駆け引き
博打屋で、カイルは、小袋の説明をしてみせた。もとより、名博打師からイカサマのやり方をも教わった彼である。まずは、本物を、露店の店主のように少量だけ撒き、本物であることを証明するが、負けて賭け品として差し出す時に、とっさに偽物にすり替える、などということは、朝飯前だ。
といって、負けてばかりいるのでは収穫はないので、そのあたりをうまく演じ、「今日は調子があんまり出ないな」などと呟いてみせ、他の客が油断した時に、巻き返して勝つという手を使うなどする。
そうして、偽物も出払った彼に残ったのは、魔除けの黒いバンダナだけとなった。
それも、ただのバンダナであったが、ポケットにしまうのも面倒くさかった彼は、とりあえず、額に巻いてみた。こうすれば、町娘たちの受けの良さにも、つながるだろうと思った。それくらいの役には立ってもらわねば、購入した金銭が浮かばれない。
「まだ若いのに、相当な達人なのね」
博打を終えた彼が、カウンターでひとりで飲んでいると、声をかけてきた女がいた。
博打屋でも、彼の勝ちっぷりに寄ってくる女たちは、たくさんいたが、それらは、彼の儲けた金が目的であったのは、一目瞭然だった。
女たちに、ご馳走になるのはよくても、たかられるのはごめんだった。
「今日は、そうでもねえよ」
酒ツボをあおってから、カイルは、振り向きもせずに答える。
「この町の人? ……じゃないわよね?」
面倒臭そうに、彼が振り向いた。
そこには、黒いフードを頭から被ってはいるが、美しく、長い黒髪の、青い瞳をした、二〇代と思われる女が立っていた。
彼の観察が始まる。
女は、一見普通の町娘のような出で立ちの上に、黒いマントを羽織っていたが、カイルは、すぐに、町娘ではないことを見抜いていた。
それは、その衣服が似合わないほど品の良い物腰で、彼に向けられた会釈と、なによりも、貴族が身につけるような、香水の香りがしたからであった。
「お前、町娘じゃないだろ? こんなところで、何してる?」
ぶっきらぼうな言い方で、カイルが尋ねた。
女は、意外そうな顔になった。
「……どうして、わかったの?」
「見りゃわかるよ。大方、どっかの貴族の娘なんじゃねえの?」
女は、またまた驚いて、手を口に当てた。その仕草も、町娘たちのしない動作であった。
女は、観念した表情で、カイルの隣に座ると、小声で言った。
「お願い、黙ってて。実は、私、この国の領主の娘なの」
カイルは、表情も変えずに、酒を啜り、ちらっと、女を横目で見た。
「ふ~ん、……ってことは、公爵令嬢か。そのあんたが、なんで、こんなところにいるんだよ」
女は、ためらっていたが、やがて、打ち明けた。
「……そのう……、私、……家を飛び出してきたのです」
「なんでまた?」
「肖像画で見ただけの、ある国の公子と、無理矢理結婚させられそうになって……、それが嫌で、気が付いたら、家を出ていて……」
「政略結婚が嫌で、逃げ出したってのか。なにを甘いことを。ちゃんと家があって、食うに困らないだけ、感謝しろよ。まったく、お前ら、金持ちってやつらは、そういうありがたみが、ちっともわかっちゃいないんだからな」
冷たくあしらったものの、カイルは、ふと女の長い睫毛に、涙がたまっているのに、目が留まる。
「だけど、嫌なものは嫌なんだもの。肖像画では、ものすごい巨漢で、醜い顔だったし、道楽息子で放蕩三昧という噂よ。そんな人と、お金目当てで結婚させられる身にもなってみてよ」
美しい目鼻立ちのこの娘が、醜い巨漢と結婚するのは、少々もったいない気がした。
カイルが、横目で見つめていると、娘が、必死な面持ちで言った。
「お願い、私を追い返さないで。さっき博打で負けてしまったから、持ち金は、銀貨が少しだけになってしまったの」
「ふん、それで、儲かってそうだった俺に、タカろうってのか? お嬢のくせに、いい根性してるな」
娘は、目を見開いて、首を横に振った。
「いいえ、違います、そんなつもりは……! ……ただ、そのう……一晩だけ匿っていただけたら……と思って……」
女の顔から、困り果て、焦っているのは、カイルにも伝わった。両手をもみしぼり、懇願するように、彼を見つめている。
「あのな、なんで、俺が、見ず知らずのあんたに、そこまでしてやんなきゃならないんだ? そんな甘いことじゃあ、家出なんてしてる場合じゃねえぜ、お嬢さんよ。政略結婚が嫌だったらな、金持ちの家に生まれちまった自分を恨むこったな」
「……ひどいわ……」
「小さい頃から厄介者扱いされてて、家に居辛かった、旅に出るしかなかった俺に言わせればな、自分の居場所があるだけマシってこった。醜い巨漢の道楽息子でもよ、いいとこ見つけてみるとか、どうしてもなかったら、自分も男作って、楽しくやりゃあいいじゃねえか。お前みてえな甘いヤツは、家出したって、世間の厳しさに付いていけず、結局は、帰るしかなくなる。どう見ても、家柄も何もすべて捨てて生きていく覚悟なんか、見えねえもんな」
女は、てのひらで顔を覆い、泣き始めた。
どのくらいの時間であったのか。
カイルが酒ツボをおかわりして、飲み切り、デザートにミシアの実を三個食べ終わっても、まだ女は泣いていた。
いたたまれなくなったカイルは、思わず言っていた。
「しょうがねえな。俺の宿に来るか? ただし、一晩だけだぜ。明日には、家に帰るんだぞ」
