相棒
丸い月が照らす静かな海上を、一艘のボートが、静かに進んでいく。
波は静かに、やがて、引いていった。
ボートの上から見ていた男は、驚愕し、思わず立ち上がっていた。
見たことのない小島が、浮いているように見えるのである。
男は、ボートを小島の岸に寄せ、降り立った。
小島自体が小さな山であるようで、浜からゆるやかな起伏があり、人が通れるほどの洞穴が見える。
穴の奥へ進むと、潮風が通り過ぎていった。トンネルのように、筒抜けであることがわかる。
さらに進むと、子供が入れそうな大きさの、頑丈そうな箱が、無造作に置いてあった。
男は、すぐに、それが宝箱だと気が付いた。
カギを開けることは、彼には簡単だった。
中には、宝飾品などの財宝が入っていた。
「本当だよ、ここんとこ観察してたら、一月に二回、海の水が引く時があるんだ。それを、干潮って言うんだが、その時、地図でいうと、だいたいこの辺りに、小さい島があったんだ。そこの洞穴に、お宝があったんだよ!」
ユウの酒場では、開店前に、アッカスが訪れていた。珍しく興奮した言い方で、ポケットの中から、財宝の一部を取り出した。
「昨日は、満月から三日後だった。最初は、いつものように、洞穴内の苔と石を調べようと、採取してたんだ。そうしたら、見たことのない箱があった。その箱には、紋章らしいものはなかった。
おそらく、あれは、つい最近、海賊が隠したんだと思う。貴族が持つような貴金属類が、ほとんどで、男性物、女性物、両方あったし、この近隣のものや、北方と思われるデザインのものもあった」
「よし! 一緒にそこに行こうぜ!」
何の疑いもなく、そう言ったのは、カイルであった。
「カイル、俺の話を、信じてくれるのか!」
「ああ、信じるぜ!」
そこには、カイルとアッカス、そして、バーの主人ユウのみがいた。
南の海域では、財宝を見つけた場合の決まりは特になく、手にした者の物としてしまうことが多かった。そのため、海賊が出現することもあった。
「次の干潮は、新月の時だ」
「新月じゃあ、真っ暗だろ? 海は危険だぜ。満月まで待ったらどうだ?」
カイルが顔をしかめる。
アッカスは、わかっているとばかりに笑った。
「だからこそ、だ。例えば、あそこに宝を隠したのが海賊だとすれば、海が危険だと良く知る海賊は、新月の晩は大人しくしてるはず。宝は、満月の干潮時に取りに行くだろう。その前に、新月のうちに行動すれば、海賊より先に、お宝をいただけるってわけだ」
「なるほど。海賊をあざむくには、それがいいだろうな」
「だからといって、新月の海を甘く見ちゃいけない。いろいろ準備が必要だ」
アッカスの目は輝いていた。
次の干潮時までの間、カイルは、ユウのところに来る用心棒や傭兵の仕事を、ちょこちょこと引き受け、その合間に、アッカスの家に顔を出していた。
アッカスは、家の裏の畑で、ポケポケ芋や、珍しい木、植物を育てていた。以前、カイルにも見せた天然の重曹と、自作の肥料を与え、木には、色鮮やかな実がなっていた。
「父さんが冒険家というか探検家というか。小さい頃から、いろんなところに連れていかれて、この木も、その時の土産で、最初は細い苗木だったけど、今では、こんなに実をつける立派な木になったんだ」
アッカスは、木の枝を、大事そうになでた。ポケポケ芋や、この実を付けた木を始め、育てている植物に、水をやりながら、よく話しかけていた。
人でもないのに、話しかけるのか? 言葉なんかわからないだろうに、とカイルが言うと、「こうした方が、芋は大きくなるし、実は甘みが増したんだ」と、彼は笑って答えたのだった。
収穫したポケポケ芋を、アッカスは、細長く切ったものと、薄く切ったものに分けていた。カイルが皮をむこうとすると、「皮はむかない方が、美味いよ」とアッカスが止めた。
カイルは、細長く切るのは手伝ったが、薄く切るのは難しかったので、アッカスにまかせた。
「で、アッカス、父さんは、どうしたんだ? お前、ずっとひとりで暮らしてるのか?」
アッカスは、にっこり笑った。
「今、両親は、世界旅行に行ってるんだ」
「世界旅行!?」
カイルは驚いた。
「はあ~、お前んち、金持ちだったのか」
「いや、ごく一般的な平民の家庭さ」
「じゃあ、なんで、世界旅行なんか出来んだよ?」
「俺が、ギャンブルで当てたんだ」
またまたカイルは、驚いて、アッカスのあどけない笑顔を、見つめた。
