月岡くんとわたし(2)
岩下鈴:社会人1年目のOL。面倒見がよく思いやりがあり、真面目な性格。田舎を飛び出して都会に上京してきた。過去の輝かしい栄光に苦しめられている。
月岡昴:中途採用されてきた新入社員。イケメンで高身長だが、不器用で仕事ができない。寡黙でシャイだが、誠実で優しい性格。とある過去の記憶を抱えている。
山田真衣:鈴の勤め先にいるとても美人な先輩。勤務歴は10年目。基本的には優しいが、ライバルには絶対に勝ちたいという競争心を隠している。上司のお気に入りになることが得意。
川口晴美:鈴の親友。子供の頃からの夢だった教師になり、新任として奮闘している。気配りができて人に寄り添う優しい性格。仕事で悩みを抱えている。
岩下登紀子:鈴の母親。真面目で家族想い。保育士として働いている。
岩下茂雄:鈴の父親。お茶目で楽観的な性格。消防士として働いている。
数日後、仕事から帰ると家のポストに一通の手紙が届いた。差出人は○○テレビ局だった。
私が仕方なく手紙を開けるとそこにはこんなことが書いてあった。
『岩下鈴様 お忙しいところ恐れ入ります。今回は突然のお話で驚かせてしまったことでしょう。鈴さんの高校時代のご活躍についてぜひ多くの方々に知っていただきたくご連絡いたしました。鈴さんのご活動が1人の高校生の心を大きく動かし、多くの人たちに影響を与えたのです。これは誰でもできることではなく、鈴さんだからこそできたのだと考えております。…』
私はここまで読んで、ふと首を傾げてしまった。
「私だからこそ…できたこと?」
そんなことはない。別に私なんかじゃなくても、きっとできたことだったはずだ。私は特別な人間じゃない。平凡などこにでもいる、何物でもないただの人間…。
じわじわと私の目に涙が溜まっていく。するとその時、スマホに電話の着信が来た。
「もしもし…月岡くん?」
いつものように一緒に家まで帰ってきたからさっきまで隣にいたはずなのに…。私は慌てて涙を手で拭った
「岩下さん!すみません、伝え忘れてしまったことがあって。」
電話越しの彼の声が少し上ずっているように感じた。私が次の言葉を待っていると、月岡くんは突然大きな声を出した。
「明日、僕と会えませんか!?」
私が思わず唖然とすると、いきなり電話が切れてしまった。それと同時にどこからか足音が聞こえてきて、いつの間にか目の前には月岡くんが立っていた。彼は肩で息をしながら、心配そうに私をじっと見つめている。
「あの…岩下さん…やっぱり直接伝えたくて…来ちゃいました。それより岩下さん、泣いてませんでしたか?」
「月岡くん…。」
私がゆっくりと口を開くと、彼は私の手を優しく握ってくれた。
「月岡くん、私も行きたい。2人で…お出かけ。」
私の言葉を聞くと、彼は私が手にしている手紙に目をやった。
「××…テレビ局?」
慌てて後ろに手紙を隠したが、月岡くんはニコッと微笑んだ。
「岩下さん、明日絶対に行きましょう。朝に迎えに行きます。待っててくださいね。」
てっきり手紙のことを聞かれると思っていたのに、彼は何も言ってこなかった。私は彼に大きく頷いて、それから改めて彼とお別れした。
明日どこに行くか、そもそも何をするかも決まっていないのに私は明日が待ち遠しかった。早く彼に会いたい、さっきも会ったばかりなのに彼に会えるのが楽しみでたまらない。そんな気持ちで胸がいっぱいになった。私はゆっくりとベッドに身体を横たわって目を閉じるのだった。
「わあー!岩下さん、すごいですね!魚ってこんなに種類いるんですね。」
「あれ、月岡くん…もしかして、水族館初めてなの?」
「はい!今日が初めてなんです。」
デートの定番と言っても過言ではない水族館に私たちは来ている。月岡くんが1つ1つの水槽をじっくり見ながら感動の嵐なので、私は水槽の魚たちよりも彼のあどけない表情に夢中になっていた。
「子供の頃に行かなかったの?家族とじゃなくても…修学旅行とかで。」
「行けなかったんです。僕、お母さんが学校行事に反対派の人間だったんですよ。」
月岡くんは綺麗な色をした熱帯魚に釘付けになっている。私は彼の言葉に「そんな人いるの!?」と驚きを隠しきれない。彼はようやく私の方を向いて、切なそうな笑顔を作った。
「運動会も、学芸会も、文化祭も…全部参加できませんでした。そんなのくだらないって、お金の無駄だって言い張って。兄も同じ扱いだったので、弟の僕も同じ道を辿った感じですね。」
「そうなんだ…それはすごく悲しかったよね。」
私は無性に月岡くんを抱きしめたくなった。彼の手にゆっくりと手を重ねて、私は彼にニコッと微笑んだ。
「月岡くん。今日は存分に楽しもう!1日だけだから、修学旅行じゃなくて…校外学習気分で!」
私の言葉に彼の瞳が揺れ動くのが見えた。彼は私が重ねた手を強く握りしめる。
「岩下さん…ありがとうございます。それじゃあ早速、次の水槽に移動したいと思います!こっちです!」
「あ、ちょっと月岡くん、腕外れそうなんだけど!」
私は彼に引っ張られるがままに水族館を端から端まで歩き回った。イルカのショーを見ている時の月岡くんと言ったら、もう小学生みたいだった。イルカが跳ぶ度に「うわあ!」「すごい!」と歓声を上げていたのだ。
じっくりと水族館を見ると、あっという間に夕方になってしまった。私たちはお昼ご飯を遅めに食べたので、そこまでお腹が空いていなかった。月岡くんは「最後に寄りたいところがあるんです。」と言って、私に目的地を言わずに電車に乗り込んだ。
