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ヒョン・カンでの日常

「やあ、リリーちゃん、今、学校の帰りかい?」

「あ、ユウさん!」


 白い石造りの建物が並び、遠目に青い海が広がる。

 白い石の階段を、ぴょんぴょんと下りる少女は、階段下を通りかかった黒いマントの青年に、親しい笑みを浮かべて、階段を駆け下りた。


「ユウさんは、買い物の帰り?」

「うん、そうだよ。夕方からお店を開けるからね」


 ユウが片手に抱える皮の袋には、野菜と果物が入っている。


「後は、パンがあれば完璧だな。リリーちゃんのお店で買おうかな」

「うわぁ、ありがとう!」


 金色の髪を二つに結わえた少女は、嬉しそうに飛び跳ねて、穏やかに微笑むユウの笑顔を見上げた。


「魔法は、何か新しく覚えられた?」

「ん〜とねぇ、炎の魔法が、うまくいかないんだよねぇ……」

「やってみせて」

「えーっと……」


 短い呪文を唱えたリリーのてのひらでは、パチッと、火花のようなものが散ると、その後は何も起こらなかった。


「ね? うまく出来ないの」


 少しだけ、少女は悲しい顔になる。


「そうだねぇ、うまくいかないのは、リリーちゃんが、火を怖いと思ってるからかも知れないよ」


 リリーが目を丸くして、ユウを見上げる。


「そうなの? 確か、私が小さい時、向こうの山で火事があって、炎もすごかったし、黒い煙がボーボー出てたのを、うちの窓から見てね。その時、すごく怖かったのを覚えてるんだ」


「ああ、そんなこともあったね。確かに、火は、一つ間違えれば怖いものだよね。じゃあ、こう考えてみたらどうかな? リリーちゃんのおうちにある、パンを焼くかまどは、火のおかげで、美味しいパンが作れるんだよ。うまく使えば、皆の役に立つことが出来るんだ。かまどの火なら、かまどの中だけだし、怖くないでしょう?」


 リリーの表情が明るくなっていく。


「そっか! 炎の魔法を使う時は、うちのかまどの火を思い出せば良いんだね!」


「黒魔法は、怖さを充分わかった上で使うものなんだよ。学校で習ったのは、リリーちゃんくらいの年だと、てのひらに浮かべる程度の炎だよね。大きな炎の術じゃないから、『これが出来たら、皆の役に立つんだ』って思いながら、頑張ってみたら?」


「うん! ありがとう! 明日、学校で試してみるよ!」




 空が夕焼け色に染まりつつある頃、勢いよく木の扉が開く。


「よう、ユウさん! ナッツとポケポケ芋、持ってきたぜ!」


 肩に布袋を担いだ青年に、店のカウンターの中から、ユウが微笑んだ。


「アッカスくん、ありがとう!」


 奥の貯蔵庫に袋を運び入れたアッカスに、ユウが、いつものように代金を払う。


「ところで、ユウさん、今日は、カイルのヤツは来てるかい?」

「カイルくんなら、さっきから、そこに」


 ユウが指差したカウンターの隅には、金色の長い髪を垂らし、横向きに俯せている青年がいた。


「うわっ! あまりに存在感なくて、気付かなかったぜ!」


 アッカスは、革袋を指定の場所に置くと、カイルの隣に腰掛けた。


「よう、カイル! 寝てんのか? 起きてるんだろ? 最近、元気ないみたいだけど大丈夫か? 今度さ、いよいよ海の生物調査船がこっちに来るんだってさ! 早く乗りたいよなぁ!」


「俺はいいや」


 気の抜けた声が、向こうを向いたまま発せられた。


「なんでさ? 乗りたいって、海に出て冒険したいって、言ってただろ? あんまりヒマしてるの良くないぜ。今さ、星の観察してるんだけど、夜、俺んとこ来ないか? 屋根から見る星空は綺麗だぞ!」


