(3)旅立ち
ある時、町外れの骨董品屋に、カイルは現れた。
そこでも、彼は、店主の老婆から、孫のように可愛がられていた。
通ううちに、目端も利くようになり、幼いうちから、あらゆるものの価値がわかるようになっていった。
大所帯の親戚の家で、肩身の狭い思いをしていた彼は、外の世界に好奇心旺盛であった。持ち前の人懐こさで、あらゆる人物に取り入るのに長けていた。
「おっと、危ない」
骨董品屋の老婆が、店の品を羽ボウキで手入れをしていたところ、値打ちものである銀の燭台が、棚から落ちてしまった。カイルが素早く手を出したので、床に落ちて割れずに済んだ。
「ああ、カイル、ありがとうよ。助かったよ!」
「ばあちゃん、気を付けてよ」
「悪い、悪い。つい手元が狂っちまってね」
「こういう高級なのは、鍵付き扉の中に、しまっとくぜ」
「ああ、ありがとうよ」
カイルは燭台をしまった。
ふと、棚に立て掛けてある物に、目を留めた。
宝飾の施された、美しい剣であった。
(こんな剣、今まであったっけ?)
カイルは不思議そうに剣を眺めていた。
「なあなあ、ばあちゃん、これなに?」
「ああ、これね。ずっと奥にしまっといたんだが」
老婆はにっこり笑って剣を取り、カイルに見せた。
「ほうら、宝石がたくさんついてて、綺麗な鞘だろう? これはね、一級の細工師の手で作られたものなんだよ」
「すごく高価な剣だなぁ。お城の王様が使ってたのかい?」
老婆は声を上げて笑った。
「そうさねえ、そうかも知れないね。これを持って来たお人も、この剣がどこから来たのか、よくは知らないみたいだったよ」
「それで、ばあちゃんは、いくらの値を付けたんだ? これなら、高く売れそうだよなぁ!」
「これは、売り物じゃないんだよ。これを持って来た旅人さんが、このババにくれたものなんじゃ」
「へえ、ばあちゃんに?」
カイルの青い瞳は、途端に好奇心に輝き出した。
また始まったと、老婆は、にこにこと笑みを浮かべながら、語り始めた。
「昔、ヴァルス帝国という国があったんだけど、突然、たくさんの魔物たちに襲われてしまってね、三日で滅びてしまったんだと。その時の生き残りが、第四王子フィリウス様ただおひとりだったんだ。フィリウス王子の父である国王が、貿易商から手に入れたという不思議な剣ーーつまり、この剣なんじゃが、これは、実は……魔法剣なんだそうだよ」
「魔法剣?」
カイルの瞳は、ますます輝いた。
それを認めると、老婆は満足げに話を続ける。
「フィリウス王子は、いつの間にか、この剣を握っておいでで、どうやら、それで魔物たちを倒していたそうじゃ。たったひとりで、魔物の死体の中に立ち尽くしていた彼は、おそろしくなって逃げ出した。じゃが、魔法剣は、ずっと手に握られたままだった。そうして、悲劇の王子は、魔物ハンターとして、世界の魔物を倒してまわったという」
「へえ、魔物ハンターかぁ。カッコいいなぁ!」
カイルは、うっとりと魔法剣に見蕩れた。
「それで、この剣を、ばあちゃんにくれた旅人ってのは?」
「背が高くて、がっしりとした老人じゃった。老いてはいても、紳士的なお方でな、ここに辿り着いた時には、病に冒されておった。ババは、医者の言う通りに、一生懸命看病したんじゃが、もう手遅れじゃった。そしたら、そのお方が、良くしてくれたお礼にと、この魔法剣をくださったのじゃよ」
「もしかして、その人が……」
老婆は、カイルに頷いてみせた。
「その旅のお方が、魔物ハンターのフィリウス王子だったんじゃよ」
「へえ!」
さしもの剣豪も、老いと病には勝てなかった。
フィリウス王子の話は、旅の吟遊詩人などの唄によって、一部の地方では、伝説となっていた。
