カイルが、てきぱきと必需品を揃えてくる。
エミリーは、砂漠に入るのも初めてだったので、自分ひとりでは、どうしていいかわからなかったが、そういうところは、多少、胡散臭い彼でも、頼りになった。
(最初は、どうなることかと思ったけど、まあまあ頼りになりそうね)
エミリーは、少しだけ、感心した。
「さーてと、それじゃあ、山賊の出る確率の一番低いルートを通って行くとするか」
カイルの後ろから、エミリーがついていく。
人気のない山道であったが、さほどあるきにくいこともなく、山道に慣れていないエミリーでも、それほど酷ではなかった。
二人が無言でしばらく歩いていくと、ようやく視界が開けてくる。
そこは、もうロマーナ王国の国境近くであり、砂漠へ入る手前であった。
荒れ地の先では、人々が行き交い、賑わっているという話に、エミリーの表情も、次第に明るくなっていく。
「意外と早くキーナ砂漠へ入れそうね」
エミリーは嬉しそうに、カイルに向いた。
「砂漠へ入れば、もうそこはエウリュリュイス・エリアの領域だ。通行手形はあるか?」
「ええ。持って来たわ」
エミリーが荷物の中から手形を出そうとすると、即座にカイルが手で制した。
「ここでは、やめておけ。国境に着くまではな。まだこの辺りには、手形を狙った賊が潜んでるかも知れねえ」
「ええっ、そうなの?」
エミリーは驚いて、荷物を探るのをやめた。
そして、不安気に辺りを見回している側から、かけ声や雄叫びが聞こえてきた。
岩陰から、山賊と思われる男たちが、次々と現れたのだった。
あっという間に、山賊たちは、ぐるりと、カイルとエミリーの二人を取り囲んだ。
日焼けした茶褐色の皮膚に、上半身はほとんど裸で、太い皮のベルトを巻き付けているだけである。
ほとんどの者の髪は、ボサボサの伸び放題であるか、毛が一本もないか、モヒカン刈りのどれかで、どれも、人相の悪い、狂犬を思わせる者たちばかりであった。
「さ、山賊……!」
恐怖に見開かれた目で、エミリーがカイルにしがみついた。
カイルも油断のない目で山賊を見据え、しっかりと、片腕にエミリーを抱き、もう片方の手は、腰に差してある剣を探る。
「へっへっへっ!」
「ほほう、きれいなおねえちゃん、どこへ行くんだね?」
「そのお顔だと、外国人だな? ここは、俺たちの縄張りなんでね、悪いが、通行料を払ってもらおうか」
賊たちは、にやにやしながら、じりじりと、二人に寄っていく。
「いやっ、来ないで!」
エミリーは、泣き出しそうになりながら、カイルにしがみついたまま、腕を引っ張り、後退りしていく。
それにちらりと、目をやったカイルは、視線を山賊に向けて、言った。
「おい、てめえら、いい加減にしろよ」
三〇人もの山賊を前に、怯えた様子もなく、堂々と言い放つ彼を、エミリーが頼もしく思い、見上げた時であった。
「へい、親分、すいやせん」
目の前の賊たちは、途端に、地面に片膝を付いて座った。
「……えっ?」
目を丸くして、エミリーは、山賊とカイルとを見比べた。
「まったく、若いねえちゃん脅かすのも、そのくらいにしとけよ。しょうのない奴等だなあ」
「すんません。ほんのいたずら心でさぁ」
カイルが、あはははと笑う。
賊たちも、頭を低くして、笑っていた。
「ちょ、ちょっと待ってよ。今、『親分』て……!?」
エミリーだけが、目を白黒させ、カイルと山賊とを見比べる。
「なあに、心配いらないって。こいつら皆、俺の手下だからさ」
カイルは、にっこりと、白く輝く歯を見せて、エミリーに笑いかけた。
彼女は、やっと現実を飲み込むことができた。
(「俺がついてれば、野盗は寄り付かない」って……、あなたが、その野盗のリーダーだったんじゃないの!)
エミリーは、頭がくらくらしてきて、額を押さえた。混乱し、疲れた気分であった。
「なっ? 俺がついてれば、こいつらも、手ェ出せねえから、安心だろ? これ以上の用心棒はいないぜ。ははははは!」
あっけらかんと笑う彼に、エミリーは、もう何も言う気は起きなかった。