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昨日のわたしに、さよならは言わない。  作者: みもざちゃん


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新入社員とわたし

岩下鈴いわしたすず:社会人1年目のOL。面倒見がよく思いやりがあり、真面目な性格。田舎を飛び出して都会に上京してきた。過去の輝かしい栄光に苦しめられている。

月岡昴つきおかすばる:中途採用されてきた新入社員。イケメンで高身長だが、不器用で仕事ができない。寡黙でシャイだが、誠実で優しい性格。とある過去の記憶を抱えている。

山田真衣やまだまい:鈴の勤め先にいるとても美人な先輩。勤務歴は10年目。基本的には優しいが、ライバルには絶対に勝ちたいという競争心を隠している。上司のお気に入りになることが得意。

川口晴美かわぐちはるみ:鈴の親友。子供の頃からの夢だった教師になり、新任として奮闘している。気配りができて人に寄り添う優しい性格。仕事で悩みを抱えている。

岩下登紀子いわしたときこ:鈴の母親。真面目で家族想い。保育士として働いている。

岩下茂雄いわしたしげお:鈴の父親。お茶目で楽観的な性格。消防士として働いている。

ピピピピ、ピピピピ。

目覚まし時計の音が私の頭の上で鳴り響く。私は慣れた手つきで目覚まし時計の音をバシッと止める。もうこれで何回止めただろう。手を伸ばして窓のカーテンを開けると、夏の日差しがこれでもかと部屋に入っていた。私は目を細めながらゆっくりと身体を起こした。

やっと時計を見るともう7時だった。私はテキパキと出勤の準備を始める。

まずは顔を洗って化粧水、美容液、アイクリームを適当に塗る。それから常時冷蔵庫に入れているこんにゃくゼリーを一気に吸い込んで、ピンクのブラウスと紺色のパンツを履く。歯磨きをして、気持ちばかりの化粧をし、ヘアアイロンで髪の毛を伸ばす。シュシュで髪の毛を一本に縛って準備万端だ。

「行ってきまーす。」

誰もいない家に声を掛けて私は家の鍵を閉めた。

日傘を差して歩いても最高気温35度の真夏日は身体に応える。都会の夏はこんなに暑いものなのかと私は肩を落としながら、何度もハンカチで顔を拭ってオフィスに向かう。ありがたいことに、家から徒歩10分のところに私の職場はあるのだ。

「お疲れ様です。」

私が会釈しながらオフィスに入ると、真っ白なワンピースを身にまとった山田先輩が「おつかれー!今日も暑いねえ。」と爽やかな笑顔を見せた。まだ山田先輩しか来ていないみたいだ。私は胸をなでおろして自分の席についた。彼女はこの会社で唯一の優しい先輩だからだ。

「鈴ちゃん。そういえば今日、新しい社員さんが来るってみんなから聞いてたかな?」

「え!そうなんですか?」

「あら、知らなかったのね。鈴ちゃんも入社して3か月で先輩になるのよ。すごいじゃない!」

彼女は私の肩に手を乗せて声を弾ませた。私は一気に置いてきぼりにされた気持ちになって愛想笑いしかできなかった。山田先輩はニコニコしながら話を続ける。

「私たちの会社、企画もアイデアも最近マンネリ化してる気がしてたから新しい風が吹くといいわね。」

「そう…ですね。もっと利用者さんに寄り添ったものじゃないと…。」

するとその時、会社の扉が大きな音を立てて開いた。

「おー!山田くん。お疲れ様。今日もひどく暑いな。」

「山田くん、今日はワンピースなんだね。涼しげでいいじゃないか。」

「大塚課長、佐藤係長!今日も暑いので、アイスの差し入れ持ってきました!」

山田先輩は私を押しのけて課長と係長に話しかける。オフィスにある冷凍庫に入れていた高級そうなアイスクリームを見せながら。おじさん2人は気の利く美人さんに大喜び。私には一回も目を向けることはなかった。