 カイルの応えは、大きな溜め息だった。


「おいおい、今のは、魂まで吐き切ったような溜め息だったぞ。ダメだ、カイル! しっかりするんだ!」


 アッカスがカイルをがくがく揺すると同時に、カイルが自分から起き上がった。


「ありがとよ。もうちょっとしたら、ちゃんと仕事するから、心配いらねぇよ」

「ホントか?」

「ああ。それまでは、放っておいてくれ」


 カイルは、テーブルに置いてあったガラスのグラスと、食べかけの黄色いミシアの実の続きを、食べ始めた。


「ユウさん、こいつ、なんか強い酒でも飲んだの?」


 アッカスが首を延ばして尋ねると、カウンターの中から、ユウが首を横に振った。


「いや。それは、きみがくれた、ただの天然ソーダだから」


 アッカスは向き直ると、カイルをまじまじと見た。


「ノンアルコールで、これか……」


 魂の抜けたようなカイルをしばらく見つめてから、アッカスも黙って、天然ソーダと、ポケポケ芋の素揚げ、ミシアの実を注文した。


 開店して間もなく、客が出入りし、店の中は賑わっていく。

 カイルは、パンをかじり、時々、ポケポケ芋の素揚げを食べていた。

 アッカスも、無言で、同じ物を食べている。


「あら、カイルじゃないのー」

「最近、街で見かけないと思ってたのよー」


 派手な出で立ちの街娘二人が、そばにやってくると、カイルは笑顔になった。


「ワリイな。仕事が忙しくてさ」

「あら、そうだったの?」

「今度、あのお店の焼き菓子、また皆で食べに行こうねー」

「ああ、またな!」


 にっこり笑って二人に手を振ると、無言に戻り、黙々とパンと芋を食べる。


「なあ、お前、もしかして、まだ……引きずってるんじゃないか?」


 静かに、アッカスが尋ねる。


「……別に。関係ねぇよ」


「だって、用心棒の仕事だって断り続けてるし、あんなに楽しみにしてた調査船にも乗らないって言うし、まるで、抜け殻……」


 アッカスは、慌てて口を閉じた。


「……抜け殻……、ホント、その通りだぜ」


 カイルは肩を震わせ、自嘲するかのように、小さく笑った。


「なんでだか、俺、腹に力が入らないっていうか、やる気が出ないっつうか、……どうしたんだろうなぁ」


「だから、あの子が一緒に行くって言った時に、連れて来ちまえば良かったんだよ。侍女なら身分低いし、代わりなんていくらでもいるんだから、一人くらいいなくても宮廷も困らないだろうし。まったく、格好付けてないで、ちゃんと言えば……」


「ああ!」


 アッカスの話の途中で、カイルはカウンター・テーブルに突っ伏した。


「俺はバカだ! 格好付けるなんて、性に合わなかったんだ! あのは特別だった! 俺の初恋だったのかも!」


 アッカスは耳を疑った。

 彼女が初恋なら、それまでのは何だったのか、と。


「だから、今まで好きになった女は、好きだった自覚はあるけど、その場だけで終わることが多かった。だけど、ジーナは別だった。あの娘は、故郷の幼馴染みに、どこか似てた。普段、頼りないのに芯は強くて、健気で……」


 近くにいるユウに、アッカスはカイルのグラスを見せ、本当に酒は入っていないのかと再び尋ねると、ユウも、正真正銘ただのソーダ水だと、再び答えた。


「だけど、仮に、彼女が俺に付いて来てくれたとしても、俺の冒険には危険が伴う。町で待たせておくって手もあるが、いつ帰れるかもわからねぇし、宮殿みたいに警護がしっかりされてるところじゃねぇ庶民の町中じゃあ、俺の留守中、いつ盗賊とか山賊に襲われるかわかんねぇし……って考えると、彼女は、王宮で働いてる今のままの方が安全なんだ。それで、イケメンな貴族……いや、イケメンはダメだ! 誠実な貴族の男とかに見初められて、いつか結婚する方が幸せなんだ!」