「ライミアには、世界でも指折りの賭博場があるんだ」
カイルも、そう聞いたことがあったが、行ったことはない。
「俺も、そんなに行ったことはなかったんだが、ある時、ウマのレースで当てたんだ」
「ど、どんなふうに?」
アッカスは、得意気な笑顔になった。
「競馬は、見たことはあったが、実際、賭けてもたいして儲かったことはなかった。その日のレースでは、事前調査で、俺は、いつもトップの方を走るウマたちが、どうも不調らしいのがわかった。毛並みが悪かったり、蹄鉄が傷んでるのに、取り替えられてなかったり、俺でさえ気付いたくらいだった。俺が見たところ、その時、一番調子が良さそうな、十五番のウマに賭けることにした。よく見ると、それは、いつもビリを走っていたウマだった」
芋を切り終わると、細長いものは、網の上に天日干しにし、薄く切った分は、アッカスが、油で揚げていた。
「そのレースで、悲劇が起きた。俺にとっては、奇跡だったが。いつもほぼトップを走る一番のウマは、腹をこわして棄権し、二番手、三番手のウマがトップを争っていた。そうしたら、二番手のウマの蹄鉄が外れ、暴れ出し、三番手のウマは、よけようとしてコケた。近くを走っていた他のウマたちも巻きこまれ、次々に倒れていった。そんな中で、十五番のウマだけは、最下位で離れていたために、巻き添えを食うことなく、無事一位でゴール出来たんだ」
「そ、それって、……大穴じゃねえか!」
「そうなんだ」
アッカスは笑った。
「じゃ、じゃあ、その金は……!」
「ああ、その金で、両親に世界旅行をプレゼントしたんだ」
「なにーっ!?」
カイルは、思わず、立ち上がった。
「おっ、お前、それ、自分で使わずに……親にプレゼントしたのか!?」
「まあ、研究資金とか、冒険資金に、ちょっとばかし取っておいたけどな」
「ちょっとばかしだけ!? なんで、お前、そんな大金を、親なんかに……!?」
「勉強しろ、勉強しろ、あんまりうるさいからさ。俺が欲しかったのは自由! そのために、どうしても、ギャンブルで大金を当てたかった! 親は世界旅行で、当分帰って来ない。これで、やっと好きな研究が出来るんだぜ!」
後悔などまったくしていないとばかりに、アッカスは、晴れやかな笑顔だ。
カイルは、そんなアッカスを、信じられない思いで、穴の開くほど見つめていた。
「だが、アッカス、俺からみれば、お前のやってるポケポケ芋の調理法だとか、重曹から研磨剤とか洗剤を作るとか、海の干潮時を調べるとか、それも、勉強に思えるぜ?」
「それは、親の言う勉強とは、違うんだよ。文字の読み書きとか、計算とか。それも、嫌いじゃないんだけど、違うことがやりたくてさ。俺は、もっと、自然のことに興味があって、例えば、月の満ち欠けなんか。
あと、これ磁石っていうんだけど、普通の石の中にも、こうやって、くっついたり、反発し合ったりするものもあるんだぜ。これで、コンパスっていう羅針盤を作って、父親は必ず旅に持っていってた。あの浮き島にも、俺の自作のコンパスで行ったんだぜ。そういう道具とかも、もっと考えたくてさ」
アッカスの持つ道具には、カイルは、いつも不思議な思いがし、感心させられていた。
半月後、カイルがアッカスとボートに乗り込み、小島を目指す日の夕方だった。
「袋は、このくらいで足りるか?」
カイルの持って来たのは、宝を入れる用の皮袋が五枚ほど。それと、パンや干した肉など、ちょっとした食料だった。
「ああ、そのくらいで充分だろう」
アッカスの荷物の袋には、自作のコンパスを始め、干した芋や肉、日持ちのする豆、乾燥させた果物、ロープや、護身用短剣、そして、小瓶がいくつかあった。カイルの用意したものよりも小さい皮袋もいくつかある。
「敵や魔物もいるかも知れないからな。最低でも、このくらいはないと」
「おい、武器がないじゃないか。その短剣だって、護身用だろ?」
「ああ、でも、いざとなったら、大丈夫。用心棒にカイルがいるし、これでも、危ない場面は、なんとか切り抜けて来られたんだぜ」
アッカスが、のほほんと笑っているのを見て、カイルは、少し心配だった。
日が落ちる頃、二人は、出発した。
「追い風だ。順調だな。この調子なら、予定通り、干潮時間に間に合うだろう」
オールを漕ぐ手を止め、指に海水をつけ、風向きを調べたアッカスは、自作の星読み盤でも方向を確認してから、カイルに伝えた。