これが日常茶飯事なのだ。だからもう、何にも感じない。これが当たり前の生活になってしまったのだから。

今日は課長に係長、山田先輩、そして私の4人。今から早く17時になることを願うばかりだ。

すると会社の電話が鳴り、私はすぐに受話器を取った。会社の名前を言うと、受話器の向こうの相手が何かをしゃべっているのが聞こえた。

「もしもし?聞こえますか?」

「〇×△※…。」

ごもごもしていて何を言っているのかよく分からない。私は何度も聞き返したが、小声すぎて全く聞き取れなかった。

「あの、もう少し大きい声でハキハキと話してもらえませんか?」

「切ります…。」

「ちょ、ちょっと!」

電話があっという間に切れて、私は唖然としてしまった。課長と係長はようやく私に気付いて「あれ、岩下くんもいたんだね。」と微笑を浮かべてこっちを見てきた。

「あの、今電話があったんですけど…相手の人の声が小さすぎて聞こえないまま切れちゃって。」

「そうなの?あらあら、ただの間違い電話じゃないかしら?」

山田先輩が眉を八の字にする。「きっとそうだよ。」「気にしなくていいよ。」とおじさん2人も彼女の言葉に激しく同意する。私はモヤモヤしながら自分の席に戻った。

それからいつもと変わりなくパソコンと睨めっこしていると、いきなりオフィスのドアが大きな音を立てて開いた。ぺちゃくちゃ話をしていた3人も目を丸くして振り返る。

「な、何事だ!?」

課長は係長の後ろに隠れる。私は誰か人が入ってきたのを確認してドアの前まで行った。

「あの…どなたでしょうか?」

そこにはまるでモデルのように高身長で顔の整った男性が立っていた。彼は肩で息をしながら私と目を合わせた。

「時間…ギリギリですよね、すみません…。」

「は?」

私がポカーンとすると彼は首を傾げる。

「僕、今日からここでお世話になるんです。10時からご挨拶の予定だったと思うんですけど…。」

「あー!君が月岡くんかい!?」

係長が大きな声で叫んだ。全員驚いて彼を見ると、彼は申し訳なさそうな表情をした。

「はい…すみません、迷子になっちゃって…。いや、こんなの言い訳ですよね、ごめんなさい。」

「全然良いのよ!気にしないで、月岡さん。」

山田先輩が突然前に出て彼に言った。山田先輩の声色がいつもよりぶりっ子だ。

「いや…でも…。」

「そういうことだってあるじゃないの!ねえ?大塚課長、佐藤係長?」

彼女が可愛い笑顔で振り向くと、課長も係長も何度も頷いた。私はただ、その場に立ち尽くすことしかできない。

「月岡くん、炎天下の中で来てくれてありがとう。座ってお茶でも飲んでよ。あ!アイスもありますよ?」

明らかに山田先輩の様子がいつもと違う。心なしか、月岡という男性も少し動揺しているように思える。彼が先輩に引っ張られて椅子に座ったのと同時に、私は思わず声を掛けた。

「なんか馴れ馴れしくてごめんね。居心地良くないよね…大丈夫?」

「いえいえ。こんなに歓迎してもらえて嬉しいです。」

月岡くんはそう言いながらも苦笑いしている。私が困った表情をしていると、課長と係長は月岡くんの前に座って真剣な表情をした。

「月岡くんには明日から早速、即戦力として働いてもらうよ。今日で仕事内容できるだけ覚えておくれよ。」

「そうだぞ!期待の若手だからな!」

2人の言葉に月岡くんは小さく頷いて「頑張ります。」と一言呟いた。こんなこと言ってもただのプレッシャーにしかならないだろうに、この2人は古い考え方をお持ちみたいだ。

山田先輩が持ってきたアイスを月岡くんが食べさせられている間、私は自分の仕事をなるべく済ませておいた。月岡くんに仕事を教えるために時間を使わないといけない。私は自分の仕事に全集中して、パソコンに向き合った。

「そういえば、岩下くん。最近仕事の調子はどうかい?」

突然大塚課長に声を掛けられて、私は目を丸くした。上を見上げると、課長は口元だけ微笑みを浮かべて私を見つめていた。

「新入社員でも表彰されている人だっている。それなのに、岩下くん…君はまだ目立った成果を出していない。もう少し気を引き閉めて仕事と向き合ってくれ。ここの支店の成果にも関わるんだからな。」

「…はい。すみません。」

私は頭を下げることしかできない。すると課長は満足そうに頷き、月岡くんの元に歩いて行った。私の心に冷たい風が吹く。まるで今までの自分を全て否定されたような、そんな気持ちになった。

