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幸子は若いころはキラキラしていた。あの頃に戻って説教したい。

作者: 虫松
掲載日:2026/04/18

幸子は朝五時に目が覚める。


壊れたままの目覚まし時計は鳴らない。それでも身体は正確だった。

ただ、歳を取ると眠れなくなる。それだけだ。


六畳一間の台所で湯を沸かす。一人分の味噌汁。一人分の白米。


テレビをつければ、誰かの幸せが流れている。新婚、家族、老後の旅行。画面の中の人間は、みな同じ顔をしている。


幸せそうな顔。


幸子はテレビを消した。妬みでも怒りでもない。ただ、自分の居場所がそこにないと分かる音がした。


未婚。子どもなし。


「自由だったのよ」


そう言い聞かせてきた言葉が、今は少しだけ軽かった。

古いアルバムを開く。そこには若い自分がいた。

長い髪。無防備な笑顔。まだ世界を疑っていない目。


腹が立った。


「あんた、この先どうなるか知らないのよ」


戻れるなら、説教してやりたい。

そう思った瞬間、視界が歪んだ。


「……ああ」


世界が、暗転した。



◇◇◇ 



目を覚ますと、天井が違っていた。

身体は軽く、声は若い。鏡の中には、アルバムの中の自分がいた。


1995年。


幸子は理解する。


過去に戻っている。


「覚悟しなさい」


鏡の中の自分に言う。


「これから、うるさいわよ」


 


最初の出会いは、最悪だった。


大学のベンチ。若い幸子はサンドイッチを食べながら笑っている。


その無防備な顔に、苛立ちがこみ上げる。


「その恋、失敗するわ」


突然の言葉に、若い幸子は顔をしかめた。


「は? 誰ですか」


「未来を知ってるの。あなた、後悔する」


「気持ち悪いんですけど」


即答だった。


拒絶。警戒。不快。


「関わらないでください」


その一言で、会話は終わった。


 


二度目も、同じだった。


「その仕事、やめなさい」


「失礼すぎます」


「その男――」


「もういいです!」


完全な拒絶だった。


若い幸子は、怒りと嫌悪を隠さない。


「あなた、自分の後悔を押し付けてるだけでしょ」


その言葉に、幸子は何も返せなかった。


正しかったからだ。


 


三度目。


幸子は、少しだけ言い方を変えた。


「……疲れてるでしょ」


若い幸子は、怪訝な顔をする。


「は?」


「夜、ちゃんと寝れてない」


一瞬だけ、表情が揺れた。


だが、すぐに顔を背ける。


「……だから何ですか」


「別に」


それ以上は何も言わなかった。


説教を飲み込んだ。


 


四度目。


またベンチで出会う。


沈黙が流れる。


「……また来たんですか」


「ええ」


「暇なんですか」


「そうかもしれないわね」


若い幸子は、少しだけ呆れたように笑う。


完全な拒絶ではなかった。


 


五度目。


若い幸子がぽつりと呟いた。


「……なんで、そんなに私のこと知ってるんですか」


幸子は答えない。


ただ、座る。


逃げない。押し付けない。


 


六度目。


夜。


若い幸子が言う。


「……あんた、私でしょ」


沈黙のあと、幸子は頷いた。


若い幸子は苦笑する。


「そっか。だから、あんなにうるさいんだ」


その声に、敵意はもうなかった。


 


そこから、少しずつ会話が始まった。


最初は短く。


次は、少しだけ長く。


やがて、途切れながらも続くようになる。


 


「失敗が怖い」


「分かるわ」


「でも、誰にも言えない」


「そうね」


「強がってるの、バレたくない」


「知ってる」


 


若い幸子は、少しずつ本音をこぼすようになった。


「ねえ……私さ」


声が震える。


「ずっと一人な気がするんだよ」


幸子の胸に、深く刺さる。


何十年経っても消えなかった感情だった。


 


「……そうだったのね」


それだけを返す。


否定しない。正解も言わない。


ただ、受け止める。


 


「生きてて、よかった?」


その問いに、幸子は少し考える。


「……まだ分からない」


正直に答える。


「でもね」


続ける。


「話を聞いてくれる人がいたら、少しは違ったかもしれない」


若い幸子は、小さく笑った。


 


それからは、もう説教はしなかった。


未来も教えない。


ただ、そこにいる。


 


「また失敗したら?」


「一緒に後悔しましょう」


「ずるいな、それ」


「そう?」


「安心するじゃん」


 


拒絶は、消えていた。


代わりに残ったのは、少しの信頼だった。


 


やがて、別れの時が来る。


世界がほどけていく。


「待って!」


若い幸子が叫ぶ。


「私、間違えるんでしょ何度も失敗するんでしょ」


幸子は首を振る。


否定でも肯定でもない。


「失敗していい」


「たくさん後悔していい」


「それでも」


言葉を選ぶ。


「私は、生き延びた」


 


若い幸子が泣く。


「……じゃあ、私」


「ちゃんと生きるの?」


幸子は、最後に言う。


「生き延びなさい」


 


世界が白くなる。


 

◇◇◇


目を覚ますと、元の部屋だった。


何も変わっていない。


未婚。子どもなし。現実はそのまま。


それでも、胸の奥の重さが違った。


 


鏡の中の自分を見る。


老いた顔。


でも、もう嫌いではなかった。


 「怖かったね」


「ひとりで、よくやってた」

 

その言葉を、ようやく自分に言えた。

 


玄関のドアを開ける。


特別な一日ではない。


それでもいいと思えた。


挿絵(By みてみん)

 

過去は変わらなかった。

未来も変わらない。

それでも、自分の見方だけは、変えられる。

 

幸子は歩き出す。

もう一人ではない。

過去の自分と、並んでいるから。


人は、受け入れられたその瞬間から、何度でも、生まれ変われる。



現代小説【幸子は若いころはキラキラしていた。あの頃に戻って説教したい。】



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