「岩下さん、今日は何だかすみません…僕だけが盛り上がってるようなそんな感じがして。」
私は隣に座っている彼の横顔を眺めながら大きくかぶりを振った。
「そんなことないよ。私もすごく楽しい。それに…月岡くんの色々な顔が見れて嬉しいよ。」
「色々な…顔?」
月岡くんがハッとしたように私を見た。彼の端正な顔立ちに私は改めて驚かされてしまう。彼の瞳に吸い込まれそうになりながら私は話を続ける。
「月岡くんの笑った表情を見てるだけでも、すごく…心が満たされていくというか…。心の底から幸せな気持ちになれるんだよね。」
「岩下さん…それは僕の方こそです。」
私がキョトンとしていると、月岡くんは電車のアナウンスを聞いて「ここで降りないとだ!」と突然立ち上がった。私も慌てて立ち上がり、小走りで電車を降りた。
月岡くんの歩いている姿に謎の自信を感じる。彼は目的地に向かって迷いなく足を運んでいた。私は彼の隣に並びながら彼の真剣な眼差しを盗み見していた。歩き始めて10分ほどが経って、私たちは小さな公園に着いた。滑り台に、ブランコ、シーソー、ベンチ。何の変哲もないこじんまりとした公園である。
「お待たせしました。岩下さん、ここが…僕が来たかった場所なんです。」
彼が丁寧にお辞儀をしながら言うので、私は思わず言葉を失った。月岡くんは何も言わない私を不思議そうに眺めていた。
「岩下さん…公園、嫌いですか?」
「え…?いやいや!違う違う!公園はね、うーん…まあまあ好きだよ。」
私が苦笑すると、彼は「僕もです。」といたずらっぽく笑った。
「じゃあ…なんでここに来たかったの?」
私たちは近くのベンチに座ることにした。月岡くんは私の問いかけに即答する。
「話したかったからです。岩下さんと…真剣に。」
「真剣に?」
月岡くんは小さく頷いて、それから私の方を向いた。
「はい。前に岩下さんが泣いていたことです。きっとあの時…岩下さんが持っていた手紙が関係していることではないかと僕は推理してるんです。」
「す…推理って…そんな探偵でもないんだから…。」
苦笑する私に彼は大きく首を横に振った。
「岩下さん。僕は至って真面目です。僕は知りたいんです、岩下さんがどうして泣いていたのか…真相が分かりたいんです!」
「真相…!?」
私が目をパチクリすると、月岡くんは眉を八の字にして呟いた。
「だって…岩下さんは自分だけで解決しようとしがちじゃないですか。僕は相談してほしいんです。あんまり力になれないかもしれないけど…それでも、一緒に考えたいと思ってるんです。僕にも…伝えてくれませんか?」
そこまで聞いて私は自分の胸がじーんと熱くなっているのを感じた。彼の優しさが私の硬い心をゆっくりとひも解いてくれているようだった。
私は手紙のことを全て月岡くんに伝えた。テレビ局から取材の依頼があって、でもそれに引き受けるつもりはないとはっきりと話す私に、彼は肯定も否定もせずに傾聴してくれたのだ。
「まあ…こんな大したことないことなんだけどさ。」
私が小声で呟くと、月岡くんが衝撃的な発言をした。
「岩下さん。取材に応じるべきだと思います。」
「ごめん、それは無理だよ。」
即答する私に彼ははっきりとした声で言った。
「無理だって決めつけているのは…岩下さん自身です。どうしてそんなに頑ななんですか?」
私は黙ったまま俯くしかない。月岡くんの問いに答えるのが怖くて怖くてたまらなかった。それでも彼は私に話を続ける。
「岩下さんは高校時代の話になると…臆病になりますよね?僕が最初に岩下さんの過去の話をした時も、いつもの岩下さんと違って、まるで何かに怯えているようでした。それは…それはどうしてなんですか?」
「そんな…怯えてるなんて…私はただ…。」
私はだんだん息が苦しくなってきた。いつものように吐き気までしてくる。そんな私の手を月岡くんはまた優しく包み込んでくれた。
「ゆっくりで良いので教えてください。岩下さんの…本当の気持ちを。」
私の目に一気に涙が溢れ出てきた。嗚咽を漏らすこともなく、私は静かに涙が頬を伝っていくのを感じる。月岡くんは私の本心と向き合おうとしてくれているんだ。私の汚い部分にすらも目を向けてくれているんだ。
涙目のまま彼の目をじっと見つめる。彼は私の涙を服の袖で丁寧にふき取ってくれた。
「私は…もうあんなことはできないの。」
いつの間にか私の口が開いていた。私は彼の表情なんて気にせずに、自分の感情を声に出すのに必死になった。
「高校時代の私は輝いていたの。勉強もそこそこできたし、部活動のことでは周りから注目されて、褒められて、認められて…。自分を受け入れることができた。素晴らしい岩下鈴としての自分でいることが誇らしくて、他の人とは違う何者かになれた気がして、すごく幸せだった。」
月岡くんはさらに私の手を強く握りしめてくれた。
「それなのに…それなのに私は、社会人になってからは平凡でダメダメな人間になっちゃったの。何者でもない私なんて…こんなの…全然私じゃないんだよ…。」
私はそこまで話してさらに胸が締め付けられる。月岡くんの手の温もりが、一生懸命私の苦しみを取り除こうとしてくれているように感じる。彼は何も言わず、ただただ私の話に耳を傾けてくれているのだった。
つづく
次回も乞うご期待です!ありがとうございます。