「よし!月岡に仕事内容教えるのは山田くんに任せて、俺たちはもう行くよ。」

「お2人とももう行っちゃうんですか!?またいらしてくださいね。」

係長が安心した表情で立ち上がった。山田先輩はすぐに彼らの上着を取って着させてあげる。私も慌てて立ち上がって出入り口の扉を開けた。

「月岡くんも好青年で良かったよ。じゃあ、また顔出すから頑張っておくれ!」

「ありがとうございます!」

3人でお辞儀をして、課長と係長はオフィスを去っていった。すると山田先輩はすぐに月岡くんに仕事を教える準備に取り掛かった。

「鈴ちゃん。ごめんね、今日の私の分の仕事、代わりにやってくれる?月岡くんに付き添わないといけないから。本当に申し訳ないわ。」

「え?…あ、全然大丈夫です。了解です。」

私は驚きを隠せなかったが、先輩に言われたら従うしかない。「ありがとう!」と先輩はお礼を言って、月岡くんに目線を移した。

「月岡くん。上司の2人はあんなこと言ってたけど、仕事なんてやっていくうちに覚えるんだから重く考えないでね。分からないことあったら、遠慮なく聞いてちょうだい。」

「はい…ありがとうございます。」

その時、彼が私の方をちらっと見た。私は不本意ながら目が合ってしまい、「頑張って!」と口パクした。彼はニコッと笑って小さく首を縦に振った。山田先輩は資料に目を通していて気付いていない。私はホッとした。


「今日は本当にお疲れ様!鈴ちゃんも、代わりに仕事やってくれてありがとうね。」

ようやく17時になり、今日の仕事は終了した。山田先輩の指導の下、月岡くんも今日で基本的な仕事は覚えられたようだ。

「お2人とも、今日はお忙しいところ本当にありがとうございました。」

彼が丁寧にお辞儀をするので、私と先輩は顔を見合わせてかぶりを振った。

「いえいえ、私たちは何も…。」

「そうよ、月岡くんが頑張ったのよ。今日はゆっくり休んでね。」

それから月岡くんは「お先に失礼します。」と言ってオフィスを後にした。私と山田先輩もすぐに会社を出る準備を始めた。

「それにしても、月岡くんって…すっごくかっこいいわよね。」

「え!?」

私が大きな声を出すと、山田先輩は大きい目をさらに見開いた。

「鈴ちゃんはそう思わなかったの!?あんなイケメン、なかなかいないじゃない!高身長なうえに目がくりくりで可愛いのに、チャラついてなくて寡黙な感じ。私、一目惚れしちゃった。」

「いやあ…その…。お言葉ですが、先輩にはお付き合いされてる方がいるじゃないですか…?」

「それとこれとは違うのよ!もう、鈴ちゃんったら、本気で私が好きになってると思ったの?」

先輩が不服そうに言うので、私は慌てて首を横に振った。

「いえいえ、そんなことは…。でも、私も思いましたよ。端正な顔立ちの方だなって。」

「あら?もしかして鈴ちゃんも一目惚れ?」

いたずらっぽく言う先輩に私は苦笑いするしかない。

「してないです。今日会ったばかりなので、どういう人かまだ掴めないなって思います。」

「なるほど…鈴ちゃんはやっぱり真面目ね。」

先輩は腕時計に目を落とし、「もう彼が迎えに来てくれる時間だわ!」と叫んでオフィスを飛び出した。私は1人になったオフィスで小さくため息をついた。

「もう…先輩はいっつもああ言って閉め作業やらないんだから…。」

私がオフィスの最終点検をしていると、桜の刺繍が施された白いお守りが床に落ちているのに気付いた。一体誰のものだろうか?小さなサイズだからきっと肌守りだろう。私がそれを拾い上げて首を傾げると、突然オフィスの扉が大きな音を立てて開いた。私が驚いて後ろを振り向くと、そこには帰ったはずの月岡くんが立っていた。

