僕は先輩の隣へ行く。4
× × ×
時刻は既に20時を過ぎていた、予定より大分遅れてしまったがようやく僕は学校にたどり着いた。
この学校で先輩と過ごした思い出は数え切 れないほどある。
その全てが僕の中できらきらと輝く宝石のようで、僕にとっては高校生活全てだ。
必然僕にとって先輩との思い出が詰まった学校とはさながら宝石箱のようなものだった。
先輩にふられてからというもの僕は長期休みだろうとほぼ毎日通っていた部活にも顔を出せず、先輩に連絡もとれずじまいだった。
どうしてはっきり言えなかったんだ、といまさらながら後悔する。
へたれもいいとこだ、チキンハートとか言われても何の弁解も出来ない。
ただそれでも、僕はもう一度先輩と話したかった。
もう一度先輩に会って、僕は僕の想いをちゃんと告げよう。
その覚悟を決める時間は沢山あったんだ。
先輩今会いに行きます、僕は心の中でそう呟いた。
正面玄関や裏口は鍵がかかっていて入れない、ではどこから潜り込めば良いのか、答えはなんと上からだ。
以前先輩と夜の校舎に忍び込んだ時教えてもらった方法で浸入しよう。悪びれることも無くそう思った。
この学校の裏手にはやたらと太く背の高い木がある。
以前先輩は高い所に登りたかったがためにその大木に足掛けを作り縄梯子を引っ掛け、大木の頂点に登りつめられるようにしたという、本当にアホだ。
校舎に忍び込む際はその大木の中ほどまで登り、校舎側を見るとちょうど手を伸ばせば届く範囲に美術室の窓があるのだ。
その窓をこじ開け浸入すればミッションコンプリート。蛇のコードネームを持つおっさんもびっくりの手際のよさだ。
普段は登れないように足掛けや梯子は撤去してあるらしいが、これがあるということは先輩は「いつもの場所」にいるということの証明になる。
何故ならこの大木からの浸入方法も僕と先輩しか知らない思い出の1つだからだ。
まるで秘密基地を持った小学生だな、と嘆息しながら僕は大木を一歩一歩ゆっくり手馴れた動きで登っていく。
中ほどまで差し掛かったところで美術室の窓へと手を伸ばす。
ガララと乾いた音が夜の校舎に響いた。
落ちないようにしっかりと窓の中の足場に体重を移動しこれで浸入成功だ。
暗い美術室の中、風で揺れるカーテンと月明かりに照らされた室内の中央、いつも座っていた椅子の上に彼女はいた。
吸い込まれそうなほど綺麗な長い黒髪と瞳
一見大人しそうな文学少女
完璧超人で残念美人な校内一の変人
そして、僕の大切な人
「こんばんわ、随分走ってきたんだね。君汗だくだよ?」
「早く会いたかったんです、こんばんわ。先輩」
先輩は僕らの部室でそこに佇んでいた
× × ×
「それで、大事な話というのは何かな?」
先輩はいつもと全く変わらない笑顔でいつもと同じように僕の目の前に居る。
この人はいつもそうだ、無駄にスペックが高いからって、一人で何でも出来るからといって僕には何も教えてくれない。
初めて会った時も、絵のモデルになってくれた時も、2人で日がな一日ゲームをしてた時も、告白したときも。
ふられたときだって僕は何一つとして先輩の気持ちが分かってなかったんだ。
先輩は何も言わないから。
僕が不安にならないように、僕が心配しないようにいつも色んなことを一人で解決しようとする。
だけどやっぱり先輩はアホだ。
どれだけ頭が良くて、何でも出来て、仮に火星人とだって友達になれるくらいすごい人だって先輩は肝心なことをまるで分かってないのだ。
というかああやって突き放せばすぐに自分を忘れてくれるだろうとか考えていること自体腹立たしい。
僕はこれから先どんなことがあったって先輩が心配で、先輩の側に居たくて、先輩が好きなんだってこと。
僕だけはどんなに先輩が遠くへ行ったって絶対に先輩の隣へ行くんだってこと。
もうそんな所まで、来てしまっているのだ。
だから、だから僕は──
「先輩、本当に留学しちゃうんですか?」
「うん、もう決定事項」
「一応聞きますけど中止とかって」
「無理☆」
うんそれは分かりきってた、だったらもう行くしかない。
当たって砕けろ
深く深呼吸して、覚悟を決めて、僕は先輩に言った
「先輩、僕は先輩が好きです。大好きです」
能面のように張り付いていた先輩の笑顔がほんの一瞬だけ、泣きそうな表情になった。
「…全く君は…困ったやつだな~」
先輩は、すぐに照れたように、そして困ったように笑った。
「でも、ダメなんだよ。だって私」
言い終わらない内に僕は言葉を紡ぐ、あの日言えなかった言葉を。
「あの時、先輩は君はどうして欲しいって僕に聞きましたね、その質問に今答えます。
留学でも何でもどこへでも行ってください。
自由で唐突で奇天烈でこそ先輩でしょ」
その言葉を聞いて珍しく先輩が意外そうな顔をした、当たり前だ。きっと先輩は引き止められると思ってたのだろうから
先輩は戸惑いながらも言葉を返す。
「そんなの分かってる。だから私は海外へ行くの」
「先輩が行きたいなら止めませんよ、応援だってします」
「じゃあそれでいいじゃん、私のことなんて忘れて君は幸せに──」
「だから! 僕が先輩の隣へ行きます! 先輩のそばにいます!