「跡継ぎはいなかったのかなぁ? 面倒を見てくれたってだけで、ばあちゃんなんかに魔法剣をあげるとは、もったいないね」
老婆は、ところどころ抜けた歯を見せて、笑った。
「おやおや、随分なことを言うね。だが、確かに、その通りじゃよ。このババなんかには、とてもとても使える代物ではないさ。それなのに、こんなすごい剣をくださったところが、王子のお優しく、謙虚なお人柄が現れていると思うのだよ」
「偉いじいさんだな。俺だったら、そうだなぁ……、絶対、他のヤツになんか渡さないな。渡すとしたら、大金ふんだくってやるぜ」
老婆は、おかしくてしょうがないという顔で、カイルを見る。
「つくづく、お前は、正義の味方には程遠いヤツじゃの」
「俺も、そう思うよ」
二人は笑い合うと、品物の片付けを続けた。
「カイル! どこ行ってたんだいっ! ほら、夕飯、さっさと食べとくれよ。ちっとも片付かないじゃないか」
伯母である中年女は、後ろに引っ詰めた髪が、ほどけかけているのを直しもせずに、雑事をこなしていた。他の子供たちをも、八つ当たりのように叱りつけ、揺り椅子で居眠りをしている亭主にも、ガミガミ言っていた。
(家に帰ると、これだもんな)
家では無口なカイルは、黙々と食べ始めた。
小さな器に、ちんまりとよそわれた食べ物は、いつもたいして美味しくもなく、家の中では、寛ぐ場所もない。
娼館や、博打屋でもらう残り物の方が、はるかにうまかったと思う。
特にカイルが好きだったのは、骨董品屋の老婆の作る、肉のぶつ切りと野菜のスープ煮であった。
『年寄り一人じゃあ、こんなに食べ切れないからね、食べておいき』
それには、ここでは味わえない、家庭的な温かい味が感じられたものだった。
味だけではない。老婆の、彼を愛おしく思う気持ちが、食べることをより楽しく、美味しくしていたのだと気付く。
伯母も老婆も、彼との血のつながりはない。
だが、彼からすれば、老婆が、心の拠り所となっていた。
「まったく、あんたの母親は、いったい、どこに蒸発しちまったんだろうね。自分の子供より、男を追っかけていくなんて、あたしゃ信じらんないよ。うちは貧乏で、こんなに子供がいるのに、わざわざ養わなくてもいい子供、しかも、育ち盛りの大食らいを抱える余裕なんて、本当は、ありゃしないんだけどねっ!」
伯母は、聞こえよがしに言った。いつものことだった。
カイルは、何も言わずに、立ち上がった。
「おやまあ、残すのかい? 人様の作ったものを残すなんて、たいしたご身分じゃないか。父親も誰だかわかんなくて、母親にも捨てられたガキのくせにさ」
キッと、カイルが伯母の目を捕え、睨んだ。
「なっ、なんだい、その目は? 文句があるんなら、この人に言いなっ!」
伯母は、伯父の影に隠れて、顔だけ出す。
「あたしたちが拾ってやんなきゃ、あんたはとっくに野垂れ死んでたんだからねっ。食べ物と寝るところがあるだけでも、感謝するもんだよ」
じっと伯母を睨みつけていたカイルは、何も言わずに背を向けると、家から出て行った。
「なんだい、こんな時間に出かけるなんて、また娼館かい? この不良息子! あんたが大きくなったら、絶対、男娼になって、稼いで、恩を返してもらうからね!」
伯母の怒鳴り声が、彼の背にぶつけられるが、構わず、カイルは、散歩でもするように歩いていった。
彼が向かった先は、骨董品屋であった。
いつもなら、娼館へ行くところであったが、出入り禁止をくらっている。
それに、なんだか急に老婆の顔を見たくなったのだった。
(昼間も会ったばかりだけど、ばあちゃんは、俺が行ったら、いつでも喜んでくれる)
厄介者扱いの伯母といるより、ずっと良かった。