私が唖然としていると、彼は肩で息をしながら私の手元を見た。

「あの…突然ごめんなさい。それ、僕のです。」

しばらく固まってしまったが、私は手にしたお守りを見てすぐに彼に向き直した。

「ああ!これ、月岡くんのだったんだね。床に落ちてたからちょうど今拾ったんだ。」

「見付けてくださったんですね。本当にありがとうございます。」

月岡くんがとても安心したような表情をしているのが分かる。彼はお辞儀をして私からお守りを受け取った。

「このお守り…すごく大切なものなので、本当に助かりました。いつか必ずお礼します。」

「いやいや!そこまでしなくて大丈夫だよ。偶然見付けただけだし…。」

私が縮こまると、彼は首を横に振った。

「ぜひお礼させてください。迷惑じゃなければ…ですけど。今日も気遣ってくださってありがたかったです。」

「ありがとう…じゃあ、お言葉に甘えてお礼してもらいます…。あれ?なんか変な日本語だな…。」

すると月岡くんがふふっと小さく笑った。私の胸の鼓動が速くなるのを感じ、私は思わず口を開いた。

「月岡くん!えっと…明日からもよろしくお願いいたします…!」

自分がおかしいことに気付きながらも彼に挨拶すると、彼も「こちらこそお世話になります。」と丁寧に返した。


彼がオフィスを去ってすぐ、私もようやく帰路に就いた。私は鉛のような体を何とか動かして家に到着した。

「ただいま、今日も疲れたなぁ…。そうだ、夜ごはん作らないと。」

私は冷蔵庫を開けて、思わず発狂した。

「あー!こんな時に限って何もない!食材、買ってこないと…。」

私はすぐに自転車にまたがった。スーパーに着いて私はじゃがいも、人参、玉ねぎと豚肉を手際よく籠に入れた。魚コーナーに向かうと、見覚えのある人が立っているのに気付いた。

「うそ…あの人…月岡くん!?」

私が思わず声を出すと、周りの人が一気に私に振り向いた。私が思わず隠れようとすると、月岡くんらしき人がこちらに近寄ってきた。

「もしかして…岩下さん?」

この低くて綺麗な声は間違いない。私はゆっくりと顔を上げて、彼の方を見る。やっぱり月岡くんだった。

「こんばんは。また…会いましたね。」

私は慌てて彼に謝った。

「ごめん…ごめんなさい!私、なんであんな大きい声出しちゃったんだろう…。」

「いえ…大丈夫ですけど、驚きました。まさか…このスーパーでも会えるなんて。」

月岡くんが頭を掻きながら呟く。私がキョトンとしていると、彼は微笑んで私を見つめた。

「僕ら、近所なんですね。僕、ここら辺に引っ越してきたばかりなので…もしよかったら色々教えてもらいたいです。それじゃあ…お先に失礼します。」

月岡くんは会社と同じように丁寧なお辞儀をしてその場を去った。私は小さく頷いただけで何も答えることができなかった。

家に帰る途中も、家に着いてからも、白いシャツにチノパンを履いた月岡くんの姿が頭からずっと離れなかった。会社でのスーツ姿と違って、あのラフな感じが彼のかっこよさを更に引き立てていた気がする。私はまた自分の鼓動が速くなっていくのに気付いた。

「なんで…?」

私は思わず呟いた。

「なんで私、こんなに月岡くんのこと…。」

するとその時、スマホに通知が来た。私がスマホの画面を見ると、そこには懐かしい名前が書いてある。私はその瞬間、自分の高校時代を思い出した。


ー「私たち、絶対に自分の将来の夢を叶えよう。絶対に教師になって、子供たちを笑顔にしようよ。」

「そうだね、鈴。小学生から目指してた夢に向かって、私たち2人で頑張ろう!」

「岩下さんはどうして部長になったんですか?ここまで後輩部員を育てられたのはなぜですか?」

「部員3人しかいなかったのをよくここまで大きな部活にしましたよね!しかも、今じゃ全国大会にまで出場できるようになって…。」

希望に満ち溢れていた高校時代。夢に向かって全力だった私。輝いていたあの頃の私ー。


私は我に返って買ってきた食材を冷蔵庫に入れ始めた。昔のことを思い出すと何だか吐き気がしてくる。

ゆっくり深呼吸をして、食事の準備に取り掛かった。今日の夜ご飯はカレーだ。今日…というか、明日も明後日もたぶんそうだろう。

「月岡くんも…カレー作ったりするのかなぁ…。」

私はまた独り言を言ってしまった。慌てて自分の顔を叩き、すぐに野菜を切り始めた。


つづく

ご一読いただきありがとうございました♪

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