女は、真っ赤に泣きはらした目で彼を見上げると、涙を拭いながら、小さく頷いた。
「ベッドがひとつしかねえから、そこで寝ろよ。俺は、床に寝るからさ」
宿の自分の部屋に、領主の娘を入れると、ベッドに背を向け、彼は、ごろんと床に寝転び、毛布に包まった。
娘は、どうしたものかと戸惑っていたようだったが、「ありがとう」と小さな声で言うと、そろりそろりとベッドに横になった。
いつの間にか降り出した雨が、バラバラと窓を打ち付ける。淋しげな夜の空気が、部屋を包んでいた。
カイルは横になって目を瞑っていたが、眠ってはいなかった。
娘も、眠っていないような気がした。
「……あの……、まだ起きてる?」
娘の声が、カイルの背に向けられた。
「ああ」
そのままの姿勢で、カイルが返事をする。
「私、ここ何日か、あなたを見かけていたのよ。博打も強いし、町娘たちにも人気があって……。あなたに声をかけたのは、……あなたのことが、気になっていたから。結婚させられる前に、私も、普通の町娘たちのように、恋をしてみたかった」
娘は、ちらりとカイルの背中を見るが、反応がない。
気落ちしたように、溜め息をついた。
「貴族のお嬢さんたちの考えてる恋と、現実は違うぜ」
娘は振り返った。
カイルは起き上がって、娘を見た。
「それでも、受け入れる覚悟は、あるのか?」
娘も、ベッドの上で身体を起こし、カイルを見つめる。
「どんなものなのか、あなたが教えてくれるなら……」
二人の青い瞳が、互いを捕えた。
「金と地位はあっても知らない男と結婚するよりも、貴族じゃなくても魅力的な男性と、……たとえ、一時でも恋が出来るなら、……幸せだと思うわ」
カイルは、立ち上がると、ベッドへ向かった。
「まだ名前聞いてなかったな。俺は、カイルだ。お前は?」
「……グロリア」
「よし、グロリア。後悔したって、もう遅いからな」
すぐ真上にある青い瞳に捕えられた娘の瞳が、彼を、物欲しそうに見上げた。
「キスして……」
そう言った彼女に、カイルが口づける。そのまま、ベッドに上がり、押し倒していった。
何度も重ね合う口づけは、いつの間にか彼女がリードしていた。積極的な彼女に、カイルは、「こいつ、実は、遊び慣れてるのか?」と意外に思うが、彼女の身体や髪から発せられる甘い花の香水と、ほのかに、ハーブのような味の感じられる唇を味わっていくうちに、頭がぼうっとしてきて、何も考えられなくなっていった。
一晩中降り続いていた雨は、明け方には上がり、さわやかな日差しと、心地よい風が吹く。
カイルは、眠い目をこすって、ベッドから起き上がった。いつの間に眠ったのか、覚えがなかった。
隣を見るが、グロリアの姿はない。
別れを告げると辛くなるから、朝早く出て行ったわけか、などと勝手に想像する。
(昨日、……あの後、どうしたっけ?)
口づけている間に、妙に眠気に襲われ、そのまま眠ってしまったように思う。
(酒も、酔いつぶれるほど飲んでもいねえし……)
思い出そうとしても、それ以上思い出せなかった。
気を取り直した彼は、朝食後は、そろそろ他の町にでも行ってみようかとでも思いながら、衣服の乱れを直すと、床の毛布で包んだはずの剣を取ろうと、毛布をめくるが、そこにはなにもない。
慌てて、ベッドの下や、部屋のあちこちを探すが、どこにもなかった。
「……やられた!」
舌打ち混じりに、カイルは悔しそうに呟いた。
「ほっほう、こいつは、すげえ値打ちモンに違いねえ!」
宝飾の鞘に納められた剣を眺めながら、茶褐色の皮膚をした大柄な男は、高笑いをした。
隣には、女が寄り添っている。
「だろう? これは、きっと高く売れるよ」
女は、青い瞳を瞬かせて言った。
「あんな小僧ひとり騙すのなんて、簡単さ」
女は、昨夜カイルの部屋に泊まったグロリアに他ならなかった。
昨晩とは雰囲気が違う。品の良い仕草や言葉遣いなどは見られず、ずるそうな笑みをたたえた牝狐に変貌していた。
その牝狐の姿こそが、本来の彼女だと言えた。
「まったく、女ってのは恐ろしいぜ!」
二人は、吟遊詩人の噂していた盗賊団の頭と、その女であった。
カイルの調べたところ、案の定、領主に娘などはいなかった。
(やっぱりな。数日前から家出したって言ってたが、それなら、もう噂になってるはずだし、警備隊だって、町に出回ってるはずなのに、そんな話は、一切入ってこなかった。それに、これは、まったくの勘だが、……彼女の香水や、ルージュには、催眠剤が仕込まれてたんじゃ……? おそらく、彼女自身は、効かない薬でも飲んでて。でなきゃ、この俺が、お楽しみ前に寝ちまうなんて、有り得ねえ!)
彼は、不機嫌極まりなく、食堂で、木の実酒をあおった。
(それにしても、頭に来るぜ! この俺に、一杯食わせただけじゃなく、魔法剣まで……!)
悔しくて、腹立たしくて、仕方がなかった。
彼は、人を騙すことはあっても、騙されることは、嫌いな質である。
しばらく、黙ってひとりで飲んでいたかと思うと、ふらりと食堂を出て行った。
それから数日の間、彼を目にした者はいなかった。
町では、剣をなくした彼は、尻尾を巻いて、他の町にでも逃げていったのだろう、やれやれ、これで、町娘たちも、博打屋も、少しは落ち着くだろうと噂され、安堵しているようだった。