もう店じまいをしている店が多く、昼間と違い、さびしい雰囲気の道を、ひとりで歩いて行く。
遠くに見える山々を見ながら、カイルは頭の中で、伯母の言葉を反芻していた。
『あんたの母親は、いったい、どこに蒸発しちまったんだろうね』
『自分の子供より、男を追っかけてくなんて……』
『父親も誰だかわかんなくて、母親にも捨てられたガキのくせに』
幼い頃から言われ続け、いい加減、聞き飽きていた。
涙の代わりに、溜め息がこぼれる。
(別に、俺は、もう顔も忘れちまったかーちゃんが恋しいわけでもないし、顔も知らないとーちゃんに会ってみたいとか、探し出したいとかとも思わない。普通のコドモは、もっと違うのかも知れないけど)
両親が二人ともそろっていたとしても、きっと彼の立場は、変わらないような気がしていた。
厄介者である立場は。
彼には、幸せな家庭の中にいる自分を、想像出来なかった。
だから、彼は、今のこのような環境にも、文句は言わなかった。
家は、少々煩わしかったが、それを除けば不満はないと思っていた。
そう思わないことには、生きてはいけなかったのだ。
薄暗い山道を通って隣町に近付くと、骨董品屋が見えてきた。
彼の足取りは、次第に軽くなり、跳ねるように進んでいった。
だが、近くまで来ると、いつもと様子が違うことに気付く。
骨董品屋の木戸は、壊れて、外れかかっていた。
「……?」
不思議に思うと同時に、胸騒ぎを覚えた彼は、足を速めると、扉から、そうっと顔を覗かせた。
「……ばあちゃん? あっ……!」
愕然とした。
店内は荒らされていた。
品物はぶちまけられている。
扉も、壊れていたのではなく、壊されていたのだと悟る。
(強盗!)
カイルには、わかった。
店は、強盗に襲われたのだ。
「ばあちゃん! どこだ!」
老婆の容態を真っ先に心配したカイルは、まだ強盗が潜んでいるかも知れないなどと考える余裕もなく、店の中に飛び込んでいった。
中は、真っ暗であった。カイルは、割れた品物をよけながら、店の奥へと入って行く。
すると、いつもの老婆の部屋の床に、なにか黒々したものが転がっているのを見つけた。
「まさか、……ばあちゃん!?」
カイルが、その黒く横たわっているものに駆け寄り、抱き起こすと、かすかに息をしているのがわかった。
「……カイル? ……カイルなのかい?」
かすれた声が、やっとのことで絞り出された。
「ばあちゃん! いったい、どうしたんだ!? なにがあったんだ!?」
カイルが老婆の身体を揺すった。
強盗は、老婆を殴ったり、突き飛ばしたりして、値打ちものの品や、金貨を強奪していったのだった。
「なんてひどいことしやがるんだ……!」
カイルの、老婆を抱える腕は、怒りに震えていた。
「早く、医者のところに! 今、連れてってやるから!」
老婆は咳き込むと、はあはあ息をもらしながら、言った。
「……い、いや、ババは、もうダメじゃ」
カイルは目を大きく見開いた。
「なに言ってるんだよ!」
彼がそう言う間もなく、老婆は咳をしながら、手で口を押さえた。
ひどい咳の後、彼女のてのひらには、血が、べっとりとついていた。
「ワシの死期は、近付いておったのだよ。最近、胸を患っていての。医者からは、もう助からんと言われておったのじゃ」
「そ、そんな……!」
カイルは、全身から血の気が引いて行くのを感じた。
「いやだよ、ばあちゃん、死んじゃうなんて!」
老婆を強く抱きしめるカイルの目からは、涙があふれていた。
呼吸を乱しながら、老婆は、苦し気に続けた。
「……ワシには息子がおったが、都会に行くと言って、……村を出て行ったっきり、帰ってこず、そのうち、じいさんも死んでしまいよった……。残されたこの店を、ただ続けていくだけの……抜け殻のようなワシの前に、お前が現れたときは、……嬉しかった……! 生きる張り合いを見つけた。……孫のいなかったワシには、お前が本当の孫に思えて……ならなかった」