カイルは面白そうに、オールをボートの中に入れ、アッカスから星読み盤を受け取り、見方を教わっていた。
海が、いよいよ暗くなり始めた頃、アッカスが、『月明かり灯』と名付けた筒を持ち、空に向けて、紐を引いた。
火花が散り、空には、ぽうっとした灯りが浮かぶ。
「これで、二時間は明るいだろう」
「これ、魔法か?」
「ああ、俺の作った仕掛けに、ちょっとユウさんが手を加えてくれたんだ。俺だけで作ったものだと、せいぜい二、三分しか持たないからな」
「でも、すげぇじゃねぇか、アッカス! お前の発明って、全部魔法みてぇだぜ!」
アッカスは、照れながら笑った。
「俺が父さんから教わったのは、科学ってもんらしい」
「へえ、科学っていうのか。すげえもんなんだな!」
「俺には魔法は使えないけど、この不思議な力を、役に立つことに使えないかって、考えてるんだ。まだまだ魔法には追いつかないけどな」
月明かり灯の下に浮かぶ、アッカスの照れたような笑顔を、カイルは、尊敬のまなざしで見ていた。
ふと、水面で、ぴしゃっと、音を立てるものがあった。
「おっ、結構、あちこちで、魚がはねてるな!」
カイルが目を凝らした。あちこちで、銀色に光るものが、飛び跳ねていた。
「ああ。干潮時には、魚がいっぱいいるからな。……っていうより、海水が少なくなるから、その分、魚が、普段よりも見えやすいんだ」
「釣りにも最適だな!」
「そうだな! だから、満月の夜には、漁をする人も多いんだ。新月に魚釣ろうなんて無謀なことは、誰も思わないけどな」
釣りたい気持ちは、ぐっと我慢して、カイルとアッカスは、静かにボートを進める。
「カイル、あれだ!」
アッカスの指さす方向には、水面に反射した月明かり灯が、うっすらと映し出す、ただの黒い山のようなものが見えた。
カイルの目元が引き締まる。
ボートが着岸し、必要な道具を持った二人は、ランタンで足元を照らし、静かに洞穴を目指した。
突然、穏やかだった海から、波が起こった。
「なんだ? 魚にしては、デカいぞ!」
足を止めたカイルが、魔法剣の柄に、手を伸ばす。
「もうひとつ、月明かり灯を点けよう」
アッカスが、洞穴の上を狙って、筒の紐を引いた。
ぼんやりとした灯りが、辺りを照らした途端、巨大な、長い胴体の魔物が、海面に跳ね上がったのだった。
背ビレと両サイドのヒレは、ドラゴンの翼のように開き、頭の頂上には角が生え、口の両端にも、太くカーブした牙があった。
着水すると、雨のような水飛沫が、降りそそぐ。
「トビウオみたいな魔物!? 新月に現れるって聞いたことがある! 灯りで、俺たちのことが見えてたんだろう」
アッカスの説明を聞いたカイルが、進み出ると同時に、魔法剣を抜いた。
それを見たアッカスは、早口で付け加えた。
「待て、カイル! 浄化したら、魔物は消えてしまうんだったな? その前に、あいつの牙と角、できればウロコも採取するんだ。なるべく、牙は根元から削ぎ落としてくれ。牙の部分が多いほど、量売れて儲かるからな!」
「アッカス、お前、抜け目ないな」
カイルは、ちらっとアッカスを見て、にやっと笑った。
「俺の言いたいことは以上だ。危ないから、気をつけてくれ!」
「ああ、まかせろ!」
トビウオがもう一度、飛び上がると、二人のいる島の岸辺に、舞い降りた。
「こいつ、陸でも息が出来るのか!?」
アッカスが岩の後ろで、身を潜めながら、大きく呟いた。
魔法剣を両手に構えたカイルは、精神を集中させた。
「プラチナ・ストーム!」
魔法剣からは、白銀の風のようなものが勢いよく発射された。
「ええっ!? 浄化しちゃうの!?」
アッカスが慌てて、身を乗り出す。
「大丈夫だ!」
カイルは答えると、銀色の霊気がトビウオの片方の翼を斬り落とし、消滅させた。
「飛ばれたら厄介だからな、威力を抑えて、翼だけを狙ったんだ」
「なるほど!」
カイルが、もう片方の翼も消すと、暴れて身体をくねらせていたトビウオは、ずしん! と地響きとともに、横たわった。
すかさず、魔法剣を横に持ち直したカイルは、魔物の長い胴体を、走りながら、一直線に捌いていった。
どす黒い緑色の液体を吹き出させ、どろっと、濃い緑色をした浮き嚢や、内蔵がこぼれ出た。
魔物の胴体は、けいれんし、やがて、動かなくなった。
「いやぁ、すげぇな! さすがカイル!」
不気味さと、魚臭さを通り越したひどい悪臭に顔をしかめながら、アッカスが、岩陰からやってきた。