 カイルは、残りのソーダを飲み干し、また俯せた。


「だけど、……ジーナが他の男と結婚するなんて……! 俺にはまだ耐えられない! い、いや、誠実な男であれば、……我慢出来るか……?」


「なにも、今すぐってわけじゃないだろうし」


「……それもそうだよな、それなら……! いや、やっぱりイヤだ!」


 嘆くカイルの隣で、静かにソーダを口にするアッカスは、困ったようにユウを見る。ユウも困ったような笑顔になった。




 数日後――。


「ホントか、ユウさん!」


 日中、道端で出会ったユウから、アッカスは、用心棒の依頼が来たと知った。


「その条件なら、あいつも引き受けると思う! 俺、カイルに知らせて来るよ!」

「ああ、よろしくね!」


 ユウに手を振ると、アッカスは宿屋へと向かうが、カイルは不在であった。

 宿屋の主人によると、ここ数日は、別の場所にいると、皮の切れ端に書いたメモを渡された。

 不思議そうにしていたアッカスは、すぐに、メモの場所へと向かった。


「よお、アッカス! わざわざ来てくれたのか!」


 カイルには会えた。

 だが、そこは、あまり見慣れない風景だった。

 テントがあちこちに張られていて、肌の色の濃い人種の人々が行き交う。


「異民族の集団だよ。ほら、この間、一緒に観に行った芝居小屋の」


 カイルが、にこにこと応える。


「ああ、そうみたいだな。お前、最近、宿屋じゃなくて、こっちにいるのか?」

「ああ、そうだ」

「なんで?」

「なんでって……」


 カイルが答えかけると、テントの中から、声がした。


「カイル〜、どうしたの〜?」


 ハッと、アッカスがカイルを見る。


「ああ、今、友達が来ててさ」

「あら、上がってもらったら〜?」

「そうだな。ほら、アッカス、入れよ」


 アッカスがカイルに続いてテントに入ると、縮れた長い黒髪に、異国の装束をまとった、肌の色の濃い女が、絨毯の上で、にっこりと、彼を出迎えた。


「……カイル、まさか、この人って……!」

「そ。あの時の芝居小屋の女優さんだぜ」

「よろしく〜、ジョアナです〜!」


 目鼻立ちの整った、彼らよりも少々年上に見えるジョアナは、色っぽく微笑んだ。


「今、ちょうど、お料理中だったの〜。もう少ししたら出来上がるから、お友達も、食べてってね〜」


 ジョアナは、切った野菜と肉をテントの外に運び、小さい鍋でグツグツ煮ると、中へ戻り、テーブルに鍋ごと置いた。


 彼女の配った小皿に、鍋から直接スプーンですくい、一度盛ってから、アッカスは食べた。

 香辛料の効いた味付けだ。異国の香りがする。


「はい、あ〜ん」


 そのジョアナの声に驚いたアッカスが顔を上げると、彼女がスプーンですくったスープの野菜を、カイルの口に運んでいるところだった。


「うまいっ! ジョアナの料理は最高だぜ!」

「やだ、カイルったら、お客様の前で!」


 あはははは、うふふふふと、楽し気な笑い声が起こる。


「あ、そーだ! 食事の後に、久々に、俺、博打屋に行きたいんだけど」

「あら、いいわよ。はい」


 彼女がカイルに渡したのは、銀貨の詰まった袋であった。


「昨日、公演で儲けたから、その袋の中身は、全部使っていいわよ」


 アッカスは、目を丸くした。


「サンキュー! さすが、俺のハニーだぜ!」


 ジョアナの肩を抱き寄せ、カイルが頬に口づけた。

 アッカスは、ぽかんと口を開けて、仲睦まじい二人の様子を見ていた。




「お前、ますます堕落していくな」


「俺は、もう疲れたんだよ」


「十八になったばかりだろ? まだ若いのに……」


 夕日の反射する海を高台から眺め、カイルが力なく笑った。


 アッカスは、ふと思った。

 彼は、常に女性を、母性を、求めてしまうのかも知れない、と。


 産みの母親は、息子よりも男を取った。

 その母親に対し、未練はないらしくとも、女性、もしくは、母性を求めて、いつの間にか追ってしまうのかも知れない。


 なぜか、彼は、女性を好きでも、女性に執着したがらないようにも見える。母親に捨てられた記憶が、捨てられる側の痛みを、いつでも呼び起こすのだろうか。

 だから、その場が楽しければ良い、傷付かない恋愛ばかりを、無意識に選んでしまっていたのだろうか。


 実は、彼の心は、満たされていなかったのかも知れない。


 隣で、そう考えたアッカスは、一瞬、同調したような遣る瀬ない目で彼を見つめたが、すぐに真面目な顔になった。


「だからってな、いくらなんでも、ヒモはマズいって。お前は、冒険者じゃなかったのか? せめて、仕事くらいしろ。ユウさんから、用心棒の依頼を預かってきたんだ。今回は、俺も同行する。お前が、ちゃんと仕事するか、この目で見届けてやる。だから、今度こそ、引き受けろよ」


 カイルは、少しうんざりした顔をしたが、熱意のこもったアッカスの言葉に、諦めたように頷いた。


「わかったよ。で、誰を護衛するんだ? 綺麗なねえちゃんなら文句なしなんだけどなぁ」


「喜べ! 相手は、大金持ちの商人だぜ! 年は、俺たちのオヤジくらいかな」


 楽しそうなアッカスに対し、カイルの表情は、一気に落胆した。


「……なんだよ、金持ちのおっさんかよ。どうせ、デブで成金で性格悪い、俺の一番いけ好かないヤツだろうよ」


「ま、まあ、そう言わずに、金持ちなんだからいいだろ? 報酬が今までとは比べ物にならない額だぜ、百リブだって!」


「百リブねぇ……百リブ……」


 みるみるカイルの顔に正気が戻り、アッカスを振り返った。


「百リブだとーっ!? 金貨百枚分か!」

「なーっ! 破格だろ!?」

「するっ! おっさんの護衛でも何でもするっ!」

「よーし! それでこそ、カイルだ! さっそく、ユウさんに返事してくるぜ!」


 笑顔でアッカスが駆け出そうとすると、カイルが引き留めた。


「……で、それは、お前とのセット料金か? 受け取りは、半額ずつになるってことか?」


 アッカスが吹き出した。


「いや、俺は、ただのお前の見張り役だから、金はいらない。用心棒の仕事をするのは、お前だけだからな」


「……ホントに?」


「ああ。お前、がめつさも取り戻したな。それでこそ、カイルだ!」


 アッカスは、ウィンクしてから、駆けていった。

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