「俺だって、あんなおばちゃんたちに比べれば、ばあちゃんの方が、よっぽど好きだよ! ばあちゃんが、俺の、本当のばあちゃんか、かーちゃんなら良かったのにって、思ってたんだよ!」
老婆は嬉しそうに、弱々しく微笑んだ。
「……ありがとよ。……お前には、なにもしてやれなかったが、……ただひとつ、盗人どもに盗られなかったものがある。……そこの床下を、見てごらん」
震える指先の示したところに、カイルがいき、敷物をどけ、床板を外した。
そこには、あの豪華な装飾の成された魔法剣が、しまってあった。
「ばあちゃん、これか?」
カイルは魔法剣を手にすると、老婆の手に抱かせた。
「これを……、お前にやるよ」
「えっ?」
老婆は、魔法剣をカイルに押し付けるように、差し出した。
「これは、持ち主を災いから守ってくれるとも、言われているのじゃ」
「災いから守ってくれるだって!? だったら、なんで、ばあちゃんを守ってくれなかったんだよ!」
「違うんじゃ、カイル。……ワシには、妙な胸騒ぎがしたんじゃ。……もしかしたら、こうなることを、魔法剣が教えてくれたのかも知れぬ。だから、なにかあった時は、……この剣をお前に授けようと思っておったワシは、慌てて床下に隠したんじゃよ」
カイルの頬は、とめどなく涙が溢れ出し、乾くことはない。
その頬に、老婆の震える指が触れた。
「ワシは、後悔しちゃいない……。……お前に引き継ぐために、この剣を授かったのだと、今わかったよ。……お前といて、楽しかった……! 強く生きるのじゃよ、坊。お前なら、ひとりでも、立派に生きていける。魔法剣が、お前を導いてくださるじゃろう……!」
そう言って、眠るように、老婆は、目を閉じた。
山のふもとの、街道沿いにある娼館は、夕方から活気づく。
今日もシャロンは着飾り、姉弟子と、立ち居振る舞いや、下っ端の仕事などを教わっていた。
「よお、シャロン」
シャロンが小窓から外を見ると、そこには、カイルの姿があった。
「カイル、来てくれたの?」
嬉しそうに笑ってから、シャロンは、少しバツの悪そうな顔をした。
「あの……、この間は、ごめんね。あたし、あんたに、ひどいこと言っちゃって」
「ああ、いいよ、そのことなら。俺は全然気にしてないよ」
カイルが、少しだけ笑う。
姉弟子が、咳払いをした。
「ごめんよ、これから、仕事かい?」
「ええ。でも、あたしの出番までは、まだ時間はあるわ。今日は、舞台袖で、姉さんたちに小道具を渡すの」
「へえ」
シャロンは、いつもと、なんとなく、カイルの雰囲気が違うように感じた。
何か言いたげに見えるが、口を真一文字に結んでいる。
また同居の伯母に、意地の悪い仕打ちを受けたのか。それにしても、何かを覚悟したような顔つきに、彼女には思えた。
「……ねえ、カイル、どうかした?」
「別に。ただ、シャロンに、おやすみを言いたかっただけさ」
「え? ……ああ、普通の人は、もうすぐ寝る時間だものね。あたしたちは、これからが、稼ぎ時だけど」
カイルは、シャロンを、じっと見つめて言った。
「立派な売れっ子娼婦になれよ、シャロン」
「ありがとう、カイル」
「……それじゃ、おやすみ」
「おやすみなさい」
カイルは手を振ると、一気に駆け出して行った。
その後ろ姿を、小窓から見つめていたシャロンは、ふと不思議に思った。
(あら? カイルったら、あんな立派な剣なんか、持っていたっけ?)
シャロンがカイルを見たのは、それが最後だった。
以来、カイルの姿を見た者は、誰もいなかった。