カイルは、満足そうに微笑むと、魚の口元の牙を、剣で、叩くように切って、落とした。
アッカスは、碧く銀色に輝くウロコを、短剣で、丁寧にはがしていく。
「そんなの、何に使うんだ?」
もう片方の牙を叩きながら、カイルが尋ねた。
「これは、防具の素材に使えるんだ。鎧の一部分だったり、もっと安くて手に入りやすい防具の一部になったりもする。主に、海の男たちの防具や、短剣の持ち手の飾りとか、貝細工みたいに、アクセサリーの素材にもなったりするから、材料屋たちには、重宝されてるんだ。特に、このウロコは、色が綺麗だから、高く売れそうだぜ!」
アッカスは、カイルに答えながら、てのひらほどもあるウロコの一枚を、灯りに照らして、カイルに見せた。
「へぇー、言われてみりゃあ、きれいなモンだな!」
カイルも感心した。
「とにかく、こんな大物、見たことなかったぜ。カイルがいてくれて、助かった! 俺だけだったら、手に負えなかっただろう。新月の晩は、得体の知れないものが活動してるっていう、港の噂は、本当だったな!」
アッカスは、巻き紙と、木炭を細く削ったものを取り出すと、トビウオの魔物の絵を、ざっと描き出した。カイルが切り取ってしまった翼や牙の位置などは、記憶に頼るしかなかったが。
芸術的な絵というよりは、細部まで描き込まれた観察画といった方が合っている。
「へえー、うまいもんだな!」
のぞきこんだカイルが、ますます感心した。
二人は、魔物の角と牙、ウロコを取ると、持って来た皮袋に詰めて、ボートに乗せた。
それから、別の袋や、小瓶などを持つと、洞穴の中へと、入っていった。
「これでやっと、財宝にありつける!」
「な!」
嬉しそうに笑う二人は、海水でぬめっている岩肌を、ランタンで照らしながら、慎重に進んでいった。
財宝の詰まった宝箱を見つけると、アッカスの提案で、箱は残しておき、中身の宝だけを、皮袋やビンに詰め込んだ。入り切らない分は、箱の中に残しておくことにした。
何事もなく、往復して宝をボートに積み、何度目か洞穴から出た時、彼らのボートとは違う方向から、ランタンを持った男たちが、やってきた。
「今日は新月のはずなのに、なぜ月が出てるのか、おかしいと思って来てみれば、まさか、こんなことになってるとは……!」
暗がりの中、カイルは、さっと見通した。
男たちは、十五、六人ほどと思われた。
「てめえら、盗賊のお宝を盗むとは、いい度胸してるぜ!」
ランタンにおぼろげに映った男たちは、人相の悪い、大柄な者ばかりであり、見るからに村人とは違う、いかにも盗賊らしい男たちであった。
「おまえら、盗賊か?」
カイルが、訊いた。
「ああ、そうだ。小僧ども、はやく、盗んだものを返せ」
「素直に返せしさえすりゃ、殺さないでやってもいい」
「ただし、明日の朝には、黙って海を泳いでるかも知れねえがな、永遠に!」
盗賊たちは、笑い出した。
「お前たちの宝とは、思えないな」
アッカスが言うと、カイルは目だけ横に向け、彼の横顔を見た。
「そりゃ、どういう意味でぃ!」
盗賊のひとりが、目を光らせて、アッカスを見た。
「この宝は、どう見ても、海を渡らなきゃ手に入らない物が多かったぜ。北の物も南の物もあった。この近海の物から異国の物からまであった。……ってことは、お前たち、この近隣に住む盗賊のじゃなく、いかにも海賊のお宝って気がするが、違うか?」
「……ってことは、お前ら、海賊の宝を横取りしようとして、見張ってたんだな?」
カイルが続いた。
「お前たちの宝じゃないんなら、先に手にした俺たちのもんだ」
アッカスが真面目な顔でそう言うと、盗賊たちは、ゲラゲラと笑い出した。
「小僧、正気か? たった二人で、俺たちにかなうとでも、思ってんのか?」
「宝探しごっこは、もうやめて、おうちに帰んな」
「トレジャー・ハンター気取りも、そこまでだ!」
盗賊たちの目は、笑いながら、残忍な色を浮かべていく。
宝の入った袋を地面に置くと、カイルは、剣を引き抜いた。
「ほう、ずいぶんご立派な剣じゃねぇか。それも、盗品か?」
「これは、正真正銘、前から、俺の所有物だぜ」
答えたカイルに、盗賊は笑い声を上げた。
「その豪華な細工は、異国のもんだな? 安心しろ、俺たちがもらってやるからよ」
「持ち主は、どうせ、いなくなるんだからよ!」
斧や鎌、剣を手にした盗賊たちは、一斉に、カイルとアッカス目がけて、走り出した!