僕は…先輩が好きだから!」
この人に離れないでくれとか、側に居てくれとか、そんなことは僕には言えない。
先輩の人生だ、どこへ行くのだって先輩が決めるべきこと。
それも常人よりも沢山の「可能性」を持っている先輩だ。
もっともっと広い世界へ行くべき人なんだ。
だから、僕は僕のやりかたできっと追いついてみせる。
どんな形でも先輩の隣に立ってみせる。
それが僕の決めた人生だ。
先輩は驚きと困惑の目で僕を見ている。こんな目で見られたのは初めてだ。
いつもは逆だもんなぁ。
「な、な、何言ってるの! そんなこと出来るわけ──ううん、出来たとしても、そんなことしてどうするの!」
「先輩の側に居ます」
「なんでそんな…私なんか」
「それを決めるのは僕だっ! 僕が先輩の側に行きたくてそういう道を選んだんだ!」
「ホントに宇宙に行っちゃうかもよ?」
「流石に宇宙飛行士は無理そうなのでヒューストンで待ってますよ」
「色んな国、飛び回るかもよ?」
「ドンと来いです」
「あとは…えっと…ビリーと浮気するかも」
「先輩の変人に付き合えるのなんか僕だけでしょ。それでなくても意外と乙女だからそういうことしない癖に」
「い、意外とってゆうな!」
先輩がうろたえている! か、可愛い。じゃなくて!
「だ、大体君は画家になりたいんじゃないの!? あんなに絵を描いてたじゃないっ!」
「あれはただの趣味です。別にアレで食っていきたいなんて思ってませんよ」
「なっ!」
先輩絶句。画家になりたいとか思われてたのか。そんなこと一言も言ってないんだけどなぁ。
「大体変だよそれ…普通なら引き止めるじゃん。留学なんかするなって…僕の隣にいろって…そう言ってくるんだと思ってたよ」
予想外だよ…と先輩は呟く。
やはり意外と思考は乙女だ、これで少女漫画大好きだからその影響だと思う。
「普通の女の子にならそう言うでしょうけどね…生憎先輩みたいな超人を僕なんかが日本に縛っておくなんてマネ出来る訳ないです。先輩には自由に好きなことやってるのが一番似合ってますからね」
「だから君が私の所まで行こうって? 私の変人伝染っちゃったんじゃない?」
「ははっ、かもですね」
「なんでちょっと楽しそうなんだよ~!」
先輩はう~と唸って頭を抱えている。
いつもと立場が完全に逆だ。
まぁたまには良いだろう。
いつも先輩には我侭に付き合わされているんだ。
たまには僕の我侭だって聞いてもらおう。
先輩と恋人同士になるにはきっとそれくらい傲慢じゃないとダメなんだ。
「だから先輩は行きたい所に行ってください、僕はどこでだって必ず追いつきます」
一呼吸おいて僕はもう1回言葉を紡いだ。
「もう一度僕と付き合ってください」
先輩はしばらく口をあけて呆然としてたが、次第に僕から目を逸らし、最後には背中を向けてしまった。
そうしてしばらく沈黙が続く、正直胃が痛いです。
しばらくの静寂の後、先輩がぽつりと呟いた。
「4年…」
「へ?」
「色々言いたい事はあるけど…私が大学を卒業するまで4年、それまで浮気しない? ちゃんと…好きで居てくれる?」
迷うことなく「イエス!」と答える。
振り向いた先輩はやっと「楽しそうに」笑ってくれた。
あぁそうだ。
僕は先輩のそんな笑顔が見たかったんだ。
× × ×
「そういえば先輩は結局留学して何がしたかったんですか?」
「う~ん、ホントは色々あるんだけどね~、なんか最近はどうでも良くなってきちゃった」
「貴様!!!」
「ちょ、顔怖い! ち、違うの、違うんだってば! 1年前くらいまではそれが一番やりたいことで、進路だって迷わずそうしようと思ってたの! でもやりたいことが変わっちゃったというか、君風に言うと行きたい場所が変わったというか…」
「じゃあ今は何がしたいんですか」
「秘密☆」
帰り道、そんな他愛ない会話をしながら僕達は雪道を歩いていった。
明日からはまた部活をしよう、先輩をモデルにした絵を描いて、先輩のバカ丸出しな我侭に付き合って2人でまたカレー部のカレーでもぶんどろう。
先輩が卒業するまであと3ヶ月、そしてその翌日先輩は留学する。
4年間一度も日本には戻らないそうだ。
だから僕は限りある時間、先輩と笑顔で居たいと思う。
また再会する時も心から笑えるように。
先輩が今何をしたいのかは、はぐらかされっぱなしでついに教えてはもらえなかった、一体この残念美人は何をたくらんでいるのか正直気になるところだが
先輩曰く「 4年後まで秘密」とのことだったので楽しみに待っていようと思う。
その日の別れ際──
僕は最後にどうしても伝えたかったことを言うことにした。
もし先輩にフられたとしてもこれだけはしっかり伝えるつもりだったのだ。
「先輩」
「なあに?」
「先輩に会えて、良かったです。付き合ってくれてありがとうございます」
深く頭を下げた。
顔を上げると珍しく真っ赤な顔で「わ、わ、私も…その…あ、ありが…とう」
とゴニョゴニョ言ってた、何これ可愛い。
× × ×
余談だがその後無事卒業した先輩と留学前最後の部活にと、先輩の絵(なんと通産99枚目らしい。惜しいっ!)を描いている時、途中で先輩が眠ってしまったので少し休憩がてらたまたま目に入った先輩の卒業アルバムの中身を見てしまった。
その中に「今後の目標」といった項目があり、皆具体的な目標や夢を一言添えているページがあった。
そこには一文字見慣れた文字で「嫁」とだけ書いている人がいたが
それを見た僕がどう思ったのかなんてことはそれこそきっと、言うまでもないことだった。
完